第17話 急行(2)

 大方の予想通り、スオウたちは三日ほどでウィーンの街に到着した。


「ウィーンか……懐かしいな」

 川辺に船を停泊させて大休止をとっていたとき、船を降りたカイがボソッと呟く。

「来たことあるのか?」

 背伸びをしながら、たまたま近くに立っていたスオウはそう尋ねた。彼はカイと六年は一緒に暮らしていたが、一度もウィーンを訪れたというような話を聞いたことがなかったのだ。

「ああ、昔は時々来てたぞ。俺の母親がここの出身でな」

 初耳である。やはりたった六年やそこらでは、相手のことを詳しく知るには短すぎたのだなと思いつつも、スオウは率直な言葉を返した。

「そうだったのか……⁉ 一度も聞いたことなかったんだが……」

「お前と出会う少し前に死んじまったんだ、そりゃそうだろう」

 カイは何でもないように言い放つ。

「……さて、お前も班に戻れよ。これからやたらと疲れるから覚悟しとけ」

 そして話題を変えるようにそう告げると、指揮官同士で話し合いをすべく、同行している第二遊撃大隊大隊長、ドナルド・マリアン中佐のもとへと向かった。



 スオウが自分の班の所へ戻ると、班員の面々がアイリスとしていた――といってもレスリングなどではなく、ひとしきりはしゃいで体力が切れたらしいアイリスを船から引きずり降ろそうとしているだけなのだが。


 幼児かよ……そう思いつつ、スオウはアイリスに近付いて軽く肩を叩く。

「おいアイリス、起きろ」

 そう何度か呼びかけると、突然アイリスはガバッと起き上がってスオウにしがみつき――あるいはと言ったほうが正しいか――ともかく、彼女を船から引き剥がすことはできた。

「うーん……スオウ……? もうついた……?」

 そんなことを口走るほど寝ぼけた様子のアイリスの頬をグリグリと動かして起こし、スオウは返答する。

「まだだよ……これから何をするのかは具体的には知らんが、とにかく今は大休止で、俺たちはウィーンにいる」

 それを聞いたアイリスは目をゴシゴシとこすりながら、なんとも気の抜けた声を返した。



「お前ら、まともに休める今のうちにしっかり休んでおいたほうがいいぞ」

 そんなやり取りをしていたスオウたちに、彼の直属の上官であるエルヴィン・ボスマン軍曹がそう声をかける。

「……班長、今から何するんですか? 蒼白になってる人がチラホラいたんですけど……」

 直後、スオウとは別の方向から声がした。スオウの班員の一人、フィロメナ・ゼーマン一等兵である。

 彼女はこのあと自分にどんな事態が待っているのかとやや恐ろしく思いつつ、その答えを知っていそうなエルヴィンに尋ねた。


「……聞きたいか?」

 エルヴィンはおどかすような声音で言う。

 そして彼の班員たち――具体的にはスオウ、フィロメナ、そしてもう一人、エリク・ゲレメク上等兵――がつばを飲み込んでうなずくと、ついに打ち明けた。


「こう言うと語弊があるかもしれないが……抵天軍の名物といえば名物、……


 エルヴィンの言葉を咀嚼するスオウたちの表情は硬い。

 今彼らがいるウィーンの街からベオグラードまでは、直線でおよそ六〇〇キロメートル。常識的に考えて、走るよりもこのまま船で川を下ったほうが速いし楽だ。

 しかしこれこそが、しばしば抵天軍人が行軍期間短縮のために使う「」なのである。



「――よし、全員揃ってるな?」

 大休止の終わり頃、遠征隊の全員が集合したのを確認してからカイが言った。

「さて、我々はこれよりベオグラードに直行するわけだが……もう『経験者』から聞いてる奴もいるだろうが……!」

 カイは不安げな新兵たちを見回して、ハッキリと言う。

「物資はここウィーンの街に置いて行き、後に続く船を使ってベオグラードまで届ける。各人、自分の持ち物だけを持って準備をしてくれ」

 カイに続いてドナルド・マリアンがそう言うと、部隊の面々は色々とざわつきながら動き出した。


「期間は、あとどれぐらいになりそうですか?」

 支度をしながら、エリクがおもむろに尋ねる。

「……走ると言っても、宿天武装の力でアシストするからそう時間はかからないはずだ。私たちも四年前にやって以来だが、意外と速かった覚えがある」

 同じく支度をしながら、エルヴィンと同期のカミロ・スアレス上等兵がそう答えた。

「まあ、六〇〇キロなら長くても二日かそこらだろうな。明後日の昼には拝めるだろう」

 カミロの発言を補足するようにエルヴィンが言う。


 それを横目に、スオウはアイリスと向き合っていた。

「アイリス、聞いてのとおりだ。流石にお前を抱えて走ることはできない。後から追いかけてくる物資輸送の船でベオグラードまで来てくれ……いいな?」

 いつも通り激しい抵抗に合うことを予想しつつ、諭すように言う。

 ウィーンの街は、第二師団管内で最南端の物資集積拠点となっている。今回の遠征でも、この街から物資を運ぶことになっているのである。


 アイリスは事の重大さは理解しているが……という顔で話を聞きながら、わずかに考え込んだ。

「……わかった」

 意外なことに、数秒の沈黙の後、アイリスは渋々と言いたげな表情であったが素直にうなずき、言った。

「でも、ちょっとだけ待って」

 しかしすぐにそう続けると、スオウの腰のホルダーにはめ込まれた紅色の正八面体――スオウは兵学校を出る直前に知ったが、「契約結晶」と言うらしい――を手に取った。

「おい、何を……」

 戸惑うスオウをよそに、アイリスは契約結晶のペンダントをホルダーから外し、両手で握り込む。あえて言うならば、「お祈り」のポーズの亜種のような形だ。

「……ちょっとした、だよ。スオウが無事に帰ってこられるように……はい」

 そう言ってアイリスは姿勢を戻し、スオウにペンダントを返した。

「そ、そうか……ありがとな」

 アイリスから契約結晶を受け取ると、スオウはやや複雑な気持ちを抱きながらも、素直に礼を言う。



 そしてアイリスの頭に手を置くと、その手を左右に動かしながら言った。

「じゃあ、行くからな。あとから来いよ」

 スオウはアイリスが「うん」と言ってうなずくのを確認してから、すでに集合し始めていた部隊の面々のもとへ向かった。


「アマミヤ! こっちだ、こっち!」

 スオウの姿に気付いたエルヴィンが、腕を上げて叫ぶ。

「準備はできてるみたいだな……アイリスはどうした?」

「アイツは物資輸送の船に乗らせます。珍しく素直に聞いてくれましたよ」

 エルヴィンが、合流したスオウにそう尋ねると、彼は言葉を返す。

「そうか。本人が納得してるなら、まあそれでいい」

 エルヴィンはいつものアイリスを想像して、意外だなという表情を浮かべると、まあいいと納得して話を終えた。


「全員揃ってるな?」

 スオウが部隊に合流してから、カイが口を開くまでは十分ほどだった。おそらく、スオウはかなり遅くやってきたらしい。

「さっきも説明した通り、これからベオグラードまでの六百キロを走って突っ切る。常に宿天武装からの補助魔力を最大出力で保て!」

「魔力が枯渇しそうになったら近くにいる誰かに伝えること、そして、少なくとも班ごとにまとまって動くことは徹底してくれ」

 カイとドナルドは交代で言い放つと、同時に一呼吸してから、再び――今度はそれぞれの大隊に向かって――号令した。


「――総員、抜剣!」


 抜剣……本来は鞘から剣を抜くことを意味するが、抵天軍においては、最初期の宿天武装が剣だったことから「宿天武装起動」の号令として使われている。

 その号令で、第一、第二遊撃大隊の各員が一斉にそれぞれの宿天武装を起動する。

「こうしてちゃんと起動するのは、ちょっと久々な気がするな……いけるよな、アザゼル!」

――当たり前だ。お前こそ、オレの力に振り回されるなよ。

 スオウは彼の契約悪魔、に呼びかけ、アザゼルもまたスオウに言葉を返した。


 遠征途上の二個大隊九六〇人の空気が、ひときわ引き締まったように感じられた。

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