第22話 ハドリアヌスのもとへ

 一部は仲間に引きずられながらもソフィアに入城したスオウたちは、すぐに補給をすることができた。

 彼らはソフィアまでの道中の敵を一掃できていたようで、遅れてベオグラードに到着した後続の補給部隊が防御をかなぐり捨ててソフィアまで走った結果、驚くべきことに前線に追いついてしまったのだ。


 部隊ごとに分かれて物資を受け取り、怪我の治療や処置が始まったのだが、先の戦闘で消耗の激しかった第一遊撃大隊の面々には、一人一つずつが渡された。

「これは一体……」

 スオウは瓶の内容物、紅色のタブレットのようなものを見て、怪訝そうに言った。

「そいつはで開発された『即席魔力補給剤』だ。、黙って飲んでおいたほうがいいぜ……特に、アンタはナ」

 直後、スオウに応えるような声がする。スオウがその声の方向を向くと、そこには白衣をまとうが立っていた。

 白衣は少女の体格に全く合っておらず、裾を持ち上げてベルトで固定してもなお先端を地面に引きずり、同じくダボダボの袖も捲くって、二の腕の位置で固定している。


「……君は?」

 少女が強く念押ししてきたので大人しくタブレットを一錠口に押し込み、飲み込んでから、スオウは少女に尋ねた。

「ワタシはパリ天使研天使研究所ベオグラード分室所属、イレーネ・アストライア……なんだその目。自分で言うのも癪だが、でもアンタよりは年上ダ!」

 不思議そうに自分を見下ろすスオウの顔を睨みつけながら、イレーネと名乗った少女は威圧する。

「ああ、いや……」

「言っとくが、『小さい』とかかしたらはっ倒すぞ」

 スオウの言葉を遮って、イレーネはさらに語気を強めて圧をかけた。

「……俺はスオウ・アマミヤ、上等兵だ。よろしく」

 確かにスオウは「小さいのに凄いな」というようなことを言い放とうとしていたので、その言葉を飲み込んで自分も名乗り返す。

「ああ、知ってるよ。『グリゴリの契約者』を知らない人間は、天使研にはいないサ」

 グリゴリ見張る者――それはかつてアザゼルが率いた、天使の……いや堕天使の一団だ。

 アザゼルがその頭目であったのは事実だが、彼一人を指して「グリゴリ」の名を出すのは流石に大仰すぎやしないか……というスオウの思考は、その直後、他ならぬアザゼルによって断ち切られた。


――ッ! スオウ、お前、今何飲んだ⁉

 頭の中で突如として響いた声に、スオウは驚いて背筋を伸ばす。

「い、いきなりどうしたんだよ」

 スオウが質問を返すと、アザゼルは繰り返した。

――何か聞き覚えのある言葉が聞こえたが、今はどうでもいい……もう一度訊くぞ。お前は今、何を口にした?

 アザゼルの言葉は、決してスオウを責めるようなものではない。スオウもその雰囲気は感じ取っている。

「これは、即席魔力補給剤とかいう薬らしい……どうかしたのか?」

――どうしたもこうしたもあるか! 純度の高い『魔力の塊』だぞこれは!……それも、微かにと同じニオイのする、な。

 アザゼルは一気に捲し立てると、一息ついてから言葉を続けた。

――生身の人間がこんなもの体に入れたら、体内のバランスが崩れて命を落としかねない。第一、人間がどうやってこんな……。

 姿は見えないが、スオウにはアザゼルがイレーネを睨み付けているように感じられた。


「お、その様子だとアザゼルが何か言ってるみたいだナ? ワタシには何を言ってるかわからないが……言っておくことがあるとすれば、余剰魔力は体内に吸収される前に、その契約結晶に貯蔵されるから安心しろ……ってことカ」

 イレーネはスオウの様子からアザゼルの言動を推測すると、スオウの腰に装着されている紅色の正八面体を指差しながら言う。

「……ああ、それと、ソイツの精製方法は訊かないほうがいいゼ。一応、の最高機密なんダ」

 続けて飛び出したイレーネの言葉の中に、スオウは何か、絶対に踏み越えてはならないラインのようなものを感じた。アザゼルの抱く疑問はまだ解決していないが、彼らは揃って話を切り上げることにした。



 スオウのソフィアでの出会いもそこそこに、大きな規模で見ると、エディルネ進出に向けて準備中であった。

「……リートミュラー中佐、少しいいかな」

 作戦計画の確認を行っていたカイに呼びかける声が聞こえた。

「ソフィアに駐留していた第四遊撃大隊だが、連日の攻撃でかなり疲弊している。部隊の大多数がしばらく動けそうにない以上、戦力として連れていくのは無茶だろう」

 カイが視線を声の主に向けると、そこに立っていたデアーク・エンドレ中佐がそう話を続ける。

「ええ、当初の計画で予想していたよりも損害が大きい……ベオグラードに打診しておきましょう」


 分司令部からの応答は、カイが電報を打ってから一時間も経たずに返ってきた。

 要約すると、第四遊撃大隊はソフィア周辺に引き続き駐留して後詰めとすることを認めるというようなものである。

「では、第四遊撃大隊はソフィアに残した上でこちら第二師団の第二遊撃大隊からの連絡を待ってソフィアを出発し、マルマラ地方北部の解放に移ります」

 カイが確認するようにデアークに言うと、二人はほぼ同時に頷き合う。互いに部隊への伝達をするために解散し、この日は臨戦態勢で待機となった。



『……第二師団、第二遊撃大隊からソフィアへ、こちらドナルド・マリアン中佐。応答願う』

 距離減衰の影響かノイズの多い通信がソフィアに入ったのは、カイとデアークが作戦計画の確認を行ってから約五時間後、夜中のことだ。

「こちら第一遊撃大隊、どうぞ」

 第一遊撃大隊の各部隊が交代で通信を待っていたのだが、その時その役目にあったのは第二中隊である。その中隊長であるフェリクス・エーベルハルト少佐が通信機を手に取り、そう言った。


『少々遅くなったが、予定していた転進地点に到着した。損害はほとんどない。そちらの指示を待つ』

「了解。作戦計画の変更点を含め、最新の情報を共有しておきます」

 ドナルドからの通信にフェリクスはそう言葉を返すと、少し前に立て直した作戦の概要を説明し始める。



「……カ……リートミュラー中佐からは以上です」

 同期のよしみで普段は「カイ」と呼んでいる癖を誤魔化しつつ、フェリクスは説明を終えた。

『了解した。では、その通りに』

 そう返事をして、ドナルドは通信を切り上げた。

 変更が加えられた作戦計画は、次のような内容である。


 一、翌朝六時にカイたち二個大隊はソフィアを出発し、全速力でエディルネに向かう。このとき、先だって発生したソフィア解放戦の最中さなかと同じように、「スオウ・アマミヤ」に天使が引き寄せられる可能性がある。

 二、ドナルドたちはソフィア駐留部隊から一時間遅れでエディルネに向かい、周辺の天使を掃討しつつエディルネの早期占領、及びコンスタンティノープル方面からの増援の阻止を目指す。

 三、エディルネにて三個大隊集結後、すぐにコンスタンティノープルに向かう。



 通信が終了すると、フェリクスは後を部下に任せ、その場を離れた。

「……カイ」

 ソフィア駐屯部隊の臨時指令所として設けられた天幕郡の一つに飛び込むと同時に、フェリクスは彼の尋ね人を呼ぶ。

「ああ、帰ってきたか……ドナルドには、ちゃんと伝えてくれたな?」

 天幕の中には、カイを含め作戦情報の再確認を行う第一遊撃大隊の中隊長三人、及び先の概要にも突然登場した人物であるスオウ、そしてスオウと同じ班の面々がいた。


「……フェリクスが戻ってきたところでもう一度言っておくが、明日はお前たちに大きな負担を強いるかもしれない……天使研から提言されたようにスオウに天使が寄ってくるかどうかは、正直なところ賭けに近い。だが、もしそうなった場合には、ボスマン班はスオウの掩護を最優先してくれ」

 フェリクスとスオウたちが敬礼を交換した後、カイはスオウたちを見て言う。

「こちらに天使を引き付けられれば、その分エディルネ周辺の天使が減り、第二遊撃大隊の占領が速くなるかもしれない……すまないがわかってくれ、スオウ君」

 カイに続けてそう口を開いたのは、カイやフェリクスと同期の第三中隊長、セシル・フィリドール少佐であった。

「天使が俺に寄ってきてるのは、自分でも感じていたところです。やれるだけやっみますよ……少なくとも、こっちが大きく動けば、ある程度は釣れるでしょうし」

 スオウはセシルの方を見て、小さく息を吐きながらそう返す。


 天使を引き寄せる本人も、それを守る班員たちも高い士気を保っているのがわかると、カイは五人を下がらせた。

「……しっかし、変わったな。

 ふと、誰にともなくフェリクスが言った。

「そうか? 十年前と同じ目をしていたと思うが……」

 セシルは腕を組んで呟くが、僅かな思考の後、再び言葉を漏らす。

「……ああ、でも、いくらか余裕が出来たような気はするな。やはり、仲間の存在か」

 カイ、フェリクス、そしてセシルは士官学校の同期であり、十五年ほどの付き合いがある仲だ。

 十年前、スオウがカイのもとに来てから、彼が兵学校に入学するまでの六年間、フェリクスもセシルも何かにつけてスオウに構い、たまに戦闘の稽古をつけていた過去を持つ。


「彼は……アマミヤ上等兵は上手くやってくれそうか? カイ」

 もう一人の中隊長、クレメンテ・イラーリオ少佐がその話の流れでカイに尋ねた。

「そうだな……期待以上に働いてくれるだろうよ。あいつはそういう男だ」

 カイは、正直に思うところを話す。

「そうか……これまでの戦闘を見ても、それは確からしい。俺も期待しておこう」

 クレメンテは他の二人ほどカイとの付き合いは無く、第一遊撃大隊に配属されたのも遅いが、カイとの関係はそこそこ良好だった。

 彼もまた「期待の新星」であるスオウに、いくらかの関心を寄せている。



「……とにかく、明日はなんとしてもエディルネまで進出し、コンスタンティノープルまで一気に詰め寄るぞ。一連の事変における敵根拠地に近づくため、激しい抵抗が予想される。各部隊の連携を密にし、各個撃破されることのないように」

 カイはパンッと一つ手を叩くと、明日に向けて話をまとめた。

「了解」

 三人の声が重なる。

 

 エディルネ――かつて存在した大帝国の皇帝の名を冠したその町に、抵天軍三個大隊、約一四〇〇人の意識が向けられていた。

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