第15話 錯綜
かろうじて形を留めていた詰所が、跡形もなくなっていた。
「何があったんだ……ッ」
クレイシュは再び通信機を握りしめると、詰所にいたはずの第一小隊に呼びかける。
「第一小隊、第一小隊! 誰でもいい、誰か応答してくれ! 状況はどうなっているんだ⁉」
通信機はしばらくノイズを吐き続けたあと、弱々しい声彼に聞かせた。
『第一小隊……小隊長代理の、レザー・ビンラシード曹長です……詰所に集中攻撃を受け、シャルル少佐を含む二十名が、死亡……八名が重症……』
レザーは息も絶え絶えに言うと、一度呼吸を整えてから続ける。
『……同時に、詰所の火薬庫が爆発し、継戦能力は、もはや、皆無……!』
第一管区コンスタンティノープル守備隊には狙撃手が多く、そのため実包が大量に必要だったのだが、今回はそれが仇となったようだ。
戦場において、部隊の三割が死亡したら「全滅」と言われるのは有名な話だが、一個小隊が三十人である抵天軍において、第一小隊の被害は文字通りの「全滅」と言っても過言ではないだろう。
『ッ……現在、守備隊で最高位なのは、あなたです、エルゲン中尉ッ! 少佐は、最期に……あなたに、指揮を任せると……』
レザーはいよいよ危険な声音でクレイシュに言う。
『じきに、援軍が来ます。それまで……頼みます、よ……』
最期に念を押すように言い放ち、レザー・ビンラシード曹長は事切れた。
「お、おい、曹長⁉ しっかりしろ、曹長……!」
突然何の音もしなくなった通信機に、クレイシュは叫ぶように呼びかける。
「……クソッ!」
しかし返答はなく、クレイシュは反射的に通信機を地面に叩きつけようとしたが、すんでのところで思いとどまった。
「……守備隊各員、私はクレイシュ・エルゲン中尉。シャルル少佐の命令により、これより部隊の指揮を引き継ぐ」
クレイシュは低い声で通信機に向かって言う。
「……まず、各部隊の状況を教えてほしい」
続けてクレイシュは、応える余力があることを祈りながらそう呼びかける。
『……第三小隊、デュラン曹長です。先程の攻撃で、狙撃兵が、全滅……ッ! 現在、残った兵員で、陣地変換を行っています!』
デュランという曹長が、走りながらなのだろうか、息を切らせながら報告した。
『第四小隊、小隊長代理のヤルグジュ軍曹ですッ! 小隊長を含め十四名が死亡、十名が重症! もはや、個人の防御すら難しいです!』
続けてヤルグジュという軍曹が切羽詰まった声で報告した。
「……了解した。第三小隊及び第四小隊は、生き残った者をかき集めて第二小隊に合流してくれ。場所は……西部地区最外殻シェルターだ」
そして彼は決断を下す。
クレイシュは指示を出し、第四小隊に合流地点を伝えて交信を終える。
『第三小隊、了解!』
『第四小隊、了解しました……ッ』
デュランとヤルグジュは、それぞれそう言って通信を切った。
「……小隊長から第二小隊各員へ。西部地区最外殻シェルターに今すぐ移動してほしい」
クレイシュは続けて、第二小隊の面々に指示を出す。
そしてまともに動ける班からの返答を聞き、通信機を置いた。
「……小隊長、西部地区最外殻シェルターって、まさか……」
一人の兵士が深刻な表情で言う。
「ああ……そのまさかだよ」
クレイシュもまた表情を固くし、呟くように答えた。
「……我々はこれより、防衛戦略プランBに移行する……まあ、
コンスタンティノープル守備隊の防衛戦略プランBとは、街の最西端に陣を構え、バルカン半島からの援軍が来るまで籠城するというものである。
西部地区最外殻シェルターは、街西部の高速道路跡の近くにある大学跡地であり、外部とのアクセスが容易な場所だ。
「移動するぞ、急げ!」
クレイシュは動揺する兵士たちを急き立てると、すぐに移動し始めた。
「支援部隊の目処は立ったか⁉」
所変わってベオグラード、東方分司令部。
分司令、ウィリアム・ジャクソン准将が、通信担当の兵士に叫ぶように尋ねる。
「部隊自体は用意できたようなのですが……」
尋ねられた兵士はそう言って言いよどむ。
「……ご存知の通り、トラキア地方とマルマラ地方は未だ非奪還区域です。はじめから孤立した街に増援を送るのは、すぐに完了するものではありません」
その兵士は一呼吸の間を置いてから重たい声で続けた。
「ッ……ああ、そうだな……」
ウィリアムは悔しそうに顔を歪めると、拳を机に叩きつけるように置きながら言う。
「閣下! ソフィアからの情報によると、コンスタンティノープルへの攻撃に合わせるように、周辺地域の天使出現数が増加しているようです……!」
突然、一人の兵士が現状最前線の都市、ソフィアの駐留部隊からの報告を読み上げる。
「敵数、現在進行形で増加中! トラキア地方全体ですでに総数五千を超える報告が上がっています……!」
続けて別の兵士がそう補足した。
「東方分司令部管内にいる部隊だけで、対処できる数ではないな……」
ウィリアムがそう漏らすと、報告した兵士は首を縦に振って言う。
「分司令部
「そうだろうな……
ウィリアムの命令に、分司令部の兵士たちは強くうなずき、それぞれが返答して作業に当たった。
「……エルゲン中尉! 第三小隊、デュラン曹長以下十八名、集合しました」
散らばった兵士を集めながらということもあって、クレイシュたちが集合地点に到着したのは三小隊の中で最後だった。
駆け込んできたクレイシュの呼吸が整うのを待って、デュラン曹長が報告する。
「ご苦労……第四小隊はどうした?」
クレイシュは応答すると、周囲を見回してそう尋ねた。
「第四小隊は……ここにたどり着けた全員が、かなり消耗していたので、一度あの中で休ませています……申し訳ありません」
デュランはシェルターを指さして言い、そして続けてクレイシュに向き直って謝る。
「何を謝ることがあるんだ?」
「いえ……中尉の指示もなしに、勝手な真似を」
クレイシュが尋ねると、デュランは理由を答える。
「なんだ、そんなことか……気にすることじゃない」
クレイシュは困ったように笑いながらデュランに言った。
「……とりあえず、無事だったのは何人だ?」
続けてクレイシュは真顔になり、第四小隊の状況を尋ねる。
「はっ……軽傷者を含めて満足に動ける状態にあるのが五名、重傷者が八名……残りの三人は、おそらく……」
デュランは第四小隊の隊員の代わりに答えると、最後に言葉を濁して呟くように言った。
「そうか……今は、十三人だけでも生きていることを喜ぼう」
そう言うとクレイシュは、戦死した兵士たちに黙祷を捧げる。
そして集まった兵たちに交代で休むように指示し、彼自身は地図を広げて策を練りだした。
『こ……ら東……ぶ……令部! コ……ス……ティノ……プル守……隊、応……してく……さい……!』
それから一時間もしない頃だろうか、西部地区最外殻シェルターに設置された固定型の通信機から、酷いノイズとともに声が聞こえた。
「ッ……! こちらコンスタンティノープル守備隊、守備隊長代理のクレイシュ・エルゲン中尉! 東方分司令部、通信状態は大丈夫か⁉」
クレイシュはバネ仕掛けのように顔をあげると、急いで通信機に向かって叫ぶ。
『あ……良かっ……! まだ通……は不……定ですが、ひとまず連……を取り合……るだけで今は喜ば……』
通信機の向こう側、分司令部にいる兵士がホッとしたような声で言った。
『……現在の状況はどうなっていますか?』
通信が安定してきたらしく、さっきまで声をかき消していたノイズは大部分が解消され、兵士の声がはっきり聞こえる。
「現時点で我々の残存兵力は、怪我人も合わせて三八名……情けない話だが、我々だけでの防衛は、もはや不可能……状況はどうなっているんだ……⁉」
クレイシュは、自身の責務を果たせていないことを恥じながら苦しい声で返答し、そして質問を投げかけた。
『……わかりました……現在、コンスタンティノープルの街は数千の天使に包囲されています。マルマラ地方攻略と同時に進まなければならないため……支援部隊の到着は、まだしばらくかかることになります……』
通信機の兵士は申し訳無さそうに言うと、すぐに強く言い放つ。
『しかし、各地から支援部隊が向かっているのは確かです……! 必ず助けは来ます! だからどうか、どうかそれまでは……!』
最後には兵士自身の願いですらあったが、クレイシュはそれを聞き、しっかりとうなずいた。
「ああ……せめてそれまでは、我々も耐え抜いてみせよう」
『……ご武運を』
そしてクレイシュと通信員の兵士はそう言葉を交わすと、通信を終えた……まさにそのときだった。
「中尉、エルゲン中尉! 外を見てください……!」
一人のクレイシュの班員が彼のもとに慌てた様子で駆け込んできて、そう叫んだ。
クレイシュはその兵士に連れられて外に出ると、視界に入ってきた景色に目を見開く。
「ッ……⁉」
クレイシュたちがいるこの街には、遥かな昔から正教会の代表格と目される、コンスタンティノープル総主教庁が置かれていたことは、多くの人の知るところであろう。
その総主教庁自体は何世紀も前から聖ゲオルギウス大聖堂という聖堂に置かれているのだが――。
「
誰かがそう、呟くように言った。
聖堂を取り囲むように大量の天使が宙を舞っている、という表現で伝わるだろうか。見たところ、天使たちは聖堂を中心とした円を描くようにしながら
数百メートルほど上空で細くまとまっているのが見えるので、おおよその形は円錐形だと言えるだろう。
「……第二小隊と第四小隊の動ける者は、俺についてきてくれ」
クレイシュはしばしの思考の末、絞り出したような声を出した。
「中尉……⁉」
「
止めようとするデュランに向かってクレイシュは言う。
「なに。俺は別に、死にに行きたいわけじゃない……お前たちもそうだろ?」
クレイシュは宿天武装である槍を手に取りながらそう続けた。彼の視線の先には、彼と同じく覚悟を決めた目をした兵士たちが並んでいた。
命じられたからには行かねばならない。向かう先がたとえ、死地に見えたとしても――――彼らの目が、その固い意志を物語っている。
「デュラン曹長、
クレイシュがデュランにそう伝えてから向き直り、各兵士にそう呼びかけると、第二小隊と第四小隊の各員が呼応するように声を上げ、それぞれの宿天武装を起動した。
八月初めにもなろうというコンスタンティノープルの街を、いつもと変わらない夕日が細々と照らしていた。
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