第13話(1) 保護

 夜遅くにケルンの第二師団司令部に帰還したカイは、ひとまず大隊本部のブリーフィングルーム……着任前、最初にスオウたちが通された部屋だ……に待機させ、師団長、ルイス・リッジウェイ少将の執務室に向かった。


 夜中ということもあって、師団司令部の廊下は薄明るく照明がつけられているだけだった。

 時刻からして、すでにルイスが部屋にいない可能性も十分あると思いながら、カイは師団長執務室の扉をノックする。

「……入りたまえ」

 少しの沈黙を挟んで、室内から入室を許可する声がした。

「失礼します……カイ・リートミュラー中佐、ただいまベルリンから帰投しました」

 ルイスがまだ机に向かっていたことに驚きつつ、カイは入室して敬礼し、報告する。

「ご苦労だったね……思ったよりも帰るのが早くて驚いたが」

 ルイスは椅子から立ち上がって答礼すると、そう言葉を返した。

「ありがとうございます。予想よりも馬と道の調子が良かったようで」

 カイは雑談のように話しながらルイスのもとに封筒を持ってきた。

「これがベルリン天使研からの報告書です」

「ああ、ありがとう……それで、例の少女、いや、『アイリス』だったか……彼女は今どこに?」

 カイから渡された封筒の中を確認しながら、ルイスは問う。

「今は一旦大隊本部ウチのブリーフィングルームで待機させています。呼びますか?」

 カイは大隊本部の建物がある方向を親指で指しながら答えると、逆にルイスに尋ねた。

 ルイスは「ふむ……」とあごに手を当てて少しの間考えると、腕を組む姿勢になってから答える。

「……いや、今日はもう遅いから、明日の朝にでも会うことにしよう。そのについては、今日のところは君に任せる」

「わかりました。では俺はこれで」

 カイはそう言ってルイスに断ると、彼からの挨拶を受け取ってから退室した。



 カイはできるだけ急いでブリーフィングルームに戻った。

「悪い、待たせた」

 カイは扉を勢いよく(ただし静かに)開いて部屋に駆け込む。

 そして少しだけ乱れた呼吸をすぐに整えると、ルイスから受けた指示を話した。


「……とりあえず、今日のところはアイリスには本部の客間で寝てもらおう。異論ないか?」

 その後、カイはそう言って話を終える。

 スオウとエルヴィン、そしてシャルロッテがうなずき、かなり遅れてアイリスも何か妥協するようにうなずいた。

「よし、決まりだな。スオウ、そいつアイリスを連れて付いて来い」

 カイはスオウに言うと、ブリーフィングルームを出た。


 第一遊撃大隊本部の客間には一通りの応接セットに加えて、その奥の部屋に一人分の寝室が用意されている。と言っても滅多に使用されることはなく、ほとんど無用の長物と化しているのだが。

「一応、最低限の掃除はしてある。寝られないことはないだろう。アイリス、今日はここで寝て……アイリス?」

 カイは寝室の扉を開けながら、振り向いてアイリスを見て言う。しかしその語尾は沈んでいき、最後には疑問符がついた。

「……こいつ、ついさっき落ちたぞ」

 アイリスの体は、後ろに付いてきていたスオウにかかえられていたのである。

「そうか……」

 カイは苦笑いを交えながら呟く。

「まあいい。寝かせてやれ」

 そしてスオウにそう指示し、扉の前から退いた。

「はあ……了解」

 スオウはため息を一つ吐くと、アイリスを抱えながら寝室に入り、ベッドに彼女を寝かせて布団を被せる。その後、音を立てずに素早く部屋を出ると、カイとともに客間から退室した。



「……しかし、『アイリス』か。なかなかピッタリな名前じゃないか」

 大隊本部の廊下を歩きながら、カイはアイリスが出現したときの様子を思い出して呟いた。

「……アイツが、この世界の何もかもを繋ぐ『虹』になってくれればいいんだがな……」

「うん? 何か言ったか、カイ?」

 カイから少し離れて歩いていたスオウが尋ねるが、カイは「独り言だ」と返してから続ける。

「お前も早く寝ろよ、スオウ」

「わかってるよ。カイもな」

 二人はそう言葉を交わして別れた。


 夜中に帰ってくる兵士のために、ケルンの兵舎のシャワールームはかなり遅くまで開いている。

 スオウはシャワールームに駆け込み、サッとシャワーを浴びて自分の部屋に戻る。実に一週間ぶりのことであった。

「あっ、スオウ! 久しぶりだな!」

 消灯時間はとうに過ぎているが、スオウの隣のベッドを使っているロルフ・ヒルトマン一等兵がスオウを見た瞬間に声を上げる。

「ようロルフ。ちょっと色々とあって帰るのが遅くなった」

 スオウは肩をすくめながら返答した。

「そりゃあ、お疲れさんだな」

 ロルフがスオウを労うと、スオウは「ありがとな」と言ってからまた言葉をかける。

「そういうお前は、この頃どうなんだ?」

 ロルフはスオウと同じく第一遊撃大隊に所属しているが、スオウがいる第一中隊とは違う部隊、第三中隊に所属している。

 第三中隊はカイの士官学校時代の同期で友人のセシル・フィリドール少佐が指揮しており、普段はドイツ地域西方の警戒などに当たっている。

「いやぁ、俺たちはかなり暇してる」

 ドイツ地域の西方というと、ちょうどケルンの街がある地域だ。区域内のほとんどが「奪還区域」であるため、戦闘も非常に散発的なのである。

「ひたすら警戒と移動だよ……」

 相当精神的に疲れているのだろう、ロルフは大きなあくびをした。


 そのときスオウとロルフの間で、ガタンッと何かが倒れた音がした。

 スオウが持ち込んだ、彼の姉、ハルカ・アマミヤの宿天武装が倒れたのである。

「またか……⁉」

 ロルフは小さくではあるが、声を上げる。

「ああ、まだなのか……」

 スオウも頭をかきながら呟いた。

「スオウ、この宿天武装、今までも何度か倒れてるんだが、固定しても倒れるなんて、何があるんだ?」

 ロルフはスオウに説明を求める。

「いや、何もないはずだ。はずなんだが……」

 スオウの語尾がすぼむ。

「何故かここ数年、時々こうやって倒れるんだよな……」

 スオウはお手上げだと言わんばかりに肩をすくめると、同じくお手上げな様子のロルフに言った。

「こいつはしばらく寝かせて置いておく。もう寝ようぜ、夜も遅い」

 時計を見ると、既に日が変わりそうだった。

「……そうだな。おやすみ、スオウ」

「ああ。おやすみ」

 そう言って、二人は眠りについた。



 翌日、カイとスオウはアイリスを連れて、ルイスのもとを訪れた。

「君が、アイリスかい?」

 椅子に座るルイスは机の上で手を組み、アイリスの目を見て尋ねる。

 やや細められた目の光に気圧されたか、アイリスは黙ってコクコクとうなずいた。

「ははは、すまない、怖がらせてしまったか」

 ルイスは手を解くと、笑いながら言った。

「私はルイス・リッジウェイ。ここの責任者をやっている。よろしく頼むよ」

 ルイスの表情は、一転してにこやかだった。


 話題はすぐにアイリスの部屋をどうするかということになった。

「大隊本部に、しばらく使っていなかった部屋があったような気がするが……」

 ルイスは第一遊撃大隊の大隊長をしていたときの記憶を辿って言う。

「……全く使ってない倉庫の話ですか」

 カイが尋ねる。

「ああ、そうだ。どうだろう」

「まあ、広さは十分ありますから、多少掃除すれば使えるでしょうが……」

 ルイスが訊き返すと、カイは腕を組んで言う。

 大隊本部には倉庫として使う予定だった部屋がある。しかし実際に運用を開始してみると、思っていたよりも物が少なく、倉庫を使うことはほとんどなかった。

 建物の端の方にあるため人通りも少なく、アイリスの存在を大事おおごとにしないようにするには都合がいいだろうという提案だ。

「……とりあえず、掃除はしてみましょう。それでは、俺たちはこれで」

 カイがそう言って話を終えて退室しようとすると、スオウだけがルイスに呼び止められた。

「ああ、アマミヤ上等兵、ちょっといいかね」

「えっ、はい、何でしょうか、閣下」

 スオウはすぐに直立の姿勢に戻って尋ねる。


「……アイリス君のことだが」

 ルイスは声を抑えめにして話しだした。

「私は別に問題はなかろうと思っているが、他にはそう思わない者もいる。あまり大っぴらに言うことはないようにな」

「……承知してますよ」

 念を押すルイスに、スオウは当然だと言うようにそう返すと、カイの後を追って部屋を出た。



 そういうわけで、大隊本部の倉庫を掃除することになった。

 ここで引っ張り出されたのは、スオウと、スオウが所属するボスマン班の面々だ。

「なんというか、こんなことに付き合わせてすみません……」

 まずスオウが面々に謝罪した。

「いやいや、気にするなよ。俺たちも暇だったんだ」

 ボスマン班のメンバーの一人、エリク・ゲレメク上等兵が首を横に振って言う。

「そうね、暇つぶしに丁度いいわ」

 同じく、フィロメナ・ゼーマン一等兵がにこやかに言った。

「ははは……まあ、これぐらいで謝ることはないさ」

 最後の一人、カミロ・スアレス上等兵も笑ってそう言うと、そこへ一旦離れていたエルヴィンが戻ってきた。


「よし、全員揃ってるな? それじゃあ、倉庫の片付け始めるぞ」

 そう言うとエルヴィンは扉を開ける。

「うわっ……」

「これは、なかなかひどい……」

 扉を開けた瞬間、舞い上がった埃の量に、スオウとエリクが声を上げる。

「まあ数年開けてないらしいからなぁ。お前らも、マスクしておけよ」

 いつの間にか布で口元を覆っていたエルヴィンは、苦笑しながら同じ布を差し出した。

「エルヴィン、そういうのはもっと早く出しておくものだぞ……」

 エルヴィンの手から布を受け取りながら、カミロが苦言を呈した。そして「昔から君は……」と、話が飛び火したようだ。

「……エリクさん、あの二人って……」

 長い付き合いであるような雰囲気でエルヴィンを叱るカミロを見て、スオウが隣りにいたエリクにコソコソと尋ねる。

「うん?……ああ、あの二人は兵学校の同期だよ。卒業してから……今年で四年目か」

 エリクもまたコソコソとスオウに返答した。


「いやぁ、久々にカミロに怒られたところで……掃除、始めるか!」

 反省する素振りを全然見せないエルヴィンにやや呆れつつ、カミロたちは「了解」と返答した。

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