第39話 朝帰りと赤と白

「メリークリスマース!」


 パァンッ!!


 このみのマンションから帰宅した僕のスーツに、破裂音と共に色とりどりの紙テープが絡みつく。僕が唖然としていると、目の前にはクラッカーを掲げた悠季ユウキさんが立っていた。その姿はいつものメイド服ではなく、赤と白の衣装を身に着けていた。


「え……」


「はぁ……クリスマスだというのに、どこをほっつき歩いていたんですか?」


 悠季ユウキさんの冷たい視線から目線を外し、カレンダーを見た僕は、その日が何を意味するのかを理解した。


「今日って……12月25日?」


「そうですよ。全く、誰かさんは怒って帰ってしまわれました」


 ちゃぶ台の上には拉げた箱が佇んでいた。その赤いリボンがかかった箱に入っているのが、ケーキだというのは想像に容易かった。


「誰か……来てたの?」


「ええ」


「誰?」


「教えません。菜音ナオト様はもうちょっと、女の子の気持ちを理解した方がよろしいかと」


 先程のこのみの評価とは打って変わって、悠季ユウキさんからの評価は辛辣なものだった。僕が何か悪いことをしたのだろうか。朝まで家を空けていたということは確かに良いことではないが、そこまで咎められることなのだろうか? と、その時僕のスマートフォンが鳴る。


「……珠彩シュイロ?」


「……どうなっても知りませんよ」


 悠季ユウキさんはその言葉を残してくるりと背中を向け、家事を始める。


「はい……」


「兄貴!? あんた、今どこにいるのよ!?」


「え、家だけど?」


「家? 誰の家よ?」


「いや、自分の……」


「ったく、あんた、自分が何をしたのかわかってるの!?」


 彼女の口調はやたら早口で音量が大きかった。そこから伝わってくるのは焦りと怒り。その感情を僕は受け止めきれず困惑する。


「何って……何が?」


「あああああああああああああっ!! ちょっと、急ぐわよ!」


「は、はいっ、お嬢様!」


 電話口から聞こえてきたのは、珠彩シュイロの咆哮と、そのお抱え運転手の怯え切った声だった。その声を最後に電話は途切れてしまう。


「……なんだったんだろう」


菜音ナオト様」


「へ?」


「私は少し、買い物に行って来ます」


「こんな早い時間に?」


「ええ、命が惜しいので」


「サンタの恰好のままで?」


「ええ、命が惜しいので」


 キキーッ!


 悠季ユウキさんが赤白のまま扉を開けて出て行くと、程なくして車のブレーキ音が響き渡る。それは朝の優しい光には似つかわしくない、体に戦慄を走らせる音だった。


 カンカンカンカン!


 階段を蹴り昇る何者かの足音が響く、そして、その主は当然のごとく、僕の家の扉を開く。


 バンッ!


「兄貴!!」


「ああ、珠彩シュイロ……どうしたの?」


 その時の彼女の顔は、怒りに歪み、涙を滲ませていた。彼女は僕に向かって飛びついてくる。


 バターンッ!


 僕は彼女に強烈な体当たりを食らい、畳の床に押し倒されていた。そして、気が動転した僕の頬を、暖かい雫が伝う。


珠彩シュイロ……泣いてるの?」


「……あああっ!! 違うわよ! 怒ってるの!!」


 しかし、その言葉とは裏腹に、彼女の目からはとめどなく涙が滴り落ちる。その振り上げた左の拳が、僕の耳元で畳に炸裂する。


 ドンッ!


「一体、何があったって言うんだよ?」


「……くぅぅぅ、うわあああああんっ!」


 彼女は僕の胸に顔をうずめて声を上げて泣いた。しかし、右手では起用にスマートフォンを操作して、動画を再生し始める。


「うう……これ、観なさいよ」


 スマートフォンを観ずに僕の胸に顔をうずめたまま怒りと悲しみが入り混じった声で促す珠彩シュイロ。僕はその映像に目と耳を傾ける。


「人気アイドル、夢咲ユメサキ美楽ミラクさんは、クリスマスイヴの夜、男性と一緒にマンションへと消えてゆきました」


 僕は唖然とした。それが意味するところを瞬時に理解したからだ。


「これ……あんたでしょ?」


 依然、顔をうずめたまま僕を責めるように問いかける珠彩シュイロ。僕はそれに答えることに抵抗を覚えたが、なぜか彼女に申し訳ないような気がして口を開く。


「そ、そうだよ。これは僕だ」


「やっぱり……そうだったのね」


 更に珠彩シュイロの右手は素早くスマートフォンを操作する。


「これも見なさいよ!」


 僕は本能的にその画面から目を背けたくなる。珠彩シュイロが画面も見ずに右手だけで導き出した画面に、何が映っているのか想像に容易かった。僕は一度目を閉じ、深呼吸をしてから覚悟を決める。


「……そっか、やっぱりそういうことか」


 僕が目にしたのは、SNSにぶつけられた夢咲ユメサキ美楽ミラクとそのマンションに消えた男性――僕への攻撃的なメッセージの数々だった。


「あの男、許せない! 美楽ミラクちゃんを返せ!」


夢咲ユメサキはもう中古。出演してる映画も汚されてしまった」


「元からビッチ臭漂わせてたじゃん、あの女。あの男は逆に夢咲ユメサキに引っ掛けられたんじゃないかな?」


 目を覆うばかりのコメントが、僕の心を掻きむしる。さっきまで一緒に居た少女と僕に対する誹謗中傷は、スクープが報じられて1時間もしていないにも関わらず、話題のトップを攫っていた。


「もう一度聴くわ、兄貴、自分が何をしたのかわかってるの……?」


 さっきの電話と同じ問いではあったが、その口調は落胆に溢れかえっていた。


「……僕は、あそこでこのみに演技を見せてくれって言われて……」


「このみ?」


「ああ、それは夢咲ユメサキさんの本名で……」


 ドンッ!


 再び珠彩シュイロの拳が畳に叩きつけられる。しかし、僕は言葉を続ける。


「彼女は僕がサイネだって見抜いてたんだ。アフレコ現場の帰り道、呼び止められて、どうしたらあんな演技ができるのかって……」


「……じゃあ、何もしてないのね?」


 珠彩シュイロは顔を上げ、泣きはらした目を更に潤ませながら僕を問い詰める。


「だから、演技を……」


「そういうことじゃなくて! ……って、その様子なら何もなかったみたいね」


「何が?」


「……な、なんでもないわよ! それで、夢咲ユメサキさんに演技を教えてたのね?」


「そうだよ。『ハイタッチガール』の台本を全部読んで……」


 僕は自分が女子高生の制服を着ていたことはそっと胸の奥深くにしまっておいて、珠彩シュイロに経緯を説明した。


「そう……」


 珠彩シュイロの瞳はいつもの厳しさと優しさを取り戻していた。彼女は僕の身体の上から離れ、ちゃぶ台の上のケーキの箱を開きながら、淡々と話しはじめる。


「しかし参ったわね。こんな状況になるとはね。兄貴がうかつなのと、夢咲ユメサキさんが兄貴のことを知っていたのを計算に入れてなかったわ……はぁ……」


「そっか、スキャンダルに利用されてしまったってことだね」


「ふん、やっとわかったの? 察しが悪いわね。作品がよくなるためのことだから、まあ悪くはないけど」


「ってか、珠彩シュイロは僕が女性の演技をして夢咲ユメサキさんに教えてたっていうのがおかしいとは思わないの?」


「思わないわ」


 珠彩シュイロはひしゃげてぐずぐずになったケーキを台所に運び、戸棚から皿を2枚取り出した。


「だって、あんたの動画を見てたらわかるもの。あれは本物の女子を超えた女子の演技よ。そうそうできるものじゃないわ」


 危なっかしい手つきでケーキを切り分け、2枚の皿に乗せる珠彩シュイロ


「いやいや、僕は男なんだけどね……」


「だからじゃないの?」


 珠彩シュイロはちゃぶ台に切り分けたケーキを運び、僕にフォークの柄を向けて差し出す。


「あ、ありがとう」


「まあ、食べなさいよ。コーヒーでいい?」


「美味しい……」


「それ、結構いいお店で買ったからね。可愛いケーキだったけど、見せられなくて残念だわ」


「へ?」


「なんでもない……それでね、兄貴がそうやって不用意に行動したから炎上が起こってるわけだけど、どうすればいいかしらね?」


 珠彩シュイロはインスタントコーヒーを2杯淹れ、片方を僕に寄こす。


「ずず……うーん、僕が謝る?」


「これって、誰かが謝れば済む問題なのかしら? まあでも、よく考えて見たら、ほとんど兄貴が出資してるんだから、兄貴さえ良ければ私は何も言うことはないわ。燈彩ヒイロのこともあるしね。兄貴には感謝こそすれど、責められる立場ではないわ」


「ふーむ……」


「兄貴の気の済むようにすればいいのよ。私にもできることがあれば協力するけどね」


「そっか、ありがとう」


「なにそれ? 本当にわかってるの?」


「ああ、いや……」


 その言葉を残して、僕と珠彩シュイロはケーキを平らげ、コーヒーを飲み干した。


「じゃあ、これ、悠季ユウキの分だから、帰ってきたら出してあげてね」


 珠彩シュイロは冷蔵庫を勝手に開けて、切り分けたケーキをそこに納める。


「わかったよ」


「本当にわかってるの?」


「……いや、ひとつわからないことがある」


「何よ?」


珠彩シュイロは何で泣いてたの?」


 パァンッ!!


 その破裂音は僕の左頬に打ち付けられた彼女の平手から響いていた。僕はしびれる自分の顔をかばいながら、無言で部屋を後にする珠彩シュイロを見送る。

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