「谺」



 少年は湖を眺めている。湖面には何も映っていない。空には雲が掛かっており、星の光も地上までは届かない。不穏で厚ぼったい雲たちが垂れ下がり、地上を威圧している。

 少年にとってその湖は遊び場であった。透明度の高い水が、水中を泳ぐ魚の群れを視認させる。自然に対する洞察を磨かせる道具箱のような。

 何が始まりだったのだろうか。丘の向こうで起こった壮麗な山火事を観た時、恐怖とともに彼の胸中には、新鮮味のある感動が芽生えていた。森が山から引き剥がされていく光景。闇に浮かぶ赤々とした煉獄。騒乱の非日常が退屈を緩和させる。自分の居場所というものを再確認させてくれる契機であり、自我に結びついた振り子の揺らめきであった。

 森の奥にはお伽噺がある。熊たちが楽園をつくり、人間を生贄にして千年王国を築き上げているという幻想だ。少年はそれを虚構だと信じていたが、それが虚構であるからこそ、物語の系譜におののいたものだった。熊というのは、現実に存在する動物であるのと同時に、寓話の姿を取った化身なのだと。

 寂れた村には空き家が増えていく。空き家の中には熊が住む。だからこそ、熊が住む前に空き家を取り壊さなければならない。少年は村を離れることになっていた。だから両親の取り壊しの作業中、少年は湖に来ていたのだ。

 少年は拳銃を持っている。父親の引き出しからくすねてきたものだった。拳銃は想像より重みがあり、常に意識を向けざるを得なかった。

 かつて少年は、その拳銃が火を噴くのを見たことがある。彼が幼い頃、父親が泥棒に向けて発射した光景が脳に焼き付いている。スローモーションで倒れていく犯人。彼は何を盗み、どこへ逃げようとしていたのか、今となってはもう分からない。

 少年は安全装置を外し、湖面に向けて引き金を引いた。音が弾けて閃光が舞った。こだまが森へと響いていく。

 

 

 

 

【Echo】is over.



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