第33話 はじめてのおつかい

「姉さん、歌に興味はあるかい?」


 私に向けられた琥珀色の瞳。悠季ユウキ様の言葉には逆らえない。私はそう感じていた。


「は、はい……」


 それから私は、ワンルームにこしらえた簡易ステージで歌を歌い、ぎこちないダンスを踊り、それを悠季ユウキ様によって公開され――そして、その人気を確固たるものにしていった。それはまさに、ひとりのアイドルのシンデレラストーリーであった。


「毎日サイネちゃんの動画を見て元気をもらってます」


「サイネちゃんが頑張ってるのを見ると、僕も頑張らなきゃって思えるんです」


「サイネちゃんの欠点はただひとつ、スカートが長すぎることだ!」


 私の動画はそんな評判を呼び、それは、既存のアイドル業界までも巻き込み始める。


「え~、サイネちゃんですか?」


 彼女は芸能プロダクションに所属し、今やテレビに引っ張りだこの人気アイドル、夢咲ユメサキ美楽ミラクさんであった。


「なんていうか、私とは違うステージで活躍してるから、あんまり興味ないですね~」


 苦笑いを浮かべる彼女であったが、世間は「ネットもテレビも関係ない、むしろテレビは時代遅れ、美楽ミラクちゃんもネットに進出すればいいのに」という声で溢れていた。そんな時、私に新しい試練の時がやってくる。


「姉さん、今度は外出してみようか?」


 そう、私はメイドになってから部屋の中に引きこもっているだけで、一度も外の世界に踏み出したことが無かったのだ。高校に通うのも、顔を晒さずにWEB授業に参加しているだけの私に、初めての体験をさせようという悠季ユウキ様の計らいであった。


「はい、悠季ユウキ様、何をすればよろしいのでしょうか?」


「姉さん、このゴミを捨ててきてくれないかな?」


 ゴミ出しはそれまで悠季ユウキ様がなさっていたのだが、その時初めてその大事なお役目を頂くことができた。


「かしこまりました。お任せくださいませ」


「ああっ、待って待って、このフリップを持って、外で読んでくれるかな?」


「……いいですけど」


 私は両手にゴミ袋を携えドアを開く。そして、私の後ろをスマートフォンで動画を撮影しながら同行する悠季ユウキ様。私はさいか荘にほど近いゴミ収集所に2つのゴミ袋を手放す。


「ちょっと待って、これこれ」


 悠季ユウキ様がさっきのフリップを手渡してくる。


「あっ、ここでやるんですか? じゃあ、いきますね!」


「姉さん、どうぞ」


「……はい、私のゴミ捨てミッション、いかがでしたでしょうか? こんな大したことのない動画ですが、楽しんでいただければ幸いです。さて、それでは告知を致します。来る日曜日、私は『はじめてのおつかい』を生配信します。お楽しみにっ!」


「はい、OK! さすが姉さん、そつなくこなしたね」


「……あの、悠季ユウキ様、この『はじめてのおつかい』って言うのはどういったものなのですか?」


「ああ、ただ単にお使いしてくれればいいだけだよ。それだけで姉さんのファンは満足してくれるだろうから」


「そ、そうですか」


 そして訪れる日曜日、私は悠季ユウキ様に肝心なことをお尋ねする。


「あの……何を買って来ればいいんですか?」


「……下着だよ」


「えっ!」


「ボクのね!」


 悠季ユウキ様は私にメモをお渡しになる。


「……色は水色……サイズは……」


 私はそのメモを通して、悠季ユウキ様の下着のサイズを知ることとなった。思ったよりも小さい気がするが、そういうものなのだろう。


「ふふふ、ブラとショーツ、頼んだよ、姉さん」


 繁華街の下着屋さんへと向かう私。その後ろを録画モードにしたスマートフォンを構えながら追う悠季ユウキ様。住宅街を抜け大通りを通ると、行き交う人の視線がこちらに向けられているような錯覚がする。その時、後ろから小走りに近付いてくる足音が。


「……姉さん、今、生配信してるから、もしかしたら視聴者さんが近くにいるかもしれないよ?」


「ひっ……は、はい、悠季ユウキ様」


 吐息交じりのこそばゆい囁きが私の耳をかすめる。そうだ、今私は生配信されているんだ。私は改めて背筋を伸ばし、歩みを早める。


「いらっしゃいませー」


 到着した。ここは恐らく、普通の女性にとっては何の変哲もない、リーズナブルなランジェリーショップ。そこに入店した私は――とにかく、私の素性がバレないように行動しなければならない。


「何をお探しですか?」


 店員の女性は、私のメイド服を見て一瞬驚きの表情を作るが、すぐに柔和な微笑みを浮かべて近付いてくる。私は少し後ろを振り返る。悠季ユウキ様はスマートフォンを構えたまま入店していた。目配せをする悠季様と店員さんの態度から察するに、あらかじめアポイントメントが取られていることが伺える。


「……あ、いえ、この紙に書いてあるものを……頂きたいのですが」


「かしこまりました! 少々お待ちください」


 悠季ユウキ様に書いてもらったメモを利用するという、我ながら子供じみた手段を用いる。しかし、私は女性ものの下着に関する知識がない。そのため、そうするのが最善だと踏んだまでであった。


「水色で、Aカップですと……こちらですね。ショーツもお揃いでよろしいですよね?」


「は、はいっ! じゃあ、それ頂きますっ!?」


 しかし、店員さんは気品を漂わせた微笑みのまま、一瞬動きを止める。


「あの、試着はされないのですか?」


「えっ、試着……いえ、試着は……ちょっと」


「そうですか? もしかしたら、少し小さいかもしれませんが……」


 その時、またもや悠季ユウキ様の耳打ちが。


「……姉さん、そこで断ったら逆に変に思われるよ。どうせ、試着室の中まで見られることはないんだからさ。試着せずに出ればいいよ」


 私はその言葉に息を呑む。そして、自らの唾液が喉を通る音を聴いて一拍、上擦った声で店員さんに応える。


「は、はい、お言葉に甘えて」


「承知しました。こちらへどうぞ!」


 店員さんにいざなわれるまま、試着室のカーテンをくぐらんとする私に、悠季ユウキ様が再び囁く。


「姉さん、さっきの紙に書いてあったの、ボクのサイズじゃなくて……果音カノンちゃんのなんだ……じゃあ、頑張ってね」


 それは私にとって悪魔の誘惑であった。そう、果音カノンの、妹の下着が、今この手の中にあるのだ。そう思えて仕方がなかった。試着室のカーテンが閉じ、私はひとりきりになる。その、誰にも侵されることのない空間で、私は――


「……果音カノン


 ――思わず呟いてしまう。そのかすれた響きに、私は自分の喉が渇いていることに気付く。その日、何度目かわからない唾を飲み込むと、両手でブラジャーを広げてみる。


(これが……果音カノンの胸を……)


 妹の慎ましやかな胸元を想像しながら、私はその感触を確かめていた。しかし、これは付け方がわからない。私は続けてショーツを手に取る。


(私にだって……)


 これなら試着できる。簡単なことだ。私はスカートの中に手を入れて、今履いている下着を降ろそうとする。そして、重大なことを思い出すのであった。


(……!!! トランクス……わた……いや、僕は……男だ!!!!)


 当たり前のことだった。僕は今まで何をしていたのだろう。女装をしてずっと悠季ユウキさんの世話を焼いていたと思えば、動画に出演させられて、女性ものの下着を試着させられようと、いや、着けようとしたのは僕の意思なのだが――とにかく、ここを早く抜け出して、悠季さんにこんなことは辞めるように言おう。


 シャーッ!


 僕はカーテンを開き、怪しまれないようにレジへと急ぐ。買うと言っていたのにキャンセルともなれば、あらぬ疑いを掛けられることだろう。


「これ……お願いします」


「はい、かしこまりました」


 そうしていそいそと店を出ると、未だスマートフォンを構えたままついてくる悠季ユウキさんに耳打ちをする。


悠季ユウキさん、これ、どういうこと? 僕は女装なんか……」


「……菜音ナオト様、気付いてしまわれましたか」


「ああ、今までの僕はどうかしてたよ……早く戻ろう」


「残念ですけど、お楽しみはここまでのようですね……かしこまりました。さ、スカートだと歩きにくいでしょう。手をお貸ししますよ」


 僕の手を引いて歩き出そうとする悠季ユウキさん、しかし、僕はその場を動くことができなかった。なぜなら、その時の僕は、何者かの視線を感じていたからであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る