第46話 運命

「私、この国で兄上と一緒に暮らしたいんです……! ダメですか?」


マノリアは懇願するように僕に問う。しかし、僕の頭に浮かんだのは果音カノンの笑顔。それに促されるように、僕は口を開こうとするが――


「……なーんてな! あははははっ! 兄上、何を本気にしておるのじゃ? まさか、この可愛いマノリア様を、本当に妹にしたくなったのか? くくくくくっ……兄上、わしの演技に騙されおったな! あっはっはっは!」


 先程とは打って変わって、高笑いをするマノリアだったが、その口調はやはり無理をしているように聴こえた。


「……ごめん」


「何を謝っておるのじゃ!? 謝る癖がつくと他人に舐められるぞ! 冗談にきまっておろうが! わしはメルクリア王国の王女であるぞ!」


「ははは、わかったよ」


「ふむ、それでいいのじゃ」


 マノリアは目を閉じ顎を上げ、腕を組む。その時、ミトさんが僕たちの席に戻って来た。


「姫様、そろそろホテルに戻りましょう。就寝のお時間です。それに、いつまでも菜音ナオト様を引き留めてはご迷惑です」


「わかっておる! 今、話を切り上げるために冗談を言っていたところじゃ!」


 僕たちがファミレスを出と、外にはリムジンが待ち構えていた。マノリアをホテルまで送り届けたあと、僕はそのまま家まで送ってもらえることになった。


「……」


 僕とマノリアは気まずい雰囲気のまま隣同士シートに腰を掛ける。ふと気づくと、マノリアは僕の方をじっと見つめていた。僕がそれを見つめ返すと、彼女はハッとした表情になり、柔らかい笑顔を作り、静かに呟く。


「ずっと会いたかったミナト先生に、こんな形で会えるなんて、きっとこれは運命だったんですね……」


「運命……」


「今日は、本当にありがとうございました。また会いましょう」


 彼女はそう言ってリムジンを降りる。僕の頭の中には、彼女が口にした"運命"という言葉が延々とリフレインしていた。気付けば電話が鳴っている。僕はそれに応答した。


「兄貴? あのね、さっきのマノリアさん? どっかで見たことがあると思って調べてたんだけど……メルクリア王国はもう無くなっているらしいの」


「どういうこと?」


「彼女の母親、レムリアさんはもう亡くなっていて、メルクリア王国には王位継承者の男性がいない。それと、財政破綻によって、隣国の『マルセリア』に併合されることになったみたいなの。それで、彼女が16歳になったとき、マルセリアの王子と結婚することになっているんだって」


「そうなのか……」


「だからね、今がきっと、彼女が自由に行動できる最後の瞬間かもしれないのよ……まだ一緒にいるの?」


「いや、もう寝る時間だって言って……そういえば、珠彩シュイロも早寝早起きなのに、まだ寝てなかったの?」


「うん、マノリアさんのことが気になっちゃってね……ともかく、彼女にはいい思い出を残してあげたいわね」


「そうだね……」


 リムジンがアパート「さいか荘」の前で停まる。僕が運転手さんに礼を言い、外に出ると、そこには使用人の由野ヨシノ悠季ユウキさんが帰りを待ってくれていた。


「おかえりなさいませ、菜音ナオト様」


「ただいま」


「何かあったのですか?」


「……ん、なんで?」


「いえ、とても悲しそうな表情をしていらしたので……」


「そうかな……嬉しいこともあったんだけどね」


 僕と悠季ユウキさんは部屋に戻りながらそんな会話を交わしていた。次の日の朝、起床すると、悠季ユウキさんはメモを差し出しながら口を開く。


「先程、ロマンスグレーなおじさまがいらっしゃいまして、菜音ナオト様が寝ていると申し上げたら、ここに来るようにと……」


 僕は指定された場所へと赴く。そこはさいか荘に最寄りの駅前にある、喫茶店であった。


菜音ナオト様、こちらでございます」


 そこにはミトさんが居たがマノリアの姿が見えなかった。


「この度は折り入って、菜音ナオト様にお話ししたいことがあるのです。姫様には聴かれぬようにと、ひとりで参りました」


「聴かれてはマズいことなんですか?」


「……はい、菜音ナオト様のご判断を直接聴いてしまわれないようにと……」


「どういうことですか?」


「実は……姫様は4月2日に16歳になられるのですが……」


 そこから先は珠彩シュイロに聴いた話と同様であった。メルクリア王国が隣国マルセリアに併合された経緯、マノリアがマルセリアの王子と結婚することになっていること、そして、この来日を最後に彼女が公務に追われることになるであろうこと。それらを事細かに説明するミトさんであった。


「しかし、僕になぜそのような話を?」


「それは……菜音ナオト様に姫様と結婚して頂きたいからです」


「僕と……結婚?」


「そうです。ですが、菜音ナオト様の意思は尊重します。姫様も、マルセリアの王子との結婚は快諾しております。ですが、そうなってしまっては姫様は自由を奪われてしまう。ですから、菜音ナオト様さえよろしければ、姫様と……」


「なぜ……僕なのですか? 彼女と意気投合したからでしょうか?」


「そうですね。姫様は菜音ナオト様とまるで本当の兄妹のように親しく話されていた。しかし、それよりも……あなたの財産が、メルクリア王国には必要だからです」


「メルクリア王国は併合されたのでは? それに、僕の財産って……」


「誠に勝手ながら、菜音ナオト様のことは調べさせていただきました。天野財閥の当主となられるお方で、その財産は、我々の国家予算を遥かに上回っていると……」


「……」


 僕は言葉を失う。


「その反応、ごもっともでございます。私のことはいくら軽蔑してくださっても構わない。姫様のためならそのくらいのこと、安い物です」


「軽蔑だなんて……でも、それが本当にマノリアさんのためになるのですか?」


「メルクリアとマルセリアは元々ひとつの国でした。メルクリア王国の強硬派が、完全平和主義を掲げる祖国を捨て、軍事力を基盤にして建国したのがマルセリアです。ですから、現在もマルセリアは軍国主義と言えるほど、強力な軍隊を有しております。姫様はそのことを非常に気にしておられた。『もともと同じ国だったのに、和平でひとつになることができなかった』と解釈し、心を痛めていたのです。そして、物心ついてから姫様はずっと国難の中で厳しい現実を目の当たりにして生きてきました。そんな姫様の悲しむ顔を、私はもう見たくないのです」


「そうですね……僕も、彼女には笑顔で居て欲しいと思います」


「ですから、菜音ナオト様がメルクリア王国の国王になることをご検討いただければと……私は申し上げているのです」


「……」


 僕は返事をすることができなかった。ミトさんはそんな僕に、一枚の紙を差し出す。


「明朝、姫様と私は日本を発ちます。もし、菜音ナオト様が国王になると決心してくださったのでしたら、空港までお越しください」


 メモには空港の場所と搭乗口、出発時間が記されていた。そのまま僕は何も答えることもなく、帰路に就く。その道中――


(マノリアが、僕のファンだって言ってくれた女の子が、不幸な道に進もうとしている。そんなのを僕は黙って見ているような、薄情な男なのか? それでいいのか、僕……)


 ――心の中で葛藤を繰り広げているといつの間にかさいか荘に戻ってきていた。そこでは相変わらず、涼しい顔をした悠季ユウキさんが庭の手入れをしている。僕はそんな彼女に、先程までの話を打ち明けた。


「それで、菜音ナオト様はどうされたいのですか?」


 僕に背を向けたまま庭仕事をしている悠季ユウキさん、彼女の言葉は冷たく、まるで僕のことを突き放しているかのようだった。


「……僕は、メルクリア王国に行くよ。僕が居なくなっても誰も困らないだろう? 悠季ユウキさんだって、僕の使用人なんて、そんな下らない仕事をせずに済むようになるんだしさ」


 すると、悠季ユウキさんは振り返る。


「そうですか。菜音ナオト様がそう仰るなら、そうすればいいんじゃないでしょうか」


「……うん」


「……ですが、ひとつだけ……去年のクリスマスの日、菜音ナオト様が朝帰りされた時に私が申し上げたことを、覚えてらっしゃいますか?」


 悠季ユウキさんはそれだけを告げて、また僕に背を向けてしまった。僕はそれに答えることができず、部屋に戻るのであった。


 翌朝、僕は空港まで移動するためにタクシーを呼んだ。それが到着するのをさいか荘の門の前で待つ。その時、やけに懐かしさを覚える声を僕は聴く。


「ちょっと! 兄貴! 何してんのよ!」


「……珠彩シュイロ


「何だって言うのよ! 急に『果音カノンをよろしく。さようなら』だなんて、頭でも打ったの?」


 そう、彼女にはお別れのメッセージを送っていた。僕は息も整わない珠彩シュイロに、ミトさんから伺ったことを、そして僕自身の決心を説明する。憤りを滲ませていた珠彩シュイロの表情は目まぐるしく変化し、ついには僕を見損なったかのような視線を向けて、僕に言い放つ。


「そう……じゃあ、果音カノンはどうするの? あんたの妹は果音カノンだけなんでしょ? その果音カノンを取り戻さずに、勝手に国王になろうだなんて……いかれてるわ」


果音カノン珠彩シュイロに任せたよ。親友の君なら、果音カノンを見付けられるよ」


「何それ? あんたどうかしてるわよ? 冷静に考えなさいよ!」


珠彩シュイロ、僕の財産、力を必要としてくれている人が居るんだ。僕はそれに応えなければいけない。それが力を持つ者の使命だからだよ」


「そんな理由で? ふんっ! ご立派なことで! 本気でそんなこと言ってるの!?」


「本気だ……」


「ぐっ……!」


 珠彩シュイロは歯を食いしばって見せる。次の瞬間、彼女は前に踏み出すと共にその腕を振り上げる。僕はそれに対し、反射的に硬く目を閉じてしまう。僕の頬に彼女の手が触れる。そして――――――――僕の唇に訪れる初めての感触。それはとても柔らかくて、暖かい鼓動が伝わってくるものだった。しかし、その味は果てしなく切ない。


「……これでも、行くって言うの?」


 目を開けると、顔を真っ赤にした珠彩シュイロが口を軽く手で隠しながら、僕を斜めに見据えてそう告げていた。そうか、悠季ユウキさんが言っていた言葉の意味が分かった気がした。それでも僕は――


「ごめん……」


 僕は丁度到着したタクシーに乗り込む、僕の小説の読者のためにこの身を捧げる。それだけが僕の心を支配していたのだから、それは当然のことだったんだ。扉が閉まって僕を乗せたタクシーが発進した時、エンジン音の向こうで、すすり泣くような声が耳に届いた。その声に僕は、反射的に涙を流していた。


 こうして僕は一路空港へと向かう――しかし、そのタクシーが空港に辿り着くことはなかった。

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