第34話 夢の終わり

 いつの間にか女装させられて、動画サイトに出演していた僕は、自分が男であることを思い出し、正気に戻った。そして、「お楽しみはここまで」と、僕の手を引いて歩き出そうとする悠季ユウキさん。しかし、僕はその場を動くことができなかった。なぜなら、その時の僕は、何者かの視線を感じていたからであった。


「……おい、やっぱりあの子って」


「ああ、間違いないな……」


 その視線の主は多数にのぼり、僕を遠巻きに取り囲んでざわめき立つ。そして僕は、その言葉のひとつひとつをつぶさに聞き取っていた。


「おい、声かけてみろよ」


「そんな……じゃあ、お前も一緒に呼べよな」


「ちっ、呼びたくてしょうがねえ癖に……まあ、俺もだけどさ……ふふ、い、いくぜ……せーのっ!」


 ざわめきが止み、静寂に包まれた刹那――


「「「サイネちゃああああああああああんっ!!!!!!」」」


 ――その絶叫は繁華街をめぐる細い路地の隅々までを震撼させた。そう、取り巻きたちは、僕の――いや、私の生配信を視聴し、この場所に集まってきたのであった。


「サイネちゃんっ! サイネちゃーんっ!!」


「かわいいよぉっ! こっち向いてーっ!」


「きゃーっ! ユーキ様もいるっ! ユーキ様ーっ! 今日はサイネちゃんに甘えないんですかーっ!?」


 みんなが私にスマートフォンを向けて写真を撮り始める。悠季ユウキ様も動画のライブ配信を再開したようだ。私を取り囲むカシャカシャという音と共に、私の鼓動は高鳴って行く。ああ、私って、こんなに人気があったんだ。今まで知らなかった。


「サイネちゃんっ! いつものやってよ!」


「あ、ズルいぞ! サイネちゅあーんっ! 俺にもお願い!!」


 そう、私の名前はサイネ、悠季ユウキ様に仕えるメイド、そして――みんなの――アイドルなんだ!


「あっなたのハートにぃぃぃっ……サイコーォッキネシスッッ!」


 私はその声と共に、スカートのポケットからスプーンを取り出し、天空へと掲げて曲げる。それが私の決めポーズだった。


「「「「「うおおおおおおおおおおおおっっっ!!!!!!!!!!!!!」」」」」


 その魂の叫びは大地を揺るがし、私の心臓にドッカーーンッ! と衝撃を与える。


「ああ……幸せ……これが、私の……幸せなんだ」


 恍惚の表情で遠くを見つめる私、そうしてる間にも歓声は止むことがない。そう、その時の私は――絶頂を迎える寸前であった。


「はあ……はあ……み、みんな……だいすきーっ!」


「「「「「ああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」」」」」


 私の大胆な告白に呼応して、誰のものともつかない咆哮が宇宙をも駆け巡る、そして、私の心臓の鼓動はその咆哮の中でもはっきりと聴こえるほどに高鳴っていた。ああ、来る、ついに、来ちゃうっっっ!!! ――しかし、その時であった、私の視界の端に、青いふたつの閃光が走る。その光は人だかりを縫い、瞬時に私の目の前へと立ちはだかる。


「……果音カノン様の姿を騙ることは……許しません!」


 僕はその声に聞き覚えがあった。それは繁華街に似つかわしくない修道服姿をした金髪の彼女であった。


「……星宮ホシミヤ……澪織ミオリさん!?」


「そのメガネ! やっぱり果音カノン様と同じモデル……外しなさいっ!」


 彼女は僕のメガネを掴もうと襲い掛かる。頼りの悠季ユウキさんは、ライブ配信を続けたまま動かない。


「わわっ……ちょっと、危ないからっ!」


「いいから! 渡しなさいっ! コラッ! ああっっっ!」


「うわあっ!」


 僕は星宮ホシミヤさんの勢いに押されて背中から地面へと倒れ込む。見事な尻餅である。メガネは僕の頭の後ろへと落ちる。しかし、星宮さんが視線を落としたのは、別の場所であった。


「……へ……変態っっ!!」


 僕はアスファルトの上で豪快にスカートを翻していた。星宮ホシミヤさんは震えながら、おぞましいものを目前にした狼狽を見せる。


「ままままま……まさか……あなた……お兄様ですのね……?」


「ちがっ、これはっっ!!」


「な、何も聴きたくありません……うわあああああああんっ!」


 彼女はそう残して一目散に走り去って行く。そして――


菜音ナオト様、そろそろ潮時です」


 ――全ての元凶が悪びれもせずに僕の手を取る。


悠季ユウキさんっ、これは悠季さんのせいで……」


「そんなこと言ってる場合ではございません」


 悠季ユウキさんは辺りを見渡していた。僕もそれにつられると、僕たちが血走った目に囲まれていることを理解する。


「サイネちゃんが……男だったなんて……!」


「そ……そんな……」


 悠季ユウキさんはその言葉を意に介さず、人だかりの隙間を一瞬にして駆け抜ける。しかし――


「サイネちゃーん! 待ってよーっ!」


「ユーキ様とサイネちゃんの……キャー!!」


 ――僕たちに追いすがる観衆、それは、警官や町内の皆さんを巻き込み、大きな群衆となって行く。追われるままに町中を逃げ続ける僕と悠季ユウキさんは、大通りを突き進む。だが、僕たちの行く手には脇道と信号の無い横断歩道が。そして、微かなエンジンの音! 危ない! その時、突然飛び出してきた車は横断歩道の真ん中で停車する。僕たちは急に止まれない。絶体絶命、そう思った時、車の後部座席の扉が開く。僕たちふたりはそこに雪崩込み――


「「はっ!」」


 ――意識を失っていたようだ。僕たちは車の後部座席に横たわっていた。僕と悠季ユウキさんの声に、助手席の赤い髪の女性が振り返る。


「やっと気付いたのね。あいつら巻くのには苦労したんだから……感謝しなさいよねっ!」


「「しゅ、珠彩シュイロ様……」」


 僕と悠季ユウキさんは声を合わせてその名を呼んでいた。


「もうっ! そういうのやめなさいよっ! あんたたちがライブ配信してたから見てみたら、あんなことになってたなんて……」


 どうやら僕たちふたりは、騒ぎに駆け付けた月詠ツクヨミ珠彩シュイロの車に担ぎ込まれていたようだ。僕たちはさいか荘に辿り着き、畳の床に倒れ込んで、共に生きている喜びを分かち合った。そこはいつもと変わらない閑静な住宅街の、ちっぽけなワンルームアパートだった。どうやら悠季ユウキさんが、さいか荘の場所だけは割られないように、細心の注意を払って撮影を行っていたようだ。


「じゃあ、もうこれ、外しておくからね!」


 珠彩シュイロは脚立を使い、自分が設置した監視カメラを取り外しにかかる。僕の見上げる先には、いつか見たあの光景が広がっていた。


「パ……」


菜音ナオト様、それ以上いけません」


 僕は喉まで出かかった言葉を飲み込み、静かに目を閉じた。すると、緊張の糸が切れてしまったからか、強烈な眠気が襲ってきた。


「じゃあ、私は帰るから……って、兄貴、寝ちゃってるわよ」


「そうっとしておきましょう。さあ、珠彩シュイロ様、お見送り致します」


「ふん……」


 そうしてさいか荘の門を出て、珠彩シュイロを迎える車を待つ珠彩と悠季ユウキさん。


「……ねえ、悠季ユウキ、なんか私に言いたいこと、あるんじゃないの?」


「なぜ、そう思われるのでしょうか?」


「あんたが私を見送る理由なんてないもの……あと、その口調はやめなさいって言ってるでしょ!」


「……うん、わかった……いい手だと思ったのに、失敗しちゃった」


「何がよ」


菜音ナオトさんとボクが仲睦まじくしている様子を配信したら、果音カノンちゃんが現れるんじゃないかって……そう思ってたんだけどね」


「確かに、あいつ、度を超えたブラコンだから……出てきてもおかしくなかったのにね」


「うん……」


「まあ、そのうち見つかるでしょ」


 目を閉じる珠彩シュイロの前で、ムーンライトカンパニーの社用車が停車する。


「じゃあ、またね、兄貴によろしく。あと、もうあんなことするんじゃないわよ?」


「うん、ボクももうコリゴリだよ……」


 こうして、僕と女装と動画配信をめぐる騒動は幕を閉じた。僕が「メイド」という単語で検索できなくなったことと引き換えに、僕たちは穏やかな日々を取り戻したのであった。え? なぜ検索できなくなったのかって?


「『伝説の男の娘メイド、サイネちゃんファンサイト』……?」


 ちなみに、動画チャンネル「お姉さんメイド観察日記」は、生配信で不適切なものが映ってしまっていたという名目で、規約違反でアカウントごと削除されたという。めでたしめでたし。

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