第03話

 ぼくたち三バカトリオは帰宅部の部員でもある。

 活動内容は主として帰宅することであり、帰宅途中の寄り道も立派な部活動のうちに入る。

 いつもなら三人で地元の駅まで戻ってきて、とりあえずゲーセンでも行くかという感じになるところだけど――

 しかし、少し前から僕は部活動を控えていた。

「お前、どうする? ゲーセン寄ってく?」

「あー、いや、僕はいいや。お金貯めたいから」

「そうか。まぁそんならしゃーねえな。んじゃまた明日な」

 陽介と信一とは駅の近くでわかれた。

 二人はそのままゲーセンに向かっていった。

 ……本当なら僕も行きたいんだけどな。

 いやいや、今は我慢だ。

 何せ北海道ツーリングには金がかかる。夏に向けてできるだけ資金を貯めておかねばならない。だから無駄遣いはできないのだ。

 大人しく帰って、真面目に進研ゼミでもやろう。高3になったら受験だってあるしな。

 そう、高3になったら受験シーズンだ。だから本当は北海道とか言ってる場合じゃないんだけど……どうしても行きたいのだ。どうしても。

「我ながらバカだよなぁ」

 と思いつつ、足は駐輪場とは真逆に歩いていた。

 なんか日課みたいになってきなあ、と自分でも思った。

 ……いや、うん。自分でも何してるんだろうなという自覚はある。

 別に話しかけるわけでもないのに……。

「……あれ」

 何気なくいつもの場所に目をやったが……そこに女の子の姿はなかった。

 ……今日はいないな。

 まぁそんな日もあるかと思ったけど、ふと少し心配になった。

 昨日はかなり寒かったからな。もしかして風邪引いたとか……?

 まあ、僕が心配したところでどうしようもないんだけど……。

 ……でも、いないんじゃしょうがないな。

 帰るか。

 僕はその場から立ち去った。

 そして、その数分後に温かいカフェオレを片手にベンチに座る僕の姿があった。

「……」

 うーん。

 本当に何してるんだろうな、僕は……?

 さっさと帰ればいいものを、なぜか戻ってきてしまった。

 あの女の子の姿が見えないことが、なぜかやたらと気にかかってしまった。

 これまで毎日、あの子はここにいたのだ。

 ここはいちおう建物が屋根になっていて、雨が降っても大丈夫だ。だからあの子は雨が降ろうが風が吹こうが、ここに座ってぼんやりと駅前の風景を眺めていた。

 ……あの子は、いったいここから何を見てたんだろうな。

 僕の目に見えるのは、何の変哲もない、代わり映えのない駅前の景色だった。

 特に何もない。見てても楽しい気持ちにはならない。

 ……あの子はこの風景に、いったい何を見ていたんだろう?

 ずずっ、とカフェオレを飲んだ。

「……ふう」

 思わず息を吐いた。

 寒いのは好きじゃない。でも、寒い日に飲むカフェオレは最高に好きだ。心まで温まるような気がするからだ。

「……ふう」

 ふと、隣から息を吐くような声がした。

 ……ん?

 あれ? と思った。

 ついさっきまで、そこには誰もいなかったはずなのに……気がつくと、女の子がそこに座っていた。

「!?」

 びっくりしてしまった。

 え!? あれ!? さっきまでいなかったよね!? いつ来たんだ!?

 同じベンチに、二人分くらい空けて女の子が座っていた。端っこと端っこだ。手は届かないけど、声なら十分届く。そういう距離だった。

 女の子はいつもと同じ様子だった。ぼうっとしていて、何だか物憂げで、遠くを見るような目をしていた。

 こんなに間近で見るのは初めてだった。

 ……今までは遠目にしか見てなかったけど、こうして近くで見ると改めて思った。

 めちゃくちゃ美人だ。

 それに美人なだけじゃない。やっぱり、何だかお嬢様のような雰囲気だ。深窓の令嬢――まさにそんな感じかもしれない。まぁ深窓どころかここ思いっきり屋外ですけど。

 ど、どうする……?

 話しかけてみるか?

 そう思ったけど、すぐに内心でかぶりを振った。

 いやいや、話しかけてどうするんだ……?

 今は世知辛い世の中だ。面識もないのにいきなり話しかけたら、不審者と思われて通報されるかもしれない。地域防犯メールに僕の人相が一斉送信されるかもしれないし、話しかけた途端に防犯ブザーを取り出されるかもしれない。

 何にせよ、うまくコミュニケーションを取れるような気はしなかった。ここで普通に話しかけられるような性格なら、もっと人生をエンジョイしてるだろう。

 彼女と僕の間には『境界線』がある。

 僕には越えられない『境界線』が。

 それを踏み越える勇気は、僕にはなかった。

 ……そっと帰るか。

 立ち上がろうとした。

「ん?」

 その時、ふと気づいた。

 いつも通学鞄にぶら下がっているはずのお守りがなかったのだ。

 ……あれ? お守りどこいった?

 もしかして落とした……?

 がーん!

 そ、そんな……恋愛成就のお守りを落としただって……?

 あまりにも不吉だった。

 は!?

 こ、これはもしや妹の呪いか!?

 あいつまさか遅刻しがったのか!?

 いや、別にお守りなんて気休めでしかないけど、落としたとなるとやっぱり精神的にちょっとほら、あれだよね……?

 気分が一気にブルーになった。

 ……はあ。

 もうおうち帰ろ。

 そう思った時だ。

 僕の目に、彼女の足元に落ちているお守りが目に入った。

 ……あれ?

 思わず二度見した。

 お守りが女の子の足元に落ちている。

 というか踏まれている。

「……」

 うお!?

 あるじゃん!?

 お守りあるじゃん!?

 ていうか踏まれてるし!?

 多分、女の子は気がついていない。だけど、確かに彼女の足元に落ちているそのお守りは僕のものだった。

 な、何でそんなところに……?

 い、いや待てよ?

 これは話しかけるチャンスでは?

 よ、よし。

 仕方ない。お守りを拾うためだ。

 僕は意を決して、女の子に話しかけた。

「あのー……」

「……」

 ガン無視された。

 ……あれ? 聞こえなかったか?

 いや、そんなはずはない。そんな距離じゃない。普通に聞こえる距離のはずだ。

 もしこれが『本当は聞こえてるけどうざいから無視してる』とかだったら心が真っ二つになるところだけど……どうもそんな感じじゃなかった。本当に気がついていない、という感じだ。

 なので、意を決してもう一度話しかけた。

「あの、すいません」

「――へ?」

 今度こそ聞こえたのか、女の子がこっちを振り返った。

 目が合った。

 心臓が跳ね上がった。

 女の子は目をしばたいていた。

 それからキョロキョロと周囲を見回して、

「……わたし?」

 と、自分を指差した。

 自分に話しかけたのか? という感じだった。

 きょとん、とした顔だった。

 それは何だかやたらと不思議そうな顔だった。

 でも、見たところ警戒してるような感じじゃなかった。

 ……変なヤツだとは思われてないみたいだな。

 ほっとしつつ、僕は頷いた。

「う、うん。その……足元に落ちてるやつ、僕のなんだ」

「足元……?」

 女の子は自分の足元を見た。

 そこで自分が何か踏んでいることに気がついたようだった。

「あ、ごめん!?」

 女の子が慌ててお守りを拾った。

「ごめん、全然気づいてなかった……これ、踏んじゃったけど大丈夫かな……?」

「だ、大丈夫だよ。ありがとう」

 お守りを受け取った。

 その際、ちょっとだけ手と手が触れた。ひんやりとした手だった。

 よし!!

 いけ!!

 これはチャンスだ! 何でもいいから話しかけろ!

 僕はぐっとお守りを握りしめて、

「そ、それじゃ」

 そそくさと立ち上がってその場を後にした。


 μβψ


 少し離れてから、思わずその場にしゃがみ込んでしまった。

 って、何で逃げてるんだ僕は~!?

 今のチャンスだっただろ!?

 アホ!! バカ!!

 ものすごい自己嫌悪スパイラルに陥った。

 今のはもしかしたら、お守りの御利益だったんじゃないか?

 このお守りがあの子とのきっかけを作ろうとしてくれたのではないか。

 ふと、そんな考えが頭をよぎった。

 ……しかし、僕はそれを棒に振ってしまった。

 くそー!!

 今からでも戻るか……?

 いや、でもそれはさすがに変に思われるよな……?

 ていうか拾ってもらっといて逃げるってどうなの?

 かなり失礼なことをしたのでは?

 僕に時間を巻き戻す能力でもあれば、間違いなくここで使っただろう。

 でもそんなものはない。

 過ぎ去った時間は元には戻らない。さっき起こったことを、なかったことにすることはできない。

 うう、終わった……。

 がっくりとうなだれた。

 いや、そもそも始まってもいなかったんだけど……。

 始まるチャンスすら手放してしまった……。

 僕はヘタレだ。

 いつも肝心な時に失敗してしまう。

 そんな自分のことが昔から好きではなかった。

 ……ほんと、父さんとは大違いだよな。

 ははは。

 ……はあ。

 帰って進研ゼミしよ……。

 ふらふらと立ち上がった。

「あ、いた!!」

「え?」

 何やら声が聞こえた。

 振り返ると、あの子がそこにいた。

 完全に虚を衝かれた。

 ……え?

 なに? 何でまたあの子が?

 女の子はずんずんと僕に迫ってきた。

「――君、ちょっといい?」

「え? え?」

 ちょ、近!?

 顔近!?

 女の子はやたら真剣な顔をしていた。睨み付けるといってもいいくらいの目付きだった。

 あ、あれ? もしかして怒らせた?

 そう思った矢先だった。

「ちょっと、身体触っていい?」

「……へあ?」

 ものすごく間抜けな声が出たと思う。

 え?

 いまなんて?

 身体触っていいかって言った?

 聞き間違いじゃなくて?

 混乱している間に、女の子は本当に僕の身体をぺたぺたと触り始めた。

「……」

 ……ええー?

 なに、これ何が起こってるの??

 しまいには頬っぺたを両手でむにむにされた。

「……嘘でしょ」

 女の子が驚いていた。

 いったい何をそんなに驚いているのかはよく分からない。

 ぱっ、と手を離した。

 今度は両手を強く握られた。

 え!?

 それだけで心臓が跳ね上がった。

 でも、それだけじゃなかった。

「ね、ねえ、これから時間ある? ちょっと付き合って欲しいんだけど」

 さらに女の子が顔を近づけてきて、余計に心臓が強く跳ね上がった。

 いや、ちょ、近い!

 女の子が真っ直ぐに僕を見ていた。

 思わずその瞳の中に吸い込まれそうになった。

 何だか一生懸命な表情だった。

 ……この時の僕は、彼女がなぜそんな一生懸命なのか、その理由を考えたりはしなかった。

 というより、そんな余裕もなかった。

 心臓が口から出ないようにするだけで精一杯だったからだ。

「……え、ええと」

「ダメ、かな?」

 上目遣いに見られた。

 それで全部持っていかれた。

「う、うん。全然いいけど」

 気がつくと、僕はそう言っていた。

 すると――するとだ。

 女の子はまるで、本当に花が咲いたように笑ったのだ。

 本当に嬉しそうに。

「ほんとに!? よかった!」

 ……今にして思えば、僕はもう、この時に〝彼女〟のことが好きになっていたんだと思う。

 この時はまだ名前も聞いていなかった〝彼女〟のことが――

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