第8話 邂逅

 自由落下を始めた人影はどんどん加速していき、頭を下に向けて地面に近付いていった。

 ふと上を見ると、太陽の周りを回っていたはずの日輪も消えていた……と言うよりも、日輪が消えたことでその人影が落ちてきたと考えたほうが自然だと思われた。


――契約者よ、あれは、助けないとマズいんじゃないか……?

 カイの契約悪魔が焦るような声音で言う。

「あ、ああ。わかってる……!」

『ッ! 天使の出現を確認! 第一機動遊撃小隊、まもなく会敵します!』

 カイが一瞬考えることに意識を向けようとしたのとほぼ同時に、通信が入る。

「数は!」

『約四十! 増援の可能性があります!』

「……あっ、見えました!」

 カイの質問に答えが返ってきた直後、シャルロッテたちがその集団を視認した。


「クソっ、落ち着いて考えさせてもくれねえか……!」

 カイは空を仰ぎ見る。

 人影は、だいたいの目測で地上から三百メートルほどの高さを切ろうとしていた。


 そのまま地上に目を移すと、天使たちは目前、約三十メートルに迫っていた。

 だが、交戦にはならなかった。天使たちはそのまま空に飛んでいったのである。進行方向はそのままに。

 その動線の先には――なおも落下を続ける人影がいた。


「そっちが狙いか……!」

 皆が呆気にとられる中、カイは舌打ちをするとスオウに向き直る。

「……スオウ、あの人影を助けに行ってくれ。多分今からだと、お前アザゼルじゃないと間に合わない」

「……了解」

 スオウは一何かを考えると、すぐに返答して駆け出した。


「お前ら、ぼーっと突っ立ってる暇はないぞ。あいつら天使たちは確実にスオウたちを追ってくる」

 スオウが去った瞬間、カイは残った全員に呼びかける。彼らの活動目的を考えれば、そこから先は言わなくても誰もがわかっていることだった。

 面々はハッとすると、我に返ってうなずいた。


「アザゼル、距離はどれくらいある?」

――お前らの単位で言うところの、だいたい百メートルだな。あと三秒もかからずに地面に激突するだろうが。

「ッ……⁉ 本気で跳ぶぞ……補助、頼んだ……!」

――おう……!

 スオウは「頼んだ」と言った次の瞬間に、狙いを定め、地面を思い切り蹴った。

 それと全く同じタイミングでアザゼルはスオウの体に魔力を流し込み、跳躍をサポートする。その様子はもはや、「跳ぶ」と言うよりも「飛ぶ」と言ったほうが正しいような光景だった。


 アザゼルの補助のおかげで、スオウは一秒もかからずに人影に到達する。

――……マズい、ぶつかる!

 当然だが、スオウと人影との相対速度は凄まじく大きくなっていた……はずだった。

 ぶつかりそうになる直前にアザゼルが障壁シールドを展開し、スオウは思わず目をつぶってしまったのだが、数秒経っても衝撃は伝わってこなかった。

「えっ……?」

 不審に思ったスオウは目を開け、そして間の抜けた声を出す。

 彼の目に写った光景は不思議なものだった。

 スオウは、彼が向かっていた人影の正体と正面から相対し、二人とものである。

――おいスオウ、こいつがさっきの人影で、良いんだよな……?

 アザゼルは確認するように尋ねる。

「あ、ああ。そのはずだけど……」

 二人が困惑しながら話す視線の先には、見た目は十歳ほどで、ミディアムに整った真っ白な髪、生気を感じないような白い肌を持った少女が、何かに集中するように目をつぶっていた。


 次の瞬間、少女はゆっくりと目を開けると、優しい笑みを浮かべてスオウの顔を見た。

『――良かった。君を、助けられて……』

 少女は空中を滑るように移動してスオウに近付き、困惑で棒立ちになっていたスオウに抱きつく。

「えっ、ちょっ、おい! いきなり何するんだよ!」

 突然のことに驚いたスオウは、少女を引き剥がそうとする。しかし、少女の力は彼が思っていたよりも強く、なかなかできないまま時間が過ぎていった。


――ッ……スオウ、早く離れないと、後ろがマズいぞ。

 空中でじっとしていれば、当然スオウ、あるいは少女を追ってきた天使たちが距離を詰めてくるのは当然のことであり、看過できないところまで来たところでアザゼルが言った。

『大丈夫だよ、。私に任せて』

 そう言うと、少女はスオウを抱きしめたまま、顔だけをスオウの影から出して天使の一団に視線を向ける。

 そして右手をスオウから離して真っ直ぐ伸ばし、天使たちに手のひらを向け、声を上げた。

『――消えて……!』

――ッ……⁉

 その姿に、アザゼルは息を呑む。スオウからは見えていないが、少女が言葉を発した瞬間、彼女の黒と茶色が主だった目が薄く赤色の光を帯びたのである。

 これは、まさか……? そんな、嘘だろ……。

 アザゼルは心中で「信じられない」という様子で呟いた。


 少女が言葉を発した瞬間、強烈な衝撃波が天使たちを襲う。

 追ってきていた天使たちは塵のように崩れ落ち、風に流されて散っていった。

――……でも、それを抜きにしてもあの力は……。

 アザゼルはボソボソと独り言を呟く。

「アザゼル、どうかしたのか?」

 かすかにそれを聞き取ったスオウはアザゼルに尋ねる。

――あ、ああ、いや。大したことじゃないんだ。気にするな。

「そうか……って、それよりも、お前、さっきのはいったい何だ⁉ いや、そもそもお前自体が何者なんだ……?」

 スオウはアザゼルにそう返すと、少女に向き直って問いただす。しかし、その答えは返ってこない。

 次の瞬間、少女はフラッとスオウの体にもたれかかり、気を失っていた。

 それと同時に、十中八九少女が生成していたのであろう、スオウたちを空中に留めていた力がフッと消えた。

「へっ……?」

 突然足場がなくなったように落下し始めたスオウはなんとも間抜けな声を出した。

 二人は密着したまま、真っ逆さまに落ちる。

「ッ……アザゼル! なんとかできるか⁉」

――なんとかって、ざっくりしすぎだバカ野郎!

 スオウが叫ぶと、アザゼルはそう叫び返す。

 しかし、そうは言いつつ、アザゼルは何重にも重ねた障壁を、スオウの落下する先に生成した。

 スオウたちは勢いそのままに、その障壁に突っ込む。

 すると障壁は、けたたましい破砕音を立てて割れた。アザゼルは落下のエネルギーを徐々に消していくために、薄い障壁を幾重にも重ねて展開したのである。

 スオウは反射的に、少女を一旦引き離してから包み込むように抱きかかえる。

 そして背中でアザゼルの障壁を叩き割りながら落下を続けた。



 時間は少し巻き戻り、少女が気を失う少し前。

『中佐、リートミュラー中佐! そちらに向かっていた天使たちが消滅したのですが、何があったんですか⁉』

 混乱した声音で、カイのもとに通信が入る。

「いや、俺たちにも何がなんだか……少なくとも、普通じゃない何かが起こってるのは確実なんだが……さっきの反応はまだあるのか?」

 カイもまた混乱した様子で返答し、その流れで質問を返す。

『……いえ、もうありません! やはり、先程の虹と日輪でしょうか……』

『……多分、そうだろうと思います』

 カイとランゲンツェン基地との交信に割り込んできた声があった。ベルリンから派遣されてきていた研究員、モンテメッツィである。

『では、調査は後ほど。皆さんは一度、基地に帰投してください』

 基地の通信担当者はカイたちにそう言って通信を終えようとしたが、カイがそれを遮った。

「あっ、ちょっと待ってくれ。詳細は後で報告するが、今、うちの隊員が一人、……そいつを回収してから戻る……!」

『ええ……⁉ り、了解。どうかご無事で……』

 カイは、通信を終える直前に落ち始めたスオウを見て、内心でこれ以上ないほど焦りながら言って、通信を終えた。



 悪魔の障壁を背中で叩き割りながら落下するスオウを地上から見ると、青白い光の粒子が円錐状に広がっていくように見えていた。

 カイはその光景に思わず見とれる者を我に返らせ、急いで走り出した。


――スオウ、できるだけ速度は落とした。あとは、耐えられるよな?

 スオウの体が地上三十メートルほどを過ぎたあたりで、アザゼルが問う。

「ッ……ああ!」

 アザゼルが落下速度を落としたとはいえ、まだスオウの体の勢いは並のそれではなかった。生身であれば、大怪我は免れないであろう。

 しかし次の瞬間、アザゼルがスオウの周囲に厚く障壁を展開した。

 スオウはそれを確認すると、いつでも着地できるように心の準備を整える。


 そして一秒も経たず、彼は少女を抱え込んだまま地面に叩きつけられた。

 アザゼルが展開した球体状の障壁が接地すると、その形に沿ったクレーターが生じる。

「ぐぁっ……!」

 それから少し遅れて、勢いの大部分を削がれたスオウが背中から地面に激突し、肺の中の空気が押し出されてうめき声を上げた。

 衝撃で打ち上げられた土が、彼の周囲に発生した壁のような突風で吹き飛び、土煙を作る。


「ぐっ……おい、スオウ! 無事か!」

 強烈な風と土煙に突入したカイは、視界を阻まれながらもそう叫んで安否を確認しようとするが、風の音でかき消されていた。

 しばらくすると次第に風が止んでいき、地面に刻まれた円状の跡の中心に、フラフラと立ち上がって軍服の土を払うスオウと、その隣に座らせられた少女がいた。

「ケホッ、ケホッ……ん? ああ、カイ! 安心しろ、無事だ!」

 まだ少し周囲に舞っていた砂埃を払ったあと、スオウはカイを見つけ、そう叫ぶ。

「はぁ……それは良かった。本当に何ともないんだな?」

 スオウの近くに駆け寄ったカイがもう一度、念を押すように尋ねると、スオウはしっかりとうなずいた。

「アマミヤ!」

 次に飛び込んできたのは、スオウの直属の上官、エルヴィン・ボスマン軍曹だった。

「怪我はないな?」

「はい。問題ありません、軍曹」

 スオウの返答を聞き、エルヴィンはホッと胸をなでおろした。


 その後、第一機動遊撃小隊の面々が続々と彼の周りに集まり、口々に同じようなことを尋ねた。スオウは全員に対して同時に、自分は無事であるということを伝えると、「それよりも」と前置きして口を開いた。

「それよりも、こいつを医務室に! 気を失っています……!」

 小隊の各員はうなずくと、数人の女性兵士が集まって運び出す。

 それ以外の者で周囲を警戒しながら、彼らはランゲンツェン基地に帰投した。



 それから一週間。

 カイたちは少女が現れた周辺や、その後のレーダー様子を調査、監視していたが、ついに例の反応が確認されることはなかった。強いて言えば、天使の出現頻度が少し上がった程度で、基地守備隊で十分対応可能だろうと思われた。


 その間、少女が目覚めることはなかった。

 正体を探るために血液検査などを行ってはみたが、ランゲンツェン基地に急遽搬入された仮設の検査設備では、ほとんど何もわからなかった……と言うよりも、反応が激しすぎて、逆に何もわからなかったのである。

 カイは「それなら丁度いい」と、ケルンに送った報告書の返事として送られてきた指示書の内容を全員に話した。

「ランゲンツェン基地周辺の警戒は守備隊に任せ、俺たち第一機動遊撃小隊はケルンに帰還せよ、とのことだ。戻ったら、その子をベルリンの天使研に連れて行こう」

 一同はうなずいて返答し、ある者たちは知り合った基地の職員に挨拶に行き、またある者たちは帰り支度を始めた。


 そしてその翌日、カイを始めとした第一機動遊撃小隊の面々は基地司令、ローベルト・ハルトマン大佐や基地守備隊の面々に別れを告げ、往路に使った馬車に乗り込むと、一路、ケルンまでの帰途に就いた。

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