第5話 水戸瀬秋沙

 稀有なイベントから一週間が経った。

 冴えない社畜、女子高生を救う。なんてラノベのタイトル、どっかにありそうである。


 僕は相変わらず、ただ命をつなぎとめるために身を粉にして働いている。

 今の会社に正社員として働き出してかれこれ八年になるのに、毎月の手取りは住民税などを差し引けば二十万にも満たない。

 安月給なのに、やることだけはやたら多かった。


 僕自身仕事を請け負っているのに、直属の上長である渡利から直接仕事を追加されることがある。

 スケジュールは立て込んでいるのに拒否権は無い。拒否するという考えが無いのだ。

 脳みそが完全に忙殺されていて、正常な判断力を奪われている。

 そこを付け入られて、責任を押し付けられる。そんな重圧に押しつぶされそうになりながらも、必死に激務を消化しようとした。


 なんでだろう。なんで僕はこんなに必死に仕事してるんだろ。

 残業代だって、全部はつかない。

 最後に自炊したのはいつだっけ?


 それなりに得意なはずの料理も、多忙なルーチンワークの中に入る余地は無くて、食事はカップめんやコンビニ弁当で済ませるようになった。

 独り暮らしの狭いワンルームにはただ寝に帰っているだけの状態だ。

 貯金をするような金銭の余裕もそれほどなかった。


 ほんとうに……何のために生きているんだろう。

 わからないということは、生きながらにして、死んでいるのかもしれない。


「オ先、失礼シマス」


 片言の日本語。

 同じチームの小林シャオリンは、中国人のパートナー社員だ。

 自作業を終えたらしく早々に帰宅した。

 時刻は一八時、彼の作った資料を確認するのはたぶん数時間後になる。呼びとめることはできなかった。彼はよその会社の人間で、僕の正規の後輩というわけじゃないからだ。

 たとえ彼の残した成果物の出来が悪くても、これから確認して僕が直していくしかない。

 また一つ仕事が増えた。

 今日も徹夜かもしれない。


 二二時にもなると、他の社員も席から消えていった。

 いつの間にか室内にはカタカタと、僕の打ち鳴らすキーボードの音だけが鳴り響いていた。


 今日も最終退出者は僕なのだろう。

 オフィスの電気の大半が消され、自端末の液晶の光だけが寂しく灯っている。


 僕は、たぶん不出来な社員なのだと思う。


 生産性が悪くて、立ち回りもヘタだから、余計な作業に追われる。かといって残業時間が増えれば労働組合が黙っちゃいない。人事課の奴らは僕に勤怠時間の調整を強いる。

 でも仕事があるんだ。帰れるわけがない。

 目をこすりながら椅子に体重を預けると、壁にかかったデジタル時計で今の時刻がわかった。二三時五八分。

 まもなく日付が変わる。




 ――――。


 妥当な人生だと思う。



 僕は何かと飽き性で、努力というものが好きではなかった。

 性格だってひねくれている。だからきっとこれからも異性に相手にされない。

 人として、出来損ないなのだろう。大事なものがなにか欠けている。


 あくびが漏れた。

 死ぬほどのことではないが、生きるほどのこともない。

 自分に絶望なんてしてないけど、生きる意味は見失っていた。


 昔からこんなだっただろうか。

 今となってはもうよく思い出せない。

 人の役に立てることに喜びを抱いていた時期もあった気がする。


 でも、どこかで気づいたんだ――。

 誰かに優しくしたところで、自分を押し殺したところで、幸福はやってこないんだって。











 ――けたたましい振動音で目が覚めた。

 どうやら一瞬だけうたた寝していたみたいだ。

 暗闇の中でデスクの上に転がるスマフォがチカチカと光っている。


「電話……?」


 こんな遅くに誰だ? しかも知らない番号からだった。

 客先からの緊急の問い合わせだろうか。

 だとしても時刻はすでに一時を過ぎている。


 こんな非常識な電話に出る必要があるのか甚だ疑問だ。

 だけど、後で上司の怒りに触れる展開にならないとも限らない。


 迷ったが、しぶしぶ通話ボタンを押した。


「もしもし……」


 寝起きと苛立ちで、とんでもなく不愛想な第一声になる。

 これが客だったらヤバいな、と思ったが、


『もしもし』


 幸いなことに女性の声だった。今の客先に女はいない。


「だれ……? 今一時過ぎなんですが……」


 不機嫌を込めて言うと、電話の向こうにいる人物がはぁと息を漏らしたのが分かった。

 一瞬それが喘ぎ声に聞こえて、質の悪いいたずらかと思ったが、


『ああ、よかった……高校から番号変わってなかったんだね……』


 女は安堵したように話しをはじめる。

 番号が変わってない?

 たしかに、僕のスマフォは高校時代から契約した番号をずっと使っている。でも女の連絡先なんて一度も登録した覚えはない。

 彼女はいったい誰だ?


『ねえわたしのこと、覚えてる?』

「だれ……?」


 もしや新手の詐欺だろうか。

 疑いつつたずねると、


『わたしだよ。水戸瀬みとせ秋沙あきさ


 女は中校時代に一週間だけ付き合った元カノの名前を口にした。




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