雨々会話

『雨々会話』



「例えばさ」と私は言った。「例えば、みんな死ぬことに対して恐怖を抱いているけれど、生まれてくる前のことに対しては、特に恐怖を感じていないでしょ?」

「どういうこと?」

「つまり、死ぬことが怖い人っていうのは、死んで自分が消滅してしまうことが怖いんだよ。消えてなくなってしまう、虚無への恐怖かな。でも、それを言えば、生まれてくる前だって虚無だったわけでしょ。どうしてそっちの方向には考えを巡らせないのかな〜、って」

「だって、時間は過去から未来へと移っていくじゃん? そんなこと考えたってどうしようもないって」

「でも両方とも『自分が存在しなかった』という点では限りなく一致しているんだよ。死んだ後のことだけを考えるなんて不公平だよ」

「じゃあ、寝ているときは? 夢を見ないで睡眠をとっている時ってあるでしょ? あれはどうなの」

「睡眠はぜんぜんちがうよ。だって目が覚めることが、ある程度約束されているんだもん」

「でも、そのあいだ、自分が途切れていることには変わりないじゃん。それに、もしも眠っている間に死んじゃったら、自分が死んだことに気づかないかもよ」

「いや、もちろんその理屈は分かるよ。眠るという行為が、死への準備運動みたいなものかもしれないな、と思うこともある。でも、ひるがえって言えば、自分が存在するからこそ、眠ったり夢も見たりできるわけで、睡眠という行為には自分という基盤が必要になっているんだよ」

「正直わたしにはそんな哲学的なこと分からないよ。ところで、ミユちゃんは死ぬのが怖くないの?」

「そこのところが、自分でもよく分からない。怖い気もするし、あまり怖くない気もする。死への恐怖は所詮遺伝子に埋め込まれたプログラムみたいなものだと思っているけれど、それがプログラムだと理解していても、その時が来たら、やっぱり怖いんじゃないかな、と思う」

「じゃあ、未来はどう思う?」

「え?」

「例えばわたしたちは、いつ、どんな理由で死ぬか分からないわけでしょ。例えば今、急に大地震が起こって、この喫茶店が崩壊して、建物の下敷きになって死んじゃう可能性がゼロとは言えない。あるいはここを出たあと、この大雨でスリップしたトラックが歩道へと突っ込んで、かれて死んじゃう可能性だってなきにしもあらず。つまり、未来は不確定で、何が起こるか分からない。それに対する恐怖はないの?」

「そりゃ、もちろん、その可能性はあるだろうけど、それはあまりにも可能性が低くて、実感として恐怖には結びつかないよ」

「たしかにそうだけどさ、今まで大丈夫だったからと言って、これからも大丈夫だとは限らないのがこの世の中じゃん。つまりさ、わたしが言いたいのは、死が未知であるのと同じように、未来だって全くの未知なんだよ」

「未来が未知なのは分かるよ。でも、未来はある程度予測ができる。死んだ後とは違う」

「ミユちゃんが問題にしているのって、死んだ後に『自我』がどうなるのかってことでしょ? でも十年前の自分と、現在の自分と、十年後の自分だって、まったく違う存在だって言える。記憶によって同一であるかのように思いがちだけど、やっぱり違うとも言えるんだよ。だから『自分』が無くなってしまうのは、死によってだけでなく、時間が進むことでも起こるんじゃないかな?」

「『独今論』とかそういうやつ? それは知ってるよ。でも、自分という存在は、過去から未来へと流れていく時間があって初めて生まれるんじゃないかな? だから、過去も現在も未来も、やっぱり自分だと言えるはずだよ」

「ふーん、つまりミユちゃんは超越論的なものを信じているんだ」

「なに、超越論的なものって?」

「時間とか空間とか、因果関係や経験を可能にしてくれるモノのことだよ。簡単に言えば。……それはそうと、なかなかまないね、雨」

「たしかに、にわか雨にしては長いかも」

「タクシーとか呼んじゃう? 家近いし」

「えー、お金がもったいないよ」

「二人で割り勘すれば安くなるよ。それに、教科書とか濡れたら大変でしょ」

「うーん」

 私は窓から外を見た。

 狂ったような土砂降りの雨が轟音を立てつつ降り続いている。

 近くのコンビニに行けばビニール傘を買えるだろうけど、きっと気休めにしかならないだろう。

 私の親も、メグミの親も、残念ながら迎えに来れない。

「じゃ、あと三十分待っても弱まらなかったら、タクシーで帰ろうか。お金、足りるかな……」

「足りなかったらわたしが貸すよ。利子を付けて返してね」

「やだよ。利子なんかつけないよ。私の貯金はゼロ金利政策なの」

 私がそう言うと、メグミは「へいへい」と返事した。

「ところでさ」とメグミは言った。「ミユちゃん、アレ、やめちゃったの?」

「アレって?」

「アレってのはアレだよ。最近どうなの? なんかぜんぜん話題にしなくなっちゃったじゃん。以前は『絶対に漫画家になるんだーっ!』ってボヤいていたじゃん」

「今もやってるよ。ボチボチ原稿とか描いているし……いろいろ出版社に送ったりしたし……」

「え、送ったんだ! で、結果は結果は?」

「全落ち」

「ほー、そりゃまたすごい。なにかコメントは貰えなかったの?」

「くれたとこもあったよ。えっと、『何を伝えたいか分からない』『読者のことを考えられていない』『理解不能』『エンターテイメント精神に欠けている』『哲学したいなら大学にでも行け』『これじゃ売れない』『商業誌でやる内容じゃないね』とかとか……」

「ボロクソじゃん。どんな内容のやつ描いたの?」

「えっと、ガロみたいなやつ。実験的な作品を、わりと可愛い感じの絵柄でやったら、良い線行くんじゃないかな〜って思っていたんだけど、そんなに簡単じゃないことが分かったよ。クローネンバーグとかデヴィッド・リンチとかイングマール・ベルイマンとかタルコフスキーとかそこら辺の映画監督に影響受けたような漫画を萌えキャラでやったんだけどね……」

「実験的な作品は断られても仕方ないよ。もう今はそういう時代じゃないんスよ」

「でも、私はそういう作品しか描けないもん。佐々木マキ先生やねこぢる先生やつげ義春先生の漫画に憧れて、漫画を描き始めたわけだし、自分の描きたくないような漫画を描いて認められたってどうしようもないし、そもそも一般受けするような漫画なんて描けるわけないよ」

「ふーん。でもさ、せっかく頑張って、何十枚だか何百枚だか知らないけど、たくさん原稿を描いたんでしょ? もったいないし、コミケとかコミティアとかで売り出したり、ネット上……Twitterやpixivにでもアップして誰かに読んで貰えば?」

「いちおうネットにはアップしたよ。絵柄が可愛いってことで、はじめはちょっとアクセス数が伸びたけど、一週間経ったらまったく読まれなくなっちゃった。ずっとアクセス数ゼロ。誰かが広めてくれることもない。予想はしていたけど、あまりにも読んでくれる人が少なくて、ガッカリしちゃった……」

「でもさ、一人でも二人でも、いちおう読んでくれた人が居たわけでしょ?」

「うん」

「だったら、そこまで悲しむことなんかないよ。それに、ずっと活動していれば、じわじわ知名度も上がっていくんじゃん?」

「さあ、どうだかね……」

「とりあえずさ、今度……いや、今日ミユちゃん家に行くからさ、読ましてよ、その原稿」

「別に、良いけど……」

「どこがダメなのか、このわたしが客観的な審美眼を持って査定してあげるよ。漫画や映画は分からないけど、演劇には詳しいからさ」

「はいはい……」

 私はふと外を見ると、だいぶ雨が弱まっていた。少し雲も薄くなっている。

 これなら、傘を使って帰れそうだ。

「じゃ、そろそろ出る?」

「そうッスね。ずっと座っていたら、なんだか腰が痛くなってきたでおじゃる〜」

「歳か、お前は」

 私たちはコーヒーのトレイを片付けた後、コンビニまで駆けて、ビニール傘を買ったあと、帰路についた。

「ねえ、ミユちゃん! 見て、あれ」

 メグミは空を指差していた。

 私はそちらを見遣る。

 雲の切れ目から青空がのぞいていて、そこから射し込む光に呼応するかのように、綺麗な虹が現れていた。

「とっても綺麗だね! すごい、あんな綺麗な虹、久々に見たかも」

「うん……」

 私はボンヤリと返事をした。

 九月の虹はとても美しくて、それでいて、なんだかはかない色をしていた。




【Conversation and Rainbow on a Rainy Day】is over.

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る