第24話

「すごーい! ホテルみたい!」

 フェリーに乗船して、まずは真っ先に部屋に向かった。

 客室には色々と種類があったけど、なるべく安めの個室にした。

 ……まぁそれでもけっこう高いんだけど。

 本当はタコ部屋みたいなところやカプセルホテルみたいな二段ベッドの客室もあったけど、こっちのほうがゆっくりできると思ったからあえて個室にした。

 三人まで使える部屋のようで、ベッドは三つある。と言っても一つは二段ベッドみたいな感じだ。部屋自体はけっこうこじんまりとしている。

「ねえ、わたし上のベッド使っていい?」

「うん」

 真白さんが二段ベッドに昇った。

 真白さんの真下のベッドに荷物を置いて、僕は普通のベッドのほうを使うことにした。

「そう言えばもうディナーバイキング始まってるみたいだね。レストラン行ってみようか」

「ディナーバイキング!? 行く行く!」

 ひょこ、と彼女が二段ベットから顔を出した。

 その姿は何だか本当に子供みたいだった。

 フェリーを下船するのは明日の昼頃だ。

 その頃には苫小牧に到着している。

 寝て起きて、朝ご飯を食べてゆっくりしていれば到着――という感じだ。長いようで短い。昔、父さんと来た時もけっこうあっという間だった覚えがある。

 まず二人でレストランに向かった。

 ディナーはバイキング形式だった。

「……え? 真白さんそんなに食べるの?」

 真白さんの皿がすごいことになっていた。ちょっとしたフードファイターみたいな感じだ。

「まぁ今のわたしは幽霊だからね。いくらでも食べられるのよ」

 ふふん、と彼女は得意げな顔をした。

「ちなみに食べたものは――」

「その話は禁止!」

 やっぱり謎は謎のままだった。

 食事の後は二人で船内をうろうろした。

「すごい、お風呂まであるんだ」

「後で入る?」

「んー……」

 真白さんは腕を組んで悩むような顔を見せた。

「どうしたの?」

「いや、わたしってどれくらいソータくんと離れても大丈夫なんだろうなあ、って思って……お風呂に入っちゃったら、姿が消えちゃうんじゃないかな。ソータくんからはまったく見えないし」

「あ、そうか……」

「そうだ! ならソータくんが女湯に入ればいいじゃない!」

「名案思いついたみたいな顔してるけどそれやったら僕逮捕されるからね????」

「え!? まさかわたしに男湯に入れっていうの!?」

「いや言ってないから……」

 ……でも、真白さんと一緒にお風呂か。

 ちょっと想像してしまった。

「……」(じー)

「ハッ」

 視線を感じた。

「ま、まぁ部屋にシャワーあるし、お風呂はやめとこっか」

「ソータくん、いまなんか変なこと考えてなかった?」

「そうだ、甲板行ってみない?」

「ねえ、いま変なこと考えてなかった? ねえ?」

 僕は黙秘を貫いた。

 甲板に出ると、さすがにもう日は沈んでいた。

 でも、まだわずかに空に赤みが残っている。

「――すごい」

 と、言ったのは僕だったか、それとも真白さんだったか。

 まだ完全に夜が訪れる前の空の向こう側まで、ずっと海が見えた。

「……わたし、本当に知らない場所に行くんだね」

 海の向こうを見ながら、真白さんがそう言った。

 彼女の目は遠くを見ている。

 でも、それは〝あの目〟じゃなかった。

 まったく違う世界を見るような、自分とは関係ないものを眺めるような、あの退屈そうな目じゃない。

 もっと――子供みたいにキラキラして、わくわくしている目だった。

「ん? どうしたの?」

「ううん。何でもないよ」

 僕も海の向こうを眺めた。

 いつの日か父さんと一緒に来た日のことを、僕は思い出していた。

 過去も未来も、どっちもすごく遠い。

 どれだけ手を伸ばしても届かない。

 だから僕らは手を繋いだ。

 僕と〝彼女〟の手が届くのは、今この瞬間だけだから――


 μβψ


 翌朝。

「……もう朝か」

 思いのほかぐっすりと寝てしまった。

 真白さんと同じ部屋で寝られるか心配だったけど……どうやら相当疲れていたようだ。布団に入ったらすぐに寝てしまった。

「おはよう、ソータくん」

 僕が起きると、二段ベッドから真白さんが顔を出した。

「あれ? もう起きてたの?」

「うん。何かさ、もうすぐ北海道だって思ったら目が冴えちゃって」

「ああ、それは何となく分かるな……とりあえず朝ご飯行く?」

「うん、行こっか」

 レストランに行って朝食を食べてから、僕らは外が見えるソファに座ってツーリングマップルや㊙ノートを開いていた。

「最初ってどこ行くんだっけ?」

「最初はこのあたりのキャンプ場かな……できれば帯広までは行きたかったけど、やっぱりちょっと遠いんだよね。次の日の朝出発して、昼ぐらいに帯広着く感じになるかな」

「帯広行ったら豚丼食べようよ!」

「そうだね。お昼は豚丼食べようか」

「あと六花亭! お店でしか食べられないスイーツっていうのがめちゃくちゃ美味しそうなの」

「へえ、そんなのあるんだ」

 六花亭と言えばとても有名なお菓子のお店だ。北海道のお土産でもけっこう定番だと思う。あのレーズンの入ったバターサンドはかなり美味い。家にもお土産に送るつもりだ。

 下船までの時間は、思ったよりもあっという間だった。

 予定では13時30分だったけど、僕らが降りたのは何だかんだで14時ごろだった。

 バイクでフェリーから下船して、いったんすぐ傍でバイクを降りた。他のバイクの人たちも、同じように停車していた。荷物のチェックやルートの確認だろう。

 天気はものすごく良かった。

 下船してすぐ雨だったら最悪だったけど、天気には恵まれたようだ。

「ええと、ここってもう北海道なんだよね……?」

 真白さんがあたりをきょろきょろしていた。

「そうだよ。もう苫小牧だからね」

「うーん……何か北海道だ! って感じがあんましないな……」

「きっと、走り出したら実感も出てくると思うよ」

 そんな話をしていたら、見覚えのあるSRが近くに停まった。

 お兄さんがバイクに跨がったまま、ジェットヘルメットのバブルシールドをあげて話しかけてきた。

「やあ」

「あ、どうも」

「君たち、最初はどこに行くんだい?」

「ええと、最初は帯広へ行く途中でキャンプしようかと」

「なるほどね。僕は一気に帯広まで行くつもりだ。まぁまたどこかで会うこともあるかもしれないから、その時はよろしく」

 チャ、と二本指で敬礼してお兄さんは走り去っていった。

 ……やっぱちょっと変わった人だな。

「あの、ちょっと変わった人だね」

 真白さんがお兄さんを見送りながら、しみじみとそう言っていた。

 フェリーターミナルから走り出してしばらくは、僕らはまだ北海道へ来たっていう感じがあんまりなかった。

 市街地でも道はかなり広かったけど、でもまだいかにも北海道って感じじゃなかった。

 でも――段々と郊外へ出て行くと、そこは間違いなく北海道だった。

「すごい! 北海道だ!」

 真白さんがはしゃぐように言った。

 僕もまったく同じ事を思った。

 ――ああ、そうだ。

 この景色だ。

 あの日、父さんと一緒に北海道に来た時のことを思い出した。

 小さかった僕は、今の真白さんと同じようにはしゃいだ声を出していた。

 父さんと一緒に見た景色だ。

 何年も前のことが、まるでついこの間のことのように思い出せた。

 ――父さん。

 僕、来たよ。

 北海道に。


 μβψ


 最初のキャンプ場に到着した。

 時間はまだ16時くらいだったから日はまだまだ高い。

 管理棟で受け付けを済ませて、とりあえず適当なところにバイクを停めた。

 このキャンプ場はサイト内にバイクの乗り入れが可能だから、バイクのすぐ横でキャンプが出来た。

 乗り入れが出来ないといちいち荷物を運ばないといけないから、乗り入れができるキャンプ場はとても便利だ。

「とりあえずテント張ろうか」

「うん」

 よし、と僕は気合いを入れた。

 こういうところでテキパキと準備をして、できる男をアピールするのだ。

 もちろんテントの張り方は事前に確認してある。

 これくらいのテントならすぐに設営できるだろう。テントを設営した後は寝袋やマットの準備をして、それから夕食のためにテーブルや椅子をセッティングする。なるべく荷物を減らすために椅子は背もたれのない、本当にこじんまりとしたやつだ。そして、テーブルは鹿番長のアレでお馴染み、キャプテンスタッグのローアルミテーブルだ。

 頭の中に理想のキャンプ映像が思い浮かんできた。

 まぁ、これくらいなら30分もあれば設営は余裕だな!!

 ……一時間後。

「つ、疲れた……」

 僕はめちゃくちゃ疲れていた。

「大丈夫?」

「だ、大丈夫……」

 いいところを見せるつもりが心配されてしまった。

 くそ、もっとちゃんと荷物を整理しておくんだった!

 何をどこに入れたのか分からなくなって、結局荷物を全部ひっくり返して、それからグランドシートをしいてテントを張ってペグ打ちして、ちゃんと張り網してまたペグを打って、テントの中にマットをしいてその上に寝袋をしいてそれからテーブルや椅子を出して――

 くそ、なんでキャンプってこんなに面倒くさいんだ!!

 心からそう思った。

 ……いや、でも疲れてる場合じゃないぞ。

 まだまだやることはいっぱいあるんだ。

「とりあえず食べ物買いに行こうか」

「売ってるところなんてあるの?」

「大丈夫、この近くには――〝アレ〟がある」

「アレ?」

「そう、アレだよ」

 にやり、と僕は意味深に笑った。

 特に意味はない。

 テントに荷物を置いて、一度キャンプ場の外に出た。

 荷物が減ったおかげでかなりハンドルが軽かった。

 目的地にはすぐに着いた。

「……コンビニ?」

 僕らがやってきたのは――そう、お馴染みセイコーマートだった。

「真白さん、これはセイコーマートだよ」

「コンビニだよね?」

「ううん、セイコーマートだよ」

「え? いや、コンビニだよね?」

「ううん、セイコーマートだよ」

「え? あれ?」

 そう、ここはセイコーマートだ。

 セイコーマートについて簡単に説明すると、これはつまりライダーにとってのオアシスのようなものだ。

 北海道にやって来たライダーはセイコーマートから逃れることはできないし、見つけたら吸い込まれるように立ち寄ってしまうのだ。

 セイコーマートには必要な物が全てある。

 だからセコマをコンビニなどと言うのは愚弄なのだ。

 なんせキャンプ場に近いと木炭まで売ってるくらいだ。

 困った時はとりあえずセコマに行けば間違いはない――と、父さんも言っていた。

 ちなみに埼玉と茨城にはセコマがあるらしい。死ぬほど羨ましい話だ。

「え? も、木炭? 木炭なんて買うの?」

「何言ってるのさ。木炭は必需品だよ」

「そうなの?」

「料理できなくても、とりあえず焼いて食べればキャンプしてる感がでるからね」

 夕食には生の肉と野菜を適当に買って、朝食用に焼きそば弁当を買った。ちなみに焼きそば弁当というのは、そういう名前のスープ付きインスタント焼きそばのことだ。

 必要なものを買いそろえてキャンプ場に戻った。

 段々と日が傾き始める中、僕らは夕食の準備を始めた。

「これなに?」

「これは小さいバーベキューコンロみたいなやつだよ。焚き火台みたいにも使えるけど」

「これで焚き火するの?」

「だいたいのキャンプ場って直火でキャンプは禁止だからね。だから焚き火台とか使って焚き火するんだ。本当は焚き火もしたかったけど……今日は準備する暇ないからやめとこう」

 焚き火するのにはとても手間暇かかる。

 まず薪を準備しなきゃいけない。キャンプ場とかでよく薪は売ってるけど、みんなが想像するような薪の状態じゃとてもじゃないけど大きすぎて使えない。だから薪をさらに細かくする必要があるわけなんだけど……それにかなり時間がかかるのだ。そりゃもうやってられないくらいに。

 うん。

 考えれば考えるほどキャンプって本当に面倒くさいな!!

 でもキャンプしてしまう。

 人間って愚かだ。

 買ってきた木炭をグリルの中に入れて、着火剤を放り込んでライターで火を点けた。

 もちろんCB缶の折りたたみガスコンロなんかも持ってきているけど、やっぱりこうやってグリルで焼いて食べた方がキャンプ感は強い。

 僕が持ってきたグリルは本当にこじんまりしているから、二人でちょうどいいくらいだ。

「それではまずは肉を焼きます」

「ごくり……」

 さっき買ってきた味付きのラム肉をグリルにのせた。

 暴力的な音と匂いが襲いかかってきた。

「ソータくん、これやばいよ!? これキャンプだよ!?」

「いや、本当のキャンプはここからだよ」

 本当なら調理やお湯を沸かしたりするのに使うクッカーをお皿代わりにして、そこに焼いた肉を入れた。箸やフォークといったカトラリーはもちろん自前で持ってきている。

「はい、真白さん」

 焼いた肉を真白さんに差し出した。

「ご、ごくり……」

 真白さんが恐る恐る……といった感じで肉を口に運んだ。

 食べた瞬間、彼女の顔が輝いた。

「お、美味しい! これすごい美味しいよ!」

「でしょ?」

 思わず笑っていた。

 キャンプで焼いて食う肉は異常にうまい。

 そう、ただ焼いて食うだけなのに、やたらとうまく感じるのだ。

 これだからキャンプはやめられなくなる。

「そうだ、真白さん飲み物だけど……ガラナとカツゲン、どっちがいい?」

「え? なにそれ?」

「ガラナはコーラみたいなやつで、カツゲンは乳酸菌飲料だよ」

「じゃあ、カツゲンで」

「じゃあ僕はガラナで」

 お互いに飲み物を持った。

「あ、そうだ。ソータくん、乾杯しようよ」

「乾杯? もう食べ始めちゃってるけど……」

「いいじゃん。ほら」

 真白さんがカツゲンを軽く掲げた。

 にっ、と彼女は笑った。

「……そうだね。そうしようか」

 僕もガラナを軽く掲げた。

「それじゃあ、わたしたちの旅に――乾杯!!」

 ……この時の僕らはただ、これから始まる旅に胸を躍らせていた。

 例えこれが、すぐに終わってしまう夢だと知っていても――僕らは、本当に胸を弾ませていたのだ。

 あと数日。

 それが僕と〝彼女〟の残り時間。

 でも、僕らは終わる日数を数えるなんてことはしなかった。

 明日はどこへ行き、そこで何をしようか。

 本当に、それだけしか考えていなかった。

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