第42話 贖罪

 ネットアイドルサイネの、いや、僕の尊い犠牲を払って、夢咲ユメサキ美楽ミラクへの疑惑は晴れ、映画への出演に対する批判は鳴りを潜めることになった。


「ありがとうございました!」


 次々と会見場を後にする記者たち。珠彩シュイロはその様子を尻目に、四十万シジマプロデューサーの部屋へと戻る。


「ありがとうございます……珠彩シュイロ……お嬢様」


「……あら、今更そんな白々しい呼び方しないでくれる? 小さい頃はお世話になりました。とでも言えばいいのかしらね」


「……いえ、私は」


「しかし、まさかあなたがアイドルのプロデューサーになっていたなんてね。女性を意のままに操るのがお得意のようで……」


「それは……」


「でも、不思議なのよね。あなたは器用に立ち回るだけの能力があった。それなのに、なぜ炎上するようなことをSNSに投稿したの? まさか、ああ言えばネットユーザーが自分の行いを悔いるとでも思ってたの?」


「あれはつい……」


「あんなの謝罪でもなんでもないじゃない。バカなの? それでも敏腕プロデューサー? 夢咲ユメサキさんが売れたのは、きっと彼女自身のポテンシャルのお陰だったのね。ただ、あなたは目の付け所が良かっただけ」


「……違うんです。私は両親の離婚でひとりになったあの子に……その、情が移ってしまったようで……あの子が頑張ってるのに……あんな言い方をされるなんて……」


「親心ってやつ? ……あなた、自分がしたことを棚に上げて、勝手にそんなものを芽生えさせてたの?」


「……自分のしたこと……返す言葉もありません」


「ふん、やっぱりね……でも、もう済んだことだからね。今更昔に戻ることなんてできないもの。ただ、私があなたにお願いしたいことは……」


 その時、部屋の扉をノックする音が響く。目配せを交わししばし沈黙するふたり。


「……いいわ」


「す、すみません」


 四十万シジマプロデューサーは部屋の扉を開ける。すると、そこに立っていたのは――


 ――一方、夢咲ユメサキ美楽ミラクこと湯崎ユザキこのみは、僕の瞳を見つめ、その言葉に耳を傾けていた。


「僕は強いわけじゃないよ。ただ、妹が帰ってくることを信じれば、どんなことでも耐えられる気がするんだ」


「それが強いっていうんだよ、おにい」


「……そうか。ねえ、このみ、本当にアイドルをやめるのかい?」


「うん、やめるよ。だって、私の人気も、映画の役に抜擢されたのも、私の実力じゃない。私の立場は私にとって分不相応なんだよ」


「君は、自分のことがそんなにわかっているのかい?」


「そうだよ。私はアイドルっていう仮面を被らなければ、ただの女子高生」


 そう言いながら夜空を見上げる彼女の瞳は、どの星よりも美しく、しかし悲しく輝いていた。


「僕も、自分には何もないと思っていた。だけどね、僕の持っていた財産は、アニメスタジオを蘇らせたんだ。それは行き詰った現状を捻じ曲げる力だったんだ」


「なにそれ、自慢?」


「違うよ……人には自分ではわからない力を持っていることがある。そして、それを持つ者は、その役目を果たさなきゃならないってことだよ」


「どういうこと?」


「僕が資産を持っているなら、その資産で救えるものを救うのが僕の使命だ。同じように、アイドルとして人に慕われているならば、それが本人にとって望まぬ力であろうと、人に夢を見せなきゃならない。そう思わないか?」


「……私を説得しようっていうんだ? おにい、やっぱりお父さんみたいだね」


「このみは自分を過小評価している。演技だって、あんなぶっつけ本番のようなものでなければ、立派にこなすことができるかもしれないんだ」


「そうやっておだてたって……」


「でも、さっきは責任取って最後までやり切るって言ったよね?」


「……そうだね。わかった。アイドルもやり切れってことでしょ? もう、しょうがないな」


「ありがとう」


「なんでお礼言われなきゃならないんだか……お礼を言いたいのは私の方だよ。ありがとう、おにい」


「うん……」


 その時ふたりは迷いの消えた瞳でお互いを見つめていた。


「あ、でも、おにい、私にアイドルやれって言うなら、おにいだって、サイネちゃんやり切らなきゃならないことになるよね?」


「……えっ?」


「だってー、みんなに希望を見せたんだよね? その責任は取らないと」


「……さて、もう帰るかな~」


「あははははっ! まあ、いいよ。おにいは私専属の演技の先生になってくれれば。じゃあ、もう行こうか」


「……ああ」


 こうして、公園のベンチを立つふたり、僕とこのみは、本当の兄妹のように並んで歩きはじめる。


 ――そして、時を同じくして、珠彩シュイロは心を掻き乱さんばかりの出来事に遭遇していた。


大吾ダイゴくん……」


赤依アカイさん……!」


 四十万シジマプロデューサー越しに見えたその懐かしい顔に、珠彩シュイロは声を上げる。


「マ……くっ、やっぱりそうだったのね……!」


「……ごめん、珠彩シュイロ


 現れたのは珠彩シュイロの実の母、赤依アカイであった。数年ぶりの再会に、ふたりはしばし言葉を失う。


赤依アカイさん、なぜここに……」


大吾ダイゴくんのことが気になってつい……いえ……」


 すると、赤依アカイさんは四十万シジマプロデューサーの横をすり抜け、自分の娘の元へと歩み寄る。


珠彩シュイロ……大きくなったわね」


 しかし、距離をつめようとする母を拒絶するように、珠彩シュイロは後ずさる。


「や、やめてよ……勝手に出て行ったのに、今更母親面しないでよっ……」


「……ごめんね、珠彩シュイロ、お母さんが悪かったわ。あなたがあんなに立派に話せるようになったなんて……辛い想いをさせちゃったわね……」


 珠彩シュイロの手を取り、抱き寄せようとする赤依アカイさん。しかし、珠彩シュイロはそれを振りほどき、目を固く閉じてかぶりを振りながら叫ぶ。


「こんな男にたぶらかされるような女なんて、私知らないっ! 近寄らないでっ!!」


「……そうね。私がバカだったわ。大吾ダイゴくんは何も悪くないの」


「いやだ、聴きたくない……!」


「ごめんね。全部私が悪かった……だから」


「……いやっ!」


「だから私……お父さんと燈彩ヒイロにも謝って……」


「嫌だって言ってるでしょ!!」


「……珠彩シュイロ


珠彩シュイロ……ちゃん、お母さんがこう言ってるんだ……」


「あなたは黙っててよ!」


 珠彩シュイロは現実を受け入れまいとするように、目を閉じたまま下を向き、その身を強張らせる。


「……すまない」


「……大吾ダイゴくん、もう終わりにしましょう。私たちは全てを償って……」


「やめて……!」


 赤依アカイさんと四十万シジマプロデューサーは、小さく呟いた珠彩シュイロの前で押し黙る。


四十万シジマさん、あなたはこれまで通り、表に顔を出さないでください……それと……」


珠彩シュイロ……?」


 珠彩シュイロは母の声に顔を上げる。ふたりが目を合わせると、珠彩シュイロは低く垂れこめた雲のように重い声で、しかしはっきりと母への想いを告げる。


「あなたは二度と、私と父と妹の前に姿を現さないでください……ママ、あなたに贖罪なんて……させないわ。苦しむのは私だけで十分よ……!」


 そして、身動きひとつできず押し黙るふたりを残して、珠彩シュイロはその部屋を後にした。ホテルの駐車場で運転手が待つ車に乗り込むと、彼女の目からは大粒の雫が次々とこぼれ落ちていた。


「……珠彩シュイロお嬢様、あなたのご立派な姿、しかと見届けました」


「恥ずかしいわね……もう、こっち見ないでよ」


「お嬢様はいつ見てもお美しゅうございます」


「変な冗談やめてよ。いいから出して。もう帰るんだから」


「はい……」


 運転手は前を向いたまま、珠彩シュイロにハンカチを差し出しながら車を発進させる。


「ぐすっ……」


 プルルルルルル……プルルルルル……


 しんみりとした社内に響き渡ったのは珠彩シュイロのスマートフォンの着信音。その相手は。


「あの……珠彩シュイロ、僕のこと、テレビでなんか言った?」


「は? 何が? 今大事な仕事を片付けてきたところだから疲れてるのよ」


 鼻をすすりながら強がって見せる珠彩シュイロに、僕は慌てて重要な確認を取ろうとする。


「いや、なんかSNSに僕とサイネが同一人物で、男が好きだって……」


「あー、そのこと? あはは、もしかしたら言ったかもね。いいじゃない。嘘はついてないわよ? 観方によればそういうことになるでしょ?」


「なんでだよおおおおおおおおおおおおっ!」


「あはははっ! ごめんごめん、夢咲ユメサキさんを守るためだったのよ! あんたも役に立ちたいって言ってたでしょ? 夢咲ユメサキさんのスキャンダルなんて吹っ飛ばしてあげたんだから!」


「こういう役に立ち方は望んでないよー!」


「……くくくくく……あ、そういえば、夢咲ユメサキさんはどうしてるの?」


「ちょっと、僕の話を聴いてよっ!」


「いいから、聴かせなさいよ、夢咲ユメサキさんのこと。あんたのことだから、知ってるんでしょ?」


「……うう……このみだったら、一度アイドルを辞めるって言ってたけど、やっぱり続けることにしたよ」


「ふーん、そう。じゃあ、私もやらなきゃならないことが増えるかもね……」


「どういうこと?」


「ああ、なんでもない」


「変な奴だな……」


「……あとさ、兄貴は私の前から急にいなくなったり……しないわよね?」


「なんだよ、藪から棒に……」


「しないわよね?」


「する訳ないじゃないか……珠彩シュイロとは……もう腐れ縁だよ」


「あはははっ! わかった……ありがとう」


 珠彩シュイロはそう言って一方的に電話を切ると、運転手に貸してもらったハンカチで再び目元を拭うのだった。こうして、映画「ハイタッチガール」の製作は滞りなく進むこととなった。その製作の中で、燈彩ヒイロちゃんも作画の経験を積み、自分の画力が確かなものとなっていくのをひしひしと感じていたのだった。そして、映画は無事公開を迎えることとなる。

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