第30話 月詠燈彩

「『僕はかつて、マンガの神様と呼ばれていた』……」


 僕の部屋の畳の下に隠されていた通路は、数々のマンガの生原稿が眠る部屋に続いていた。少女はその部屋で書置きのような紙を発見し、読み上げ始める。そこにはこう記されていた――


 僕はかつて、マンガの神様と呼ばれていた。

 しかし、今やそのマンガという文化は風前の灯である。

 それは、僕がアニメというものに入れ込んでしまったためである。

 僕は僕のマンガをアニメ化して、テレビで放送することに成功した。

 しかし、それによって気付かされたことが沢山あった。

 アニメは大人数のクリエイターで役割を分担しないと作れない。

 そのためには、アニメスタジオを企業として経営し、クリエイターたちに十分な給料を与えなければならない。

 だが、スポンサーやテレビ局は、潤沢な予算を確保してくれなかった。

 僕はそのことを反省し、次の作品からは予算交渉に専用の人材を雇い、それによって潤沢な予算を得ることと、社員となったクリエイターたちに十分な報酬を与えることが可能となった。

 僕はその頃、既にマンガのことを忘れ、オリジナルアニメを作り始めていた。

 僕はアニメ制作のノウハウを「アニメの作り方」という本にして出版した。

 もちろんスタジオ経営のことも事細かに記した。

 すると、他にも次々とアニメスタジオが立ち上がり、この国はアニメ天国と呼ばれるまでになった。

 しかし、現在、アニメは大成功を収めているが、マンガはアニメの下位互換のように扱われるようになり、その姿を消そうとしている。

 そう、僕がアニメ制作の手法を広めてしまったがために、マンガは滅びてしまうのだ。

 これは僕にとって大変不本意である。

 しかし、僕ももう長くはないだろう……

 だから、誰かが、僕が編集から逃げるために用意していたこの部屋に気付いてくれれば、そう考えて、マンガ制作のノウハウも本にした。

 これを読んでいるキミ、キミがマンガを復活させるんだ! 頼んだよ!


 ――そして、それを読み終えた彼女は、部屋の奥へと進む。


「あ、ありました!」


 振り向いた彼女が手にしていたのは、「マンガの描き方」という本と、マンガの神様がトレードマークとしていたベレー帽であった。彼女はそのベレー帽を頭に被る。


菜音ナオトさん、私、マンガ家になります!」


 その目からは強い意思が感じられた。すると、僕の後ろから強い光が差し、本を持った彼女の下着姿を鮮明に映し出す。それは――


天海アマミ菜音ナオト! 君を未成年者誘拐の容疑で逮捕する!」


 ――床下の通路に気付いて追ってきた警官の懐中電灯の光であった。


 下着姿で連行される僕と、保護されながらも僕の無実を訴える彼女。僕が外に連れ出されると、台風は既に過ぎ去っており、空には綺麗な虹がかかっていた。そしてそこには彼女の関係者、とある人物が駆けつけていた。


燈彩ヒイロ! 大丈夫だったの!?」


 その声と姿には覚えがあった。


「お姉ちゃん!」


 ヒーローちゃん、改め燈彩ヒイロちゃんを抱きとめた彼女は、しばらくして僕の方に目を向ける。


「兄貴……いや、天海アマミ菜音ナオト、あんたが妹を誘拐した犯人だったなんてね!」


「しゅ、珠彩シュイロ、違うんだ……これはっ!」


菜音ナオト様、そのお姿では何を言っても説得力がありませんよ」


 後ろからも聞き覚えのある声。下着姿の僕は、警官たちと月詠ツクヨミ珠彩シュイロ燈彩ヒイロの姉妹、そして使用人である由野ヨシノ悠季ユウキさんに取り囲まれていた。


「ち、違うよお姉ちゃん! この人が助けてくれて……」


燈彩ヒイロ、もういいのよ……お姉ちゃんが悪かったの。あなたが出て行ってからあなたが残していった本を読んでみたわ。すごく面白かった……だから、もうあれを読むななんて言わないから、帰ってきて」


「うん、ありがとう、お姉ちゃん……そ、それでね、この人は、菜音ナオトさんは……私の恩人だから……誘拐っていうのは誤解で……」


「……ホントなの?」


 燈彩ヒイロちゃんをその手に抱きながら、こちらをジっと睨みつける珠彩シュイロ


「いや、これには色々と事情があってね……」


 そして、僕の必死の弁解と、燈彩ヒイロちゃんの弁護によって僕は逮捕を免れた。燈彩ヒイロちゃんは珠彩シュイロの3つ下の妹で、中学2年生だった。そんな彼女が姉と和解を果たし、帰宅してから数日後。


「……その、あの時はごめんね。あんたが燈彩ヒイロを心配してくれてたなんて……知らなかったから」


菜音ナオトさん! 本当にありがとうございます。でもっ、本当にいいんですかっ!?」


 バツが悪そうに謝罪する珠彩シュイロと、目をらんらんと輝かせた燈彩ヒイロちゃん。ふたりと僕は、さいか荘からマンガを運び出し、月詠ツクヨミ家の車に積み込んでいた。


「ああ、燈彩ヒイロちゃん、いいんだよ。これはマンガ家になる燈彩ヒイロちゃんのために必要な物だから」


「わーいっ! あははっ、菜音ナオトさん、お姉ちゃん! 私、絶対にマンガ家になるからねっ!」


「兄貴、本当にありがとうね。燈彩ヒイロも進路に迷ってたんだけど、将来の夢を見付けてくれたみたいだわ」


「いや、僕は何も……ってか、兄貴はやめてくれって言ってるだろう」


「お姉ちゃん、お姉ちゃんが兄貴って言ってた人、菜音ナオトさんのことだったんだね」


「ええ、そうよ。こいつは私の兄貴になるの」


「まだそんなことを言うのか……はーーあ……」


 僕の深い溜息も、月詠ツクヨミ姉妹には聞こえていなかったようだ。


「ふふっ、そうなんだー、じゃあお姉ちゃんのお兄ちゃんなら、私にとってもお兄ちゃんってことだよね?」


「あー……まあ、そうなるのかしらね」


「わーいっ! お兄ちゃん、これからもよろしくね!」


 嬉しそうに飛び跳ねる燈彩ヒイロちゃん。その頭にはあの、マンガの神様のベレー帽を被っている。その帽子までもが彼女の明るい未来を祝福してくれているかのようだった。


「しかし、このマンガってやつ、読めれば面白いけど、ちょっととっつきにくかったわね」


「うん、マンガの面白さが今の人たちに受け入れてもらえるか……それが気がかりだよ」


「もう、兄貴は相変わらず心配性ね。そんなの、やってみてから考えればいいじゃない。いざとなりゃ私やあんたが読み方を広めればいいんだから」


「そうか、そうだね。僕も最初は燈彩ヒイロちゃんに読み方をレクチャーしてもらってたんだよ」


「ふーん、燈彩ヒイロはどうやってマンガの読み方を覚えたのかしら?」


「……情熱、とかかな?」


「なーにバカなこと言ってんの」


 次々とマンガを運び出す僕たちの前で、燈彩ヒイロちゃんは足を止め口を開く。


「あ、それなんですけど、私も最初、マンガの読み方がわからなくて、図書館に行って同じような本とか、解説書を探してたんですよ」


「あー、それで読めるようになったんだね」


 しかし、燈彩ヒイロちゃんはかぶりを振る。


「いえ、そんな本は全然なくて、途方に暮れてテーブルの椅子に座ってたら、隣に座ったお姉さんがマンガの読み方を知ってて、私に教えてくれたんです」


「ふーん、それってどんな奴だったのよ?」


「あ、お姉ちゃん……そう、その人はね、お姉ちゃんと同じ学校の制服を着てたの」


「……うちの生徒?」


「あとね、綺麗な黒髪のショートカットで、メガネをかけてて、瞳も真っ黒で……でも、いい匂いがして、とっても優しい人だったよ?」


「待って、燈彩ヒイロ、その人の名前って……」


 珠彩シュイロの表情は先程までの笑みを忘れ、真剣そのものになっていた。


「名前は聞きそびれちゃった。それからその人には一度も会ってないんだけど、その人がいなければ、私もマンガの面白さに気付けなかったと思う」


「兄貴……」


「……う、うん……それは多分……あの子だ」


「「果音カノン……!」」


 僕と珠彩シュイロは小さく、しかし確かに声を合わせてその名前を呼んでいた。


「お姉ちゃん……? お兄ちゃん……? よくわからないけど、その人に私の作品を読んでもらうためにも、私、マンガを描くよ……!」


 意気込む燈彩ヒイロちゃん。その時、僕の視界の隅には――


「あ、オサムシ……」


 ――その昆虫も燈彩ヒイロちゃんの決意を応援しているかのようであった。そして、それから先、僕たちがさいか荘で怪現象を体験することはなかった。

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