第18話 南へ(1)
ウィーンを出発したスオウたちは、ドナウ川に沿ったり離れたりしながら街道を進む。
「前方距離五〇〇、数およそ五十、天使です!」
百キロメートルほど進んだところで、先頭集団で走る兵士が叫んだ。
「雑兵だな……
同じく先頭集団を走るカイが指示を出すと、周囲の兵士たちは一斉にうなずく。
現在、カイたちが率いる二個大隊九六〇人は四つの集団に分かれていた。
カイやスオウがいる先頭集団、二個小隊六十人。
そしてその後ろに、三〇〇人からなる十個小隊の集団が三つ続く形だ。
カイの指示で瞬時に戦闘態勢に移った先頭の二個小隊は、勢いそのままに天使の集団に突っ込む。
結論から言えば、宿天武装を全力で使用している彼らにとってはなんの脅威でもない、文字通りの雑兵であった。
「ふっ……」
カイが小さく声を上げて、彼の前にいた最後の一体を斬り伏せる。
「……中佐。両翼とも、掃討完了です」
その直後、カイと同じく戦闘に加わっていた彼の副官、シャルロッテ・クナウスト中尉が報告した。
「そうか……損害はないな?」
自身の質問にシャルロッテがうなずいたのを見て、カイは言葉を続ける。
「よし。それなら、後続と合流してから行軍を再開しよう。今ので少し先行しすぎた」
カイは振り返って後続集団を見る。確かに、当初百メートルほどだった間隔が倍以上になっていた。
その後一行はさらにニ時間ほど移動し、第一師団東方分司令部管内最初の大きな街、ブダペストに到着した。
「第二師団からの増援部隊の皆さんですね? 分司令から話は聞いております。ブダペスト守備隊より、この先の情報をお伝えしますので、ついてきてください」
カイとドナルド・マリアン中佐、そして二人の副官たちは、ブダペストに到着するなり守備隊長だと名乗った兵士に連れられ、守備隊詰所に向かう。
その間、スオウたちは小休止となった。
それから三十分ほど経った頃。話を終えたらしいカイたちが、詰所から出てきた。
「……守備隊の話では、コンスタンティノープル急襲後から現在までの累計で一万二千体の天使が確認され……そのうちの三分の一、四千体は未だ健在らしい」
カイとドナルドがそれぞれの部隊の中隊長を集めると、まずカイがそう言う。
「ここから先、ベオグラードやコンスタンティノープルに近付くに従って、天使の数や襲撃の頻度は増えていくだろう。各員、十分に気を付けていこう」
続けてドナルドが集めた六人を見回して言うと、その場にいた全員がうなずく。
「まだ先は長い、あと二十分で出発するぞ。時間と魔力残量を考えると、今日はスボティツァあたりで泊まることになりそうだが……」
カイは地図を広げながら出発時間と目的地を告げる。スボティツァはブダペストから約二百キロ南方、ブダペストとベオグラードのちょうど中間の位置する町だ。
「各員、この先、天使との遭遇戦が増えると予想される。魔力の管理に十分注意しろ」
カイは二個大隊の面々を招集して言うと、宿天武装を再び起動し、そして行軍を再開した。
ところで彼らの先の状況はというと、ブダペスト守備隊からの報告通り、確かに天使の数が増えているように思われた。
「中佐、索敵範囲内に常に天使が入るようになってきました」
カイの側を走っていた兵士が報告する。
「――そうだな……だが、すべてを叩いている暇はない」
「歯がゆいですが、他部隊に任せるほかありません」
兵士の言葉にカイが苦々しげに反応すると、続けてシャルロッテが彼の言葉を補うように言った。
周囲の兵士たちの空気が暗くなり、何人かが唇を噛む――二人の発言は当然と言えるが、しかしそれでも、兵士たちが多少の罪悪感を抱く原因となるのに十分だった。
「ッ……!」
「なっ、これは……⁉」
それから一時間半ほど経っただろうか。カイたちは概ね予定通りに街道を進んでいたが、スボティツァまであと十キロメートルを切ったあたりでその足が止まった。
おそらく、先頭付近にいた兵士は全員……いや、たとえ離れていても、明らかに普通でないことに気付いただろう――街道を塞ぎ、空と大地を埋め尽くすかのように陣取る天使の集団だ。
「中佐……」
「ああ……間違いなく待ち構えていやがったな」
シャルロッテの呼びかけに、カイは苦々しく呟く。
「中佐、前方距離八〇〇、敵数およそ四五〇。うち三〇〇が地上です!」
索敵を行っていた兵士がカイに報告した。
「流石に放置しておくわけにもいかないし、アレを片付けないと先に進めないだろうな……仕方ない」
そう言ってカイは無線機を手に取ると、別行動で本隊を率いているドナルドに連絡を入れる。
「リートミュラーよりマリアン。お前も見えてるだろうが、天使の集団が進路を阻んでいる。ひとまず俺たちで対処するが、本隊からも兵を割いてほしい」
『マリアン了解。こちらからも天使の姿を確認した……リートミュラー、わかっているだろうが、君たちはたったの二個小隊だ。応援はすぐに向かわせるから、くれぐれも無茶はしてくれるなよ』
カイの要求に返答したあと、ドナルドは強く念を押す。
「はは、わかってるよ……頼んだぞ」
カイは笑いを漏らしつつ、すぐに真剣な調子になって通信を終えた。
「……よし、お前ら! この遠征最初の大規模戦闘だ」
続けてカイは、彼の周囲に控える兵士たちに向かって叫んだ。
「手持ちの食糧やライフルの弾薬は少ない上、ここまでずっと宿天武装を起動し続けてきたから、魔力に限界が来ている者もいるだろう。だが、今日の目的地はもう目と鼻の先だ! 力を振り絞ってくれ!」
そうこうしている間にも、進路上に陣取った天使たちはジリジリと距離を詰めてくる。
「狙撃手は弾の節約と身の安全を。それ以外の者も、可能な限り受けるダメージを少なくすることを心掛けろ。総員、配置につけ!」
カイの号令で、二個小隊六十人が班ごとに分かれて散開した。
天使と抵天軍の戦闘というのは、基本的に散兵戦である。
ほとんどが班または小隊ごとに分かれて展開し、天使を迎え撃つ、あるいは打って出るのだ。
「位置的に俺たちが先鋒になる。全員、無茶しないように死ぬ気で戦えよ!」
散開したあと、カイは自分の周囲にいた十四人に声をかける。帰ってきた言葉にこもった士気は未だ十分にあるようだった。
「――総員、攻撃始め! 小さい集団を誘い出して、各個撃破しろ!」
彼我の距離が五〇〇メートルを切る直前に、カイがそう指示する。
「行くぞ……!」
まず最前列に立つカイたち三個小隊が足を踏み出し、地面を蹴る。
そしてその後ろに控える六個小隊が、息の合った動きでそれに続き、楔形の陣形を取った。
「俺たちは普段通り、俺、カミロ、アマミヤが突っ込んで、ゲレメクとゼーマンがそのサポートだ。行けるな?」
スオウの所属する班はさも当然のようにカイの右側に陣取っており、最前列を走りながら、班長のエルヴィン・ボスマン曹長がそう確認するように尋ねた。
ボスマン班の面々がそれぞれうなずいた直後、ついに
「……あんまりモタモタしてもいられないな。早々に仕掛けるぞ! ひとまずあっちの左翼を叩く!」
エルヴィンが叫ぶと、エルヴィンとその班員たちはほぼ同時に加速し、天使の攻撃を避けつ防ぎつしながら突入した。
「はっ……!」
スオウが剣を振るい、向かってきた十数体の天使たちをまとめて薙ぎ払う。
――久々の戦闘だが、勘は鈍ってないみたいだな。
「当たり前、だろ……ッ!」
アザゼルの小馬鹿にしたような声に返答しながら、スオウは振り返って背後の天使の胸部を突く。
薙ぎ払われた天使たちとスオウの背後にいた天使の体が砕け散り、赤や白の混じった光の粒子となって消えた。
――ッ……左前方、来るぞ。衝撃に備えろ!
突然、アザゼルが叫ぶ。
「なっ……」
スオウが左前方を見ると、やや離れた位置から槍を構えてこちらに向かってくる天使が見えた。
「あれは、あのときの高速型!」
そう、それはいつかランゲンツェンで見た、高速移動するタイプの天使だ。……それなら……! スオウは意識をその天使に集中させた。
そうこうしているうちにも、その天使は一気に距離を詰めてくる。
「防げ、アザゼル!」
――了解……!
スオウが叫ぶと、アザゼルは宿天武装を介して彼の前に障壁を展開した。
その直後、百メートルはあった距離を一瞬でゼロにした天使がその障壁に衝突する。
「ッ、ぐっ……お前の倒し方なんか、とっくにわかってるんだよ……ッ! アザゼル!」
天使のエネルギーに押し負けないように耐えながら、スオウが再び叫んだ。
今度はなんの返事もなく、障壁が消える。障害物のなくなった天使は再び動き出すが、姿勢を低くしたスオウにその槍は当たらず、無防備な胴体を彼の前に
「はぁっ……!」
スオウは加速した思考でその姿を捉えると、すぐに剣を振り上げ、天使の体を両断する。
――スオウ、
スオウが息を整えようとしたその瞬間、アザゼルが叫んだ。
彼は乱れた呼吸のまま周囲を見渡し、自分に向かってワンパターンな突撃を仕掛けてくる天使を、アザゼルの言う通り二体捕捉する。
「チッ……動きは読めるが、同時に来られるとキツいぞ……ッ!」
スオウはもう一度よく見ると、左から来る天使の方が右の天使よりも近いのを発見した。
「……とりあえず、左防いですぐに右だ。防御頼んだぞ!」
――了解、合わせてくれよ。
スオウがアザゼルに指示を出すと、すぐに左側の天使が到達する。
「ッ……! 次、は……!」
その直後、わずかに一秒もないぐらいの差で右側からも攻撃を受ける。
アザゼルは巧みに障壁を構築し、左右の攻撃からスオウを守る。
――いちいち処理するのも面倒だが……どうする?
一瞬も気の抜けない中で、アザゼルが尋ねる。
「そうだな……エリクさん!」
スオウは彼の班員で、現在サポートに回っているエリク・ゲレメク上等兵を呼んだ。
「俺の右側、
スオウから呼びかけられたエリクがすぐに彼の方を向くと、スオウは短く叫ぶ。
「このっ……了解、まかせろッ!」
エリクは自身に迫っていた天使を片付けると、そう叫び返して駆け出した。
「よし。エリクさんがこっちに到着する寸前で行くぞ」
――わかった。タイミングはこっちでやるが、いいな?
「ああ。頼む」
いくつか言葉を交わしている間に、スオウの背後、やや離れた位置でエリクが跳び上がる。
そしてそのまま高さをエネルギーに変え、エリクがスオウの右側にいる天使目掛けて剣を振り下ろした。
――……今ッ!
アザゼルが告げた直後、スオウを守っていた障壁が消える。
ついさっきと同じように、障害物を失った天使は再び動き出すが――すでに遅かった。
「やぁっ……!」
「はっ……!」
エリクとスオウの声が重なる――次の瞬間、二体の天使は二本の剣によって斬り伏せられた。
「こいつら、ランゲンツェンにも出てきたやつか?」
ある程度呼吸を整えてから、エリクが尋ねる。
「はい、多分同じ高速型だと思います。二体同時は流石にキツいので、助かりました」
その質問に答えつつ、スオウは礼を言った。
「別にいいさ……とにかく先に進もう」
そう言ってエリクは天使の集団の奥を見る。
まだ天使は残っているし、周囲も戦闘の真っ只中だ。一刻も早い「敵左翼の殲滅」のため、彼らはまた足を進めた。
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