第9章 ENGAGE SISTER

第47話 招集

「ねえ、兄さん……兄さんってば!」


 聴いたことがある声だ。やけに懐かしいその声に、僕は目を開く。


「……果音カノン……果音カノンなのかっ!?」


 そう、そこに居たのは、制服姿で僕の掛布団に手を掛ける妹の姿だった。気付けば僕は、ベッドから上半身を起こして妹の両肩を掴んでいた。


「もう、やだなあ兄さん。そんな慌ててどうしたの? 私は私だよ?」


 小首を傾げ、メガネの奥の瞳を真ん丸に輝かせた彼女は、僕がずっと探していた妹、そのものであった。


果音カノン、いつ帰って来たんだ?」


「え、何言ってんの? 兄さん、なんか変な夢で見たの? うなされてたみたいだけど……」


 辺りを見渡すとそこは、珠彩シュイロに更地にされたはずのお屋敷、天海アマミ邸の僕の部屋だった。キョロキョロと辺りを見渡す僕に果音カノンはクスクスと笑って見せる。


「確かに、夢を見ていたいみたいだ……ふぅ」


 妹の笑顔に溜息をつき、安堵の表情を見せる僕に、妹は問いかける。


「それって、どんな夢だったの?」


「ああ、なんかね、家族が僕と果音カノンを残してみんな死んじゃって、果音カノンもこの屋敷を出て行く夢だったんだ」


「へぇ……ふふふっ、変なの。私が兄さんを置いて出て行くわけないじゃない」


「でも、果音カノンは僕を疎んでいたんじゃ……?」


「そうだっけ? 確かに、高校生になってからはあんまり話してないかもだけど、私、そんなこと思ってないよ?」


「そっか……へへへっ」


「もう、急に変な笑い方しないでよっ」


「ごめんごめん、いやさ、果音カノンが出て行ってから、果音カノンの友達を名乗る珠彩シュイロっていう女の子が出てきてさ」


珠彩シュイロちゃん? 珠彩シュイロちゃんと夢の中で会ったの?」


「……そうだけど。もしかして、実在するの?」


「そうだよ。珠彩シュイロちゃんは私が高校で知り合った友達なんだ。なんか不思議だね」


「妙な偶然もあるもんだね。赤い髪をしててさ、僕の妹になるって言ってきかなかったんだ」


「え……兄さんの夢に出てきた珠彩シュイロちゃんも、赤い髪だったの?」


「うん」


「それに……珠彩シュイロちゃんは兄さんの妹になるって言ったんだ……」


「そうだよ」


「そっか、兄さんは珠彩シュイロちゃんを妹にしたかったんだね」


「いやいや、そんなことはないよ」


「嘘、夢にまで見るってことは、心の奥底では珠彩シュイロちゃんが妹になることを求めてたってことでしょ?」


「そんなわけないじゃないか。大体珠彩シュイロなんて知らなかったんだし……」


「言い訳はいいよ……珠彩シュイロちゃんを妹にしたいってことは、ホントの妹である私のことはどうでもいいってことでしょ?」


「な、なんでそうなるんだよ!」


「もういいよっ! 兄さんなんて知らないっ!」


 果音カノンはそう叫んで僕の部屋を駆け足で出て行った。僕はベッドから出て、その背中を追いかける。


果音カノン! かのーーーーんっ!」


 その時、遥か遠くから声が響いてくる。


「……菜音ナオトくん……菜音ナオトくん」


果音カノンっ……かのん……」


菜音ナオトくん!」


「はっ!」


 再び目を開くとそこは、黒い壁に囲まれた無機質な正方形の部屋の中だった。壁と床と天井には幾何学模様に白い光が走っている。僕はその部屋の真ん中に、制服姿で横たわっていたのだ。


「やっと起きたんだね、菜音ナオトくん」


「ここは……それに、君は?」


 辺りを見回しても誰もいない。声だけが天井から響いていた。


「もう、私のこと、忘れちゃったの?」


 僕はその声に確かに聞き覚えがあった。そう、それは――


実羽ミハネ……なのか?」


「あははっ! だいせいかーいっ! そうだよ、私は日向ヒナタ実羽ミハネ! あなたが……創り出したキャラクター、だよっ」


 その時、壁の一面に扉が出現し、エレベーターのドアのように音も立てずに開く。


「やっほ、ひさしぶり。菜音ナオトくん」


 そして、あの日、僕を尋ねてきた時と同じように、セーラー服姿の日向ヒナタ実羽ミハネがそこにいた。彼女のピンク色の髪をなびかせ、赤い瞳で僕に笑いかける。


実羽ミハネ……また、僕の幻覚なのか?」


「ふふっ……そう思うだろうね。でも、今回は違うんだ。あなたの心が見せる幻ではない。私は確かにここに存在している」


「では君は……一体何者だ?」


「おっと、お客様が来たみたい。ちょっと行ってくるね。菜音ナオトくんもこれで見てるといいよ」


 実羽ミハネがパチンッと指を鳴らすと、僕の目の前、空中に16対9のモニターが現れた。そして、実羽ミハネは入って来た扉から出てゆく。僕の目前、モニターに映し出されたのは、PC用の椅子が6つ並んだ部屋を俯瞰した映像だった。


「こんなふざけたメッセージを送ってきたのは、キミだったのか……」


 そう言いながら部屋に入ってきたのは、由野ヨシノ悠季ユウキさんだった。彼女は片手にスマートフォンを持ち、カメラの死角、部屋の奥を睨みつけている。


「あれ、驚かないんだ。悠季ユウキくん。直接会って話したいけど、今はモニターの中から失礼するよ」


「キミが何者かなんてことはどうでもいい。しかし、このメッセージが本当なら……見過ごすことはできないと思ってね」


「大事なご主人様だから?」


「ボクの人生に関わる人物はみんな大事さ。しかし、更地にされたはずのここに、お屋敷がそっくりそのまま立て直されてると思ったら、中はこんな風になってたとはね。外観は張りぼてってわけか」


「ふふ、外観だけでも大したものでしょ? もっと褒めてほしいな……おや、次のお客様が来たみたいだよ」


「あら、あなたがお兄様を攫った犯人でしたのね。確か、日向ヒナタさんでしたっけ?」


 そこに現れたのは、修道服に身を包んだ星宮ホシミヤ澪織ミオリさんだった。


「こんにちは。あの時はお世話になったね、澪織ミオリさん」


「あなたはあの時確かに消滅させたはずですが……」


 星宮ホシミヤさんの口振りは、実羽ミハネの出現が想定内の出来事であったかのように余裕があった。


「あれ、澪織ミオリさんもびっくりしなかったんだ。そっかそっか……次の方どうぞ―っ!」


「はぁ、はぁ……お兄ちゃんがここに居るって……」


 息を切らして入室してくる人物に、悠季ユウキさんが声を掛ける。


燈彩ヒイロちゃん! キミにも届いたんだね」


「あ、悠季ユウキさん。はい、私にも届きました……お兄ちゃんが居なくなるのは嫌ですから」


「うん……ボクもそうだよ」


「……私も、おにいが居なくなるなんて嫌だよ」


「いらっしゃい……夢咲ユメサキ美楽ミラクさん」


「その名前で呼ばないで……私はもう……」


湯崎ユザキこのみさん、キミにもメッセージが……」


「わしにも来たぞ、そのメッセージ」


「あなたは……マノリアさん? 帰国したはずじゃ」


 悠季ユウキさんの問いにマノリアは当然のこととばかりに答える。


「兄上を放って帰れるわけがなかろう? なんじゃ、ここに居る皆は兄上ゆかりの者なのか?」


「はい……ボクは由野ヨシノ悠季ユウキ菜音ナオト様の召使いをしております」


 そして、その場の皆それぞれが自己紹介をし、僕との関係を再認識する。


「なんと、そなたがハイタッチガールの作画に参加した、珠彩シュイロの妹君か……会えて嬉しいぞ」


「ありがとうございます! あれは、お兄ちゃんが私にチャンスをくれたから……」


 笑顔で握手を交わすマノリアと燈彩ヒイロちゃん。しかし、そんなふたりをあざ笑う実羽ミハネ。その場の全員が再び部屋の奥に視線を向ける。


「ふふ、菜音ナオトくんは人望があるね。さすが私の……」


「おにいをあんたのものなんかにさせないよ!」


 このみが一歩前へ出る。


「私も、お兄様をあなたの好きにさせようなんてまっぴらごめんです」


 星宮ホシミヤさんが今まで見せたことのない険しい表情を見せる。


「お兄ちゃんにはまだ恩返しができてません!」


 普段引っ込み思案な燈彩ヒイロちゃんが胸を張る。


「わしの兄上を奪おうだなどと、たわけたことを許す訳がなかろう!」


 マノリアが怒りの感情をはっきりと表明する。


「ボクのご主人様……いや、お姉ちゃんを返してもらうよ」


 悠季ユウキさんが静かに、しかし力強く宣言する。


「さて、あとひとり来てない気がするけど、みんなその気なら始めちゃおっか?」


「あとひとりって……彼女は……」


 実羽ミハネの言葉に目を伏せた悠季ユウキさんが次の言葉を口にしようとしたその時、最後のひとりが現れる。


「……はぁ……はぁ……待ちなさいよ」


 その人物は屈んで息を切らしながらも、部屋の奥に鋭い視線を投げていた。

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