紙風船

花るんるん

第1話

 「おはようございます」

 午前3時15分。毎朝放送、第6スタジオ。朝の看板番「キラリ☆サラリ さわやかニュース」略して、「キラサラ」のADは、緊張した面持ちであいさつした。

 「ああ、おはよう」

 サブキャスターの藤宮健太は、にこやかに答えた。

 (シメた……! 今日は機嫌がいい。)

 若手人気ナンバーワンの藤宮は、あいさつを返してくれればいい方で、いつも何かと難癖をつけてくるので、スタッフは困っていた。

 番組直前でも平気で、小道具やフリップの作り直しを命じることはザラだ。

 「フザケんなよ。こんなもん、使えねェよ」なんて罵声はしょっちゅう。

 (機嫌いいのは、週刊誌の記事にあった、大物女優とうまくいっているからかな)

 (いや、そろそろ、冠番組を任されるからじゃない? 昨日、社長に呼ばれたらしいぜ)

 ――なんて、ゴミどもは邪推してるんだろうなあと藤宮は思った。だが、今日は許してやろう。ゴミどもには想像つかないだろうが、「どちらか」じゃなくて、「両方」なんだよ。俺様のような人間にふさわしいのは。フフフッ。

 打ち合わせは続く。

 「今日の『技ありッ!』のコーナーは、紙風船特集となっています」

 紙風船?

 藤宮の眉間に皺が寄ってくる。皺はだんだん深くなっていく……。

 おいおいおい。ずいぶん地味だな。カンベンしてくれよ。俺様が際立つような、もっといい題材なかったのかよ。

 (まずい……!)

 スタッフ一同が藤宮からモコモコと込みあ上げてくる不機嫌オーラを感じとった。

 いつもはこの後に「フザケんな、テメエ。ブチ殺すゾ」という罵声が飛んでくる。

 まずい、まずいと藤宮は思い直した。ゴミどもが使えないのは今日に始まった話じゃない。大事の前の小事だ。ここは受け流すのが、得策だ。

 「それは、楽しみですね」

 (ん?)

 (荒れないのはよかったけど……)

 (女と一緒に気分が盛り上がる薬を飲んで、まだ残っているんじゃないだろうな)

 (本当にどうしちゃったんだろう?)

 「紙風船の多様な色彩、昔から好きなんですよ」

 (番組の進行に支障がなければいいが…)

 「奇遇ですね。私も昔から紙風船が好きで」

 メインキャスターの東堂寛子が相槌を打った。

 これもスタッフ一同、「ウソつけ」と思った(なぜなら、そんな話、今まで一度も聞いたことがない)が、同時に「助かる」とも思った。

 (とにかく、打ち合わせを進めなくては)

 打ち合わせが終わり、番組が始まると、国会議員の汚職、海外の政治家の失言、市井の迷惑行為を伝えた。

 昨日とたいして変わらない、くだらないニュースばかりだと藤宮は思った。

 東堂はどう思っているのだろう?

 まさか骨の髄までテレビ用の善人ではあるまい?

 もしそうだとしたら、「頭おかしい」としか言いようがない。

 「それでは今日の『技ありッ!』のコーナーです」

 台本どおり、紙風船職人がスタジオに入ってきた。

 が――。

 職人の出で立ちは、歌舞伎の黒子のようなであった。顔はまったく見えない。

 バカな奴だと藤宮は思った。ウケ狙いか何だか知らないが、テレビに出るのに顔を売らないのでどうする? 広告効果に換算したら、いくらになると思っている?

 行うべき時に行うべきことをした奴が成功する。

 そんな単純な真理が分からないとは、頭悪すぎる。

 「紙風船の発祥は一説には――」

 こういう誰にでもできる読み上げは下っ端の仕事だ。

 「――と言われており――」

 ああ、退屈。

 「今では、その芸術的な模様は、外国人観光客の高い注目の的になっています。それではスタジオにお越しいただいた紙風船職人の方に、さっそく実演してもらいましょう」

 やっと出番か。

 「それでは、紙風船職人の阿川さん、よろしくお願いします」

 阿川……?

 どこかで聞いたような……?

 職人は、様々な模様の紙風船を素早く叩き、あっという間に膨らませ、宙に飛ばした。それを東堂や俺が、床に落ちないよう、お手玉みたいにポンポンと打つ。「和やかに楽しんでいる、素の表情」をお茶の間に届けるって寸法だ。

 そんな「和やかに楽しんでいる、素の表情」でポンポンと打っていると、職人がすっと近寄ってきた。

 「後でサイン」のお願いか? お上りさんじゃ仕方あるまい。

 「この紙風船、床に落としたら、爆発する。そういう仕掛けにした」

 成功するのにもっとも大切なことは何か。

 それは、タイミングを見極めることだ。鼻が利くと言ってもいい。

 権力者の機嫌のいい時に売り込む。鉄則だ。

 タイミングを見極め、若手人気ナンバーワンにのし上がった俺の勘が言っている。

 動機は分からない。

 だが、こいつの言っていることは本当だ。

 宙には6つの紙風船か浮かんでいる。

 俺は他の出演者の分の紙風船も、床に落ちないよう、必死に打ち返した。

 ピョン、ピョン、ピョン。

 母親ひとりに育てられた子どもの頃、靴は一足しかなかった。

 だから、雨の日に靴がすぶ濡れにならないよう、田舎道で水たまりがあちこちにできても、ピョン、ピョン、ピョンと必死に避けていた。

 奨学金貰って偏差値高い大学出て、有名になって、金持ちになって、お袋を楽にさせてやるんだ。

 こんなところでつまずいてたまるか。

 テメエなんかに分かってたまるか。

 俺が出ている番組で放送事故は起こさせない。

 「いやあ、藤宮さん、真剣ですねえ」

 もはや「和やかに楽しんでいる、素の表情」どころではない。俺はすごい形相になっていることだろう。出演者が精いっぱいフォローする。俺に命を救われていることも知らないゴミどもが。

 「お前に捨てられた、僕の妹のこと、覚えているか?」

 職人がささやく。

 あの新人アイドルグループの女のことか。

 「阿川という苗字を聞いても、ちゃんと思い出せなかったようだからな。お前にとって、他人はそんなもんだろう? だから、僕もお前を同じように扱う」

 女だって、売名行為で近づいてきたんだろ? ぐちゃぐちゃ言うなよ。

 「社会を統合する、新たな存在が必要だ」と社長は言った。昨晩のことだ。「人々の嗜好は多様化し、ネットに視聴者はとられ、テレビは衰退の一途だと言う。だが、本当にそうか? 人々は、評論家の指示に従って、嗜好が多様化した訳ではないだろう? 『みんなで楽しめるコンテンツ』を意図的に忌避している訳ではない」

 「はい」

 「君の好感度は老若男女にいい。大手のA社も、B社も、期待値を込めて、君の新しい番組のスポンサーになると言ってきてくれている。君には期待している」

 「ありがとうございます」

 神よ。

 冠番組を獲れる(そのために、ずっと準備してきたんだ)なら、これから心を入れ替えて、スタッフにも冷たくあたらず、死ぬまで四六時中、善人のフリをし続けてもいい。あの女に謝ってもいい。

 冠番組を獲るということは、歴史に名を残すことだから。

 「さすがですね、藤宮さん」

 気がつくと、紙風船は全て、最初に膨らませる時に使った作業台の上にあった。

 スタジオはシンと静まりかえっていた。「あまりに場違いな雰囲気にみんなでドン引きしている」感、満載だ。だが、そんなことはもはや、どうでもいい。

 やった……。

 やって、やった。

 「それでは『技ありッ!』のコーナーでした。紙風船職人の阿川さん、ありがとうございました。」

 どうだ、ざまあああああみろッ。

 その日の「キラサラ」の視聴率は歴代最高だった。

 放送と同時間帯に、新人アイドルグループのメンバー阿川礼が藤宮健太にひどいやり口で捨てられたことをネットで告白したからだ。

 紙風船を打ち返す必死の形相は格好のネタとなり、「性格の悪さがにじみ出ている」と話題になった。

 翌日、藤宮は「キラサラ」を降板した。

 そのニュースを見た阿川純は、「ずっと準備してきたんだ。最後にかならず勝つのは僕だ」とつぶやいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

紙風船 花るんるん @hiroP

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ