5,北の大地

第23話

「すやー」

 僕のベッドで真白さんがすやすや眠っていた。

 胸には㊙ノートを抱きしめたままだ。

 ……ふう。ようやく大人しくなってくれたな。

 今はぐっすり眠っているが、さっきまで『明日まで待ちきれない~!!』とか言ってけっこう騒がしかったからな。荒ぶる神を鎮めるのには随分と手を焼いた。

「……さて、最後の荷造りも終わったな」

 部屋にはバイクに積み込むためにパッキングされた荷物が置いてあった。

 どどん、と部屋に鎮座しているのはタナックスのキャンピングシートバッグ2だ。

 このバッグには『いやこれは無理やろ……』というあれだけあった荷物が、今は全て収まってしまっている。

 入った時は『入ったわ……』という感じでちょっと信じられなかった。

 こいつを普段使っているRVBOX460の上に載せてベルトで固定する予定だ。

 いちおう、事前にどんな感じになるかは試してあるけど……けっこう、インパクトのある見た目になった。

 まあ、とりあえず載るからヨシ!!

 さ、お風呂行くかな。

 お風呂に入ってさっぱりしてから、リビングに飲み物を取りにいった。

 すると、母さんがテーブルでビールを飲んでいた。

「あれ? あんたまだ起きてたの? 明日早いんじゃないの?」

「うん、もう寝るよ。明日は多分、みんな寝てる間に出発すると思うから」

「そう。まぁ怪我しないようにね」

 と、母さんはとても軽い感じだった。

 ふと、僕は前から疑問に思ってたことを聞いてみた。

「ところでさ……前から疑問だったんだけど、母さんと父さんってどこで知り合ったの?」

「ん? 何よいきなり?」

 スマホをいじっていた母さんが顔を上げた。

「いや、だって母さんってめちゃくちゃインドア派でしょ? どう考えても父さんと趣味合わないよな、って前から疑問だったんだよね」

「ん~? 言ったことなかったっけ? いや言ってないか……お父さんからは聞いたことないの?」

「ううん、聞いたことない」

「そっか……まぁ別に大した話じゃないわよ。聞くだけ時間の無駄よ」

 適当にはぐらかされた。

 どうやら教えてくれるつもりはないようだ。

「まぁでも、趣味が合わないのは確かにそうね。わたしも何であの人と結婚したのか、未だによく分からんのよねえ、ははは」

「いや、それって笑って言うこと……?」

 父さんが天国で泣いてるぞ。

「まぁでも、あの人と出会ってなかったら、わたしは結婚なんて未だにしてなかったでしょうね。正直、自分が結婚するなんて結婚する直前まで思ってもなかったしさ」

 と、母さんは少し昔を思い返すような、ここじゃないどこかを見るような目になった。

 それは何となく……真白さんの〝あの目〟に似ていた。

「ましてや人の親になるなんて、そりゃもう思ってもみなかったわね。漠然と結婚なんて無理だろうなあ、って思ってたし。わたしと結婚するような男がこの世にいるなんて思ってなかったもんね」

「それは確かにそうかもね」

「ん? どういう意味?」

 笑顔で睨まれた。

「……まあ、人生何がどうなるかなんて分からんもんよね。わたしは未だに、今の自分が夢なんじゃないかって、そう思う時があるのよね。これは現実なのかな、って。結婚してる自分も、子供がいる自分も、あの頃は想像すらしたことなかった。もしあの人と出会わなかったら――って、いまもたまに考える。そうするとね、そっちのほうがわたしにとっては未だにリアルなのよね。ほら、だってわたしこんなでしょ? 人の親になるような人間じゃないし。親になるために試験があるなら、わたしは間違いなく落ちてるわね。そりゃもう間違いなく」

 力強い断言だった。

「……母さんはさ」

「うん?」

「父さんと出会ったこと、後悔とかしてる?」

「まさか」

 母さんは笑った。

「もしまた会える機会があるなら、ちゃんとお礼を言うつもりよ。わたしと一緒になってくれてありがとう、ってね」

 母さんは笑いながら、手に持っていた缶ビールを軽く掲げた。

 それは誰かと乾杯しているようにも見えた。

 ……うん。

 やっぱり母さんって母さんだな。

 僕はしみじみとそう思った。


 μβψ


 早朝。

「……大丈夫、みんな寝てるよ」

「う、うん」

 僕と真白ましろさんはこそこそと部屋から出た。

 家の中は静まりかえっていた。

 家族はみんな眠っているようだ。

 ……ふう。

 もしかしたら長い旅に出る僕を心配して、母さんも夢子も見送りのために起きてくれているんじゃないかとちょっと心配してたけど……本当にまったく無用な心配だったようだ。

 ははは。

 ……いや、寂しいなんて思ってないよ?

「ソータくん、これ」

「え?」

 玄関の靴箱の上に、封筒が置いてあった。

 そこには『蒼汰へ』と書かれていた。

 何だろうと思って封筒の中を見ると……なんと万札の人が五人も入っていた。

 ……え?

 嘘だろ……?

 あのケチな母さんが、五万も……?

 封筒にはちょっとした手紙みたいなものも入っていた。

『せっかく行くんだから、ケチケチしないでぱーっと遊んできなさい』

 内容はそれだけだった。

 ……はは。

 思わず笑ってしまった。

 何て言うか……母さんらしいや。

「それじゃあ、行ってきます」

 誰もいない玄関にそう言って、僕は家を出た。

 いつものように玄関を出ただけなのに、なぜか今日はそれだけでいつもとは違う気持ちになった。

 これが今回の旅の一歩目。

 そう、いまこの瞬間から、すでに旅は始まっている。

 期待と不安が混じり合ったような気持ちだった。

 もしこれが一人だけだったら、不安のほうが少し大きかったかも知れない。

 でも――僕らは二人だった。

 だから僕は、とてもわくわくしていた。

「……ソータくん。これ大丈夫かな?」

「大丈夫だって。ちゃんとベルトで固定するから」

 いつものアイリス箱の上にシートバックが載っていて、前カゴには収納したテントを突っ込んでタナックスのツーリングネットで固定している。

 見た目にはこれでもか、というくらい荷物が満載だ。リアタイヤが重みでへっこんでる。

 まぁでも、とりあえず何とかなるだろう。

 バイクを押して家の前の道路に出て、門を閉めた。

「大洗までどれくらいかかるの?」

「順調に行けば多分四時間くらいで行けると思う」

「じゃあ、けっこう向こうには早く着くね。フェリーって夜なんでしょ?」

「うん。夜の七時くらい。まぁそれまではゆっくり観光でもしようと思ってさ。なんか大洗ってアニメの聖地になってるんだって」

「聖地? なにそれ?」

「アニメの舞台になった場所のことを聖地って言うらしいよ」

 以前、父さんと行った時はそんなことまったく知らなかった。なんか女の子の看板が置いてあるな、とわずかに覚えている程度だ。

「へえ……それ何ていうアニメなの?」

「ガールズ&パンツァーっていうアニメらしいよ」

「ガールズ&……パンツ?」

「パンツァーね。ドイツ語で戦車って意味なんだよ。女の子が戦車で戦うんだってさ」

「え? 女の子が戦車に乗って大洗で戦うの……? どういうアニメ……?」

 真白さんの頭上にハテナがいっぱい浮かんでいた。

 確かにそれだけ聞くとまったく謎だ。

「そうだ。真白ましろさん、これ」

「ん? 上着?」

 上着を彼女に手渡した。

 それは僕がバイクに乗る時、ウィンドブレーカー代わりに着ていたものだ。薄手のもので防寒着というわけじゃない。春先や秋口あたりにいつも使ってるやつだ。

「やっぱり旅先で制服のままだと目立つと思ってさ。でも上着を着てたら目立たないかなって」

「あ、言われてみればそうか……ありがと、それじゃあ借りるね」

 真白さんが上着を羽織った。

 スカートは見えているけど、まぁそうやって上着を着ていたら普段着のように見えなくもなかった。

「……」(じー)

「うん。サイズはけっこうぴったりかも。って、どうしたのソータくん?」

「いや、前から疑問だったんだけど……真白さんって服脱いだらどうなるの?」

「え!? な、なにいきなり!?」

 真白さんがびっくりした顔で、胸を抱くように自分の身体を隠した。

 僕は慌てた。

「い、いや違うよ!? 変な意味じゃなくてね!? だってほら、服とか靴とか、身につけてるものって科学的にどうなってるのかなって疑問に思っただけで……!」

「やーもう! なに想像してるの!? ソータくんのエッチ!」

「ええ!?」

 ……結局、疑問の答えを得ることはできなかった。

 やっぱり科学って無力だ。

 そんなこんなあったけど……とうとう出発だった。

「じゃあ真白さん、これ」

 真白さんにヘルメットを渡した。

「うん」

 彼女がそれを被り、タンデムシートに座った。

 僕もヘルメットを被って、シートに跨がる。

「それじゃ、行こうか」

「うん! 行こ!」

 そして、僕らの旅が始まった。

 僕と〝彼女〟の、最初で最後の旅が――


 μβψ


 大洗までは東京を突っ切っていくつもりだった。

 普段、東京のほうへ出ることはあんまりない。

 朝早くに出たのは道が混む前に東京を抜けていきたいというのもあったからだ。

 ……しかし。

 スマホのマップを頼りにして走っていたけど、やっぱり都会は道が複雑だった。

「……あれ? ここ曲がるのか? ん? どっちだ?」

「きゃー!? ソータくん!? 前、前!」

「え? うお!?」

 危うく前の車にぶつかりかけた。

「ソータくんスマホ見過ぎ!」

「ご、ごめん……」

「わたしがナビするから、ソータくんは運転に集中して」

「そうします……」

 というわけでスマホはハンドルマウントから取り外し、真白さんに持ってもらうことになった。

「そこ真っ直ぐ行って、次の交差点を右ね。そしたら次は――」

 真白さんのナビはとても分かりやすかった。

 ……ナビ見ながら走ると、どうしても前方不注意になっちゃうんだよな。

 父さんはナビはまったく使っていなかった。

 ようは進む方角さえちゃんと分かっていれば、どんな道を走ったところで目的地には到着する――とはよく言っていたけど、僕はとてもじゃないけどナビ無しで目的地にたどり着ける自信はなかった。

 迷路のような東京を抜けてからは、そう迷うこともなく順調に走った。

 途中、ちょっとコンビニで休憩もした。

「ところで、お昼ご飯ってどうするの?」

「大洗で食べようって思ってるんだ。たぶんちょうどお昼くらいには着けると思うからさ」

「へえ。港だとやっぱりお寿司とか?」

「僕もそう思ったんだけど、母さんにはとんかつ屋さんをオススメされたんだよね」

「え? とんかつ屋さん?」

「そう。なんかアニメに出てくるらしいよ」

「ああ、なるほど……」

 その後、大洗までは順調だった。

 スーパーカブのタイヤはものすごく細い。後ろに荷物を満載にしているものだから、タイヤはけっこう凹んでいる。ちょっとパンクとかは心配していたけど、思ったより全然大丈夫そうだった。

 ……まぁ、東南アジアのほうとかって写真だともっと荷物積んで走ってるもんな。あれ見たらこの程度の荷物、まだ可愛いもんだろう。

 大洗にはだいたい予定通りに到着した。

 本当にゆっくり走ったけど、だいたい四時間くらいだった。

 お昼ご飯は言っていた通り、母さんにオススメされたとんかつ屋さんで食べた。

 店内は思っていたよりもアニメ一色だった。

「へえ、これがガールズ&パンツね」

「パンツァーね」

「え? なにあれ? あのとんかつすごくない?」

 先に食べている人の定食を見ると、とんかつがまるで戦車のような形になっていた。

「僕らも同じの頼もうか」

「いや、わたしはいいよ。別に食べなくてもいいし」

「でも食べたいでしょ?」

「い、いや、別に……」

 真白さんは目を逸らした。

 というわけで、もちろん定食は二つ頼んだ。

「ねえ真白さん」

「なに?」

「もし色々遠慮とかしてるなら、そんなのは気にしないでいいよ。だってこれは〝デート〟なんだからさ」

「……ソータくん」

 そう、これはデートだ。

 とてもとても長い、そして最後のデート。

 だったら、僕は真白さんに遠慮なんてして欲しくない。

 心から楽しんで欲しかった。

 ……ま、親にもらった金だけどね!


 μβψ


 その後、僕らは大洗を観光して、フェリー搭乗の二時間前にはフェリーターミナルに向かい、乗船手続きを済ませた。

 今は夏だから、日の入りまではもう少し時間がある。

 停泊しているフェリーが夕陽に照らされているさまは、けっこうな迫力がある光景だった。

 僕らの他にも北海道に向かうバイクの姿はけっこうあった。

 ……いやぁ、みんな積んでるなあ。

 ホムセン箱が三段になっているバイカーもいた。すごいな、フルカウルのスポーツバイクにあれだけ積むって……。

「みんなすごい荷物積んでるね」

「なんか、僕らの荷物が少なく見えるね」

 排気量が違うから同じように考えても仕方ないけど、それでもみんな色々工夫してるんだなぁと感心してしまった。

「ねえ、ちょっとフェリー見てきていい?」

「うん」

 真白さんは間近でフェリーを見たかったのか、ぱたぱたと走って行ってしまった。その様子は完全に遠足に来た子供みたいで、僕はちょっと笑ってしまった。

 ちょうど、僕の後ろにバイクがやってきた。

 やってきたのはSR400だった。何となくだけど、けっこう古いモデルに見えた。

 乗っていた人がバイクを降りて、ジェットヘルメットを外した。

 男の人だった。

 見たところ30歳か、それより少し上に見えた。そんなに歳じゃないとは思うけど、無精髭が生えているせいで結構くたびれた感じに見えた。

「やあ、どうも」

 目が合うと、その人はとてもフランクに挨拶してきた。人懐っこい笑みだった。

「あ、どうも」

「君、随分と若いね。学生かい?」

「はい。高3です」

「へえ、高3か。ってことは受験だよね? こんなところにいていいの?」

「それはまぁ、良くはないんですけどね……はは」

 僕が少しバツが悪そうな顔をすると、相手は笑った。

「ははは。まぁ教科書を暗記するだけが勉強じゃないからな。旅も立派な勉強だ。おれは良いことだと思うよ。おれも初めて北海道に行ったのは、確か今の君と同じくらいだったしね」

「そうなんですか?」

「ああ。ところでそのカブ、君のバイク?」

「はい」

「いいバイクだねえ。けっこう古いんじゃないかい、それ?」

「そうですね。父からもらったものなので」

「へえ? そりゃ偶然だね。実は僕のこのバイクも、オヤジからもらったやつなんだ」

 と、お兄さん(と言っておくことにしよう)がバイクのシートを軽く叩いた。

 赤いSRで、ホイールがスポークホイールじゃなくてキャストホイールだ。あんまり見たことないモデルだ。

「そのSRって、もしかしてけっこう古いですか?」

「うん、けっこう古いね。確か1979年製だったかな」

「え? そんなに古いんですか?」

 僕のカブよりもずっと古かった。

 でも、車体はすごく綺麗だった。SRは錆びやすいとかよく聞くけど、そんなことはまったくなかった。

「ああ。何でも初めてキャストホイールになったっていうSRらしくてね。おれはこれ、けっこうカッコイイと思ってるんだけど……当時は全然売れなかったみたいでね」

「確かにキャストホイールのSRって初めて見ました」

「今もキャストホイール自体はメーカーで売ってるけどね。でもこのキャストホイール、大八車とか呼ばれてるんだよねえ。周りからはよくダサいって言われるんだよ、これが。ははは」

 と、お兄さんは笑った。

 ……何だろう。ものすごくシンパシーを感じてしまった。

「そんなことないですよ。めちゃくちゃかっこいいですよ」

「そうかい? そう言ってくれると嬉しいね」

 お兄さんは嬉しそうな笑みを見せた。

 ちょうどそこで真白さんが戻ってきた。

「いやー、フェリーってすっごい大きいね。あんなのが水に浮くなんて信じられないなあ」

「あ、真白さん」

「ん? そっちの子は……もしかして君の彼女かい?」

 お兄さんが真白さんを見てそう言った。

「え!? 彼女!?」

 真白さんが驚いた顔をした。

「はい、そうです」

 僕は頷いた。

「ええ!? そうなの!?」

 真白さんがもっと驚いた顔をしていた。

 お兄さんが首を傾げた。

「彼女、驚いてるみたいだけど?」

「照れ屋なんで」

「え、いや、え? あれ?」

「その歳で彼女と北海道とは……やれやれ、羨ましいね。まぁお互い、北海道を楽しもうじゃないか。君たちの旅の安全を祈ってるよ」

 お兄さんは二本指で敬礼するみたいなキザったらしい仕草を見せて、フェリーターミナルのほうへ歩いて行った。

 ……ちょっと変わった人だな。

「……あ、あの、ソータくん?」

「ん? なに?」

「わたしって……彼女なの?」

 真白さんがちょっと照れたようにもじもじしていた。

 その姿がめちゃくちゃ可愛かった。

 ……うーん、ずっと見てたいな。

「ごめん、嫌だった?」

「う、ううん!? 全然嫌じゃない! 嫌じゃないよ!」

「真白さん」

「え?」

「僕は真白さんのこと、好きだよ」

「――」

 真白さんが少し驚いたような顔をした。

 彼女は、嬉しそうに笑ってくれた。

「……うん。わたしも」


 μβψ


 ……旅が始まる。

 僕と〝彼女〟の、最初で最後の旅が。

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