世界の果て
『世界の果て』
世界の果てから君は落っこちてきた。
君には翼が生えていた。その翼は綺麗で輝いていて、僕は君のことを天使だと思っていたし、実際そうだったのだろう。
僕は意識を無くしていた君を自宅へと運び、ベッドに寝かせた。スヤスヤと、まるで宝石の夢を見ているようだった。そこに居るはずのない存在が、そこにいたのだ。寂れて
君が目覚めたあと、僕はスープを作った。庭の畑で取れた野菜をふんだんに使ったクリームスープだ。君は覚束ない手つきをしながらも、スプーンを使ってそれを食べた。
僕はあの小屋に一人で住んでいた。街外れの、近くに誰も住んでいない丘の向こう側に住んでいた。だから、僕は世界に対して一種の隔絶を試みていたのだ。社会とか共同体とか、そうした現実を感じさせる大きな存在を、無意識に拒んでいたのかもしれない。
どうしてだろう。僕はよく、
それだけが原因だとは思わない。とにかく、僕はなるべく目立たないような生き方をしたいと思った。なるべく自給自足で、自分ひとりがゆとりを持って過ごせる毎日を送りたいと願っていた。自由を望んでいたのだ。
自由……。僕は自由を求めていた。だから翼の生えていた君を、少し羨ましく思っていたのかもしれない。
☆
君と過ごした毎日のことを思い出そうと思っても、それは漠然とした明るさとか、そうした類いのものであって、具体的に何が楽しかったのか、僕にはわからない。原っぱで、二人並んで仰向けになって、空に浮かぶ黄色い飛行船を眺めたこととか、巣から落ちた
それから君が、僕の倉庫に仕舞ってあった、数々の朽ち果てた画材道具に、興味津々でいたことも……。
僕は小さい頃、画家になりたいと思っていたし、周りもそうなるものだと思っていた。僕には才能があったし、そのことを自分も他人も分かっていた。
でも、青年期の、何の変哲もないある時期に、僕はそちらの方面に対するモチベーションをすっかり失ってしまったのだ。何が原因なのか自分でも分からない。気が付いたら、僕は筆を置いていた。そして、描けなくなってしまっていた。
いや、正確には「描くこと」は出来たのだと思う。大きくなってからも、とある旧友に肖像画を頼まれて、仕方なく絵の依頼を受けたことがある。
しかし、青年期のその時期を越えてから、僕はもう、その行為の中に楽しみをまったく見つけられなくなってしまったのだ。これ以上、自分は成長できないのだろうという、諦観のようなものだ。
どこかの有名画家に弟子入りして、更に技術を磨く手もあったのかもしれない。きっとそうすれば、より多くの可能性を「描くこと」に見出せたのかもしれない。でも、そうして向上していこう、自分を更に磨いていこうという気力は、僕にはなかった。元々マイペースな性格というのもあったし、どこかに弟子入りすれば、苛酷な競争の中に――僕が忌み嫌う環境の中へと、身を投じる必要が出てきてしまうと、薄々気付き始めていたというのもあるだろう。
僕は画家になりたかった。でもそれは、楽しみを持ち続けられる限りであったのだ。
僕に趣味はない。かつてはあったのかもしれないが、今はもうなくなってしまった。今はもう、惰性で生きているようなものだ。そして、半分隠居したような状態で生きていた。だから君が落っこちてきたときには、たまらなくビックリしたし、この退屈を、少しは紛らわせてくれるのではないかな、と思ったのだ。
☆
君があの世界へと帰った後、僕は空を見ることが多くなった。
それまでの僕は、地面ばかりを見ていた気がする。転ばないように、あるいは眩しい太陽から目を背けるように。
空を眺めていると、怖くなる。僕はあまりにちっぽけで、存在する意義などないということを再確認させられて、そして、広大さと美しさが、僕の矮小さを責め立てるようで。
でも、僕はそれでも、空をもっと眺めようと思う。眺めていたいと思う。
僕は空の向こうに、世界の果てを見る。
世界の果てでは何もかもが透明で、混じり合って、幾千もの幸せが、誰かを救おうと祈りの手を差し伸べている。
いつか僕は、あの場所に辿り着くだろう。
どんなに緩慢な動きだろうと、静止しているように思われようと、きっとそれは疑いない真実として、僕の胸のなかで輝いている。
いつか僕たちは、また巡り合う。
無限に近い試行、無限に近い未来が、様々な人々を引き離そうとも、いつか僕たちは辿り着くのだ。
ツバメたちが蒼穹を渡ってくるのが見えた。
春はもう近い。
【The Edge of the World】is over.
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