第8章 PRINCESS SISTER

第43話  マノリア・ミア・メルクリア

「ここが日本か。どこから攻略してやろうかのう」


「姫様、あまり寄り道をされますと、楽しみにされていた映画の初回上映に間に合わなくなりますぞ」


「わかっておる。ミトじいよ、わしは今感動しているのだ。自分がオタクの国にいることをな!」


 彼女は空港の中を弾む足取りで進んでいた。白銀のストレートヘアと深紅の瞳、艶やかなシルクの白いドレスが周囲の目を引き付ける。その後ろには黒のスーツを身にまとった壮年の男性が、トランクを引きながら付き従っていた。


「姫様、迎えの車を用意しております。こちらへどうぞ」


「ううう、じい、わしは楽しみじゃ! 宮坂監督の最新作をこの国で、この目で見られるとはな!」


 彼女は膝を高く上げ、跳ねるように足踏みをしながら、お付きの男性の前で笑顔をこぼす。


「そんなにはしゃいでいると転びますぞ。足元にお気を付けください」


 そして、空港を出たふたりは、黒いリムジンに乗り込んだ。その車体はスムーズに、振動ひとつ立てずに発進して、映画館を目指すのであった。


「これが日本の街並みか! アニメで見た通り、建物がひしめき合って建っておる。それに道もこんなに狭いなんて、この車が小さいのには驚いたが、この道では仕方がないのう」


「食堂、病院、娯楽施設の数々、これが日本の文化です」


「ミトじいも初めて来たんじゃろ? 映画のあとで存分に楽しもうぞ!」


「いえ、以前一度だけ……それに、私は姫様が幸せならばそれで構いません。さて、そろそろ到着するようです」


 まずは壮年の男性が降りて履物を用意する。白のストッキングに包まれた細くてしなやかな脚が、白のハイヒールに滑り込む。そして、彼女と男性が踏み出した先には、巨大な映画館がそびえ立っていた。


「しかし姫様、本当によろしかったのですか? このような大衆と共に映画など……」


「無粋なことを言うでない。わしはこの映画をここにいる者たちと同じ立場で鑑賞したいのじゃ。この空気を体感するのも目的のひとつなのだからな。ミトじい! もちろんそなたも一緒にじゃ!」


「さようですか。かしこまりました。では、私も遠慮なく楽しませていただくとしましょう」


「それで良いのじゃ。ふふふ、楽しみじゃのう」


 彼女と男性は予約していた席で上映開始を待つ。高級なドレスに似つかわしくないポップコーンの容器を抱えた彼女は、足を軽くパタパタと前後に動かし、数々の予告編を眺める。


「おや、始まるようですよ」


 間接照明すらも消え、辺りは真っ暗闇に包まれる。正面のスクリーンに映し出された文字は――


「ハイタッチガール」


 ――2時間後、涙を拭う少女と、それを庇いながらも満足気な表情を浮かべた男性がスタジオを出る。そして、ふたりはエレベーターに乗り込んだ。


「1階でよろしいですか?」


 男性はその女性の問いかけに感謝の言葉を告げる。エレベーターが下り続ける中、先に乗っていた男が口を開く。


「うーん、さすが宮坂監督、シリアスな場面でパンツを見せてくるなんて」


 すると、隣にいる先程1階のボタンを押した女性が応える。


「あんた、涙流しながらどこ見てたのよ。大体、試写会で1回見たんだから、こんな人混みの中で見ることなかったでしょ?」


「でも、珠彩シュイロだって泣いてたじゃないか」


「兄貴みたいにパンチラ見て泣いてたわけじゃないわよ。燈彩ヒイロが担当した作画を見て感動したの」


 そう、その会話を交わしているのは、僕、天海アマミ菜音ナオト月詠ツクヨミ珠彩シュイロであった。僕たちは、「ハイタッチガール」の初回上映に馳せ参じたというわけだ。


「うん、朝食を作る場面と食べる場面、一部の原画まで担当させてもらえたなんて、本当に良かったよ」


「そうね。作画の仕事で燈彩ヒイロも自信がついたみたい。今日一緒に見に行こうって誘ったのに、マンガを描くのに夢中だからって断られたのよ」


「あはは、だから来なかったのか」


 燈彩ヒイロちゃんが描いたマンガはネットに公開され始めており、その反応は上々。燈彩ヒイロちゃんは否が応にも原稿を進めなくてはならない状況でもあったのだ。その時、白銀の髪と深紅の瞳の少女が口を開く。


「もし、そなたらはあの映画の関係者か何かなのか?」


「え……っと、そうですけど」


 僕は彼女と初めて目を合わせる。その時一瞬、僕はその少女に果音カノンの面影を垣間見たのであった。


「何ボケっと人のこと見てるのよ? 失礼でしょ。……コホン、はい、その通りです。私たちはあの映画の製作委員会のメンバーで、出資をしているんです」


「そ、そうなのか! あんなに素晴らしい作品が完成したのはそなたらのお陰というわけか!」


 彼女は驚きつつも、満面の笑顔を見せる。


「それに、あの朝食のシーンの作画、そなたらの友人が作画しておるのか? あそこはすごく良かったぞ!」


「ありがとうございます。あそこは私の妹が作画しておりまして」


「そなたの妹が! そうか! 是非、話を聴かせて欲しいのじゃが!」


 その時、エレベーターは1階に到着した。


「と、とりあえず降りませんか?」


 僕は半分苦笑いを浮かべながら、彼女らを外へといざなった。映画館を出てすぐ、タイミングよく現れた黒いリムジンの前で、彼女は僕らを誘う。


「さあ、これに乗るのじゃ。わしはそなたらにお礼がしたい!」


「「お礼?」」


 僕と珠彩シュイロは声を合わせて疑問符を投げる。


「そうじゃ! それに、そなたの妹にも会いたい!!」


「妹ですか……ありがたいことではありますが、見ず知らずの方にそこまでしていただかなくても……」


 珠彩シュイロは目の前にいる神秘的な雰囲気の少女に気後れしているようだった。その珠彩シュイロの態度を受けて、お付きの男性が一歩前に出る。


「こちらはメルクリア王国の王女、マノリア・ミア・メルクリア様であらせられます。私は王女の執事をしております、ミト・テルライトでございます」


 目を閉じ頭を下げる壮年の男性に、僕たちはさらにたじろいでしまう。


「コラ! ミトじい、メルクリア王国はもう……」


 マノリア王女は小声でミトさんをたしなめるが、珠彩シュイロはそれに気付かず反射的に口を開く。


「え、王女様って、あの……いえ、そうだったんですか。……私は月詠ツクヨミ珠彩シュイロといいます」


 珠彩シュイロは何故か複雑な表情を見せたあと、微笑みながら名乗った。僕もそれに続く。


「僕は天海アマミ菜音ナオトといいます」


珠彩シュイロ菜音ナオト、良い名前じゃな。とにかく、ここで会ったのも何かの縁。一緒に食事でもどうじゃ?」


「はあ……じゃあ、お言葉に甘えて……」


「ちょっと! 兄貴……」


 僕の言葉に珠彩シュイロは、僕の袖を引っ張りながら小声で引き留める。


「相手はお姫様よ? 何か失礼でもあれば、あんたなんて小指で弾き飛ばされるのよ?」


「と言われても……」


 僕が動かした視線の先には、キラキラと赤い瞳を輝かせた少女が返事を待っていた。


「……わかったわよ、もう。忘れてたけどそういやあんた、名家のお坊ちゃんだったわね」


 珠彩シュイロは息を整え、真っ直ぐにマノリア王女を見据えて答える。


「ハイタッチガール製作委員会のひとりとして、こんなに喜んでいただけたことは大変光栄です。わたしくどもでよろしければ、ご一緒させていただきます」


「うむ、そうこなくっちゃじゃ! ささ、乗るが良い」


 僕と珠彩シュイロはマノリア王女を挟んでシートに座る。リムジンの中は、外から見るよりも広々としていて、移動しているとは思えないほど快適だ。僕もかつては家の事情でよくリムジンに乗せられていた。そんなことをふと思い出していた。

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