第45話 秋葉原と、僕と彼女の過去
「ふふふ、兄上とアキバ観光じゃ♪」
マノリア王女のその言葉の通り、僕たちは一路秋葉原を目指す。出発前に着替えを終えた彼女の服装は、日本の女子高生の制服のようなものになっていた。
「マノリア王女、その服はどちらで……」
「これか? 日本では昼間っから制服で出歩いている女子高生がわんさかおるじゃろ? わしも通販でこれを手に入れてそれに倣ってみたのじゃ!」
ピンクのスニーカーを履いた足をパタパタさせながら笑う少女に、僕はふと疑問が浮かぶ。
「マノリア王女、日本語はどこで……」
僕がそこまで口にすると、マノリア王女の目は吊り上がり、眉の間にはしわが寄る。
「その呼び方! なんなのじゃ!」
「……えっ」
「わしは兄上に『王女』なんて呼ばれとうないぞ!」
「……じゃあ、マ……マノリア……」
「うむ! それで良いのじゃ!」
にっこりと笑うマノリア。コロコロと変わる表情は、彼女が年相応の少女であることを物語っていた。僕はそれにまたしても妹の面影を見る。
「……なんじゃその目は。わしの顔になんかついておるのか」
「ああ、いや、ちょっと妹に似てるなって思ってね」
「
「いや、そうじゃなくて……」
僕がそこまで口にすると、リムジンは停車する。
「この辺でよろしいですかな?」
ミトさんに促されて僕たちはリムジンを降りる。そこに広がっていたのは、まさしくオタクの街、秋葉原の中央通りだった。
「実は……僕、ここに来るの初めてなんだよね」
「そ、そうなのかっ!? 日本人なのにアキバに来たことがないのかっ!?」
引き籠り生活をしていた僕にアキバは遠すぎた。その上、物欲とは縁がなかった僕にとって、そこに足を向けることすら思い付くことはなかったのだ。
「私は若い頃来たことがありまして……」
ミトさんが遠慮がちに申し出る。しかしその表情は、先程までの荘厳たる表情はどこへやら、戦場の風を感じる兵士の様相を醸し出していた。
「そうか、では兄上、ミトじいに案内してもらおうぞっ!」
「そうだね。ミトさん、よろしくお願いします」
「御意にございます」
しかし――
「おかしい、ここにはバスケットボールのコートがあったはずですが……」
――目の前にはそびえ立つ家電量販店。僕は数十年前の秋葉原を撮影したものをネット上で見たことがあったが、その街は見違えるほどの発展を遂げていたのだ。
「よ、よし、この店を覗いてみようぞ! これ、ミトじい! いつまでも肩を落としているでない」
「は、はい姫様……」
というわけで入店。店内のゲームコーナーにできている行列を見たマノリアはすぐさまその最後尾に並ぶ。
「あ、あの、マノリア、多分ここに並んでも前の人で売り切れると思うよ?」
「そ、そうなのか? しかし、わしはこれが欲しかったんじゃ。このゲーム機がっ! だって通販ではどこも売り切れで、転売は見かけるけど、そんなことをする者に得されるのは気分が悪くてのう……」
僕が「転売してるのは今目の前に並んでるような人たちなのでは」という言葉を飲み込んでいると、前の客が店員に話しかけられている。
「この商品の名前を言ってください」
その客は何故か商品名を言うことができず、僕にはわからない言葉を吐き捨てて列を離れていった。そして、マノリアにも同じ質問が放たれる。
「何をいっておるのじゃ、商品名を言えばいいのか? ……」
マノリアはその質問に当然のように解答し、難なくそのゲーム機を購入することができた。
「わーいっ!」
購入できたことへの喜びを隠せないマノリア。その弾む足は家電量販店の全てのフロアを周り尽くすだけでは飽き足らず、他の店舗へも向けられる。次々とウィンドウショッピングを繰り返す彼女は、草原を駆け回るウサギのように活き活きとしていた。そんな中。
「私も少し見たいものが……」
そう控えめに申し出たのは執事のミトさん。その恥ずかし気な様子に僕もマノリアも快く了解し、この日初めて彼を先頭にして歩き始める。
「おお、このグラフィックボードは……」
ショーウインドウの前に張り付く彼の目は、少年の輝きを取り戻していた。その後、いくつかのPCパーツを買い揃え、店を後にする。
「ふぅ、もう日も暮れてきてしまったのう。それに疲れた。少し休憩したいのじゃが……」
「姫様、ではあちらのビルの最上階で……」
ミトさんが橋の向こうの建物を指差した時、マノリアはそれを無視して口を開く。
「わしはファミレスに行きたいっ!」
唖然とする僕とミトさん。
「マノリア、君がそんな庶民的な店に行くことは……」
「何を言っておるのじゃ! ファミレスと言えばアニメに良く出てくる飲食店じゃぞ? 一度は行きたいと思っていたのじゃ!」
そう言われると僕もミトさんもマノリアに従うことしかできない。何の変哲もないそのファミリーレストランに入店すると、僕とマノリアは店員に促されるまま向かい合わせに席に着く。
「ミトじいよ、そんなにかしこまるでない。ここは気楽に楽しむレストランじゃ。郷に入っては郷に従えじゃぞ?」
僕もマノリア王女も、歩き回ってお腹が空いていたようだ。メニューからそれぞれ、ハンバーグ、エビフライ、スパゲティナポリタン、シーザーサラダなどを注文する。
「もぐもぐ……うむ、うまいではないか! 日本の一般庶民は普段からこんなにうまいものを食べているのか?」
「僕もあんまり来たことがないけど、そのようだね」
そんな他愛のない会話から、話はアニメやゲームなどに雪崩れ込む。
「じゃから、あれは監督のオタクとしての自分を投影していて……」
「では、黒幕は監督のアニメ監督としての自分かな? オタクとしての自分を不幸に陥れるという」
「ほう! それは面白い考え方じゃのう! もっと兄上の考察を聴かせてくれっ」
話に夢中になる僕たちを気遣ってか、ミトさんは窓際のカウンター席にいつの間にか移動していた。外はすっかり真っ暗になり、話も尽きたかと思われたその時。
「
マノリアさんは一瞬真顔になったかと思えば、急に口調と表情を高飛車に変化させる。
「……えっと、マノリア」
「な、なんじゃ? わしがどうかしたのか?」
慌てた様子のマノリアに僕は、再びあの質問をぶつける。
「日本語はどこで覚えたの? それにその口調、なんか無理してるみたいだけど……」
「な、何を言っておるのじゃ! 無理なんかしておらんぞ! 日本語は日本の小説投稿サイトを読み漁って覚えたのじゃ! どうじゃ? 様になっておるじゃろう」
「そ、そうなんだ……」
「なんじゃその怪訝そうな顔は! 知らんのか? 高貴な立場の女性というのはこういう口調で喋るものなのじゃぞ!」
「そっか、ライトノベルのお約束だね。というか、マノリアもそんなものを読むんだね」
「コラ、失礼ではないか! 小説投稿サイトで無料で読める小説だって、素晴らしいものが沢山あるんじゃぞ!?」
「ああ、いや、貶すつもりはないんだ。僕もライトノベルは好きだしね」
「本当か? しかし、小説投稿サイトというのは困ったもので、筆者が急に連載を中断してしまうことも多く、せっかく面白いのにもったいないと思うことが多いのじゃ」
「それは……きっと筆者さんが読者さんの反応が少なくてモチベーションが保てなくなってしまうんだよ……」
「ふむ、わしもそうならないように、大好きな作品には感想で応援コメントを送っていたのじゃがな……それでもやめてしまう者はおるのじゃ」
マノリアは少し目を伏せて続ける。
「確かに、相手の気に障るようなコメントを送ってしまうこともある……じゃが、好きな作品でなければ感想など送らん! ……でも、『どこまで本気なのかわからない』なんて書いたこともあって、それは後悔しておるのじゃ……」
「えっ……」
「ちゃんと最初に『ファンです』とも書いたんじゃぞ! それなのに、その筆者は連載をやめてしまったのじゃ……」
マノリアは更に深く頭をもたげ、それっきり黙ってしまった。そして、しばしの沈黙。それを破ったのは僕だった。
「それって……世界が終わったと思ったら高校生になったりする話じゃないかな……?」
「そ、そうじゃ。そのあと大学生になって、虫型のロボットに乗り込んだりして……」
「主人公が眠りについたところで……中断した」
「な、なぜそれを知っているのじゃ? 兄上も読んだことがあるのか?」
「知ってるも何も……それを書いたミナトというのは……僕だよ」
僕はマノリアの表情を見ることができなかった。視線の先、太ももの上で握りしめた手は震えている。
「……ミ、ミナト先生……なのですか?」
「……うん」
「お会いしとうございました……」
その声は震え、語尾に少し鼻をすする音が混じる。僕がゆっくりと顔を上げると、マノリアはその白魚のように美しい指で、目尻に輝く涙を拭っていた。
「本当に、兄上がミナトさんだったんですね」
「そうだよ……最後まで連載できなくて……ごめん」
「いえ、人には事情がありますゆえ……書けなくなることもあるでしょう」
「口調、変わってるよ……」
「あはは、ごめんなさい。私だって正しい日本語くらいわかっていますよ。ですが、日本に来たら『のじゃロリ』で行こうって決めてたんです」
「なんだよそれ……ははは」
その時、僕も涙を流しながら笑っていた。
「あの、兄上……」
涙に滲む視界の先に、僕への問いかけをしようとするマノリアが見える。
「なんだい?」
「……私の、本当の兄上になってくれませんか……?」
僕が涙を拭うと、その顔は真剣そのもので、僕の瞳を真っ直ぐに見つめていた。
「本当の……お兄さん……?」
「そうです。私の、兄上に……」
「それって、どういう……」
「私、この国で兄上と一緒に暮らしたいんです……! ダメですか?」
周りの客は皆、楽しそうに談笑しながら食事を摂っていた。そんな中で僕とマノリアだけが、止まった時間の中にいるかのようだった。僕の頭に浮かんだのは
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