第02話
朝。
「……」
眼が覚めた。
でも、すぐに布団から出ることは出来なかった。
……ああ、どうして今日は日曜日じゃないんだろう。
今日が日曜日だったらいいのに、と日曜日じゃない日はずっと思っている。
つまりほぼ毎日だ。
特に冬は布団から出るのがとてもつらい。
このまま僕は貝になりたい……。
でも、二度寝すれば遅刻はほぼ確定だ。
16年という人生の中で僕はそれを嫌と言うほど学んだ。逆に言えば学んだのはそれだけだとも言える。
「くう……!!」
何とか気合いで布団から出た。
二階にある部屋から一階に降りた。
リビングに一番乗りだった。
この時期はいつも思うけど、一番乗りのリビングはまるで北極か南極のようだ。
すぐに石油ファンヒーターのスイッチを入れた。
部屋が急速に暖まっていった。
「……はあ、やっぱり石油が一番あったかいな」
うちは少し小さめの一軒家だ。まぁ3人で暮らすにはちょうどいいくらいだ。
「……とりあえず朝食の準備だけはしておいてやるか」
時計を確認した。
妹が起きてこない。
起こしに行ってやろうかとも思ったけど、以前親切で起こしに行ったらたまたま着替えているところで、親切心をグーパンで返されたことを僕はいまもまだ根に持っている。
なので起こしには行かない。この時間に起きてこなければ間違いなく二度寝しているだろうけど、まぁそれはあいつの身から出た錆というやつだ。あいつも、もう中学生だ。世の中の厳しさを教えてやらねばなるまい。
でも、ひとまず妹も含めて二人分の朝食は用意した。これはまぁ武士の情けみたいなものだ。
母さんの分がないのは、いつも昼頃に起きるからだ。いわゆる普通の社会人じゃないので、生活サイクルはダメな大学生みたいな感じなのだ、うちの母親は。
とりあえずテレビをつけた。
朝に見るものと言えば、とりあえず当たり障りのないニュース番組だ。
「うぃー……おはよ……」
リビングに母さんが入ってきた。
僕は「え?」と思わず驚いてしまった。
「……日曜でもないのにこんな時間に起きるなんて珍しいね。平日はいつも昼まで起きてこないのに」
「いや、それが何か眼が覚めちゃってさ……お、朝食用意してくれたんだ。イタダキマーッス」
「あ」
テーブルにつくなり、母さんは妹が食べるはずだった朝食を食べ始めてしまった。
「ん? どうしたの?」
「いや、それ
……まあいいか。
うちの母親は、正直言うとダメな大人だ。
化粧とかしているのは見たことがない。年齢は今年で38歳くらいだけど、僕の感覚では母親というよりは年の離れた姉のような感じだ。それは決して若々しいとかそういう意味ではなくて、妹と同レベルで手がかかるという理由からだ。
「ねえ、録画したプリキュア見ていい?」
「いや、いつもリアルタイムで見てるじゃん……」
「ええ~? いいじゃん、別に。どうせニュースとか興味ないでしょ?」
「僕は母さんと違って、ちゃんと世の中を見ようと努力してるんだよ」
「ちぇ、ケチ~」
母さんは非常に不満そうな顔だった。
……一つ言っておくと、うちの母親はいわゆるオタクだ。アニメ以外のものはほとんど見ない。たまに珍しく歴史もののドラマでも見てるかと思えば、スマホでやってるゲームのキャラがどうとかいう話だったりする。
そして平日は昼まで寝ているが、日曜だけはプリキュアを見るために早起きする。だから今日はかなり例外だった。
「あ、
ニュースを見ていると、急に母さんがテレビに向かって喋った。
テレビには何だか見たことのあるような、ないような人が映っていた。
インタビューを受けているのは、いかにも仕事できそうなオーラを鎧のようにまとったオールバックの男の人だった。
「知ってる人なの?」
「うん。わたし、昔こいつと同級生だったんだよね」
画面の下には『
もし母さんがこんなことを言わなかったら、何も頭に残らないニュースだっただろう。
……世の中を見る努力をしてるんじゃないかって?
努力はしている。ただ、興味のないことは頭に残らないだけだ。
人はこれを無駄な努力という。
「この人って確か、なんかの会社の社長だったよね?」
「確か……フィフス・クオリタスって会社だったわね」
「ああ、なんか聞いたことある」
何となく聞き覚えはあった。
「今じゃこいつも日本有数のIT企業の社長だからねえ……とても同じ学校にいたやつとは思えないわね」
「母さん、そんなすごい人と同級生だったんだ」
「高校の時ね。こいつ、とにかく秀才だったのよね。うちの学校じゃめちゃくちゃ有名人だったわよ。噂じゃあ、テストでは満点以外取ったことないって言われてたの。子供のころから神童とか言われてたらしいし」
「へえ……父さんとは真逆だね」
「はは、確かにね。だって、お父さんってば一緒にご飯行ったときに割り算もちゃんとできなかったんだから。笑っちゃったわよ、あれは」
母さんは笑った。
僕も思わず笑ってしまった。容易にその場面が想像できたからだ。
朝食を食べ終わって、まだ少し時間に余裕があった。
「母さん、何か飲む? 僕カフェオレ飲むけど」
「わたしはコーヒーで」
カフェオレとコーヒーを用意してテーブルに戻った。
「ところで、締め切り間に合いそうなの?」
「分からん」
母さんは非常に険しい顔でコーヒーをずずっと啜った。
うちの母さんは小説家だ。
読んだことはないけど世間では恋愛小説家として名を馳せているらしい。本人は恋愛とはまったくほど遠いところにいるようにしか見えないけど……。
ちなみに母さんの小説を読んだことはない。
なぜかって?
親が書いた恋愛小説なんて小っ恥ずかしくて読めるわけがない。
「まぁでも、理論上一日に一万文字書いたら十日ぐらいで一冊出来上がるのよね」
「……それいつも言ってるよね? 机上の空論って知ってる?」
「小説なんて机上の空論そのものよ」
ふっ、と母さんは意味深に笑った。
意味はよく分からない。
まぁいつものことだ。
「あー!! 寝過ごした!!」
妹の夢子がリビングに飛び込んできた。
時計を見た。
おおむね予想通りだ。
夢子は今年、中学生になったばかりだ。まぁ中身は小学生時代と大して変わっていないんだけど。
「お兄ちゃん、わたしの朝ご飯は!?」
「ああ、それならそこに用意してあったんだけど……」
「え? どこ?」
「母さんが食べた」
「ええ!?」
「あ、これ夢子のやつだったの? ごめん、食べちゃった」
母さんはテヘペロした。重ねて言うが年齢は40近い。
「ちょっとお母さん!? 何で食べるの!?」
「いや、用意してあったから、つい……ていうか、あんた時間大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないよ! ね、ねえお兄ちゃん! 駅までバイクでしょ? ついでに中学校まで後ろに乗せてってよ!」
「悪いけどそれは無理だ」
僕は
「僕のタンデムシートには彼女しか乗せられない。だからお前を乗せることは不可能だ」
「ええ!? またそれ!? どうせ彼女なんかいないじゃん!!」
「こ、これから出来る予定だし……」
僕は震える声で答えた。
「もう、ケチ!! お兄ちゃんのアホ!! もし遅刻したら一生彼女が出来ない呪いかけてやるからなー!!」
夢子は叫びながらリビングを出て行った。
「ちょ、てめぇ!? 縁起でもない呪いかけるんじゃねえ!?」
なんて恐ろしい呪いを!?
本当に彼女ができなくなったらどうしてくれるんだ!?
……僕の最近の悩み。
それは、彼女ができないことだった。
μβψ
ぶろろー、といつもの駅前の駐輪場にバイクを停めた。
毎朝のことだけど、朝の時間帯は人が多い。
あくびしながら、駅に向かった。
さっそく見知った顔を見つけた。
「おはよう、陽介」
「おう、蒼汰」
ちょっとチャラそうなやつに声をかけた。
こいつは
「信一は?」
「ああ、いま朝食買ってるよ」
何て話をしていたら、見覚えのあるメガネが駅前のコンビニから出てきた。
「おはよう信一」
「ああ、蒼汰か。おはようさん」
こっちは
高校になってからも、この二人とはよくつるんでいる。
簡単に説明すると陽介はいかにも軽そうな感じで、信一は見た目がインテリ風のメガネくんだ。
ちなみに信一はインテリ風だがまったくインテリではない。無駄なことには詳しいが成績は悪い。ようするにバカだ。
ついでに言うと陽介は見た目通りバカだ。
ようするに僕らはただの三バカトリオということだ。
「にしてもさみーな……」
陽介が寒さに首を亀のように引っ込めた。
確かに寒い。
世界の終わりのような寒さだ。(※個人の感想です)
「でも、去年の今ごろに比べたら全然マシだろ? 去年なんてもっと寒かったじゃないか。やたらと雪降った時もあったし」
信一が思い返すように言った。
そういえばそうだったな、と僕は思った。
「ああ、あったね。珍しくここらへんでもちょっと積もったもんね」
「あれであちこち交通事故だらけだったらしいからな。お前もバイクなんだから気をつけろよ?」
「僕もさすがに雪の日にはバイクに乗らないよ」
駅のホームに入ると、電車はすぐにやってきた。
学校の最寄り駅までは5駅ぐらいだから、そう時間はかからない。せいぜい二十分ぐらいだ。
そして、駅から学校までは徒歩だ。
教室に入ると、石油ストーブのおかげでとても暖かかった。
僕の席は窓際の1番後ろで、陽介はその隣だった。
「……ん? そう言えば陽介、それスマホ変えた?」
「やっと気づいたか」
と、陽介が僕にスマホを差し出してきた。
それは見るからに真新しいスマホだった。
「え!? それ買ったの!?」
僕が驚くと、陽介はふふんと自慢げな顔をした。
「ああ。まぁおかげでお年玉は全部消えちまったけどな」
「くっそお、先を越された……」
思わず歯噛みした。
「欲しいならお前も買えばいいじゃねーか」
「……いや、今は無駄なお金は使えないんだよ。北海道行くためにはけっこうお金かかるからさ」
「ああ、そういやお前、今年北海道行くんだったな。あのダサいバイクで――へぶぅ!?」
右腕が勝手に陽介の顔面をぶん殴っていた。
ハッと我に返った。
「あ、ご、ごめん! つい思わず……」
「いてえな!? いきなり殴るなよ!?」
「だって陽介がスーパーカブをダサいとか言うから……」
カブを愚弄する者は絶対に許さない。絶対にだ。
「にしても、わざわざバイクで北海道行くなんてお前も物好きだな。おれなら、どうせ行くなら車で行くけどな」
と、信一が言った。
信一は目の前の席だ。
偶然か意図的か、僕らは後ろの隅っこにこうして固められている。ここはつまり三バカトライアングルが形成されているわけだ。
僕は思わず「ちっちっち」とキザったらしい仕草をしていた。
「分かってないな、信一。バイクで行くことに意味があるんだよ。キャンプツーリングってのはさ」
「ふうん……でもさ、バイクなんて冬は寒いし夏は暑い。雨が降ったら身体は濡れる――車に勝てるメリットって何かあるか?」
身も蓋もないことを言われた。
「メ、メリットとかじゃないし……僕は好きだから乗るんだよ」
「そうだぜ、信一。男ってのはそういうもんなんだ。メリットとか理屈じゃねえんだよ。なあ?」
陽介からの援護射撃が入った。
僕は大きく頷いた。
「そうだよ。陽介の言うとおりだ」
「じゃあ、陽介。お前はバイクで北海道行きたいのか?」
「いや、別に行きたくはねえけど」
「あれ!? いま味方する流れだったよね!?」
「いやぁ、おれ虫とか嫌いなんだよな。だからキャンプとか無理だわ」
陽介はすぐに敵に回った。援護射撃じゃなくて背中を撃たれただけだった。
ぐ、ぐぬぬ……。
どうやらここに味方はいないようだ。なんて友達甲斐のないやつらだろうか。
「おーい、お前ら席につけ」
担任のコバセンが教室に入ってきた。
信一は自分の席に戻った。
コバセンが出欠を取っている間、僕は何となく窓の外を眺めていた。
……早く、夏が来ないかな。
今にも雪が降りそうな雲の向こうに、僕は夏の欠片を探していた。
今年こそは、北海道に行く。
僕はそう心に決めていた。
……この時の僕はまだ、自分の後ろに誰かが乗っているところは想像もできなかったし、してもいなかった。
まさかこの旅が二人のものになるとは、思っても見なかったのだ。
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