第7話(1) 報せ
抵天軍の任務の一つに、管内の巡回というものがある。
これは本来、天使の急襲などの不測の事態に備えて始められたものなのだが、近年、第二師団管内において具体的に言えばここ五年ほどの間に、その役目は形を変えつつあった。
天使の勢力圏が狭まり、人類が勢いを比較的取り戻した地域、抵天軍が言うところの「奪還区域」が広がってきたことで、天使への対応から治安維持へと主目的が緩やかにシフトしたのである。
もちろん、街や集落ごとに自警団を結成することもある。しかし、範囲が広かったり、自警団を結成できる状態になかったりする所もあり、抵天軍に治安維持を依頼してくるのだ。
それは、第二師団管内最大級の都市であるケルンも含まれ、カイやスオウたち第一遊撃大隊の面々は、今日はケルンとその周辺の巡回任務にあたっていた。
七月初旬、雲ひとつない青空が広がる日だった。
「待て……!」
街の外れ、
道が交差する場所に来ると、逃げる男たちはそれぞれ別の方向に分かれる。
「アマミヤ、
軍服を着た一人の男が指示を出す。
「了解……!」
指示された四人は口々に返答し、そのうちの一人、スオウ・アマミヤ上等兵は右側の道に逃げた男を追う。
「……アザゼル、今、身体強化できるか」
走りながら、スオウは首からかけたペンダントに呼びかける。
――それくらいなら、
呼びかけられた彼の悪魔、アザゼルは返答する。
「そうだ。頼む」
スオウは呟くと、身体強化の衝撃に備える。走りながら、突然足を速くしたらもつれる可能性があるためだ。
――了解。じゃあ、行くぞ。
アザゼルがそう言うとほぼ同時に、スオウは自分の一歩の歩幅が大きくなったのを感じた。
加速したスオウは逃げる男との距離をみるみるうちに縮めると、男に飛びかかって押し倒し、腕を締め上げて拘束する。
「痛ってぇ……!」
男が呻くように声を上げた。スオウは男の腕を解放するとすぐにロープを取り出して拘束し直し、一旦足も固定してから無線機を手に取った。
「アマミヤ上等兵から班長、捕縛完了しました」
『ボスマン軍曹、了解。合流ポイントを伝えるから、そっちまで連れてきてくれ』
スオウの報告に、彼の所属する班の班長、エルヴィン・ボスマン軍曹が返答する。
スオウは指定された地点に到着してから十分も経たないうちに、他の四人と合流した。
「おう、アマミヤ。速いな」
エルヴィンはスオウを見つけると、感心したように言った。
バラバラに逃げた二人の男も捕まったようで、若干の抵抗を見せながら引きずられて来た。
「いやぁ、助かりました。どうもすみませんね、専門外の仕事をさせてしまって」
スオウたちを待っていたらしい老年の男が、捕らえられた三人の男たちを見て、エルヴィンに言う。
「ああ、いや。平和な街を維持するのも、俺たちの仕事だと思ってますから」
エルヴィンはにこやかに言うと、三人の男を引き渡した。
「それでは、我々は任務がありますので」
引き渡しを終えると、エルヴィンは老年の男に言うと、彼の班員たちを連れてその場を離れた。
「……ところで班長、あの三人、何やったんです?」
スオウはエルヴィンに質問を投げかける。
「ああ、なんか聞いた話では窃盗らしいが……まあ、詳しいところは聞いてないからわからん。我ながら、よくそんな状態で追っかけてとっ捕まえられるよなぁとは思うがな……」
エルヴィンは苦笑しながら返答した。
結局その日はそれ以降、特に何も起こらなかった。
そもそもケルンの街周辺は天使はほとんど現れることはなく、比較的治安も良い。むしろ、スオウたちのように何らかの犯人と捕物を繰り広げるほうが珍しいのである。
予定通りの時刻に任務を終え、スオウたちは本部に帰投しようとする。
その道中、前日の午後から合同で哨戒任務に出ていたカイの班ともう一班……当然ながら、両班とも第一機動遊撃小隊のメンバーである……と遭遇し、そのまま合流した。
「……よう、エルヴィン。何かあったか?」
エルヴィンたちの姿を認識したカイは、駆け寄って尋ねる。
「いえ、捕物が一件ありましたが、特筆すべきことは特には」
エルヴィンはすぐに敬礼の姿勢を取ると、そう報告した。
「そうか。まあ、ケルンの街は昔から治安は良いほうだったからな……」
カイはサラッと答礼してから手を下ろし、エルヴィンの言葉に応える。
「後ほど、報告書を作成してお渡しします」
「わかった。頼む」
そう言って会話を終えたカイは、目と鼻の先にある大隊の本部に向かって、彼の部隊とともに再び歩き始めた。
「俺たちも帰ろう」
エルヴィンは班員たちにそう言うと、その後を追って歩き出す。
帰投し、軍服の上着を脱いだカイは、執務室で各部隊からの報告書を受け取っていた。
「おう、スオウ。お疲れさん」
ボスマン班からの報告書を提出しに来たのはスオウだったのだが、彼が入室すると、カイはすぐに声をかけた。
「いえ、自分は特に、何もしていないので」
「……二人しかいないときは、昔と同じように話せ。なんか気持ち悪いから」
スオウの返答を聞いたカイは、上官としてはなかなかあるまじき発言をする。
「いいのか、それ……まあ、そうしろって言うなら……」
スオウはそう返して、そのままカイに報告書を手渡すと、
「……ああ、そうそう。悪いが、エルヴィンに伝えてほしいことがある」
カイは机の上の書類を少しどかして話し始める。
「明日から、第一機動遊撃小隊が急遽調査任務に当たることになった。まだ伝えてなかったから丁度いい。指示書もあるから、持っていってくれ。他の班にも追って通達する」
カイはそう言うと、机の端に置いてあった書類を手に取り、スオウに渡す。
「……調査って、何のだ?」
「
抵天軍は、管内各地にいくつかのレーダー基地を設けている。常に天使の反応を捜索し、迅速な対応ができるようにしているのである。
「その実地調査をするのが任務だ。万が一戦闘になったときのことも考えて
「なるほど、わかった。伝えておく」
スオウは再び踵を返すと、扉の前で一言告げてから退室した。
スオウが退室したあと、カイは腕を組んで少し考える。
「……しかし、『天使と非常によく似ているが、今まで観測されたことのないパターン』だの、『普段の反応を山の石に例えるなら川の石のような反応』って文言は気になるな……それも断続的に一瞬だけ観測されているのも……」
ブツブツと呟いたカイは、十数秒ほどその体勢を取ったあと、腕を解いて再び口を開く。
「まあ、『何も起こらないといいな』としか言えないな……シャルロッテ! やってほしいことがあるんだが!」
カイは隣室にいたシャルロッテを呼ぶと、第一機動遊撃小隊の各班に、明日の予定を伝えるように頼んだ。
戻ってきたスオウは、カイから渡された指示書をエルヴィンに手渡した。
「ランゲンツェン基地からの報告で、第一機動遊撃小隊が出るのか? あの辺りは第三遊撃大隊の管轄だろ……って、そういやあそこは遠征中だったか……よし、把握した。明日の夜明け直後に出発だな」
エルヴィンは呟きながら指示書を読み終えると、班員に集合の時間を伝える。
「……第三遊撃大隊は、遠征中なんですか?」
一通り指示を聞かされたスオウは、話を掘り返すようにエルヴィンに尋ねた。
「ああ。着任式にも出席していない。確か……第一師団からの要請で、ピレネーの辺りまで行ってるな」
管内の平定が一通り終わった第二師団は、近隣エリアに支援部隊を送っている。エルヴィンの言う通り、第三遊撃大隊は現在、ピレネー山脈の近辺まで遠征中で、その穴を、残留している部隊で補っているのだ。
「いつ頃帰ってくるんです?」
スオウは続けて質問する。
「さあなぁ……最悪の場合、イベリア半島奪還までは帰ってこないと思うが」
「気の長い話ですよねぇ、軍曹」
エルヴィンの言葉に、別の方向から応える声があった。ボスマン班のメンバーの一人、バロー上等兵であった。
「そうだな……とりあえず、明日はそういうことだ。把握したな?」
エルヴィンは上等兵に言葉を返すと、班員全員を見回して確認する。
彼の班員たちはそれぞれうなずき、返答した。
翌日、カイから指示があったように、第一機動遊撃小隊の面々は夜明け前に集合し、点呼を取って日が昇る頃にケルンを出発した。
彼らの目的地、「ランゲンツェン基地」は、ニュルンベルク近郊に存在したランゲンツェンという町の跡地に設置された抵天軍のレーダー基地である。町自体は天使と抵天軍との戦闘の最中に半壊し、ほとんどの住民がニュルンベルクの街に避難して久しい。
それで付近が未だ最前線だった頃……具体的には十七年ほど前に基地が設けられ、現在に至るまで運用されているのである。
「みんな、いきなりで悪かったな」
鉄道や自動車、飛行機は一五〇年前にことごとく破壊されたために、ほとんどの移動は人員輸送用の馬車を使うのだが、ケルンからランゲンツェンまではどうあがいても二十時間以上かかる。
そんな長旅を突然させることになったことについて、カイは謝罪の言葉を口にした。
「いえ、中佐がお気になさることではありません」
「我々の仕事は天使を倒すことですからね。この程度、何でもありませんよ!」
カイのそばにいた兵士たちは、「そんなヤワな鍛え方はしていない」と言わんばかりの声でそう返すと、ニカッと笑った。
「……中佐、もうすぐ、ボンの近郊を抜けます」
それとほぼ同じタイミングで、シャルロッテが現在地を報告する。
カイたちは、ケルンの付近から出発し、フランクフルトを経由してミュンヘン方面に向かう予定だ。
馬車を全速力で飛ばすとはいえ、かなりの長旅になることをカイは改めて覚悟した。
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