第5話 卒業・旅立ち

 卒業式の二日後、六月十六日。

 兵学校から最も遠い抵天軍の司令部があるモスクワに向かう、第四師団への着任者が出発する日だ……と言っても、モスクワまでは遠すぎるため、第四師団の着任者は毎年途中のミンスクにて着任式を行うことになっているのであるが。



 兵学校のある一角……具体的に言えば馬車鉄道の停車場に、学生たちが集まっている。

 今年の第四師団着任者、合計四十人が、移送用の鉄道馬車の車両の前に立ち、別れの言葉を告げていた。兵学校では伝統的な光景だ。

「いよいよ出発だな……いつか、また会おうぜ、エドモン」

「うん。またいつか」

 スオウとエドモンが向き合ってそう言うと、どちらからというわけでもなく二人はお互いに敬礼を行い、そして離れた。

 抵天軍では兵学校の制服をそのまま軍服として使用する。階級章と部隊章を取り付けた制服を着た彼らの姿は、すでに抵天軍人であった。


「……スーニカスオウ、みんな、今までありがとう。体を壊さないように気をつけて」

 ナターリヤが、集まったアマミヤ班の班員の顔を見ながら言った。

「ああ。そっちも、体調には気をつけるんだぞ」

「おう! このメンバーでいるのは楽しかったぜ……!」

「うん、また手紙でも送るよ」

「ナターシャ、いつかまた、会える日を楽しみにしてるよ」

 ヴィルヘルム、ベルトラン、ヴィクトール、そしてスオウが口々にそう言った。

 そして。

「ッ……⁉ す、スーニカ……?」

 次の瞬間、スオウがナターリヤをハグした。

 一瞬、状況が理解できずに硬直したナターリヤの顔が、みるみるうちに紅潮する。

「……ナターシャ、元気でな」

 スオウは、ナターリヤの近くでささやくように言うと、腕をほどき、一歩離れて敬礼した。

 その後ろでは、一列に並んだ班員の三人が、彼に続くように敬礼していた。

「みんな……スーニカも、元気で……!」

 ナターリヤも同じく敬礼し、その後、彼女は車両に乗り込んだ。



 第四師団司令部があるモスクワまでの移動は、過去に抵天軍が敷設した馬車鉄道を使って行うが、それはモスクワに限った話ではない。

 同じく遠方に位置する第六師団司令部があるストックホルムや、第一師団東方分司令部のベオグラードへの移動も、比較的近くにある第一師団司令部があるパリや、第二師団司令部があるケルンへの移動も同様である。

 そして翌十七日、ベオグラードとストックホルムに向かう者が移動を開始する。

 アマミヤ班では、ベルトランが出発する日だ。

「やっぱり、寂しくなるな」

 いつも陽気なベルトランが、暗い表情を浮かべて言う。

「ああ、私もだ。お前には、なんだかんだで支えられてきたからな」

 ともに行動することが多かったヴィルヘルムが、腕を組みながら言う。

「僕も寂しいね……班のムードメーカーがいなくなるなんて……」

「……ベルトラン、またバカみたいな話でもしようぜ」

 ヴィクトールとスオウも、ヴィルヘルムに続いてそう言った。

 四人はほぼ同時に敬礼した。兵学校ではやはり定番の、別れの挨拶であった。

「……お前らも、死ぬんじゃねえぞ!」

 敬礼を解いたベルトランは、そう叫んで、車両に走って入っていった。目が若干うるんでいたのは、隠しきれてはいなかったが……。


 ベルトランが乗り込んで数分後、彼らを乗せた鉄道馬車は走り出した。

 停車場では、残った卒業生や教官たちが、整列して敬礼し、見送った。



 そしてその二日後、六月十九日。最後まで兵学校に残っていた、パリとケルンに向かう者たちがとうとう兵学校を去る日だ。

 彼らはお互いに別れの言葉を交わした。

「……それじゃあ、私はそろそろ行こう。こちらパリのほうが早くここを出立することだしな」

 ヴィルヘルムが、名残惜しそうにしながらもそう言う。

「……ああ。頑張れよ」

「そっちもな、班長」

 スオウとヴィルヘルムは、最後の言葉を交わした。

 そしてヴィルヘルムはきびすを返し、パリへと向かう鉄道馬車に乗り込んでいった。


「…………それじゃあ、僕たちも行こう、スオウ」

 しばらくヴィルヘルムの背中を見送ったあと、ヴィクトールがスオウに声をかけた。

「そうだな……行くか……! 忘れ物はないよな、ヴィック?」

 スオウの声音は一瞬だけ暗かったが、両頬を叩いて気持ちを切り替えると、いつもの調子に戻って言った。

「当然さ。何日、準備の時間があったと思ってるんだい」

 ヴィクトールは軽く微笑んで返答し、二人は同時に歩き出した。


「お世話になりました、教官。行ってまいります……!」

 途中、スオウはヴィクトールと別れてノエルのもとに来ていた。大勢がノエルのもとに来ていたが、出発間近ということもあり、彼が最後のようだった。

 スオウが敬礼をして言うと、ノエルはすぐに答礼をし、そして言った。

「ああ。アルプスのふもとから応援しているぞ」

「……では、失礼します……!」

 ノエルが答礼を解くのに合わせて敬礼を解いたスオウは、自分の感情が高ぶるのを感じながら、回れ右をして走り去った。



「……元気でいるんだぞ、みんな」

 周囲に誰もいないのを確認してから、ノエルは出発まであと僅かとなった鉄道馬車を見ながら呟いた。

「今年もまた、行ってしまうな。少佐」

「ッ…………⁉ なんだ、貴方ですか……驚かせないでください、ランズベリー大佐……」

 ノエルの背後をいとも簡単にとり、そう声をかけたのは、兵学校で普通科主任教官をしているラインズベリー大佐であった。

 彼はベテランの兵士で、過去にはノエルたちの指導を担当したこともある。多くの学生を育て、送り出し、それを見送ってきた。

「ははは……まだまだだな、フォルタン」

 ラインズベリーはニヤリと笑って言う。

「ええ、毎年この時期に繰り返しているやり取りなのに察知できないのは、自分の未熟さを痛感しますよ……」

 その言葉に、ノエルはため息を吐きながらそう返答した。



 二人と、それ以外の教官たちはしばらく無言で、ただ去っていく学生たちを眺めていた。

 停車場に人気ひとけがなくなったのを確認して、鉄道馬車は発射を告げる鐘を鳴らした。


 そしてその数分後、最後の便が出発した。

 兵学校の敷地を出てすぐにカーブに入ると、遠のいていく車両の窓から、学生たち……いや、新兵たちが、揃ってノエルたちの方を向いて敬礼しているのが見えた。

 次の瞬間、教官のほぼ全員が揃っていた停車場に、ただ一度きり、腕が空を切り、軍服が擦れる音が響いた。


 しばらくの間、停車場は静寂に支配されていた。

 車両が見えなくなると、チラホラと姿勢を戻す教官が出始めた。

 衛生科の若い教官などは、もう見えなくなった新兵たちに向かって手を振っていた。

「……行ったな……今年度の仕事も終わりだ。次の準備に取り掛かるぞ」

 ラインズベリーはそう言って、腕を下ろすとすぐに後ろを向き、歩き出した。普段は被っていない帽子を、不自然なほど目深まぶかに被りながら――。

「大佐……」

 ノエルは声をかけようとしたが何も言えず、息を一つ吐いて歩き出そうとした。

 が、その前に、教え子が旅立っていった方向を見て、小さくではあるが手を振った。

 そしてノエルは、きびすを返して歩き出した。



 ところ変わってケルンに向かう一行。

「ヴィック、なんか、第二師団の着任者やたら多い気がするな……こいつら全員がそうなんだろ?」

 連なって進む車両たちの一つの車内で、スオウが隣に座るヴィクトールに尋ねる。

 当たり前だが、それぞれの任地に向かう車両は一両ずつではない。数十人から百数十人の新兵を輸送するために、それぞれの師団が必要なだけ鉄道馬車を派遣するのである。

「そうだね……特に僕たち普通科が多い。全師団で最多だって聞いたよ」

 ヴィクトールは返答する。

 これもまた当たり前のことだが、師団ごとに要求する人員の人数と兵科の割合は違う。第一管区で例をあげると、第二師団は普通科、第四師団は工兵科を最も多く要求している。

 各師団が管轄内の状況に合わせて兵学校に通達し、兵学校はそれに合わせて人を振り分けるのである。

「……なんだ、部隊の新設でもしたのか?」

 窓側に座るスオウが、窓のサッシに肘をかけて呟く。

「可能性はあるかもね。最近師団長が変わったみたいだし」

 ヴィクトールは軽く笑いながらそう言った。



 出発から三日目、六月二二日の朝方。

 ケルンに向かう一行は、経由地の一つであるベルンに到着した。


「……みんなは今、どこにいるんだろうな」

 待機時間になってしばらく経つと、さっきまで少し街を歩いてきたスオウが、席に座り直して、頬杖をついてそう言った。

「うーん……みんなもまだ、道半ばだと思うよ、スオウ」

 ヴィクトールはソワソワとするスオウに言う。

「それはそうだろうけど……あ、ベルトランはそろそろユトランド半島に入った頃じゃないか?」

 スオウは顔を上げ、手を軽く打ち合わせてそう言った。

「確かに、それくらいかもね。ナターシャたちも半分くらいは進んでると思う」

 ヴィクトールは地図を広げ、その上で指を滑らせながら言った。

「……今思うと、すっかりバラバラになったんだなぁ……」

 スオウはため息混じりに呟いた。

「ホームシックにでもなったのかい、スオウ?……いや、ホームシックではないかな」

 呟きを聞いて、ヴィクトールは地図から顔を上げ、からかうような声音で尋ねる。

「よせよ、俺の実質的なホームはケルンだっての……多少寂しいのは、まあ、否定できないけどな」

 スオウは苦笑しながら言った。

 スオウは、十年前にカイに引き取られたあと、彼のホームタウンであるケルンで約六年間を過ごした。

 エルサレムで暮らしていたのが六年間であるから、スオウはヨーロッパで過ごした時間のほうが長くなっていたのだ。

「……そういえばそうだったね。まさかそんな偶然があるとは思ってもみなかったけど」

 ヴィクトールは笑みを浮かべながらスオウを見て言う。

「はは、誰よりも俺が驚いてるよ」

 スオウはそう返して、背もたれにもたれてまた頬杖をつき、窓の外を眺めた。

 しばらくそうしていると、笛が鳴り、車窓から見える景色は動き出した。もう休憩は終わり、ケルンに向けて出発したらしい。

 二二日、昼前のことであった。



 ほとんどアルプス山脈を下るだけということで、ベルンを出てからの行程は、ベルンまでの行程よりもペースが速かった。

 三日と半日ほどで、ベルンからケルンまでの約五百キロメートルを走り抜けたのである。

 六月二六日の朝、スオウたち第二師団着任者、約二百名は、第二師団司令部が置かれている都市、ケルンに到着した。

 と言っても、第二師団司令部そのものがあるのはケルンの街の外れで、かつて「空港」という施設があった辺りなのだが。

 ともかく、第二師団司令部に到着したスオウたちは、師団長の観閲を受けるでもなく、いきなりそれぞれの部隊の代表者に連れられて解散した。


 数分後、スオウやヴィクトールたち、第一遊撃大隊に配属される普通科約八十名、有り体に言えば、第二師団に新規着任する普通科の新兵の八割が連れ立って歩いていた。

「……一つの部隊で、八割取るのか……間違いとかじゃないよな……?」

 列の一番前を歩くスオウの、真後ろにいた兵士が半ば呆れたように呟く。


「……はい、間違いではありません。私たち第一遊撃大隊は、確かに普通科八十名を要求しました」

 列になった新兵たちを先導していた女性兵士が、クルリと後ろを向いて、おっとりした声でにこやかに言う。

 その軍服の左腕には中尉の階級章がつけられ、右胸の辺りは、副官であることを示す銀色の飾緒しょくしょが目を引いた。

「中尉、どうしてそんなに人数がいるんです?」

 先程発言した兵士が尋ねる。

「詳しく話すと長くなるのですが……」

 中尉はそう言って再び歩き出し、話を続けた。

「簡潔に言いましょう。今の師団長はうちの大隊長だったのですが、あの人が第二師団長になった際に、大隊長直属だった一個中隊の半分強を連れて行かれまして。人数不足を補って一個中隊を再設しようとすると、どうしても人数がいるんですよね……」

 抵天軍においては、一個中隊は一二〇人からなる。半分強が抜けたということは、六十から七十人ほどがいなくなったことになる。

 それに加えて他の中隊に人を回そうと思うと、やはり八十人は欲しいところだろう。

「それは、大変な話ですね……」

 質問した兵士がどう言えばいいのかわからないというような表情で言った。



 その後、しばらくなんの言葉も交わされないまま彼らは歩いた。

 そして、少し離れた位置に建てられた建物……見たところ、三階建てのようだ……に入ると、スオウたちはその一階にあるブリーフィングルームに通された。

「では、スオウ・アマミヤ上等兵を除いた皆さんは、ここで少し待っていてください」

 全員が部屋に入ったのを確認してから、中尉が言った。

「上等兵、行きましょう」

 中尉はスオウの方を見ながら言う。

「えっ、俺、ですか……?」

 スオウは、突然自分の名前が呼ばれたことに困惑を隠しきれない様子で、尋ねる。

「はい。あなたは第二師団新規着任者の代表ということになっていますから。兵学校から送られてきた通知には、そう書かれていますよ」

 書類を見せながら放たれた中尉の話は、スオウには初耳だった。

「は、はい……? わかりました……」

 やはり戸惑いを隠しきれないままスオウはうなずき、中尉についていった。



 部屋を出たスオウたちは建物の中央の階段を登り、三階の一室の前に来た。

 コンコンコン。

 中尉が扉をノックする。

「誰だ」

 部屋の中から、生返事のような声が聞こえた。大方、決まりきったやり取りなのだろう。

「クナウストです。着任者の代表を連れてきました、中佐」

 大隊において「中佐」ということは、部屋にいるのは大隊長なのだろうとスオウは推測する。

 そして、自分がにわかに緊張してきていたのを感じた。

「ああ、シャルロッテか。ご苦労さん。入ってくれ」

 室内から、軽い調子の声が聞こえてきた。

「ふふ、そんなに緊張することはないと思いますよ」

 中尉、もといシャルロッテはスオウを見てそう言い、そしてすぐに扉を開けて入室した。

 スオウは、大隊長の声を聞いてなんだか少し緊張がほぐれたような心持ちで、シャルロッテの後を追った。


 部屋に入ったスオウは、すぐに部屋の奥に向かって敬礼し、名乗る。

「失礼します、スオウ・アマミヤ上等兵で、す……⁉」

 しかし、スオウは視線の先にいた大隊長の顔をよく見て目を見開き、その驚きのあまり、敬礼が半ば崩れかかった。

「ははは……よう、スオウ。四年ぶりか? 元気そうで何よりだ」

 大隊長は、スオウのあまりの驚きようにこらえきれず吹き出し、持っていたペンを置いて、一瞬だけ「形だけの」と言わんばかりの答礼をしてから声をかけた。

 大隊長が答礼を解いたのだから、目下であるスオウも敬礼を解く。

「いやいや、いやいやいやいや……」

 しかしすぐにスオウは頭を小さく横に振り、呟いた。

「『どうしてお前がここにいる?』とでも言いたそうだな、スオウ」

 大隊長は言う。

「その通りだよ……あ、いや……その通りですよ、、中佐……」

 スオウは大隊長の名前を呼んだ。

 そう、第一遊撃大隊の大隊長は、彼の育ての親のような存在、カイ・リートミュラーだったのである。

 スオウは、先程のシャルロッテの言葉の意味をようやく理解した。

「おいおい、そんなに他人行儀じゃなくていいんだぞ」

 カイは笑いながら言った。

「……そういうわけにはいかないでしょう、中佐」

「そうか、それは少し残念だな……まあいい。これからよろしくな、スオウ」

 スオウがやんわりと拒否すると、カイはショックを受けたようだが、すぐに立ち直って言った。

「……こちらこそ」

 スオウはどう返答するか悩んでから、そう返した。

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