第13話(2) 保護

 エルヴィンたちはまず、閉じられたままのカーテンを取り外し、窓を開けた。

「やっぱり多少色あせてはいるが、十分使えるな」

 エルヴィンが外したカーテンの布をピンと伸ばして言う。

「お前たちはまだ使ったことないと思うが、コイツは抵天軍の防寒用マントと同じ布なんだ。ある程度なら、天使の攻撃も防ぐぞ」

 自分の方を見ていたスオウとフィロメナに気づいたエルヴィンが、二人にそう説明した。

「……そんなことより、ゼーマン、これ洗ってきてくれ」

 へぇーと言っていた二人を制し、エルヴィンはフィロメナにカーテンの束を渡す。

「了解。普通に干しておきますよ?」

 エルヴィンが「それでいい」と返事をすると、彼女は水場に向かっていった。


「スオウ君、この辺の埃を払ってくれるか」

 大きな箱を部屋から搬出していたカミロがスオウに言った。

「あ、はい」

 スオウはほうきで周辺の床を掃き、埃を一箇所に集めていく。

「……ねえスオウ、この軽くて大きい箱はどうするの?」

 そのとき、スオウの背後から声がした。

「うん? それは多分空箱だから、解体して資源に……って……」

 ほとんど前しか見ていなかったスオウは、ほとんど返事をし終えてから違和感に気づいた。

「アイリス……⁉」

 そこには、当然のように箱を抱えるアイリスがいた。

「スオウを探してたら、『今掃除中だから手伝ってやったらどうだ』ってカイが」

 スオウの「どうしてここに」という視線に、アイリスが答える。そして「邪魔だった……?」と不安げに問う。

「ぐっ……まあ、人手は多いに越したことはないしな……」

 そのアイリスの様子にやや良心を痛めたスオウは、そう返答してアイリスにも手伝ってもらうことにした。



 埃まみれといっても、大して広くない部屋を六人で掃除すればすぐに終わるもので、昼頃には掃除が完了した。

 そして昼休憩を挟んでから、アイリス用に、ほとんど使われることのなかった応接室の寝室から家具類を運び込んだのだが……。

「イヤだ……!」

 アイリスの叫び声が響く。

 彼女は「スオウと一緒がいい」と言って聞かなかったのだ。

「嫌だじゃ、ないッ……!」

 スオウはそう言いながら、しがみついて離れようとしないアイリスを引き剥がそうとした。

 しかしアイリスは、その見た目からは想像もできない力でスオウに引っ付いており、なかなか離れない。


「どうした? 声、建物中に響いてるぞ」

 一進も一退もしない問答を繰り返していると、ついに声を聞きつけたカイがやって来た。

 アイリスにしがみつかれたまま、スオウが状況を説明したが……。

「……なんだ、そんなことか。一緒に寝てやったらどうだ?」

 カイは面白いものを見るような……否、確実に面白がっている顔で返した。

「絶対面白がってる……」

 スオウが呆れたように呟くと、耳ざといカイは頭をかいて言葉を発する。

「それもあるけどな、でも、どっちかというと……」

 そこでカイの言葉は遮られた。


 数人の女性兵士が、カイとスオウの間に入ったのである。

「私たちからお願いしたいの、アマミヤ上等兵」

 彼女たちは、ランゲンツェンでしばらくアイリスの世話をしていた人たちだった。

 スオウは理由を尋ねる。

「夜中に『スオウ、スオウ……』って、廊下をウロウロしてるのを見たら流石に……」

 女性兵士たちのうちの一人の上等兵が気の毒そうに返答する。

「しかもこの子、これでなかなか力が強くて……」

 今度は別の兵士が言った。いわく、再び気を失うように眠るまで全く動かせなかったらしい。

「まあ、俺たちが下手なことをするよりも、お前に任せておいたほうがいい……つまりそういうことだ」

 カイは再び頭をかきながら、今度はやや申し訳無さそうに言う。

「ああ、そういう……」

 スオウはアイリスの様子にドン引きしつつ呟いた。

「他の人たちに迷惑をかけるのは、流石に忍びないし……仕方ない……」

 そして不承不承ふしょうぶしょうながらという様子でうなずき、カイたちの言葉を受け入れた。

「悪いな……まあお前なら何も起こらんだろう。頼んだぞ」

 カイはスオウの肩を小突きながら言うと、その場にできた人だかりを解散させた。


「……そうなったらアマミヤ、部屋から荷物取ってこい」

 当然会話の一切を聞いていたエルヴィンがスオウに促す。

「わかりましたよ……」

 スオウは「同室のやつらにどう説明したものか……」と考えながら返答し、部屋に向かった。



「お、どうしたんだスオウ、いきなり荷物なんて引っ張り出して」

 案の定、スオウは同室で同期の兵士に呼びかけられた。ちなみに彼は、今日は非番らしい。

「……いや、ちょっと大隊長命令でさ、部屋移らないといけなくなったんだ」

 スオウはカイに事態の原因を押し付けた。

「そうか、大変だな……頑張れよ」

 その兵士はなんとなく納得すると、スオウをいたわる言葉をかける。

「ああ、ありがとう。悪いんだが、他のやつらが帰ってきたら説明しておいてくれないか?」

「おう、それぐらいなら任せとけ」

 彼は胸をトンと叩きながらそう返答した。

 それを聞き、スオウは荷物を抱えて部屋から出ていった。



 スオウが持ち込んだ荷物というのは、彼の姉、ハルカ・アマミヤの宿天武装とちょっとした手帳などの数少ない日用品だけだ。

 兵学校で同室だったエドモン・プラドンや、今も同じ大隊にいるヴィクトール・シェーンハイトから少なすぎるのではないかと言われたが、スオウはそこまで物が必要な生活をしていなかったので、大した問題はなかった。


 スオウは倉庫……もとい、彼の新しい部屋に戻ってきた。

「お、帰ってきたか……って、荷物少なすぎないか?」

 彼の持つ袋の小ささを見たエリクが、エドモンやヴィクトールと同じような言葉をスオウに投げかける。

「そうですか? 俺はこれぐらいで十分なんですが……」

 スオウはやや困惑しながら返答すると、そのまま袋を部屋の隅に置き、そしてその隣にハルカの宿天武装を立てかけた。

「そ、そうか……まあ、俺たちはもう戻るよ」

 エリクは言葉を返し、もう彼だけになっていたが、スオウにそう告げて部屋を出た。

「はい、ありがとうございました」

 スオウがエリクに礼を言うと、すぐに扉が閉まった。


「……スオウ!」

 その直後、スオウは後ろから抱きつかれた。

「おわっ……アイリス、危ないからいきなりぶつかってくるのはやめてくれ」

 スオウはまたアイリスを引き剥がしながら言い聞かせるように言う。

「ご、ごめん……」

 アイリスは、彼女にしては珍しく、大人しく引き下がった。

「スオウ、その長いの何?」

 そしてスオウから少しだけ離れたアイリスは、彼の影に隠れていた長い袋、もといハルカの宿天武装に気が付いた。

「これか? これは、俺の姉さんが使ってた剣だよ。あんまり触らないほうがいいぞ……って、おい!」

 スオウが質問にそう言葉を返し、「何が起こるかわからないからな」と続けようとしたときにはすでに、アイリスの手が宿天武装に伸びていた。


 バチンッ!

 アイリスが触れようとしたまさにその瞬間、大きな音が響き、彼女の体が後ろに吹き飛ぶ。

 スオウが何かしたわけではない。電気ショックのようなものが走り、そのエネルギーで吹き飛ばされたのである。

「危ない!」

 いつの間にか位置関係が入れ替わっていたアイリスを、スオウが受け止める。

「ふう……大丈夫か?」

 続けて彼が「言わんこっちゃない」という表情で尋ねると、アイリスはコクコクとうなずいた。

「ッ……」

 次の瞬間、アイリスが頭を押さえて小さく呻く。

「どうした……⁉ やっぱり、何かあったのか?」

「わから、ない……でも、いきなり頭が……ッ」

 ついにアイリスは、はっきりと呻いた。

 十中八九、原因はこの宿天武装だろう……スオウは確信に近い推測を抱く。もう一度天使研究所で調べてもらう必要がありそうだと思いながら、スオウはアイリスをベッドに寝かせ、落ち着かせた。


 アイリスはかなり猛烈な頭痛に襲われたらしく、しばらくすると気絶するように眠った。

「……ベッド、占領されたんだが……」

 スオウは呟くが、すぐにそれは意味のない発言だと気付いた。

 アイリスの調子が普通だったとしても、そもそもこの部屋にベッドは一台しかない。どっちにしろ占領されることには変わらないのである。



 そうは言っても、気絶している少女を床に放り出すほどスオウの良心は死んでいない。

 スオウはそのままアイリスを寝かせ、どうせならトレーニングでもしてくるかと部屋を出た。


 そして日が暮れ、そろそろ消灯時刻になろうかという頃に彼は戻ってきた。

「……アイリス、もう大丈夫なのか?」

 そっと部屋に入ったスオウは、ベッドの上で上半身を起こしていたアイリスに気が付き、尋ねる。

「ん……スオウ……?」

 アイリスは寝ぼけているのか、あるいは寝起きで混乱しているのか、ぼんやりとした表情で呟くように言った。

「スオウ……」

 アイリスは手招きしながら、彼の名を繰り返す。

「どうしたんだ……うわっ⁉」

 スオウが彼女に近づくと、アイリスはその瞬間、カメレオンもかくやという勢いで彼をベッドに引きずり込んだ。

「アイリス⁉ 何やってんだお前!」

 すっかり壁際に座って寝るつもりでいたスオウは、突然起こった予想外の事態に困惑し、叫び声にギリギリ満たない声量で問いただす。

「スオウ……絶対、ぜっっったいに……守る、から……」

 アイリスはスオウの声が聞こえていない様子で、彼の腕にしがみつきながら、切実な声でそう漏らした。

「……アイリス、お前はいったい……」

 ただならぬ雰囲気のアイリスに、スオウが呟く。

 そして、しばらく離してくれそうにないと悟ったスオウは、大人しく彼女の隣で眠りに落ちることにした。



 翌朝六時、スオウが目覚めると、アイリスは彼の体から離れていた。

 スオウはアイリスを起こさないように気を付けながら、朝の身支度をする。

 そしてそれから二時間半ほど経った頃、スオウが朝礼から戻ってくると、アイリスが目を覚ましていた。

 こうして今日も、一日が始まったのである。

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