第7章 IDOL SISTER

第35話 僕とマンガ少女の将来性

「ですから、将来はどうされるおつもりなのかと、私は聴いているのです!」


 10月、サイネちゃん騒動から少し過ぎた頃のこと。僕、天海アマミ菜音ナオトは、由野ヨシノ悠季ユウキさんから幾度目か見当もつかないお説教を食らっていた。


「いや、それは……まだやりたいことが決まってないというか」


「その様子だと、大学に進学するご予定でもないようですよね? またネットアイドルにして差し上げましょうか?」


「それだけはご勘弁を!」


 土下座をする僕。召使いであるメイドに向かって跪く主人は僕くらいのものであろう。悠季ユウキさんはそんな僕を、腕組みをして冷徹な視線で見下ろす。


「……ともかく、今、菜音ナオト様に必要なのは、燈彩ヒイロ様のように、将来の目標を見付けることなのですよ!」


 その時、玄関の扉が開く。


「お取込み中のところ邪魔するわよ」


「「珠彩シュイロ様っ!」」


 またふたりで声を合わせてしまった。土下座をする僕とその前に立つ悠季ユウキさんを見て、月詠ツクヨミ珠彩シュイロは呆れた表情を見せる。


「ったく、あんたら何やってんのよ? そろそろメイドとご主人様コントみたいなその生活、やめたら?」


「……と言いますか、何故珠彩シュイロ様はナチュラルにノックもせずに玄関の扉を開けるのですか?」


「う……それは……急いでたからよっ!」


「急いでたって、どうして?」


「ああ、そうだっ、兄貴、あんた、燈彩ヒイロの力になってやってくれない?」


「どういうこと?」


「ほら、今あの子、マンガ家になるために頑張ってるじゃない。でもね、最近悩んでるみたいなの。その、スランプというか……とにかく自分が描いたものに納得できないって言っててね。あんまり笑わなくなっちゃったのよ」


 妹想いの姉である。彼女はもじもじとしおらしい仕草を見せる。


「そうなんだ。僕にできることなら協力するよ」


「ありがとう。兄貴ならあの子の気持ちがわかるかなって思ってね」


「いや、僕が燈彩ヒイロちゃんに夢を見させちゃったってこともあると思うからね」


「……フン、立派なお兄さんですこと」


 悠季ユウキさんは目を閉じて、静かに呟いた。


悠季ユウキさん、ごめん、ちょっと行ってくるよ」


「はい、わかっていますよ。ただ、他人の将来のことばかりじゃなくて、自分のこともちゃんと考えてほしいって言ってるんです」


「うん……」


悠季ユウキ、悪いけど、兄貴をちょっと借りるわよ」


「……うん、よろしくね、珠彩シュイロちゃん」


 というわけでやってきたのは珠彩シュイロの家。広すぎないが十分快適な暮らしが送れるであろう庭付き3階一戸建て。その家の敷居を、僕は跨ぐ。


「ここが燈彩ヒイロの部屋よ。燈彩ヒイロ~、兄貴が来たわよ!」


「お兄ちゃんですか? ホントに!?」


「ああ、本当だよ」


「いらっしゃい、お兄ちゃん!」


 開いたドアの隙間から顔を覗かせた燈彩ヒイロちゃんは、想像していたよりずっと明るい笑顔で僕を迎えてくれた。僕は恐る恐るもその部屋の中にお邪魔する。ギッシリ詰まった本棚や、フィギュアが立ち並ぶアクリルケース、そして、大きな作業机がひときわ目を引く。


燈彩ヒイロちゃん、今、悩んでるって珠彩シュイロに聞いたけど……」


「そ、そうなんですよ……マンガを描き始めたはいいんですが、どうも自分の描いたものに納得できなくて……」


 そう言いながら、燈彩ヒイロちゃんは作業机から束になった紙を持ち出してくる。彼女が纏っていたのはピンク色に白いラインの入ったジャージ。そして、袖口は黒くすすけていた。その汚れが彼女の努力を物語っている。


「これなんですけど……」


 燈彩ヒイロちゃんは震える手で僕に紙の束を差し出す。僕が黙ってそれを手に取り、ペラペラとめくり始めると、彼女は僕から顔を逸らして後ろで手を組み、立ったまま反応を待つ。


「おお……これは……」


 僕のその呟きに、燈彩ヒイロちゃんは目だけをこちらに向ける。


「面白いよ! すごく面白いじゃないかっ!」


「ほ、本当ですかっ!?」


「うん、よくできてる。絵も、台詞も、ストーリーもいいよ」


「あはは……でもそれって、マンガの神様が残した指南書があったからなので」


 と言いつつも、喜びを隠せずに頬を紅潮させる燈彩ヒイロちゃんであった。


「こんなに面白いものが描けてるのに、何に悩んでるの?」


「それがですね……私の絵、決めポーズみたいなのはそこそこスラスラ描けるんですけど、動きがある絵っていうのを描くのに時間がかかっちゃって……出来もそんなによくないなーって思うんですよ」


「うーん、そうか……僕が何か力になれればいいんだけど」


「もうっ、あんたもそういうの好きなんでしょ? なんかしらあるんじゃないの?」


 後ろから急に口を挟んでくる珠彩シュイロ。そう言われても、僕はライトノベルやアニメは好きだけど、マンガというものとライトノベルやアニメは似て非なるものである。


「そうはいってもなあ……」


 その時、僕は自分がライトノベルを書いていた頃を思い出していた。その頃の僕は、1行書いてはしっくりこない気がして、そこで悩んで立ち止まってしまうことが多々あった。


燈彩ヒイロちゃん、このマンガ、どこかに公開する予定なの?」


「はい、そうです。完成したらネットに公開してみようかなって思ってます。勿論、マンガの読み方の解説も加えて」


「そっか、で、いつ公開する予定なの?」


「だからそれは、完成してからで……」


「完成するのはいつ?」


「うう……自分で納得するものが描ければ……」


 燈彩ヒイロちゃんは涙目になっていた。


「ちょっとぉ! 燈彩ヒイロを泣かせるためにあんたを呼んだんじゃないのよ! あんたはこの子の兄貴でもあるんだから、もっと優しくしなさいよ!」


 燈彩ヒイロちゃんを抱き寄せて庇う珠彩シュイロ。僕はそんな珠彩シュイロの兄にも、燈彩ヒイロちゃんの兄にもなったつもりはなかったが、その辺はスルーして答える。


「ああ、ごめん……いや、責めるつもりはないんだ。僕も前にライトノベルを書いていた頃、自分の作品に納得できなくて、筆が進まなくなることが多かったんだ」


「私も……そうだと思います。でも、中途半端な出来のものを公開したら、マンガというものに目を向けてもらえないんじゃないかって怖くて……誰に見せても恥ずかしくない絵が描けないと……」


 そう、それは作家が陥りやすい病だと聞いたことがある。僕は、自分のスマートフォンを操作して、あるインタビュー記事を燈彩ヒイロちゃんの眼前に掲げる。


「これさ、有名アニメ監督のインタビュー記事なんだけど、おんなじこと言ってるんだよ。今撮ってる映画、作品の完成度に納得できなくて何度もやり直しを命じていたそうだよ」


 その記事には、その映画が来年2月公開であること。作画スタッフは他の作品と掛け持ちをしながら、息も絶え絶え作業をしているそうで、スタジオはそんなスタッフたちへの給料の支払いを滞らせている状態。そして、製作委員会からのこれ以上の出資も望めない状況であることが、監督の口から語られていた。


「そ、そうなのですか……」


「監督は自分がクオリティに拘り過ぎたせいだと、自戒の念を抱いているんだよ。それがこの映画の完成をも危ぶませているんだ」


「私もそうなんですかね……でも、私の絵が下手なのは事実なんです!」


「それでも、公開しなきゃならないんだよ。毎週やってるテレビアニメだって、『なんでこの程度のクオリティで放送してるんだろう』って思うことがあるだろう? みんな納得できなくても、自分の作品を世に送り出さなきゃならないんだ。作家さんはみんなそうしてるよ」


「でもっ……でもっ!」


「はー……」


 その深い溜息は後ろで聴いていた珠彩シュイロの口から発せられたものだった。


「兄貴、いい加減にしなさいよ。中学生を捕まえて、大人ぶった正論をぶつけるなんて、ただのハラスメントでしょ?」


「う……確かに」


「この子だって、あんたの言うことが正しいっていうのは分かってるわよ。でもこの子はまだ中学生よ? 理屈で言い聞かせるんじゃなくて、どういう行動を取ればいいか、一緒に考えて欲しいっていうのがわからないの?」


「……そうだね。ごめん、珠彩シュイロ燈彩ヒイロちゃん。でもなあ……」


「私の方こそ、ワガママ言ってごめんなさい……お兄ちゃん」


 僕は考えを巡らせる。作家たるものがワガママなのは当然のことであろう。先のアニメ監督も、自分のワガママを突き通せばいいものができると信じていたんだ。僕は再びインタビュー記事に目を通す。その監督は自分の行いを悔い、公開予定までに完成させることをまるで叶わぬ夢のように語っている。


(人手、期限、お金……動画……そうだ!)


燈彩ヒイロちゃん、この監督の下でアニメの動画を書いてみるっていうのはどうだい?」

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