第44話 王女の望むがままに

 偶然出会った異国の王女マノリア。日本のアニメが大好きな彼女に招待されて、僕と珠彩シュイロはリムジンに乗っていた。


「ああ、ごめんなさい。妹、寝ちゃってるみたいで……」


 珠彩シュイロはスマートフォンを片手に、燈彩ヒイロちゃんと連絡がつかなかったことを告げる。


「おお、そうなのか。今日はこの国の休日なのであろう? 妹さんは徹夜でゲームでもしていたのか?」


「いえ、恐らくマンガの原稿を徹夜で描いていて……」


 珠彩シュイロは苦笑いを浮かべる。


「マンガ? なんじゃそれは?」


「絵と文章を組み合わせて物語を綴ったものです」


「ほう、それはライトノベルのことじゃな? 文字の海の中に浮かぶ夢の島、それが挿絵じゃ」


「あー、いえ、違うんです。実はマンガというのは50年前に……」


「もう、兄貴、そんな蘊蓄語り出したら失礼でしょ?」


 珠彩シュイロが横槍を入れて僕の話を遮る。それに対するマノリア王女の反応は意外なものだった。


「なあ、珠彩シュイロと言ったか? そなた、菜音ナオトのことを兄貴と呼んでおるが、そなたは菜音ナオトの妹なのか? 苗字が違うではないか」


「あ、いえ、それは……」


 僕が小声で否定し始めたのを見るや、珠彩シュイロは大声でまくしたてる。


「はい! そうなんです。菜音ナオトは私の兄貴……になる予定……なんです! 私たち、兄妹なんですよ。苗字が違っても、後から兄妹になれる制度が今年の春に施行されるんです」


 "になる予定"の部分だけ目を逸らして小声で呟く珠彩シュイロであった。


「そうか、そなたは菜音ナオトと自分の意思で兄妹になるということじゃな! ふふ、そうかそうか、ではわしもこれからは菜音ナオトのことを兄上と呼ぼう!」


「えー、あなたもですか……うーん……」


「ふふふ、わしはまだ15歳じゃ! そなたはそれよりは上であろう。年上の男性を兄上と呼んで何が悪い!」


「ま、まあ、いいんじゃないですか? 兄貴も良かったわね。王族の妹ができるなんて……くくくっ」


「だから、僕の妹は果音カノンひとりだって……」


 僕と珠彩シュイロがいつものやりとりを交わしていると、マノリア王女は少し拗ねたような表情を見せる。


「……ふん、確かに兄妹というのは良いもののようじゃな。ところで兄上よ、先程言いかけた、マンガというものについてだが、もっと詳しく教えてはくれまいか?」


 僕はマノリア王女に蘊蓄の続きを披露した。その様子を冷ややかな視線で見守る珠彩シュイロとは対照的に、彼女は僕の話に興味深く聴き入ってくれた。そんなひとときを交わすうちに、リムジンは都心にあるシンボル的な超高級ホテルの敷地内に進む。


「姫様、珠彩シュイロ様、菜音ナオト様、こちらが我々が宿泊するホテルでございます。もうお食事の用意はできているようですが、いかがなさいますか?」


 ミトさんが丁寧な口調で僕たちに問う。


「何を言う、ミトじいよ! 珠彩シュイロと兄上に話を聴くのが先に決まっておろう!」


「かしこまりました。珠彩シュイロ様と菜音ナオト様もよろしいでしょうか?」


「「は、はい」」


 というわけで、そのホテルの最上階にあるレストランの個室に招かれる僕たち。


「緊張するわね」


 珠彩シュイロは少し震えていた。僕はと言えば、子供の頃からこういった場所には慣れていたため、彼女を庇うように寄り添いながら、椅子に腰を掛ける。


「そういや兄貴は根っからのお金持ちだものね。成り上がった私たち家族とは違うのよね」


 呆れたような表情でそう漏らす珠彩シュイロ。そんな僕たちの前に、トマト、モッツァレラチーズ、バジルが並んだ前菜が運ばれてくる。僕たちは次々に登場するパスタ、肉料理などに舌鼓を打ちながら、「ハイタッチガール」の話に花を咲かせていた。


「オープニングテーマのあとに登場した先輩配達員が……」


「口では強がってたけど本当は……」


「途中で登場した絵描きのセリフが……」


「あのセリフは監督が実際に……」


「頭の上の巨大な赤いリボンが印象的で……」


 しかし、隣の珠彩シュイロはと言えば、最初はにこやかに相槌を打っていたものの、僕たちの話に混ざることができず、コースの最期を締めくくるデザートが運ばれて来る頃にはすっかり口を開かなくなっていた。


珠彩シュイロ……珠彩シュイロっ!」


 僕はうつらうつらとして瞼が閉じかけた彼女を呼ぶ。


「……ああ、兄貴? お料理、美味しかったわね」


「大丈夫?」


「だ、大丈夫よ……えっと、マノリア王女、ごめんなさい、私ちょっと疲れちゃったみたいで……」


 珠彩シュイロは僕からマノリア王女に視線を流し、作り笑顔で小さく謝罪する。


「これは申し訳ないことをした……そなたのことを放ったらかしにしていたようだな。すまない」


「いえいえ……」


 珠彩シュイロの作り笑顔は苦笑いに変わる。そのタイミングを見計らっていたのか、扉付近にずっと立っていたミトさんが口を開く。


「お食事も済んだことですし、この辺でお開きにしませんか」


 しかし、その言葉にマノリア王女は不機嫌な様子を見せる。


「じい、良いところだというのに……」


「しかし姫様、おふたりに迷惑がかかっては……」


 マノリア王女の視線は、ミトさんから僕へ、そして珠彩シュイロへと移る。


「あっ、では私たちはこれで失礼致します。この度は本当にありがとうございました」


 珠彩シュイロはいつになく慎ましやかな態度で頭を下げる。


「そうか……うむ、珠彩シュイロに兄上よ、また会おうぞ……」


 マノリア王女も渋々納得してくれたようだ。珠彩シュイロそっちのけで宮坂監督の話に夢中になってしまった僕も、名残惜しい気分だった。レストランを出て廊下を歩く僕と珠彩シュイロ、エレベーターの前に差し掛かったところで、僕は視線を感じる。いや、僕には後ろ髪を引かれる思いが湧き上がっていたのだ。僕は立ち止まって振り返る。


 チーン


 僕はエレベーターが到着する音に意識を向けることができなかった。なぜならば、振り返った先の少女は、その赤い瞳で僕を引き留めようと訴えかけていたのだから。


「ねえ……」


 珠彩シュイロがエレベーターの中から小さい声で僕を呼ぶが、僕はそれに応えることができなかった。


「はあ……わかったわ。私、先に帰ってるわね」


 エレベーターの扉が静かに閉まる。僕は身体を廊下の先の少女に向け、足を一歩前に踏み出す。


「……兄上」


 僕の視線の先から控えめな声が響く。それと同時に、僕はゆっくりと足を運び始める。しかし、マノリア王女は僕を呼び終えると共に、その足で廊下を力強く蹴りつけていた。あっという間に肉薄し、僕の身体にめり込むように衝突した少女の身体は、羽のように軽かった。その抱き心地は柔らかく、儚さを感じさせる。僕の鼻の真下には白銀の美しい髪を湛えた彼女の頭があった。なぜだろう、この少女は他人のはずなのに、ずっと前から知っているような懐かしい匂いがする。僕がその不思議が感覚を味わっていると、少女は顔を上げた。


「兄上! わしはアキバに行きたい! 案内してくれぬか?」


「えっ?」


「知らんのか? 秋葉原じゃ」


「いえ、それはわかりますけど……」


「ううう、日本に来たのにアキバに行かないなんてあり得ないじゃろ! さあ、早く行こう!」


「は、はい、わかりました」


「では姫様、菜音ナオト様、今すぐ車を用意いたします」


「わし、着替えてくるっ! ちょっと待っておれ!」


 急いで着替えを終えたマノリア王女、僕、ミトさんの3人でエレベーターを降り、フロントから外に出ると、既にリムジンが待ち構えていた。そこに半ば押し込まれるように乗り込み、一路秋葉原を目指す。


「ふふふ、兄上とアキバ観光じゃ♪」


 僕の隣で上機嫌になって体でリズムを取るマノリア王女。彼女の服装は何故か黒のブレザーとグレーのチェックのスカートだった。襟元には青いリボンが揺れている。そう、彼女の服装は日本の女子高生の制服のようなものになっていたのだ。

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