退屈ピーナッツ

『退屈ピーナッツ』



 一日の中で一番不愉快な時間帯がいつであるかを考えると、僕の場合、それは起床時だと断言できる。

 そして今日の朝は、いつにも増して機嫌が悪かった。今日は休日であるというのに、目覚まし時計のアラームに叩き起こされたのだ。アラームを切り忘れてしまったのだ。連日の仕事で睡眠不足である僕は、休日に多めの睡眠を取ることによって、一週間のバランスを取っている。だから、こうして予定が狂ってしまうのは、とても苦しい事態である。

 しかし、誰のせいでもない。自らの不注意が招いた結果だ。仕方ない。気持ちを切り替えて、僕は冷蔵庫から牛乳パックを取り出し、コップに入れてレンジで温めた。できあがったホットミルクをちびちびと飲みつつ、テレビの天気予報を眺めていた。

 すると突然チャイムが鳴った。玄関に行き、ドアを開ける。そこには宅配のお兄さんがいた。

「サインをお願いします」

 ペンを使ってグニャグニャと芸術的な文字を書き入れ、それから宅配物を受け取った。

 かなり大きなダンボールである。通販で何かを頼んだ覚えはない。差出人の名前も住所も知らないものだった。こんな朝早くに荷物が届くのも異様だし、何よりそのダンボールは、その大きさの割に恐ろしいくらいに軽かった。

 これはいったい何だろう? 爆弾が入っているとも思えないし……。

 少し警戒しつつ、ガムテープをがしていった。

 そして中を見ると……そこには立方体の白い箱が入っていた。

 箱を取り出し、テーブルの上において、じっくりと眺めてみる。表面には何の文字も書かれていない。冗談みたいに真っ白で、漂白剤で汚れを落とした食器のように輝いている。どこにも繋ぎ目がなく、金具も取り付いていない。開かれることを拒んでいるようだ。

 手に持って、軽く振ると、中でカラコロと音がした。小さいボールのようなものが入っているようだ。しかし、それ以上は見当もつかない。

 これはいったい、どういうことなのだ? 疑問は更に膨らんでいくばかり。もしかしてお届け先を間違えているのではあるまいか? そう考えて、受取書を確認してみたけれど、やっぱりお届け先の住所は僕の家になっている。僕の名前も、間違えることなく、綺麗にボールペンで書かれていた。

 困った。どうすれば良いのか分からない。差出人の住所は分かることだし、送り返してしまうのが一番無難かもしれない。

 そうして迷っているうちに、端末が小刻みに揺れた。僕は手にとって、端末を操作した。どうやらメールが届いたらしい。僕は開封し、中の文章を読む。そこにはこう書かれていた。


 ☆


 拝啓 軒之上路崎様


 突然メールを差し上げて申し訳ありません。私はボアダム・コーポレーションの槇原と申す者です。早速本題に入らせて頂きますが、おそらく今日中に、軒之上さんのお宅にお荷物が届くと思われます。そのお荷物は私がお送りしたものです。なぜ、お送りしたかをご説明致しますと、今弊社では、とある社会実験を実施しており、データを集めている最中なのです。有効なデータを集めるためには、我々が基準とする条件を満たした『適合者』の方に協力して貰わなければなりません。そして、その適合者に軒之上様が選ばれたのです。その条件がどのようなものであるかは、複雑であり、具体的に説明するのは難しいのですが、ただひとつだけ言えるとすれば、『退屈』を因子にして決定している側面が強いということです。つまり、退屈そうな人を調査対象にしているのです。我が社の名前に「BOREDOM」という文字列が入っているように、退屈を中心研究として事業を進めているので、それは必然的と言えるでしょう。

 さて、ここまで話をさせて頂きましたが、それでも軒之上様の疑念を晴らすには、不十分だと思われます。そのため、実験に協力して頂いても、そうでなくとも、軒之上様には前金を支払っておこうと考えています。このメールの三十分後に、別のメールが届きます。そこに暗号通貨の小切手が添付されており、五千円分の価値を有しております。換金の仕方も詳細に説明してあるのでご安心を。

 そして、もし、実験に協力して頂けるのであれば、約一週間後に、こちらへと箱を送り返していただきたいのです。箱をそのままの状態に保って――なるべく綺麗なままの状態でお願いします。その場合、追加の謝礼をお支払い致します。

 もし、期日までに返却がなされなかったり、箱が壊れていたりした場合は、残念ですが、追加の謝礼をお支払いすることはできません。その場合、ゴミ捨て場に廃棄していただくか、部屋に飾っておくか、その選択はあなたにゆだねられています。

 以上が、私から軒之上様に伝えることのできるメッセージの全てとなります。残念ですが、質問にお答えすることはできません。あまり多くを話せないことも含めて、この実験の一部であるとご理解ください。それでは、よろしくおねがい致します。



         ボアダム・コーポレーション 極東支部責任者:槇原漣螟


 ☆


 寝不足であまり働かない思考を必死に繋ぎ止めるようにして、この文章を読んでいったのだけれど、僕には何がなんだかよく分からなかった。まるで空飛ぶスパゲッティ・モンスター教並みにふざけた組織だな、と思いながら、僕は端末を閉じた。

 こんなイタズラをできるほどには、今の日本は平和なのかもしれない。僕はとりあえず判断を保留し、それから台所に向かった。棚から深底の皿を取り出し、そこにコーンフレークを入れる。冷蔵庫から取り出した牛乳を掛けていき、それからイチゴジャムをちょっとだけ載せた。

 おとといスーパーへ行った時に、間違えて牛乳を買いすぎてしまったのである。そのため、手を変え品を変え、牛乳を多く消費できる食事を意識的に選択しているのだ。夕食はクリームシチューでも作ろうかな、と考えつつ。

 そしてフレークを食べ終えた頃、またメールが届いた。それは確かに暗号通貨のポイントだった。インターネットでシリアルコードを打ち込んでみたら、本当にお金になった。

 すごいな、と素直に感動した。イタズラとは言え、ここまで来ると、さすがに心が動いてしまう。いや、これはやっぱり、本当に真面目な社会実験なのかもしれない。だいいち、僕のような平凡なサラリーマンにドッキリを仕掛けたところで、面白い映像が撮れるわけでもないし……。

 退屈、か……。確かに自分は退屈していた。とてもとても退屈していた。サラリーマンの日常ほど退屈なものは、この世にあまりないだろう。それに、自分はまもなく三十が近いというのに、いまだに独身だった。大学生の頃、億劫おっくうだという理由で恋愛を敬遠していたら、すっかり年老いてしまい、いつの間にかこの歳になってしまった。だからといって、危機感を抱いているわけでもない。良い出会いがあれば恋愛をしたいし、結婚もしたいけど、残念ながらそんな相手は現れない。同僚には出会いを求めてパーティやらクラブやらの活動を頑張っている奴もいるけれど、出会いを求めるために努力するなんて、なんだか本末転倒な気がして気が進まない。つまり、好きな相手と出会えたからこそ恋愛するのであって、恋愛するために出会いに行くのは、逆説的で、本質を欠いているような気がするからだ。

 と、言っても……このような論理を伝えても、納得してもらった試しはない。自分でも、自分が理想論を掲げていることは理解している。しかし、恋愛くらい理想を掲げたって良いんじゃないか、と僕は反論したい。僕の両親は、僕が小学生の頃に離婚した。お互いがお互いを憎しみ合っているような感じで、いつも口論が絶えなかった。離婚直前の頃の家の雰囲気と言ったら、それはもう地獄みたいなものだった。両親にとって、自分は生まれる予定のない子供であったのだ。

 いや、自分の過去について色々話すのはよそう。とにかく、望まない結婚の果てに待っているのは、悲劇的な破局だということを、実感として理解している。だからこそ、いくら退屈であったとしても、簡単に恋愛をしないようにしているのかもしれない。自己分析。


 ☆


 例の立方体は、奇妙な存在感をずっと誇示し続けていた。

 ただそこにあるだけなのに、まるでモノリスが出現したかのような圧倒感をかもしている。

 箱、それは箱でしかない。だけど、ただの箱ではない。用途も目的も分からず、物体としてのみ君臨する、イデア的な高みへと上昇していくかのような高貴さがある。

 意識をらそうと思っていても、ついつい視線がそちらへ向いてしまう。

 困ったな、と僕は思った。気が散って気が散って仕方がない。楽しみに読んでいたSF小説にも集中できなくなっている。目を逸らしたら、いつの間にか消えてしまうのではないか、という緊張感がある。僕は箱に近づき、それを持ちあげる。胸に抱えた状態のまま、ソファに座る。まるで赤ちゃんをあやすように、ゆさゆさと揺らしてみる。中でカラコロと音がする。

 完全に魅了されていた。まるで指輪物語に出てくる魔法の指輪のようだ。そのうち「愛しい箱……」とか言い始めるのではないだろうか? 少なくとも、自分の精神の均衡が乱れつつあるのを感じていた。

 箱が家にやってきてから、まだ数時間しか経っていない。いったいどんな魔法をこの箱に掛けたのかは知らないけれど、とんでもない兵器だと思った。これは危険だ。純粋にそう思う。

 謝礼がどのくらい貰えるかは分からないが、この箱を送り返すだなんて、そんなこと絶対にできやしない。共に過ごす時間に応じて、この箱の魅力は加速度的に上昇していく。

 とはいえ、箱に縛られた状態に甘んずるほど、自分は意志の弱い人間ではない。自由という意志を阻害しようとするあらゆる困難に対して、僕はいつでも戦ってきた。そしてその信念は、一時的な感情の高ぶりによって揺らいでしまうものではない。

 壊そう。この箱に執着を感じてしまう前に――引き返せなくなる前に、壊してしまおう。

 そして、中に何が入っているかを確認して、好奇心を満足させたら、粗大ゴミに出せば良いのだ。

 僕は道具箱を用意して、そこからハンマー取り出した。くぎとかを叩く、一般的なものだ。

 未練に引きずられないように、僕はためらわず、ハンマーを箱へと振り下ろした。

 ボコッと箱がへこむ。

 もう一度振り下ろす。

 更に箱がへこむ。歪む。

 更に力を入れてヘッドを叩きつける。

 今度は亀裂が入った。あともう少し。

 そして、これで最後と思いながら、渾身の力で金属体をぶち当てる。

 桃が割れるように綺麗に箱は両断された。

 僕はハンマーを置き、箱を拾い上げた。

 箱は案の定空洞になっていて、中に入っていた音を立てていた物の正体も、否応なく白日はくじつの下にさらされることになる。

 それは、親指よりも小さく可愛らしい、殻をかぶったピーナッツであった。


 ☆


 え?

 ピーナッツ?

 思考がフリーズする。どうしてここにピーナッツが入っているのだろうか?

 いや、今更不思議な状況にツッコミを入れたって仕方がない。箱の中にはピーナッツが入っていた。ただそれだけのことだ。

 ピーナッツは箱とは違い、何の変哲もなかった。見た目も匂いも特に異常はない。毛糸を編んだような模様の殻は柔らかく、力を入れると割れてしまいそうな気がした。

 僕はそれをティッシュペーパーのうえにのせた。割れた箱と綺麗なピーナッツのコントラストは、一種の儀式を連想させる。

 最後にピーナッツを食べたのはいつだろう。自分はあまりナッツ類を好んで買うほうではない。むかし、祖父の家にたくさんのカシューナッツが備蓄されていて、お腹が空いて食べるものがないときに黙々と食べていたのを覚えている。祖父は健康のためにたくさんのナッツを食べていたらしい。しかし彼は、六十五歳の誕生日の翌日に、心筋梗塞で亡くなった。運悪く祖母は町内清掃に参加していて、すぐに彼を発見することができなかった。健康をどれだけ意識していても運命には逆らえない、という教訓を、僕はそのとき学んだのかもしれない。お葬式には出なかった。死後の世界というものを、僕は今ひとつイメージすることができない。無神論者というわけではない。どちらかといえば有神論よりの不可知論者だ。だけど、やはり、死者に対するとむらいに対し、空虚な感情を抱いてしまうのだ。

 ピーナッツを指で弾いて、おはじきみたいにして遊んでみた。コロコロと衝撃を吸収しながら、落ち着いて転がっていくその様子は、ダウンジャケットを羽織った雪だるまのような滑稽さがあった。

 次に思い浮かんだのは、これを食べてみようということだ。ピーナッツだって、ずっと殻の中に、そして箱の中に閉じ込められていたのだから、そろそろ外気に触れたいと思っている頃だろう。ヒヨコとは違い、こいつは自分で殻を破ることができないのだ。だから、僕が助けてやるしかない。もしかすると、地面に埋めたら芽が出てくるのかもしれないけれど。

 殻を砕くと、薄茶色の実が出てきた。香ばしい匂いが空気へと拡散される。一粒でこのくらいの匂いがあるなんて、相当上等なピーナッツに違いない。一粒の値段がとても高額である可能性もある。よく味わって食べなくては。

 薄皮をくと、つるつるの表面が現れる。僕はそれを口に入れようとすると……

 ゴンッ、という音が響いた。

 それは窓から聞こえてきた。ガラスに何かがぶつかるような音。小石か何かが風で飛ばされてぶつかったのだろうか? 僕はピーナッツを置き、窓を開けて、周囲の様子をうかがう。広がっているのは青空と庭の芝生。青と緑が気持ちよく呼応しあっている。異変がないことを確認し、窓を閉めようとする。しかし、窓が閉じきるよりも先に、黒い物体が家の中へ飛び込んできた。けたたましい鳴き声をあげながら、部屋中で羽をばたつかせる。それは大きなカラスだった。真っ黒で、死神のように目付きが鋭い。錯乱したように鳴き声をあげ、棚の上のインテリアをなぎ倒しながら、狭い空間を暴れまわる。闘牛ならぬ闘鳥といった具合だ。

 僕は窓を全開にし、カラスを追いかけた。トムとジェリーのようにドッタンバッタン慌ただしく走り回る。しかし、反射神経は動物のほうが上なのだろう。為す術がなかった。カラスが勝手に窓から出ていってくれるのを祈るしかない。そして、部屋の隅で休憩しながら気狂いカラスを眺めていると――気づいたときにはもう遅い、カラスはピーナッツをついばむと、そのまま窓から飛んでいってしまった。

 僕は慌てて庭へと出た。既にカラスはぐんぐんと上昇をしている。たとえスナイパーライフルが手元にあっても、撃ち落とすのは難しいだろう。

 いったいあのカラスは何だったのだ。まるで僕がピーナッツを食べる瞬間を狙っていたようではないか。カラスの知能は犬以上だと聞いたことがあるけど、もしかして、匂いに誘われて襲撃を試みたのだろうか?

 そう考えている間にも、カラスは高度を上げ続けていた。

 いつもは天体観測に使っている望遠鏡を使って、カラスの姿を追い続けた。

 とても悔しかった。どうしてカラスごときに予定を台無しにされなければならないのだ。これは人間への反逆だ。カラスの生息範囲は、そう広くはないだろう。このままヤツを望遠鏡で追って、絶対に棲家を突き止めてやる。幸いなことに、ここは海辺の街だ。視界がとても開けているし、この家は丘の上にあるため、とても見晴らしが良いのだ。右手には夕焼けが広がっていて、海を赤く染めている。夏の名残を楽しむように、水着姿の観光客もちらほら砂浜を歩いていた。

 カラスはどこへ行くのだろう。奴は海の方角へとどんどん進んでいた。カモメでもあるまいし、海には用はないはずだが。

 そして、カラスの向こう側には、小型の飛行機が見えた。近くに空港があるため、これから着陸態勢に入るのだろう。

 あのカラスが飛行機にぶつかったら面白いだろうな、と思った。ちょうどこのまま行けば、バッティングする角度だ。でもまあ、そんな面白いことは起きないだろうけど……。

 だが、カラスはなおも進行方向を変えなかった。どんどんと飛行機へと近づいていった。飛行機のほうもカラスに気づいていないようで、まっすぐと進み続けている。

 そして、カラスは飛行機に激突した。

 いや、正確にはエンジンへと巻き込まれたのだ。バードストライクというやつだ。その小型飛行機は、翼の片側から炎を吹き、そして態勢を乱す。斜めに体を傾けたまま、海上へと墜落し、大きな水飛沫みずしぶきをあげた。


 ☆


 一週間後、僕はテレビでニュースを聞いていた。髪の毛を七三分けにした若いアナウンサーが事件の概要を伝えている。

 小型飛行機に搭乗していたのは五名ほど。彼らは全員、奇跡的に助かった。墜落した角度が良かったのか、はたまた高度が低かったおかげか、大怪我をした者はいなかったらしい。

 しかし、事件はこれで終わらなかった。彼らは麻薬組織のメンバーであったらしく、その飛行機にはたくさんの麻薬が積まれていたのだ。回復した彼らを警察は捕まえ、現在事情聴取をおこなっている。飛行機からは幹部のリストも見つかったため、警察にとっては僥倖ぎょうこうな事件だと言えた。

『しかし、どうして彼らのような麻薬組織を、今まで捕まえられなかったのですか?』とキャスターが訊いた。

 その質問に、隣に座っていた専門家が答える。『疑わしきは罰せず、が法治国家の原理ですからね。だから、確固たる証拠がない限り、警察も動くに動けないのです。それにこの組織は、外国の大企業とも繋がりがあるようですから、勝手に踏み込んだりしたら、どんな報復があるか分かりません。ですから今回のように、完全に言い逃れのできない状況で組織のメンバーを逮捕できたことは、幸運だと言っても差し支えないでしょう……』

 僕はテレビを切った。それからお湯を沸かしてカップ麺を作ることにした。

 まさか、こんなことになっちゃうなんて……。犠牲になったカラスくんが少し気の毒だった。もしかしたら、とてもお腹を空かしていて、それで必死になっていたのかもしれない。自分だって一週間飲まず食わずでいたら、錯乱したように食料を探すだろう。もっとも、どうしてゴミ捨て場ではなく、僕の家の近くにいたのか、それだけが気掛かりだけど。

 そして、もう少しでカップ麺がで上がるというときに、玄関のチャイムが鳴った。

 誰だろう、こんな遅い時間に。不審を抱きつつ、チェーンを掛けたままドアを開けると、そこにはシルクハットをかぶった初老の男性がいた。

「こんばんは、わたくし、マキハラと申す者です」

「は、はあ」

「あの、中へ入れて貰ってもよろしいですかな?」

「いや、それは困ります。あなたとは初対面ですし……」

「そうですね、しかし、あなたは私を知っているはずですよ」彼はそう言うと、名刺を取り出して、ドアの隙間から僕に手渡した。その名詞には『槇原漣螟まきはられんめい』と書かれていた。

「あっ」僕は思わず口にした。「もしかして、あのメールの」

「そうです」

「あ、ということは、もしかして『箱』を受け取りに来たのですか?」

「そうです」

「しかし、私はあの箱を割ってしまったのですよ。壊してしまった以上、送り返すわけにもいかないし……」

「そうです、元の予定ではそうなっていました。しかし、今回は引き取ったほうが良い、とわたくしどもは判断した次第でございます。謝礼はいますぐお支払いいたしますよ。もちろん、最終的な決定権はあなた次第ですが」

 僕は一瞬迷ったが、やはり箱は返却することにした。あんな事件があったことだし、箱を持ち続けるのは不吉だ。それに、割ってからのあの箱は、どうも魅力が欠けている。白く、一切のひびもなく、完全な状態を保っていたからこそ、僕はとりこになっていたのだ。今はもう、固執する理由もなかった。

 僕はリビングから真っ二つになった箱を持ってきて、マキハラさんへと渡した。

 するとマキハラさんはふところから封筒を取り出して、引換券のように僕に渡してくれた。

「中を確認してください」

 言われるがままに中を確認すると、そこには一万円札が十枚入っていた。貧乏な僕にとっては、かなりの金額だった。最新のパソコンに買い換えられるほどの値段。

「あの、本当に良いのでしょうか?」僕は若干じゃっかん不安になっていた。まるで、何かの『口止め料』のようだ、と感じたからだ。

「気にすることはありませんよ、むしろ私どもは、あなたに感謝したいくらいなのですから」

 そう言うと、彼は回れ右をして、玄関に背を向けた。

 それから彼は思い直したように、顔を少しだけこちらへ向け、横目の状態で微笑みながら、別れの言葉を口にした。「ところで、退屈はしのげましたかな?」

 僕が何かを答えようとしたときには、既に、彼の姿は闇夜の中へ消えていた。

 部屋に戻り、すっかり伸び切ったカップ麺を食べながら、僕はピーナッツのことを考えていた。








【Boredom Peanuts】is over.



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