第7話(2) 報せ
カイたちがランゲンツェンの基地に到着したのは、出発した日の翌日、太陽はすっかり昇った午前七時頃だった。
「……長かった……」
カイは呟いたが、多くの者はそう思ったことだろう。それはスオウたちも同じだったようで、降車して手足のストレッチを行い、口々に「長かった」と言っている。
カイはひとまず、基地司令のもとに向かった。
基地司令はカイたちを迎えに来ていたのか、建物の外にいたため、移動にそう時間はかからなかった。
「第二師団、第一遊撃大隊所属、第一中隊第一機動遊撃小隊小隊長、カイ・リートミュラー中佐、以下三十名、到着いたしました」
カイはランゲンツェン基地司令兼守備隊長、ローベルト・ハルトマン大佐に敬礼して報告した。
ローベルトは答礼の姿勢を取り、その数秒後に手を下ろしてから口を開いた。
「久しぶりだな、リートミュラー」
「お久しぶりです、教官。お元気そうで何より」
カイも敬礼の姿勢を解くと、過去を思い出すように言う。
ローベルトはカイの士官学校時代の教官であったのだが、カイが卒業した数年後に教官の職を離れ、ランゲンツェン基地の二代目基地司令に就任していた。
「ははは……俺はもう教官も辞めた、ただのロートルなんだ。『教官』なんて大層な呼び方はやめてくれ」
ローベルトは自嘲するように言う。
「……では、大佐」
「おう」
呼び方を改めたカイに、ローベルトは軽い声で応える。
「ひとまず、状況の把握をさせてください。何もわからないよりは、少しくらい現状を把握していたほうが動きやすい」
「そうだな。少ないが、記録をまとめてある。全員を連れて来い」
ローベルトはそう言うと、カイたちを先導するように歩き始め、小隊はそれに続いた。
ローベルトに連れられてランゲンツェン基地の、仮設のような風体の庁舎の中に入ると、白くて丈の長い、綿のような素材でできた上着を着た人々の姿がすぐに目に入った。
「……
シャルロッテが、小声でカイに尋ねる。
「多分、そうだな……」
「レーダーに変な反応があったのは五日前のことなんだが、そのときにベルリンに報告してな。十人くらいの研究員を派遣してもらったんだ」
二人の会話を聞いていたらしいローベルトが、その疑問に答えた。
「ああ、なるほど」
「……あの、それで、何かわかったんですか?」
カイが納得してうなずくのとほぼ同じタイミングで、小隊の一人の女性兵士が質問を投げかけた。
「いーや、何にもわかりゃしねえ。その反応は毎日のように観測されちゃいるが、距離も方向もバラバラな上に、一日にほんの一瞬しか出ないせいでデータが少ないみたいでな」
ローベルトは「お手上げだよ」と言いたげな表情と仕草をしながら返答する。
「大佐! 資料の写しはこちらにまとめておきました!」
と、そこで、銀色の飾緒を着用した若い男性兵士が、そう言いながら駆けてきた。
「ああ、悪いな。ありがとう……こいつはうちの副官、アレッシ中尉だ」
ローベルトは彼の副官に礼を言うと、続けて彼をカイたちに紹介した。
「アレッシ中尉です。よろしくお願いします」
中尉はカイに向かって敬礼する。カイはいつものように答礼し、「もう知っているだろうが、一応」と前置きをして自己紹介を返した。
「リートミュラー中佐だ。しばらく世話になる」
その後、アレッシはカイに資料を渡し、仕事に戻っていった。
「……なるほど、だいたいの現状は把握しました。これ、お借りしても?」
資料を大まかに読み終えたカイは尋ねる。
「ああ。好きに使ってくれ」
ローベルトが返答すると、カイはシャルロッテにその束を渡して小隊に回すように言った。
「……それで、今守備隊もほとんど総出で調査に当たってるものだから、防衛戦力が不足気味でな。実地調査も兼ねて、戦闘を引き受けてほしいんだ。当然、俺たちも戦うがな」
ローベルトが、改めてカイたちの任務を伝える。
「わかってますよ。小勢ですが、最善を尽くします」
「頼んだぞ……ああ、そうそう。すまないが、この基地にいる間は空いている大部屋で寝泊まりしてくれ」
カイとローベルトがお互いに敬礼し、別れようとしたとき、ローベルトは申し訳無さそうに言った。
「はは……適当に区切って寝ますよ」
カイはそう返すと、小隊員たちに号令をかけて移動させ始めた。
一通り荷物を整理したカイたちは、早速調査に取り掛かった。と言っても実際に現れるまでは、既知の情報を整理し、考察することしかできないのだが。
「うーん……試しに地図に起こしてみたが、反応の発生位置はかなりバラバラだな……」
五つほどの点がマークされた地図を見たカイは、腕を組んで唸る。
「……でも中佐、発生時刻は毎日ほぼ一緒ですし、観測された時間もだんだん長くなっていってます。これはもしや、最悪の場合……」
資料を見ていたエルヴィンが発言したが、最後に言葉が濁る。
「……大規模侵攻の前触れ、ですか?」
エルヴィンの班員の一人が続きを補うように言って尋ねる。
「ふむ……まあ確かに、考えられないこともないが……」
カイは同意し、再び考え込む。
「…………なんかこれ、だんだんケルンに近づいてきてませんか」
慣れない作業に、皆が考え込んで沈黙する中、膠着を破った声があった。
全員の視線がその声の主に集まる。
「目的が何なのかはわかりませんが……」
声の主、スオウは、突然自分に集まった視線を避けるようにしてそう続ける。
「……確かに、だいたい一定の距離を開けてケルンに近づいてきてるな。大雑把すぎる気がするが」
カイが地図を見ながら言う。その地図を見ると、確かに西へ逸れたり東へ逸れたりしながらもミュンヘン近郊からケルン方面へと移動するように点が打たれていた。
「何かしらの目的があるようにしか見えないな……」
エルヴィンが独り言のように呟く。
と、そのとき。突如、基地内に天使の襲来を告げる警報が鳴り響いた。
「ッ……お出でなすったか!」
カイは地図から目を離して顔を上げると、軽く舌打ちをして言った。
「皆さん、天使です!」
基地守備隊の兵士がカイたちのもとに駆けてきて、そう報告する。
「位置はどこだ」
「南東方向に約五百メートル、南西方向に約八百メートル。いずれも数は七十から八十です!」
兵士はカイの質問に即答すると、すぐに去っていった。
「リートミュラー、東側は
入れ替わるようにやってきたローベルトがそう指示すると、カイたちは了承し、行動を開始した。
「いいか、奴らはもう目と鼻の先にいる。素早く確実に殲滅するのを徹底しろ!」
宿天武装を起動し、おおよそ班ごとにまとまって街道を走りながらカイが言う。
全員が宿天武装による身体強化をしているため、そのスピードは人間の出せる速度を凌駕していた。
「……見えたな……総員、会敵に備えろ!」
カイの指示で、全員が一斉に抜剣する。
小隊はそのまま天使の集団とぶつかり、戦闘が始まった。
「やあっ……!」
「はっ……!」
一番槍は、スオウとカイだった。二人は剣の一振りで数体を一気に薙ぎ払うと走って攻撃を避ける。
「……雑兵だな、これは」
カイが呟いた。
確かに、小隊の面々が相対していたのはほとんどが弱い個体のみで、このまま行けばすぐに決着がつくかと思われた。
しかし――。
「中佐……!」
カイの後方から、彼を呼ぶ叫び声が聞こえた。
ただ事ではない声音に、カイは急いでその方向を向く。が、そこには、間違いなくさっきまでいなかったはずの天使が、槍を構えて突っ込んでくるのが見えた。
「危ない!」
近くにいたスオウは、カイの腕を掴んで後退させ、その反作用を利用して彼の前に出た。
スオウはアザゼルに障壁を展開させて待ち受ける。
「この……っ!」
障壁に阻まれて、天使の槍が止まる。しかし、スオウの想像以上の勢いで飛んできた天使のエネルギーを殺しきれず、ジリジリと押し込まれていった。
「……させない!」
先程カイを呼んだ声と同じ声が、その天使の背後から響いた。
声の主は走る勢いそのままに飛び上がると、剣を垂直に構え、そして思い切り振り下ろす。
天使は「コア」ごと縦に両断され、粒子となって崩壊した。アザゼルの障壁が破壊されたのと、全く同じタイミングだった。
「大丈夫ですか、中佐、上等兵!」
「あ、ああ。助かった、スオウ、シャルロッテ」
「あ、ありがとうございます、中尉」
声の主……シャルロッテがすごい剣幕で二人に、特にカイに尋ねると、二人はほぼ同時に、同じような声音で言葉を返す。
「……なあ、アザゼル。さっきのやつ、
――……ギリギリ、な。あれは速すぎる……。
アザゼルは唸るようにスオウの問いに答える。
「高速型か……厄介すぎるな」
――幸いなことに、どうもあと一体しかいないみたいだ。だが、だんだんこっちに近づいてきてて……ッ、気付かれた……!
「俺たちで受け止めるぞ! どっちだ!」
――……左! 突っ込んでくる!
アザゼルは、目にも留まらぬ速さで動き回る天使の気配を精一杯追いかけ、その方向に特に厚い障壁を展開する。
スオウの望み通り、高速型の天使は彼に向かって突進してきたらしく、彼の手前五メートル程の所で姿を現した。
天使は、ついさっきカイを狙っていた個体と同じように槍を構え、今度は水平に、弾丸のように突っ込んでくる。
それから一秒も経たないうちに、天使の槍の穂先がアザゼルの障壁と衝突した。
「ぐっ……二度も……!」
――やられるかよ……!
スオウは足を踏ん張り、少しずつ天使を押し返す。
やはりそのエネルギーは凄まじく、何度か押し切られそうになっていた。
「……アザゼル、障壁を解け」
――ッ……了解。ちゃんと避けろよ……!
完全に押し切られそうになる寸前で、スオウは打って出ることにした。
スオウとアザゼルが言葉を交わした直後、障壁が消えるのが感覚的にわかった。
隔てるものが消え、天使が元の勢いで飛び込んでくる。
「まっすぐ突っ込んでくるだけなら、対処は難しく、ねえんだよ……!」
スオウは腰を落として天使の下に潜り込むと、そのまま斜め上に切り上げる。
そして慣性のままに飛んでいった天使の体は、地面に打ち付けられた衝撃も相まって、すぐに崩れた。
「はあ……はあ…………やっぱり、厄介すぎんだろこいつ……!」
スオウは息を整えて叫ぶ。
その一体が最後だったようで、周囲を見回すとすでに一連の戦闘は終結していた。
「おいスオウ! 無事か⁉」
カイが駆け寄って尋ねる。
「あ、ああ……はい」
「それなら良いが……それと、例の高速型について、後で報告書をまとめるから手伝ってくれ」
「了解」
カイはホッとしたような様子であった。
『こちらハルトマン。リートミュラー、そっちは終わったか?』
ちょうどそれと同じようなタイミングで、ローベルトから通信が入る。
「こちらリートミュラー。ちょうどさっき終わりましたよ。守備隊の方は大丈夫ですか?」
『ああ。なんとか全員無事だ。そっちも、終わったなら基地に帰ってきて……』
『ッ⁉ ち、ちょっと待ってください!』
ローベルトの通信に、突如割り込んできた声があった。抵天軍の無線機の、優先通信回線を使って行われたものだ。
『あっ、自分は、ランゲンツェン基地に派遣されている、ベルリン天使研のモンテメッツィです……!』
その声は自分の名を名乗ると、話を続けた。
『中佐、皆さんのすぐ近くで、例の反応が! それも、今までで一番強いです……!』
「なっ……⁉ わかった。警戒して、ここで待機すればいいな?」
カイはモンテメッツィに確認するように言う。
『……それで、お願いします!』
カイはそれを聞いてから通信を終えた。
「……なあ、カイ。
カイの近くにいたスオウは、言葉使いを繕うことも忘れて、太陽の方向を指さして言う。
その奥でも、小隊の面々がそれぞれ同じように空を見ていた。
「なんだ……?」
カイもそれにつられて空を見る。
そこにあったのは、
「あれは、虹か……?」
カイは目を見開き、信じられない物を見たような声でを出す。
「雨も降ってないのに……」
遅れてカイの所へ走ってきたシャルロッテが続けて言った。
そう、ランゲンツェン周辺では、ここ二週間は晴れていた。しかし、雨も振らずに虹がかかることは現実にある。だが、カイたちが驚いていたのはそこではない。
虹が、太陽を取り囲むように収束していき、最終的に環状になった。
その虹はみるみるうちに、圧縮されるように細くなっていったかと思うと、四方に
その場にいた誰もが、身動き一つ取れずにその光景を見ていた。
それからどれだけの時間が経ったかはわからない。一瞬だったかもしれないし、数分が経っていたかもしれない。
ともかく、その光景に変化が訪れた。
――……おいスオウ、あの、太陽の中に見えるのって、
一緒に太陽を見ていたアザゼルが、スオウにそう呼びかけた。
「本当だ……あれは何だ……?」
スオウもよく目を凝らし、眩しいのをこらえて太陽を見て言う。太陽の光を受けて影になっていたが、確かに人影のようなものが見えた。
その次の瞬間。その人影のようなものが、
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