終わりの方舟

『終わりの方舟』




 チケットが配られたのは一部の人間だけであった。抽選という名目であったが、もちろん富裕層が優先されていたし、そもそも抽選の存在自体があまり周知されていなかった。方舟はこぶねに搭乗できる人数はだいぶ限られていたから、はじめから諦めていた者が多かったのも当然である。

 移民計画は数回にわたるロケットの打ち上げによって実施された。まずは月面基地まで行き、そこに建造されている宇宙船へと乗り込むのだ。

 すでに第6号まで発進している。最後に残っているのは第7号:リンドバーグ。

「それにしても、」と車椅子の男が言った。「向こうの惑星ほしに着くのにいったいどれくらい掛かるんだろうな。聞いた話じゃ、少なくとも千八百年は掛かるって噂だよ」

「たぶん、冷凍睡眠か、遺伝子バンクを使うのじゃろうな」老人が答える。「しかし、冷凍睡眠は多くの問題を抱えている。解凍後、記憶喪失になったり、意識が戻らなかったり、はたまた内臓がボロボロになっていたりと、未解決の多くの問題があるらしい。たとえ抽選に当たっても、薔薇色の生活とはいかんのう」

「じゃ、バンクの精子と卵子が未来人になるってわけかい。選りすぐりの遺伝子たちが」男は自分の脚を見ながら言った。

「それはどうじゃろ」老人は首を傾げる。「おそらく方舟の住環境は、繁殖可能に設計されているはずじゃ。リスクの分散と管理の問題もある。人工知能がバグでも起こしたら大変だからの」

「HALなんて、今の時代、よっぽどのシネフィルにしか通じないよ」

「ははは、お主と話しているとリアクションがあっていいな」老人はそういうと、近くの給仕ロボットにシャンパンを注文した。

 彼らの目の前には広大な海が広がっている。ここは高級レストランの展望デッキであり、景色が一望できるようになっているのだ。

 もうすぐ最後の当選者たちを乗せた最終ロケットが打ち上がるということで、多くの観光客もいるのであった。

「しかし、天文台の奴らも発見するのが遅すぎる。いったい世界政府に今までどれだけの資金が注ぎ込まれていたのか、想像するだけでブルっちまうというのに」

「そうでもなかろう。第四次世界大戦を起こさずに――滅亡せずにここまでこれただけでも、わしは政府を評価しているぞ。それに、あと30年はこれだけ美しい自然に囲まれながら、悠々過ごせるのじゃ。持続可能な開発目標など気にすることなく、な」

 老人は〝トルストイに乾杯!〟と叫ぶと、グラスのシャンパンを一気に飲み干した。

「爺さん、ちょっと酔い過ぎじゃないのか」

「いいのじゃいいのじゃ。たまには羽目をはずさせてくれ」

 室内のモニターには発射までのカウントダウンが表示されている。打ち上げの様子はテレビや携帯端末だけでなく、VR世界でも投影されている。第一回の放送は盛り上がったが、人気はだんだん落ちていった。しかし、これが最終打ち上げということで、再びお祭り騒ぎになっているのだ。

 モニターには大きなカイゼル髭をたくわえた男が映っている。彼はリンドバーグの船長である。若くして船長の座に登りつめた宇宙航海のエースであった。

「しかし……のんきなもんだな」周囲の様子を見回して、男は愚痴った。「俺がもし、もっと力があったら、ハイジャックしてでも方舟に乗り込むと思うぜ」

「それは、お前さんがまだ若いからだよ」老人は答える。「歳を重ねると、どうしても死について考えるようになるからの。価値ある生よりも、価値ある死のほうが関心の的になる。どうせ死は避けられぬのだから、せめて生き恥はさらしたくないんじゃろう」

「かっこつけているだけじゃないか。俺はたとえ年老いてても、いや、死ぬ間際の一分一秒まで、できるだけ長く生きたいと思うぜ。死んじまったら、おしまいだからな」

 そこにジェンキンスさんが現れる。ジェンキンスさんもまた高齢であり、宇宙船に乗れなかった老人のひとりだ。しかし、彼が違うのは、前々から『方舟計画』に関わっていたということだ。

「いやいや、おふたりとも、すっかりできあがっちゃって」

 白衣を着た老紳士はそう言った。ジェンキンスさんはいつでもどこでも白衣を着ており、白衣フェチなのではないかと噂されているほどだった。

「いやいや、そちらこそこんな日に遅れるだなんて――いったいどこへ行っていたのかな」

「いや、ちょっとした最終調整だよ。私もアドバイザーとして参加しているのね」

「ふん、それはそうと、今日はどんな〝とっておき〟を持ってきてくれたんだ?」車椅子はジェンキンスさんをかした。

「まあまあ、そう慌てないで。今日はほんとうに、とびきりすごいの持ってきたからさ。ぼく史上最大の、最後のネタだよ」

 彼はそういうと、まさに紳士的な高貴さをまといながら椅子へと座った。

 ジェンキンスさんは、この二人にいつも面白い話を聞かせてくれるのだ。

 前回会ったときは、麻薬クジラのスキャンダルについて6時間くらい語ってくれた。クジラの形をした大型ロボットが、大陸間で禁止薬物を密かに運んでいたのだ。電脳上のニュースサイトではすっかりサッパリもみ消されてしまったが、さすがジェンキンスさん、中枢機関に近いだけあって情報が詳細だった。

「で、なんじゃね、そのとっておきとは?」エスカルゴを食べつつ、老人が言った。

「さっきキミたち、ハイジャックがどうとか言っていたけど……実はね、6号機で実際にテロが起こっていたんだよ。しかも、かなり大きなね」


 ☆


「デルタ部隊は左舷から突入してくれ! アルファ部隊の合図があったら、心臓部へと強攻するんだ!」

 無線の声を聞きつつ、突入部隊はボディースーツに取り付けたバックパックを操っていた。

 月面基地の制圧は難易度が高い。検問を通過するのでさえ特殊なIDが必要であり、待機空間では問診もおこなわれる。一部のVIPと研究者を除いて、月旅行でイライラしない者はいないだろう。

 しかしそれは「正規の手順を踏めば」という話だ。今回の犯罪組織は、独自のロケットを開発し、それに乗って月面までやって来たのだ。

 世界政府(正式名称はもっと長い)は、かなり上手くやっているが、それは大局的な施政に関する部分においてのみ。

 実際のところ、辺境におけるいざこざに関しては密接にコミットできないし、そんなんだからPMCとかが無法地帯の紛争で儲けたりするのだ。

 そんなわけで、世界中からこっそりお金を募った、新規脱法企業も生まれてくるわけで――

 その企業の目的はこうだ、

【方舟6号機を乗っ取って、宇宙へと飛び立つ!】こと。

 しかし、それはとても困難な目標だ。乗っ取る期間が早すぎても遅すぎてももうまくいかない。

 ちょうどロケット打ち上げのその日、方舟を占拠せねばならないのだ!

「Cデッキ、占拠!」

「Eフロア、占拠完了!」

 無線からは次々と隊員たちの声が聞こえてきた。

 着々と特殊部隊が方舟内の区画を占拠していく。

「隊長、人質の確保も完了しました」

「ご苦労、それで、外部との連絡は?」

「いまチャンネルを切り替えているところです。まもなく世界政府の交渉人と繋がるかと」

「よし!」

 そして世界政府のお偉いさんと、ハイジャックなテロリスト達との会話が始まった。

「えー、きみたちの目的はなんなのかね」モニター越しには眠たげな目をした老人が映っている。

「我々の目標は、この宇宙船に乗ること。ただそれだけだ。貴様達の抽選方法は信頼できない。だからこうして強行的な手段に出たのだ」

「なるほど、それは生物的な欲求の形としてもっともであるな。そう、生命とは利己的な遺伝子が……」

「説教を聞いてる暇はない。今我々は方舟のクルー、そして不正な抽選に当たった民間人共どもを人質に取っている。今すぐこの船の発進準備を整えなければ、1分に1人ずつ処刑する!」

「いやはや、だいぶ血気盛んなようだな。カルシウムが取れていないと見た」

「巫山戯ているのか! 我々は本気だぞっ」

「わかったわかった。発進準備でも準備体操でも何でもするからそう怒らないでくれ。しかし、今から話すことをしっかり聞いておいたほうが、お主たちにもメリットがあると……」

 隊長は痺れを切らしたのか、部下に指示をおこなう。「おいっ、そこにいる民間人を連れてこい!」

 隊長に命令され、ロープで縛られた気弱そうな青年がカメラの前に引っ張り出された。

 隊長はその青年を脚で踏みつけ、完全に抵抗できないようにしてから、銃口をその青年に向けた。

「いいか、我々は本気だ。今すぐ整備士を呼んで、いつでも船を発進できるようにしろ! さもないとまずはこの男から頭に花火を咲かせてやる」

 しかし、その交渉人は全く動じなかった。それどころか、

「ハッハッハッハッ」と笑い声をあげる。

「そんなに撃ちたければ撃つが良い。それで脅しになってるとでもお思いか?」

「わかった」

 隊長は安全装置を解除し、ためらわずに引き金を引いた。

 弾丸はその青年の頭部を貫いた。

 頭が破裂する。

 しかし、

 隊長は後ずさった。自分の見ている光景に驚いたのだ。

 その青年は、真っ黒な液体を首から噴出させたからだ。

 それだけではない、破裂したはずの頭部の中には、いくつもの金属とガラスが散らばっていた。頭部を失った首からは、いくつものコードが剥き出しになって……

「な、なんだこれは!?」隊長はうろたえる。「こいつはいったい!?」

「それはアンドロイドだよ」交渉人は応える。「アンドロイドなんだから、オイルが黒いのは当然だろう」

「どういうことだ!?」

 隊長は人質たちを次々と射殺していった。

 しかし、

 どいつもこいつも全員黒い液体を流し続けていた。

「どういうことだ!?」

「だから、それらはみなアンドロイドなのだ。アンドロイドなんだから、オイルが黒いのは当たり前で――」

「そうじゃない! 方舟に乗っているのは、抽選に当たった人間たちのはずだ! どうして搭乗員も民間人も、全員がアンドロイドになっているんだ!!?」

「理由は簡単だよ」交渉人はもったいぶって間を開けた。「方舟って、嘘だからね」

「なんだと!?」

「嘘と虚構と偽証。それこそがこの『ノアの方舟計画』における支柱なのだよ。今まで打ち上げられたどの船にも、生きた人間は乗っていない。搭乗しても意味がないからね」その交渉官はすらすらと説明していった。「確かにコールドスリープ技術は開発されている。しかし、その船には設置されていない」

「なんだと!」

「だから君たちを乗せて宇宙に飛んでも意味がないんだ。そもそも、もっと根本的な問題も残っている。実はのう……移住可能な惑星は、いまだに発見されておらぬのだよ」

 隊長はショックを受けて崩れ落ちた。そして頭を抱える。「じゃあ、何のためにこんな打ち上げをしているんだ! こいつらはいったい何なんだ!」

「彼らはアンドロイドだ。あくまで人間が乗り込んでいると思わせるためのイミテーションにしか過ぎない。宇宙船発進後は、遺伝子バンクと種子バンクを守るガーディアンになる。ノア内部の巨大コンピュータとは別に、スタンドアロンのロボットを導入することにした。これは緊急事態を想定した安全策だ。それぞれのアンドロイドに別々の論理演算装置が組み込まれている。もちろんプログラムで反逆防止措置も取ってある。彼らには移住可能な惑星が見つかるまで、未来の動物たちの守護神として、ずっと居続けてもらうのだよ」


 ☆



「ふん、それじゃこれは壮大なモックアップというわけか。抽選すらも嘘だったとはね。参ったぜ」男は頭をかいた。「たしかに溜飲は下がるが、こんなこと公表されたら、ハレーションが起こるだろうな」

「ヒトは希望を求める生き物だからね」とジェンキンスが言った。「人類が地球上で最後の温和的な生命を営むための大切な儀式さ。絶望という病は狂気を駆り立てる。だからこそ、こうした見世物ショーが必要なんだ」

「しかし、乗務員の経歴はかなりしっかりしているぞ。どこでアンドロイドとすり替えたのだ」

「別にすり替えてはいないよ。実際に乗り込んでいるヒトもいる。だけどさっき言ったように、冷凍睡眠はないからね。太陽系を出ないうちに死んでしまうかもしれない。本人たちも誓約書にサインしてる」シュワルツさんは悲しげな顔をした。「更に言うとだね、最新の研究結果によると、遺伝子バンクも600年を超えると、保存されている遺伝子情報が劣化する可能性があるらしい。いっぽう、種子バンクは1万年は余裕で持つとのこと。だから植物のほうが、他の星に移り住める可能性は高いね」

「ニンゲン様も生存競争では植物に負けたというわけか。皮肉なもんだな」

「人類は、母なる大地とともにその歴史を終える。なあに、これも美しきグレートエンドじゃ。星の終わりに立ち会える喜びを改めて噛み締めていこうぞ」


 ☆

 

 そしてすべての宇宙船が地球から発進した。

 彼方より飛来した隕石によって、一瞬で地球上の生命は死に絶えた。

 火星に移り住んだ人々もテラフォーミングに失敗して全滅。

 方舟は移住可能な惑星を見つけられず、そのまま沈黙。

 50億年後、太陽の膨張によって地球自体が消滅。

 最後には空間のエントロピーが限界まで増大し、ひとつの宇宙が終わったのであった。

 

 ☆

 

 その一連の様子を眺めていた四次元人は、声にならない声でこう言った。

「モノリスたん萌え~」

 

 



【GREAT GREAT-ESCAPE END】is over.




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