第22話

「うー……」

 真白さんがそわそわしていた。

 僕らはいつもの場所にいた。

 今は人を待っているところなんだけど……真白さんはずっと落ち着きがなかった。

「……大丈夫?」

「う、うん。大丈夫、平気」

 と言いつつ、彼女は落ち着きなくうろうろしていた。

 ……これはかなり緊張してるんだな。

 やがて、僕はこっちに向かって来る見知った顔を見つけた。

「あ、来た」

「……!!」

 真白さんがビクッとなって、僕の後ろに隠れた。その様子は完全に脅えた猫だった。

 現れたのは真白さんのお兄さん――史郎さんだった。

「やあ、蒼汰くん」

「どうも、史郎さん。すいません、いきなり呼び出してしまって……」

「全然かまわないよ。それで……真白ましろはどこにいるんだい?」

 史郎さんはきょろきょろした。その様子はちょっと落ち着きがなかった。

 ……似たもの兄妹きょうだいだな。

「ほら、真白さん。隠れてないで出てきたら?」

「わっ」

 僕は後ろに隠れていた真白さんを引っ張り出した。

 すると、史郎さんの目ん玉が飛び出した。

「ま、真白ましろ!?」

「……え、えへへ。久しぶり、お兄ちゃん」

 真白さんはちょっと照れ臭そうな顔をしていた。どういう顔をすればいいのか分からない、と言った顔だった。

「本当に真白ましろ――なんだよね?」

「うん。そうだよ」

「……」

「あ、あれ? お兄ちゃん?」

 史郎さんは完全に固まっていた。

 ……いや、まぁそうだよな。

 病院で寝たきりのはずの妹がこうして目の前にいるんだ。驚くのも無理はないだろう。

「おーい?」

「……真白ましろ

「え?」

「真白ー!!」

「うわ、ちょ!?」

 史郎さんが真白さんに抱きついた。

「会いたかった! 会いたかったよ真白! 元気してたか!?」

「いや、ちょ、痛いって! ていうか元気も何もわたし幽霊だし!!」

「幽霊だってかまうもんか! 会えてうれしいよ!」

「きゃー!? ちょ、どこ触ってんの!? いやー!!」

「うーん、微笑ましい……」

「ちょっとソータくん!? 見てないで何とかして!?」

 僕はちょっと目元がうるっとしてしまった。


 μβψ


 少し落ち着いてから、二人はベンチに座っていた。

 本当は兄妹水入らずにしてあげたいところだけど、僕が近くにいないと史郎さんは真白さんが見えなくなってしまう。だから、僕は横のベンチで二人の会話を聞いてしまっていた。

「……その、ごめんねお兄ちゃん。ずっと迷惑かけて」

「迷惑なもんか。お前が気にすることじゃない。あれは事故だったんだから」

「ううん、そうじゃなくて……今までずっと。わたし、お兄ちゃんに迷惑ばっかりかけてたから……それも謝らなきゃって、ずっと思ってたんだ」

「……真白」

「お兄ちゃん優しいからさ、ずっとわたしの我が侭聞いてくれてたけど……本当はお兄ちゃんだって、お母さんがいなくなって寂しかったよね? なのにわたしばっかり泣いて怒って……ほんとにごめん」

「はは、何言ってるんだよ」

 史郎さんは笑った。

「お前の我が侭なんて可愛いもんだったよ。むしろもっと我が侭言ってもいいくらいだった。ボクの方こそ、お前には謝らなきゃいけないくらいだ」

「え? どうして?」

「……父さんはさ、本当に使命感の強い人だ。ボクはさ、そんな父さんのことを心から尊敬してるよ。もちろん、母さんだってそうだったと思う。だってさ、お見舞いに行くといつもボクに父さんのノロケ話ばっかり聞かせてきたしね。あれはもう、ほんとにうんざりしたよ」

 史郎さんは少し笑ってから、真面目な顔になった。

「……ボクら以外にも、父さんを必要としている人は多い。その人たちにとっては、父さんじゃなきゃダメなんだ。父さんはいつも周りから必要とされていた。もちろん今だってそうだ」

「……」

「……ボクは、お前もきっとそのうち分かってくれるだろうなんて、勝手にそう思ってた。お前がどれくらい深く悲しんで傷ついているのか、ちゃんと考えようとしてなかった。だからこうなってしまったのは……やっぱりボクが原因でもあるんだよ」

「そんな……お兄ちゃんは全然悪くないよ。悪いのは全部わたしだもん」

「いいや、お前は悪くない。悪くないよ」

 史郎さんは優しく微笑んで、真白さんの頭を撫でた。

「……お兄ちゃん」

 じわ、と真白さんの目尻に涙が浮かんだ。

 彼女は史郎さんの胸に顔を埋めた。

「……真白、父さんはさ、心から後悔してる。自分が間違ってたって、今は本当にそう思ってるんだ。だから、父さんのことを許してあげてくれないかな?」

「うん、うん――わたし、ちゃんとお父さんに謝る。謝るよ」

「そうか。それは良かった。やっぱり真白は良い子だよ」

 史郎さんは、泣き続ける真白さんを、ずっと優しく撫でていた。

 ……〝彼女〟が消えれば、何もかもがなかったことになる。

 病院で目を覚ました真白さんは何も覚えていない。事故直前の記憶のまま時間が止まっているからだ。

 なら、〝彼女〟がいなくなったら、それで何もかもが無かったことになるのか?

 ……いいや、そんなことはない。

 無かったことになんてならない。

 そんなことには――絶対にさせない。

 僕は、自分にできることをやり遂げなければならない。

 だって〝彼女〟の声を届けられるのは、僕だけなのだから。


 μβψ


 僕は病院に来ていた。

 おじさんがいつお見舞いに来るかは、すでに史郎さんに確認してもらっている。

 そろそろ来るだろうと思っていたら、駐車場のほうから歩いてくるおじさんが見えた。

「おや、葉月くんじゃないか。またお見舞いに来てくれたのかい?」

 僕を見つけると、おじさんは好意的な笑みを見せてくれた。

「はい。もちろんそれもあるんですが……実はちょっと、おじさんに会ってもらいたい人がいて」

「わたしに? 誰かな?」

「その、ここではちょっと……こっちに来てもらえますか?」

「それは構わんが……」

 不思議そうに首を傾げるおじさんを連れて歩き出した。

 この病院はとても大きい。敷地内には中庭のようなところがあって、そこはちょっとした憩いの場みたいになっている。

 僕はおじさんをそこに連れてきた。

「おじさん、前に真白さんに謝りたいって言ってましたよね?」

「え? あ、ああ。確かに言ったが……」

「実は、真白さんも同じ事を言ってました。おじさんにちゃんと謝りたいって」

「なに? 真白が?」

 おじさんが驚いたような顔をした。

 僕は頷いた。

「だから、今日は真白さんを連れてきました」

「……は? 連れてきたって……それはどういう意味だ?」

 おじさんは訳が分からない、という顔をした。

「どういう意味も何も、そのままの意味です」

「……君、ふざけているのか? 真白はずっと眠っているんだぞ?」

「いえ、ふざけてなんていません。〝彼女〟は――ちゃんとここにいます」

「だからいったい何の話を――」

 おじさんがそう言いかけた時、物陰から真白さんが出てきた。

「な――」

 ……恐らく顎が外れるというのはこういうことを言うんだろうな。

 おじさんはそれこそ、まるで幽霊でも見たような顔になっていた。

「……その、えっと、久しぶり。お父さん」

 真白さんは控えめにそう言った。

 目はちょっと泳いでいた。

 ……多分、かなり緊張してるんだろう。

 ようやくおじさんが我に返った。

「そ、そんな……真白、本当にお前なのか……?」

「うん、まぁ、いちおう……」

「い、いつ目覚めたんだ? 医者にはほとんど見込みはないと言われていたのに……」

「その、お父さん」

 真白さんは意を決したように顔を上げた。

「今から言うこと、多分信じられないと思うけど……それでも聞いて欲しいの」

「……真白?」

 おじさんはきっと、真白さんの顔からただならぬ気配を感じただろう。

 真白さんとおじさんは中庭のベンチに並んで座っていた。

 僕はちょっと離れたところで、壁にもたれて二人の様子を見ていた。

「……幽霊、か。はは、これは驚いたな……まさか幽霊とは……」

「……やっぱり信じられない?」

「信じないも何も、実際目の前にいるんだから信じるしかないだろう」

 おじさんは笑っていた。

「わたしは非科学的なことは信じないほうだが……なんせ娘の言うことだからな。信じないわけにもいかんさ」

「……信じてくれるの?」

「当たり前だ。子供の言うことを信用しない親なんているもんか」

 おじさんがそう言うと、真白さんは本当に驚いた顔をした。

「……でも、わたしだよ? ずっとお父さんのこと嫌いって言ってた不良娘だよ? それでも信じるの?」

「信じる。信じるさ。お前は間違いなく――わたしの娘だ」

 おじさんはきっぱりと言い切った。

「……お父さん」

 真白さんの顔がくしゃくしゃになった。

 彼女はおじさんの胸に飛び込んだ。

「ごめん、お父さん……! わたし、ずっとお父さんにひどいこと言って……! 本当にごめんなさい……!」

「……わたしこそすまなかった。本当にすまなかった。帰ってきてくれてありがとう、真白」

 真白さんは子供みたいに泣きじゃくった。

 おじさんはずっと、そんな真白さんを優しく抱きしめていた。


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 ……それから、二人は長い間話した。

 長年降り積もった雪がゆっくり解けていくみたいに、色んな事を話した。

 その様子は傍目から見ていると、仲の良い親子にしか見えなかった。

 真白さんが冗談を言うとおじさんが笑って、おじさんが笑うと真白さんも嬉しそうだった。

 本当なら聞いちゃいけないような話だったと思うけど……でも、僕は見届けなくちゃならない。

 だから二人の話にずっと耳を傾けていた。

「……もっと早く、お前とこうして話すことができていればな」

 おじさんがぽつりと言った。

「……お父さん?」

「やはり、わたしはお前のことを何も分かっていなかった。わたしなりに考えていたつもりだったが……それは全部、わたしの独りよがりでしかなかったんだな。お前には随分と、わたしの我が侭に付き合わせてしまった。本当にすまない」

「ううん、それはわたしのほうだよ。わたしが我が侭だったから、お父さんを困らせたんだよ」

「……今さら言ってもしょうがないことではあるが……あいつの死に目に会えなかったこと、わたしは今でもずっと後悔している」

「……うん」

「わたしは自惚れていた。使命感に酔っていた。わたしがやらねばならないと懸命に仕事をこなした。そんなわたしを、あいつはずっと影ながら支えてくれた。だからあれも仕方なかったし、あいつもきっと分かってくれていた。ずっと自分にそう言い訳していたが……いま思えば、仕事なんて放り出せばよかった。今は切実にそう思っている」

「……うん」

「お前が事故に遭って、ようやく間違いに気づいた。わたしは自分を誤魔化し続けていた。お前たち家族以上に大事なものなんてない……だが、遅すぎた。お前はもう目を覚まさないかもしれないと言われた。あんなひどいことを言ってしまったことを、心から後悔した……許してくれとは言わない。でも、謝らせて欲しい。本当にすまなかった、真白……」

 おじさんは深々と頭を下げた。

 真白さんは小さく頭を振った。

「ううん。お父さんは悪くないよ。だから、顔上げて」

「真白……?」

 真白さんは本当に優しげな笑みでおじさんのことを見ていた。

「ありがとう、お父さんの気持ちすごく嬉しい。なんでもっと、早くこう言えなかったんだろうね、わたしたち。まぁお互い頑固だったんだろうね。ほんとバカだよね、わたしたち。結局、似たもの親子だったんだよね」

「……はは。ああ、確かにそうかもな」

「お父さん。きっともうすぐ、は目を覚ますよ」

「……なに?」

「いまのわたしはね、ほんの一時ひとときの――そう、ただの夢みたいなものだと思って。今のこの時間は夢で、現実じゃないの。お父さんは今ちょっとうたた寝してるところで、もうすぐ目が覚めちゃうの」

「……何を言ってるんだ、真白?」

 おじさんは困惑していたが、真白さんは続けた。

「最初に言ったよね。わたしは幽霊みたいなものだって。だから、本当は存在しない。こうして会話なんてできない。だから、〝わたし〟は消える。でも、〝わたし〟が消えたら本物の真白は――〝あの子〟はちゃんと目を覚ますから」

「……真白」

「目を覚ました〝あの子〟は、きっと前のままだと思うんだ。お父さんが嫌いなままの、前のままの真白。だからさ、めんどくさいとは思うけど……またちゃんと、こうして話してあげて? 〝あの子〟だって本当は、お父さんと仲良くしたいはずだから。勝手なことばっかり言ってるけど……〝わたし〟の最後の我が侭、聞いてくれる?」

「……ああ、分かった。話す。ちゃんと話す。ありがとう、真白ましろ。ありがとう――」

 おじさんは顔を伏せた。

 僕の位置からはよく見えなかったけど……おじさんの肩は、小刻みに震えていた。

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