ノー・タイム・トゥ・リヴ
『ノー・タイム・トゥ・リヴ』
「ねー、ピザって10回言ってみて」
「えっ」
「言ってみて」
「えっ」
「ピザって10回……」
そこで私は気がついた。隣に座っているのは友達のミソラちゃんではなく、見ず知らずのおばあちゃんであったことに。
「あっ、すみませんっ」私は
「それにしても」私は周囲を見回した。「ここ、どこの駅だろ?」
プラットフォームの周りには霧が立ち込めていて、よく景色がわからない。ここは田舎だし、田んぼしかないのは知っているけど。
看板もなにもない。改札まで行っても、誰もいなかった。無人駅なのだろうか。
「うーん」私は頭を抱えた。「おかしいな、こんな駅あったっけ?」
私は試しに改札の外に出てみた。
仕方ない。ベンチで休むか。しかし次の電車はいつ来るのだろう。もうすぐ期末テストだってのに。
私は英単語帳をペラペラめくっていると突然声が聞こえた。
「うー、うー、うー、うー、うー」それは男の声だった。「うー、うー、うー、うー、うー」
なんというかこう、自信をなくしたオットセイが鳴いているような声だった。情けない声で、恐怖も湧いてこない。
私はその声のするほうに行く。すると電柱の近くにひとりの青年が立っていた。パジャマ姿であり、腕をだらーんと垂らしている。
「何をしてるんですか?」
「えっ」
まさか話しかけられるとは思わなかったのか、青年は驚いたようにこちらを見た。
「あっ、いえ、なんでもないですっ」
私も返事をされるとは思わず、ビビって
思わず好奇心から話しかけてしまった。きっとそのくらい退屈していたのだろう。私はちょっと反省してその場を去ろうとすると、
「声を掛けられたのは初めてだよ」と青年は言った。「たまにこの駅に迷い込む人はいるけどね、みんな僕のことを気味悪がって近寄らないし、そもそも話しかけてくるだなんて、ありえないからね」
「えっ、どういうことです」私は状況が掴めなかった。「迷い込む、って」
「ここはね、言うなればあの世とこの世の狭間なんだよ」彼は言った。「簡単に言えば、お化けの住む世界ってことさ」
「あー、なるほど」私は合点がいった。「つまり、あなたは地縛霊なんですね」
「いや、僕は違うよ。僕はただ趣味でここにいるんだ」
「えっ」
「お化けたちはね、もっとこう、向こうのほうにいるよ」彼は畦道の向こうを指差した。「向こう側に、ほら、
「じゃ、あなたは何なんですか? お化けじゃないって言うなら、生きてるってことですよね」
「うん」
「私と同じようにここに迷い込んだんですか?」
「いや、だから趣味だって。僕は趣味でここにいるの」
「電灯の前でうーうーって
「違うよ。僕は哲学をやっているの」
「哲学?」
「そう。ここは霊界だからね。人間界とは時間の流れるスピードが違うんだ。だから、ここにずっといれば、現世にいるよりも長い時間を
彼は哲学科の大学院生で、博士論文の内容をここで
「ふーん、退屈しないの?」
「ぜんぜん。むしろ一生をここで過ごしたいくらいだね。夢と違って、考えた内容を忘れないのがメリットさ。あぁ、でもここだと本を持ち込めないのが残念だなぁ。考える時間はあるけれど、知識を吸収する時間がないのがネックだ」
「あなたのスケジュール、どうなってるの」
「えっとね、まずは6時に起きるでしょ。それから金魚に餌をやって、散歩に出かける。散歩が終わったらシャワーを浴びて、大学に行く。授業に出て、図書館で読書をしたあと家に帰って、秘術を唱えて、精神体になってここに来る。ここで気の済むまで熟考したあと、家に戻って、カップラーメンを作って、それを食べてから寝る。ちなみにこれは平日のスケジュールで、休日はもっとこの世界にいるよ。ここには時計がないからわからないけど、一日50時間くらいを思考に
「へ、へー」私はあいまいに
「ところで、君、なにか持ってるね。なんだいそれ」
「あ、これは英単語帳です。もうすぐテストなので」
「じゃあ、ここで勉強していくといい。ここならいくらでも勉強できるからね……ってあれ?」青年は首を
「そんなこと、私に言われても……」
「ま、いいや。とにかく
「あ、あの」私は肝心なことを尋ねた。「私、早く現実世界に戻りたいんですけど」
「それなら簡単だよ」青年は言った。「現実に戻りたいと強く念じながら『機関車シュッポー・シュッポッポー』って唱えればいい」
「は?」
「だから機関車シュッポー、シュッポッポーって……」
「なんですかそれ」
「なんですかそれって言われても、そういうものだから仕方ないよ」
「そんな幼稚園生みたいな恥ずかしいこと、わたし、言いたくないですよ! もう高校二年生なのに!」
「そう僕に言われてもねぇ……」彼は
「嘘ついてないですよね?」
「いや、嘘ついたって僕にメリットないでしょ。こんなくだらないこと」
「それはそうかもしれませんが……」
心外だが仕方ない。私はこんな『ミスト(映画)』を想起させるような場所に長居はしたくないし、すぐに唱えて帰らせてもらおう。
「じゃ、私帰りますね」私は言った。「…………きかんしゃシュッポー、シュッポッポー」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「って、帰れないじゃないですか!」
「うーん」青年は
「そ、そう言われても」
「ああ、そうか。僕が近くにいるからあれなのか。それじゃあ、僕はちょっと離れてるから、君は駅構内に戻って、そしてホームの端の方で唱えればいい。そこからなら僕にも声が聞こえないだろうし」
「わ、わかりました」私は少し落ち込みながら言った。「今の状況がよく分かってないですが、とにかく色々教えていただき、ありがとうございました」
「ま、その
「は、はあ……」
「じゃ、さよなら。何かあったらまた来てよ」
「さ、さようなら」
ということは、畦道を進んで行っちゃった人は? その疑問を口にせず、私は駅へと戻っていった。
例の言葉を唱えると、駅へと機関車がやってきた。私はその機関車に乗り込み、席に座ると、自然に眠気がやってきた。
そのままウトウトしていると
「レイリちゃん、起きて!」
と声がする。
「もうすぐ駅だよ!」
「えっ」
私は元の電車に乗っていた。隣にはミソラが座っている。
「も~、ちゃんとアラーム掛けたほうがいいよ。わたしがいなかったら寝過ごして、隣町まで行っちゃってたよ。この路線、駅の間隔がめっちゃ遠いって知ってるでしょ」
「あ、うん」
そんなわけで私は現世に戻ってきて、帰宅した。
あれはいったいなんだったのだろうか。私はモヤモヤを抱えつつ普段の日常へと戻っていった。
その後、私はたまに電車の中でミソラに「ピザって10回言ってみて」と何度か話しかけたが、別にあの世界に行くこともなかった。
☆
後日談。
私は地元の大学へと進学し、国文学科へと進んだ。
あるときふと気になって、哲学科の研究室を訪れてみた。
教授がいて、色々お話を伺っているうち、とある写真が目に入った。
そこには研究室の部員が映っている。その中のひとりに、あの、うーうー
「あの、この人は」
「あ、ヒムロくんだね」教授は言った。「彼は優秀な生徒だったよ」
「だった?」
「うん、実はね、数年前にアパートの自室で亡くなっていて……。石油ストーブの付けっぱなしによる一酸化炭素中毒だよ。事故は昼間だったし、警報装置も鳴っていたんだけどね、なぜか彼は部屋でぼーっとしていて、それでそのまま亡くなっちゃったんだ。自殺かもしれないと言われているけど、私はどうもそうは思えなくてね。彼、学問が好きだったし……それに
私はなんとはなしに、青年のお墓を訪れ、お参りをした。
私はいまでもときどき、あの狭間の世界を思い出すが、あれが何なのかいまだによく分かっていない。
ただ、推測していることがある。私はあのとき、単語帳を持っていたが、彼は本を持ち込めなかった。それはつまり、彼がそれだけ現実世界に対し、執着していなかった表れではないだろうか。
ひとつだけ確かなことは、彼にとって、生きている時間はそこまで重要ではなかった、ということだ。生活する時間さえ、彼にとっては
【No Time to Live】is over.
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