第9話 少女の正体(1)
早朝にランゲンツェンを出発したカイたちは、翌日の朝にケルンに到着した。
ケルンに帰投したカイは、第二師団長、ルイス・リッジウェイ少将に呼び出された。
「やあ、リートミュラー中佐。ご苦労だったね」
カイが師団長執務室に入るやいなや、ルイスはそう声をかけた。
それから少し遅れてカイは敬礼し、返答する。
「ありがとうございます」
ルイスは軽く答礼すると、再び話しだした。
「だいたいのことは把握しているが……例の報告書にあった少女というのはどうなった?」
「すでにベルリンに向かわせました。クナウスト中尉、ボスマン軍曹、およびアマミヤ上等兵が同行しています。もうそろそろ到着する頃だと思いますが……」
カイは「途中で分かれて」と言ったが、ランゲンツェンを出てすぐにスオウたちをベルリンに向かわせていたのである。
「……なるほど、わかった。詳しい検査結果が出たらまた報告してくれ」
ルイスはそう言って、カイを退室させた。
ほとんどカイの予想通り、スオウたちはカイがケルンに到着した数時間後にはベルリンに到着した。
抵天軍ベルリン天使研究所の敷地内に通されたスオウたちは、本館と呼ばれる建物の車寄せに車両を止め、降車した。そこには、一人の研究員が待機していた。
「クナウスト中尉殿ですね?」
シャルロッテと相対した研究員が、銀色の副官飾緒を着けているのを見て確認する。
「はい、私がクナウストです。こっちはボスマン軍曹とアマミヤ上等兵」
シャルロッテは研究員の言葉を肯定し、続けてエルヴィンとスオウを紹介した。二人は簡単に挨拶をする。
「
スオウとエルヴィンに続けて研究員はそう言うと、スオウたちを先導して歩き始めた。
「行きましょう。アマミヤ上等兵、その子を連れてきてください」
シャルロッテは二人の方に振り返って言う。
「了解」
スオウは返事をすると、未だ昏睡状態にある少女を抱きかかえ、そのまま三人まとまって、研究員の後ろを歩き出した。
スオウたちは、数ある研究室の一つに通された。
「
スオウたちを案内してきた研究員が、部屋に入ってすぐに呼びかけた。
「ああ、ありがとう。あとは僕が応対するから、戻ってくれていいよ」
そう言う声が聞こえてきたのと同時に、部屋の奥から一人の男性が出てきた。
「わかりました。では、失礼します」
研究員はそう返すと、
「……はじめまして、エーリッヒ・リートミュラーです。スオウ君には、『久しぶり』と言ったほうが良いかな」
ドアが閉まったのを確認してから、その研究員、エーリッヒ・リートミュラーは名乗った。
「クナウスト中尉には、特に兄がお世話になっていると聞いています」
エーリッヒは続けて言う。
「……もしかして、リートミュラー中佐の弟さん、ですか……?」
シャルロッテは確認するように尋ねる。
「はい、そうです」
エーリッヒは返答すると、後ろを振り返ってゴソゴソと作業をし始め、そして言った。
「……長話もなんですし、早く始めてしまいましょう。スオウ君、その子が『例の少女』でいいのかな?」
「あ、ああ……はい」
エーリッヒの言葉に、スオウは少女を抱えたまま、うなずいて返答する。
「それじゃあ、その子をこの椅子に」
エーリッヒは部屋の奥にある、白くて背もたれの傾斜が低い椅子を指差した。
スオウが椅子に少女を座らせてそっと離れると、反対にエーリッヒが数本のスピッツ管をバットに載せて少女に近付いた。
「……本当は、本人の同意を得てからが良いんだけど……ごめんね」
エーリッヒは少女の腕をアルコールで消毒しながらそう呟くと、注射針を刺し、続けて針にスピッツ管を取り付けた。
圧力によって自動的に血液が吸い上げられる。その色は濃い赤色で、まさに生物のそれだった。
持ってきたスピッツ管すべてに血液を入れたエーリッヒは、少女の腕から注射針を引き抜き、止血用のテープを貼るとスオウたちに向き直った。
「速ければ、今日の夜か明日の朝には結果をお伝えできるかと。それまで彼女は、
そう言うとエーリッヒは採血したスピッツ管が載ったバットを一度保管用の機械に入れる。そして再び少女に近寄ると、その体を丁寧に持ち上げてベッドに移した。
「皆さんはどうしますか? 明日までここにいるか、もうケルンに戻るか」
エーリッヒは続けてシャルロッテに尋ねる。
「私はケルンに戻るように言われていますが……ボスマン曹長とアマミヤ上等兵は結果が出るまでここに残るように、との伝言を預かっています」
シャルロッテは前半はエーリッヒに、後半はエルヴィンとスオウに向かってそう言った。
「わかりました。では、すぐに二人の部屋を用意しましょう」
エーリッヒは応えると、一度部屋を出ていった。
「お願いします……では曹長、上等兵」
シャルロッテはエーリッヒを見送り、残った二人に呼びかける。
『はい』
二人は同時に返事をして姿勢を正すと、シャルロッテの次の言葉を待った。
「結果が出次第、ケルンに連絡をください。迎えが出る手筈になっています」
ケルンとベルリンの間には、抵天軍によって、簡単なものではあるが、通信網が整備されていた。通信はその二都市の間であればどこからでも行うことが可能である。
『了解』
二人は再び声を揃えて返答した。
シャルロッテがエーリッヒの研究室を出たのと、エーリッヒが戻ってきたのは同時だった。
「すぐにお帰りですか、クナウスト中尉」
「ええ、はい。中佐から、なるべく早く帰ってくるように言われたものですから」
「ははは……兄さんの人使いの荒さは健在ですか……」
エーリッヒは苦笑いを浮かべながら言うと、姿勢を正して続けた。
「まあ困った人ですが、今後とも、兄をよろしくお願いしますね、中尉」
「はい、もちろん……!」
シャルロッテは微笑みながら、力強く返答する。そして視線の方向を変え、玄関に向かって歩き出していった。
「さて……二人とも、部屋が用意できたそうです。彼が案内してくれるそうなので、ついていってください」
シャルロッテと別れたエーリッヒは部屋の扉を開けると、廊下に立っている男性を指しながらスオウたちにそう言った。そこに立っていたのは、先程スオウたちを案内してきた研究員であった。
二人が返事をして退室すると、エーリッヒは棚からいくつかの試薬と、ピペットなどの器具を取り出した。
「始めますか……」
エーリッヒは誰にともなくそう言うと、検査を始めた。
天使研究所における血液検査は、大きく二種類に分けられる。一つは、従来通りの成分による検査。もう一つは、血中の「魔力」による検査だ。
抵天軍、天使研究所において、すべての生物の血液に「魔力」と呼ばれる成分が含まれることは一般に知られている。魔力は契約悪魔を地上に留め、その力を行使するのに必要で、「血中魔力濃度」の多寡は継戦能力に等しい。
当然その濃度は個人差があるのだが、おおよそ人間の血中の魔力濃度は一定である。
しかし、例の少女を保護した直後にランゲンツェンで簡単に検査を行ったところ、あまりに人間離れした魔力濃度が示されたのだ。
簡易的な設備での検査だったので、その精度には疑いが多く残っており、こうして本格的な設備があるベルリンまでやってきたというわけだ。
「……うわ……」
ランゲンツェンから送られてきた報告書を読みながら検査を進めていたエーリッヒは思わず呟く。
何度調べ直しても、人間では考えられない濃度の魔力が検出されるのである。ざっくりと数値で言えば、少なくとも千倍であった。
エーリッヒが信じられないものを見るような目をして頭を抱えていると、部屋の扉を叩く音がした。
その音で現実に引き戻されたエーリッヒは我に返ると、入室を促すように返事をした。
「失礼します……エーリッヒさん、しばらく、そいつのそばにいてもいいですか?」
訪ねてきたのはスオウだった。
スオウは扉の隙間から半身を出して尋ねる。
「ああ、別に問題はないよ。椅子はそこに置いてあるから、自由に使ってくれ」
エーリッヒは部屋の隅を指さしてそう言い、スオウを部屋に迎え入れた。
「…………それにしても、突然だね。どうしたんだい?」
ベッドに横たわる少女のすぐ隣に椅子を置いて座り、静かに見ていたスオウに、ふとエーリッヒが尋ねた。
「……なんというか、こいつとは初めて会ったはずなのに、どこかで見たことがあるような気がするんですよ。はっきりしたことは言えないんですけど……」
スオウは覚えていた引っかかりをエーリッヒに話す。
「なるほどね……」
エーリッヒはそう呟くように言うと、顔を手元に戻した。
そしていくつかの検査結果に目を落とし、再びスオウの方を向いた。
「……ところで、スオウ君」
エーリッヒは呼びかける。スオウが反応したのを確認してから、エーリッヒは続けた。
「この子、本当に何者なんだい?」
「それがはっきりわかってたら、苦労はしてませんよ……カイは『天使の可能性もないとは言い切れない』って言ってましたけど、俺の契約悪魔は『そうだとも言えない』と言い出して……」
スオウは「やれやれ……」と言いたげな表情で、お手上げのポーズを取った。
「まあ、そりゃそうだよね……確かに、少女が現れた状況からして、普通の人間じゃないことは確かだと思う。それにこれを見て。この子、血中の魔力濃度が高すぎる。兄さんが天使の可能性を疑うのも無理はない」
エーリッヒはついさっき出たばかりの魔力濃度検査の結果を見せながら言う。
「ッ……⁉ じ、じゃあ!」
それを聞いたスオウは少女を「天使」と断定しようとしたが、エーリッヒがすぐさま止めた。
「いや、そう決めつけるのはまだ早い。僕もその線を疑って遺伝子情報を調べているところだ。結果が出るのは今日の深夜くらいになるから、もう少しだけ待ってほしい」
「わ、わかりました……じゃあ、俺は一旦これで……」
スオウはいまいち腑に落ちない様子でうなずき、立ち上がろうとした。
「ん……んぅ…………」
今まで何の音も出さなかった少女から、十代前半と思われる見た目の少女としては高いとも低いともつかない、しかし間違いなく幼さを感じる声がしたのは、スオウの腰が椅子から離れたのとほぼ同時だった。
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