第48話 闘争

「……はぁ……はぁ……待ちなさいよ」


 その人物は屈んで息を切らしながらも、部屋の奥に鋭い視線を投げていた。


「ふふ、遅かったね……」


珠彩シュイロちゃん! 行かないとか言ってたのに……やっぱり来てくれたんだね」


 悠季ユウキさんが名を呼んだその人物は、息を整えるように深呼吸をしてから背筋をまっすぐに伸ばす。


「しょうがないでしょ! 燈彩ヒイロまで家を飛び出していったんだから……それに、あんたたちみんな、あのふざけたメッセージを本気にしたってことでしょ? 何が、『天海アマミ菜音ナオトは頂いていく。取り戻したければ天海アマミ邸に来い』よ……」


 辺りを見渡す珠彩シュイロ。そして彼女はある人物に視線を向けたまま言い放つ。


「私は……兄貴に捨てられた女……だけど、そんな女にだって意地があるの。私も混ぜてもらうわよ」


 その言葉はマノリアに向けられていた。しかし、彼女は珠彩シュイロに何も返さず、静かに目を閉じる。


「あはははっ! 最初からあなたも呼んでたでしょ、珠彩シュイロちゃん。変な意地張らないでさっさと来ればよかったのに。フフフフッ」


「何が可笑しいっ!」


 悠季ユウキさんが実羽ミハネの笑い声を遮るように言葉をぶつける。


「……何がって、あと3時間で菜音ナオトくんは私のものになるんだもの。これが笑わずにいられるかしら? ククククッ!」


「どういうことよ、説明しなさいよ!」


 珠彩シュイロが並べられた椅子の間を部屋の奥に向かって進む。その詰め寄るかのような態度に実羽ミハネは応える。


「はいはい、わかりました。じゃあ、ゲームの説明をするね。このゲームの名前は……シスターウォーズ!」


「そんなことは聴いていない! 菜音ナオト様がキミのものだなんて……」


 挑発を繰り返す実羽ミハネの態度に、悠季ユウキさんは憤りを露わにした。


「まあまあ、落ち着いて。ルールは簡単、これからみんなにVR空間のダンジョンを探索してもらうんだけど、目的はただひとつ。ゲームの中の天海アマミ菜音ナオトくんを救出して、ふたりでダンジョンを脱出すること。あなたたち6人が全員、菜音ナオトくんを救出できなければ私の勝ち。そうすれば菜音ナオトくんは私のものになるの。でも、そうね、あなたたちの誰かが菜音ナオトくんを救出できれば、その人には菜音ナオトくんと兄妹になる権利を手に入れるっていうのはどうかしら? ふふふ……」


 余裕綽々で語る実羽ミハネに、珠彩シュイロが食って掛かる。


「あんた、本気でそんなこと言ってるの? どこの誰がそいつを操ってるのか知らないけど、大人しく兄貴を返しなさいよ。さもないと……」


「なるほど、珠彩シュイロちゃんはそうやって私の裏に黒幕が居ると思ってるんだ。まあ、それでもいいけど、菜音ナオトくんは今、この通り……」


 僕の目の前にある、空中のスクリーンの映像が切り替わる。そこに映し出されていたのは――椅子に縛り付けられ、沢山の配線が繋がったヘルメットを被った僕だった。その直後、いくつかの息を呑むような音が聴こえる。きっと、先程の部屋で見ている彼女たちのものであろう。しかし、僕はここに立っている。では、この、映し出されている僕は何者だ?


「どう、信じて貰えたかな? 今ね、菜音ナオトくんの脳内情報をコピーしてる真っ最中なんだ」


「コピーって、何をする気なの?」


 問いかける珠彩シュイロ


菜音ナオトくんの脳内情報を全て私の居るこの情報空間に移し替えるの。そうすれば、私と菜音ナオトくんはずーっと一緒に居られる。寿命なんてものは存在しない。ネットワークとストレージが存在する限り、私たちは永遠に生き続けるの」


「その人がお兄様であるという証拠は?」


 澪織ミオリが話に割って入る。


「ふーん、信じられないか。じゃあ、こちらの映像を見てねっ」


 それは、タクシーに防犯用に設置されているカメラの映像であった。珠彩シュイロに謝罪する僕の声が聴こえたかと思うと、そのタクシーには僕が乗り込んできた。タクシーがしばらく走ると、僕と運転手は眠りに落ちる。


「車内に細工させてもらってね。このタクシーは私が乗っ取らせてもらったんだ。自動運転のシステムって、人の命を預かってるのに意外と素直でさ」


 タクシーはそのまま走り続け、信号での停車、ウインカーを出して右折、左折を繰り返し、地下駐車場へと入る。そして、僕は何者かに連れ去られてしまう。カメラは切り替わり、僕が先程の椅子に拘束され、頭にヘルメットを被せられる。映像は暗く、後ろに立つものが何者であるかを伺い知ることはできない。


「ちょっと待ってよ。この映像を解析すれば、おにいの居場所が分かるってことでしょ? 簡単に助けられるじゃん」


 このみが半笑いで提案する。考えてみればその通りだ。だが、それに対する実羽ミハネの反応は、実に落ち着き払っていた。


「そうかもしれないね。でも、正直私にとっては菜音ナオトくんの肉体がどうなろうが構わないんだよ。脳内情報のコピーの進捗は50%。これだけでも私にとっては十分。あと3時間待たなくたって、私は情報の世界で菜音ナオトくんと暮らすことができるんだ」


「それは、お兄ちゃんを今すぐ殺せるってことですか?」


 燈彩ヒイロちゃんが絞り出すように実羽ミハネに問い質す。


「うん、そうだよ。私が命令を出せば、一発で菜音ナオトくんは肉体の呪縛から解き放たれる」


「呪縛……? 人を殺すのが呪縛からの解放だと言うのかい?」


 悠季ユウキさんは訝し気な表情で疑問を口にする。


「だってそうでしょ? 人間が苦しむのは自分の肉体に限界があるからだよ。そこから解き放って、情報だけの存在になることは自由を手に入れることと同義……」


「キミは一体何者なんだ……」


「あれ? 聡明な悠季ユウキくんでもまだ私の存在を信じられないんだ。私は菜音ナオトくんが生み出した絵と設定……その情報が自我を持ったものだよ。菜音ナオトくんは私の情報をネットに公開していたんだ。私はネット上でやり取りされるうちに、キャラクター自動生成ツールに辿り着いた。単なる人工知能の実験で公開されていたものだけど、私はその中で私に足りない情報を補完されて、ついには意思を手に入れた」


「意思? 情報の集合体ごときが意思を持ったですって? バッカじゃないの?」


 珠彩シュイロは呆れた様子で実羽ミハネに返す。


「……珠彩シュイロちゃん、あなたは生物だけが意思や自我を持っていると思ってるの? あなただって、DNAという情報の集合体から生まれた存在じゃない。思い上がらないで欲しいな……私のような存在にだって意思はあるよ……!」


 珠彩シュイロへと返す実羽ミハネの声は、微かに怒りを滲ませているように聴こえた。


「それで、その情報の集合体とやらが私たち人間に、ゲームで勝負を挑んできたというわけですか」


「っと、そのとーり! 澪織ミオリさん、参加してくれるよね?」


「そうでなければ、今すぐにお兄様を殺せると……」


「うんうん! さあさ、早くそこの椅子に座って……」


「全く、ふざけてますわね」


 星宮ホシミヤさんはそれだけを吐き捨てる。


「こやつの言いなりになるのは癪じゃが……やるしかないのう」


 マノリアが諦めたようにこぼす。そうして、それぞれがその部屋に設置された椅子に腰かけようしたとき。


「……でも、それっておかしくない?」


 珠彩シュイロの声に皆が動きを止める。


「もう、みんな乗り気になってくれたのに……どうしたの? 珠彩シュイロちゃん」

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