第21話
……あの日から、真白さんは僕の前から消えてしまった。
でも、もしかしたらすぐに戻ってきてくれるかもしれない。
そう思っている内に梅雨が明けて――夏が、来てしまった。
μβψ
「……いや、お前大丈夫か?」
「……え? 何が?」
陽介と信一がヤバイものを見る目で僕を見ていた。
「何がって……なあ?」
「……本当にお祓い行ったほうがいいんじゃないか?」
「はは、大袈裟だな二人とも。ちょっと寝不足なだけだよ」
とりあえず笑っておいた。
……そうか。そんなにひどい顔してるのか。
確かに今朝は夢子にすら『お兄ちゃん大丈夫……?』とか聞かれてしまったからな。あいつにも心配されるということは相当だろう。
今日は終業式だった。
つまり――もう、明日から夏休みということだ。
明日から一ヶ月以上の長い休みが始まる。
教室の雰囲気はいつもと明らかに違っていた。みな少し浮き足立っているというのか、わくわくしているというのか、そんな感じだった。
……本当なら僕も、みんなと同じように夏休みを楽しみにしていたはずだ。
でも、今は――
終業式は午前中で終わり、最後に教室でコバセンから夏休みの心構えを聞かされ、ありがたくない課題をたくさん渡され、この日の学校は終わった。
僕らは三人で一緒に帰った。
電車の座席に並んで座った。
「まだ昼前だもんなぁ……何か食って帰るか?」
陽介がそう言うと、信一は頷いた。
「そうだな……なら、マックでも行くか。蒼汰はどうする?」
「……え? ああ、うん。僕も行こうかな」
というわけで三人で地元のマックに行くことになった。
店内に入ると、ふと真白さんと一緒に来た時のことを思い出した。
……初めて来た時、真白さんすごく喜んでたよな。
子供みたいに喜んでいた。
その時、僕の近くを長い黒髪の女の子が通り過ぎた。
「――」
思わず振り返ってしまった。
でも、真白さんじゃなかった。まったく違う制服の女の子だった。後ろ姿は少し似ていたけど、別人だ。
……はあ、ダメだな。
自分で自分に溜め息を吐いてしまった。
最近、ずっとこんな調子だ。真白さんに似ている人を見かけると、こんなふうに振り返ってしまう。
……真白さん。
君はいったい、どこに行ってしまったんだ……?
μβψ
いつもよりずっと早く家に着いた。
「……」
部屋に入る時、僕はいつも緊張してしまう。
もしかしたら、と考えてしまうのだ。
もしかしたら、彼女が帰ってきているかもしれない。
ベッドの上で寝転んでいて、おかえりと言ってくれるかもしれない。
ガチャ、とドアを開けた。
もちろん、部屋には誰もいなかった。
「……まぁ、そうだよな」
深い溜め息を吐いて、ベッドに座り込んだ。
その時、スマホに着信が入った。
慌てて電話に出た。
「も、もしもし?」
『ああ、蒼汰くん? ボクだけど』
「史郎さん、どうしました? もしかして、真白さんが目を覚ましたとか……?」
『いや、そうじゃない。
「そ、そうですか……」
そう言われた時、僕は確かにほっとしてしまった。
だけど、すぐにハッとした。
……何で、僕はほっとしてるんだ。
さすがに自己嫌悪に陥った。
『病院の
「……いえ、それがまだ」
お兄さんは事情を知っている。
僕が話したからだ。
真白さんが聞いたことも含めて、全部。
もしかしたら真白さんが自分の身体に戻ったのかもしれない。そう思って連絡を取ったけど、病院の真白さんは今も目を覚ましていなかった。
だから、〝彼女〟はまだどこかにいるはずなのだ。
『ふうむ……君から聞いた話だと、
「はい。でも、そうしたら今の
『……病院の
「……はい」
お兄さんの言うとおりだった。
〝彼女〟は僕にしか見えない。
だから、僕にしか見つけられない。
『……すまないね、蒼汰くん。妹が迷惑をかけてしまって』
お兄さんが申し訳なさそうに謝った。
僕は慌てた。
「いえ、迷惑なんてそんな……僕は、真白さんと一緒にいられて楽しかったですから」
そう、楽しかった。
……本当に、楽しかったんだ。
『……あいつは小さい頃から本当にお母さんっ子でね。だから母さんがいなくなってから、昔みたいに笑うことがなくなったんだ。それでも表向きは立ち直っているように振る舞ってたけど……でも、やっぱり無理してたんだろうな。ボクがもっとしっかりしていれば……』
「……お兄さん」
『ああ、すまない。思わず愚痴ってしまった。忘れてくれ。
「……はい。真白さんは、必ず僕が見つけます」
電話を切った。
……そうだ。
落ち込んでいてもしょうがない。
僕は――自分にできることをしなければならない。
勇気を出して、壁を越えていくんだ。
ノートパソコンを開いた。
フェリー会社のページにアクセスした。
……ずっと、どうするか迷っていた。
テーブルの上には『㊙』と書かれたノートが置いてある。
……真白さんが作ったツーリング計画ノート。
彼女はいつも楽しそうに、これに色んなことを書き込んでいった。
ぱら、とめくると、そこには丸っこい字が並んでいた。
オススメのスポットや、オススメのグルメ。本当に色んな事がたくさん描いてあった。
見ているだけで楽しくなってくる。
……それだけ、彼女はこの旅を楽しみにしてくれていたんだ。
約束した。
なら――約束を果たそう。
僕は二人分のチケットを予約した。
μβψ
翌日。
今日から夏休みだった。
でも、僕はいつもと同じ時間に起きて、朝ご飯を食べていた。
それから色々支度して、いつもと変わらない時間に家を出た。
駅に向かい、いつものところにバイクを置いて、いつものところに向かった。
僕らは今日から夏休みだけど、朝の通勤ラッシュはいつも通りだった。
いつも真白さんと待ち合わせしていたベンチにやって来た。
……全部、ここから始まった。
ここにいる真白さんを僕が見つけた時から、全て始まっていた。
ベンチに座った。
……真白さんがいったいどこにいるのか、僕にはもうまったく見当がつかない。闇雲に探しても、見つかる可能性はほぼゼロだろう。
だったら、ここで待つしかなかった。
ここで待ち続ける。
僕に出来ることは、それしかなかった。
「……今日は暑くなりそうだな」
ベンチは建物の屋根のおかげで日陰だ。これなら雨が降っても大丈夫だ。
――その日から毎日、僕は朝から晩までずっと真白さんを待ち続けた。
朝、いつもと同じ時間に家を出て、ベンチに座り、昼になったらマックに行ってテイクアウトして再びベンチに戻る。そして、そのまま日が暮れるまで待ち続けた。
座っている間にできることはあった。
出発するのは八月十日だ。
戻ってきたらほとんど夏休みは終わっている。
受験生にとっては大事な時期だ。だから、僕はベンチに座って学校の課題と合わせて受験勉強もしていた。
八月に入ると、うんと暑くなった。
「……あっちぃ」
日中は完全に
それでも僕は、ここで待つのをやめたりはしなかった。
雨が降ってもそれは変わらなかった。
……僕には待つことしか出来ない。
彼女が姿を見せてくれるのを、ただ待つことしか出来なかった。
……真白さんは一人で、ずっとこの景色を見ていたんだな。
誰にも見られず、声をかけられることもなく、ずっと一人で。
彼女だけが、まるで別の世界にいるようだった。
そう感じていたのは、間違いじゃなかった。
実際、彼女は僕らとは違う場所にいた。
見えていたのは僕だけだった。
……真白さんは、どういう気持ちだったんだろう。
僕の頭の中には、雪の中で泣いている女の子が思い浮かんだ。
……あれは、きっと真白さんだ。
彼女は今も〝あそこ〟にいる。
きっとお母さんが死んでしまったその時から、あそこで泣き続けているんだ。
連れ出してあげなきゃならない。
他の誰も、本当の真白さんの姿が見えていない。
僕にだけ見えている。
なら、僕は彼女の手を取って、引っ張り出してあげなきゃらない。
そうしなければ――真白さんはずっと、あの寒い世界で泣き続けるだろう。
僕には大したことはできない。
でも、あと一人――あのカブ後ろに女の子を乗せていくぐらいのことは出来る。
今の僕には、もう一人での旅は想像できない。
僕の思い浮かべる光景には、もう真白さんが一緒にいるんだ。
真白さんが一緒じゃなければダメなんだ。
そう。
〝彼女〟が一緒じゃないと――
μβψ
「……あれ?」
ふと眼が覚めた。
どうやら寝てしまっていたらしい。
気がつくと夕暮れだった。
「……」
ああ――と、深い落胆が襲いかかってきた。
……今日もダメだったか。
真白さんは、今日も姿を見せてくれなかった。
日に日に、焦燥感は強くなっていた。
もう、出発まで一週間もない。
もしかしたら、本当にこのまま彼女は姿を見せないかも知れない。
いや、それどころか……もしかしたら、一生会えないかも知れない。
初めのうちは、きっといつか姿を見せてくれるはずだと思っていた。
……でも、今は自信がなかった。
もし、もう一生会えなかったら?
そう思うと、驚くほど胸が痛くなった。
「……真白さん」
思わず声に出していた。
会いたい。
真白さんに会いたい。
会って謝りたい。
いったいどうすれば、君に会えるんだ?
どうすれば――
「なに、ソータくん?」
〝声〟がした。
「――え?」
顔を上げた。
すると――そこにいた。
初めは幻かと思った。
夕焼け空の下に、彼女が立っていた。
「……真白さん?」
「うん」
「……本当に、本当に真白さん?」
「うん、そうだよ」
「……ッ!!」
気がつくと走り出して、思いきり彼女に抱きついていた。
幻じゃなかった。
彼女は確かに、ここにいた。
僕は堪らずに泣いてしまった。
「真白さん! よかった! 来てくれたんだ!」
「……うん。ごめん。本当はもう、姿を見せないつもりだったんだけど」
「真白さん、ごめん! 僕、君にひどいことを……!」
「どうしてソータくんが謝るの?」
「だって、僕……君に戻ったほうがいいなんて……何も知らなかったなんて言い訳にもならない。僕は君に、ひどいことを言ったんだ。だから、ずっと謝りたかった」
情けないくらいぼろぼろ泣いてしまった。
僕よりは真白さんの方が背が高い。
傍目から見たら、きっと泣いている弟を姉があやしているように見えるかもしれない。
でも、そんなのはどうでもよかった。
人からどう見えていようが関係ない。
僕はもう、絶対に真白さんのことを離したくなかった。
「もう、ソータくんは泣き虫だな」
「ごめん、ごめん……」
真白さんがそっと僕の背中に手を回した。
「ううん、わたしの方こそ意地悪してごめんね。本当は、ずっと君のこと見てたんだ、遠くから。もう会わないつもりだったけど……でも、やっぱり無理だったね。君に会えないなんて、わたしにとっては……死ぬよりも辛かったよ」
真白さんは優しく僕を抱きしめてくれた。
僕が泣き止むまで、ずっと。
μβψ
……驚くほど泣いてしまった。
今はただ、とてつもなく恥ずかしかった。
「……うう、ごめん」
「ソータくん、さっきから謝ってばっかりだね。目、真っ赤だよ?」
真白さんが笑った。
僕は縮こまった。
「お恥ずかしい限りです……」
「そんなにわたしに会えないのが寂しかったんだ?」
真白さんはちょっと悪戯っぽい顔をした。
僕は頷いた。
「そりゃもう……このまま会えなかったらどうしようって思ったよ」
「あはは、大袈裟だなあ」
「大袈裟なもんか」
僕がちょっと唇を尖らせると、真白さんはちょっと笑ってから――とても優しい顔をした。
「……うん。ごめんね。ありがとう。そう言ってくれるとわたしも嬉しいよ」
うぐ、と少したじろいでしまった。
優しい顔の真白さんが、ものすごく綺麗だったからだ。
もうとっくに日は沈んでいた。
僕らは手を繋いで、肩を寄せ合ってベンチに座っていた。
「……」
「……」
しばらく、お互いに無言だった。
でも、この無言は心地よかった。
同じ時間を一緒に過ごしている。
好きな人が隣にいてくれる。
……こんなにも幸福な時間はなかった。
でも、時間は永遠じゃない。
いつかは終わりがくる。
「……ねえ、ソータくん」
「なに?」
「わたしさ、ちゃんと返そうって思うんだ。だってこれは、本当は〝あの子〟のものだから」
真白さんは胸元を押さえていた。
「……そっか」
言葉は自分でも驚くぐらい、すんなり出てきた。
返す。
その言葉の意味するところを、僕はちゃんと――理解していた。
「今のままじゃさ、〝わたし〟はみんなに迷惑かけっぱなしだもんね。本当はさ、自分でも分かってたんだ。自分がどうすべきなのか。さっさと戻っていれば、こうはならなかったんだから」
「……」
「そう、さっさと戻ってれば、それでよかったのにね。でも、どうしてもそれができなかった。戻る勇気がなかった。戻っても何も変わらない。また同じようなことになるだけ……そう思うとさ、どうしても戻る勇気が出なかった。怖かったの」
「……うん」
「でも、君のおかげでようやく決心がついたよ。このままじゃダメなんだよね。わたしが時計を止めちゃってる。だからこのままだと、周りのみんなの時計も止まったままになっちゃうもの。だから、だからね」
「……うん」
「だからね、今日はちゃんと、ソータくんにお別れを言いに来たんだ」
真白さんが僕を見て、優しく微笑んだ。
「今までありがとう。ソータくんのおかげで、わたしはすっごく楽しかった。君がわたしを見つけてくれてなかったら……わたしは今も、ずっと独りで〝あの場所〟にいたと思うから」
「……真白さん」
「それじゃあ、今度こそ――本当にばいばい。〝あの子〟によろしくね」
真白さんはそう言って立ち上がろうとした。
でも、僕は真白さんの手を離さなかった。
ぐいー、と立ち上がろうとする彼女を引っ張った。
「……ソータくん? あの、離してくれないと立てないんだけど……?」
「……ねえ、真白さん。最後に一つだけ、僕の我が侭を聞いてもらってもいい?」
「え?」
僕は半ば無理矢理、彼女をもう一度座らせた。
彼女のことを真っ直ぐに見た。
「北海道、一緒に行こう」
「……え?」
真白さんは目を瞬いて、困惑したような顔になった。
「でも、一緒に行っても〝わたし〟の記憶は、全部消えちゃうんだよ? 目を覚ました〝あの子〟は、何にも覚えてないんだよ? 全部、無かったことになっちゃうんだよ?」
「いいや、消えないよ。無かったことになんてならない。全部、僕が覚えてる」
僕は無理矢理笑った。
多分、かなり下手くそな笑顔だったと思う。
「それに、僕は〝君〟と一緒に行きたいんだ。〝君〟じゃなきゃダメだ。他の誰でもない――〝君〟と一緒がいいんだ」
「……ソータくん」
真白さんが呆然と僕を見ていた。
その目から、涙が流れた。
多分、僕も同じように泣いていたと思う。
でも、僕は笑った。下手くそな笑みを浮かべ続けた。
やがて、彼女も同じように下手くそな笑み浮かべたけど……それはすぐにくしゃくしゃになってしまった。
「……うん。ありがとう、ソータくん。わたしも……ソータくんと一緒に、行きたいよ。行きたい。すごく行きたい……」
「じゃあ、行こう」
僕らは強く手を繋いだ。
繋いだ手を離さない。
――絶対に、離したくなかった。
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