第04話

 ……これは夢だろうか。

 さっきからずっとそんなことを思っていた。

 いま僕はあの子と一緒に歩いている。

 いや、もしかして本当に夢なんじゃないか?

 本当はとっくに家に帰っていて、進研ゼミをやっている途中でうたた寝してしまったんじゃないか?

「あ、そうだ。まだ名前言ってなかったよね。わたし、真白ましろっていうの。真白ましろっていうのは、真っ白って書いて真白ましろ。君は?」

 女の子が自己紹介した。

 ……あー、もう夢でも何でもいいや。

 僕はあるがままを受け入れた。

「僕は葉月はづき蒼汰そうたって言うんだけど……」

「じゃあソータくんね」

 いきなり下の名前で呼ばれた。

 強烈なボディブローをくらった気分だった。

「ぐっ……!」

 思わず胸を押さえた。

「え? ど、どうしたの?」

「いや、ちょっと胸が痛くて……」

「胸が!? 病院行く!?」

「い、いや、大丈夫……そういうのじゃないから……」

「え? どういうこと?」

 彼女は不思議そうな顔をした。

「ま、まぁ気にしなくていいよ。それより、えっと……真白ましろさん?」

「うん、なに?」

「それって名前……だよね? 苗字は?」

「え? 苗字? それはえっと……」

 彼女は少し迷うような様子を見せてから、

高宮たかみや。高宮っていうの」

 と、そう言った。

「じゃあ高宮さんって呼ぶよ」

「それはダメ」

「え?」

「わたし、あんまり苗字で呼ばれるの好きじゃないの。だから、真白ましろって呼んで欲しいかな」

「そ、そうなんだ。分かったよ。じゃあ……高宮さん」

「話聞いてた!?」

「いや、ごめん。でもいきなり名前で呼ぶのはちょっと……心の準備が……」

真白ましろって呼んでくれなきゃ返事しないから」

「ええ!?」

 ……ということで真白ましろさんと呼ぶことになった。

「……それで、えっと、真白ましろさん。これどこ向かってるの?」

「どこって?」

「いや、さっきから駅前を闇雲に歩いてるようにしか思えないんだけど……」

 真白ましろさんは僕を先導するように歩き出したが、その足先がどこに向かっているのかはよく分からなかった。

「そ、そんなことないよ?」

「じゃあどこに向かってるの?」

「それは……」

「それは?」

「……ごめん、特に何も考えてなかった」

 真白ましろさんは白状した。

「実はあんまりこの辺のこと詳しくなくて……」

「そうなの?」

 毎日あのベンチに座っていて、詳しくないってのも変な気もするけど……?

 でも、彼女が嘘を言っているようには見えなかった。

 少し考えてから、僕はこう言った。

「じゃあ……とりあえずマックでも行く?」

「え? マック?」

「そう。外うろうろしてても寒いしさ。とりあえずマックで座らない?」

「……マック」

 真白ましろさんの目がキラキラしていた。

「え? どうしたの?」

「……わたし、一度でいいからマックに行ってみたかったの」

「……ん? もしかして、マック行ったことないの?」

「うん。一度もない」

「……」

 ……あれ?

 真白ましろさんって……もしかして本当にお嬢様?

「じゃあ、行ってみる?」

「うん! 行く!」

 真白ましろさんはものすごく食い気味に頷いた。

 そんなふうに話をしながら歩いていたものだから、僕も彼女もちゃんと前を見ていなかった。

 前から歩いてきた人と、真白ましろさんがぶつかってしまった。

「あ、すいません! 大丈夫ですか?」

 ぶつかってしまったのは女の人で、相手のほうから謝ってきた。

 真白ましろさんも慌てて謝った。

「いえ、こちらこそすいません!」

 お互いに頭を下げて、女の人は通り過ぎていった。

真白ましろさん、大丈夫?」

「う、うん。わたしがよく前見てなかったから――」

 そう言いかけてから、真白ましろさんは急に「あれ?」と首を傾げた。

「……あれ? そう言えば、いまどうして……?」

「どうしたの、真白ましろさん?」

「ねえ、ソータくん」

 真白ましろさんがおもむろに手を差し出してきた。

「ちょっと、手貸して」

「え? 手?」

 言われた通り手を差し出すと、真白ましろさんががっしりと僕の手を掴んだ。

 少しひんやりとした感触が伝わってきた。

 え、ええと……?

 これはどういう……?

 困惑していると――真白ましろさんが、急に手を繋いだままぶんぶんと上下に激しくふった。

 とても嬉しそうな顔で。

「すごい! すごいよソータくん!」

「え? な、何が?」

「すごい! 信じられない! 奇跡みたい!」

「え? え?」

 僕はただ、困惑することしかできなかった。

 彼女がいったい何をそんなに喜んでいるのか。

 う、ううん……?

 何だか分からないけど……まぁ、喜んでくれてるならいいか。

 よく分からないまま、とりあえずマックへやって来た。

「へえ、お店の中ってこんな感じなんだ」

 真白ましろさんが店内をきょろきょろしていた。どうやら初マックというのは本当のようだ。

「あれ? ウェイターの人は?」

「ウェイターなんていないよ?」

「え? じゃあ誰が席に案内してくれるの?」

 きょとん、と首を傾げていた。

 ……うーん、これもう完全にお嬢様だな。

「カウンターで注文して、適当に空いてる席に座るんだよ」

「へえ? そういうシステムなんだ。斬新なシステムね」

 真白ましろさん的には斬新なようだ。

 しかし……真白ましろさん本人が気づいているかは分からないが、さっきからすれ違う人――特に男はまず間違いなく真白ましろさんを振り返っている。

 真白ましろさんは驚くほど美人だ。振り返るのも仕方ないだろう。

 それは分かる。

 でも……その後に僕のほうを見て「え? お前?」みたいな顔していくのは失礼じゃないだろうか? 自覚はあるけどそういう顔されると僕も普通に傷つくんですけど?

 店内はそんなに混んでいなかった。

「じゃあ、僕はこのセットで。フライドポテトとコーラでいいです」

「かしこまりました。そちらのお客様は?」

「……」

「……あの、お客様?」

「……」

 真白ましろさんはまったく反応しなかった。

「あの、真白ましろさん?」

「え? 何?」

「いや、注文聞かれてるけど……」

「へ?」

 真白ましろさんが驚いたように顔を上げた。

「え? もしかしてわたしに聞いてたんですか?」

「は、はい、そうですが……?」

「……」

 真白ましろさんはしばし目をしばたいていたが、急に嬉しそうな顔をして僕の背中をぺしぺしと叩いた。

「えへへ、わたしに聞いてくれてたんだってさ」

 ……なんだ? なぜ嬉しそうなんだ?

 謎な反応だ。

 よく分からないけど、もう可愛いからなんでもいいや。

「それじゃあ、わたしも同じやつで」

 真白ましろさんはそう注文した。

「お会計はご一緒でよろしいですか?」

「はい。一緒で」

「あ!」

 急に真白ましろさんが声を上げた。

「しまった! わたしお金持ってなかった!」

「あ、いいよ。僕が払うから」

「そ、そうはいかないわよ。あの、ツケ払いってできます?」

 できるわけがなかった。

 同じセットをそれぞれトレーに載せて、向かい合うようにして席に座った。

「……うう、ごめん、わたしから誘っておいて奢ってもらうなんて……」

 真白ましろさんが肩を落としていた。

「いや、そんなに気にしないでいいよ」

「ほんとにそういうつもりで付き合ってって言ったんじゃないからね? 奢らせようとか思って呼び止めたんじゃないからね?」

 真白ましろさんは一生懸命にそう言った。

 もちろん、僕は真白ましろさんの言うことを信じた。

「大丈夫。分かってるよ。それより、とりあえず食べようよ」

「う、うん。じゃあ……いただきます」

 と、真白ましろさんは手を合わせた。

 ただ手を合わせただけなのに、とても動きが綺麗だった。

 ……本当にお嬢様みたいだな。

 僕も軽く手を合わせてから、ハンバーガーを食べ始めた。

 もきゅもきゅ……。

 うめえ!

 マックって無性に食べたくなる時あるよね。

「……」(じー)

「……ん?」

 真白ましろさんはすぐには手を付けなかった。

 やたらと自分のハンバーガーセットを眺めている。

 どうしたんだろうと思ったが、そう言えば彼女は初マックだった。ハンバーガーが物珍しいのかもしれないな。

「食べないの? おいしいよ?」

「う、うん」

 意を決したようにハンバーガーに手を付けた。

 彼女は念入りにハンバーガーを検分し始めた。

「……温かいわね」

「できたてだからね」

「……」

 真白ましろさんは何やら、恐る恐る……といった感じでハンバーガーを口に運んだ。

 ぱくっ。

 その瞬間、彼女は顔をぱぁっと輝かせた。

「お、美味しい……!」

 すぐにがっつくように食べ始めた。

 それは本当に、初めてマックにきた子供のようだった。


 μβψ


「あー、すっごく美味しかった!」

 マックを満喫した彼女はとても機嫌がよさそうだった。

 気がつくと、もうとっくに日は暮れていた。

「マック、お気に召したみたいだね」

「うん。あれなら毎日だって食べられるわ」

「それはよかった」

「……その、ごめんね。いきなり付き合わせちゃって……それにお金も……」

 真白さんはものすごく申し訳なさそうな顔をした。

「全然大丈夫だよ」

 ははは、と笑っておいた。

 ……正直、僕はまだこれが夢なのかではないかと疑っている。

 いったいどこで眼が覚めるのか。

 それをずっと警戒しているけど、まだ覚める気配はなかった。

「どうかした?」

「え? い、いや、何でもないよ」

 慌てて取り繕った。

 ちょっと顔に出ていたようだ。

 周囲の雑踏は足早に過ぎ去っていく。

 みんな、早く家に帰りたいのだろう。

 確かに今日も寒い。早く家に帰りたいと思うのは当然だ。

 でも、僕はそうじゃなかった。

 みんなが足早に歩き去って行く中、僕らは少しゆっくりと歩いていた。

 何となく、ここでお別れだという雰囲気があった。

 それじゃあ、とお別れの挨拶をすれば――この時間は終わるだろう。

「……」

「……」

 僕も彼女も、なぜか黙ってしまった。

 僕は何か言おうとしたけど、どんな言葉も浮かんでは消えていった。

 彼女も何か言おうとしているように見えた。

 でも、なぜかお互いに言葉が出てこない。

 ……おい、いいのか?

 ここでお別れしていいのか?

 こんなチャンスもうないぞ?

 いけ!!

 なんか言え!!

「それじゃあ、今日はありがとね」

 僕が何かを言う前に、彼女が先にそう言った。

「あ、うん」

「それじゃ」

「うん、それじゃ」

 つられて、僕もそう言っていた。

 真白ましろさんはくるりと背中を向けて、僕の前から立ち去った。

「……」

 僕は遠ざかる背中を呆然と見送った。

 バカ!!!!!!!!!

 僕はバカか!!!???

 それじゃ――じゃないだろ!?

 内心で頭を抱えた。

 くそう! せめてラインくらい聞けよ!! こんなチャンス二度と――

「ねえ、ソータくん」

「え?」

 顔を上げると、少し先で真白ましろさんがこちらを振り返っていた。

「え? あ、うん。また」

 彼女は笑顔で軽く手を振って、そして雑踏に消えていった。

「……」

 ……また?

 え? 〝また〟があるの? あっていいの?

 この時の僕は、確かに感じたような気がした。

 心が強く、弾むような感覚を。

 そして、僕はようやく気がついたのだ。

 これが夢じゃなく――現実だったんだ、ということを。

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