第29話 遺産
僕は、河川敷の秘密基地にあるマンガたちの一部を台風から救出した。マンガの持主、マジカルヒーローを名乗る少女は、濡れてしまったマンガを乾かそうとそのページを広げていた。その時――
チャリン……
――少女が広げたマンガから金属製の物体が転げ落ちる。
「……鍵?」
僕が拾い上げたそれは、確かに鍵であった。
「ああ、それ、灰になったマンガの中にあった鍵なんですよ。綺麗だから栞にしてたんですけど、どこか行っちゃって……このマンガに挟まっていたんですね」
彼女が広げて見せるそのマンガの名前は「コミックロード」そう、それは、この「さいか荘」での出来事を綴ったマンガであった。その瞬間、僕の脳裏にある映像が思い起こされる。
「まさか、これ……」
僕は部屋を出て、廊下へと走り出していた。下着姿の彼女も、レインコートを羽織って追ってくる。
「きゅ、急にどうしたんですか? お兄ちゃん……」
1階に下りた僕は、その扉の鍵穴に、自分が握っているものを差し込んでいた。
……ガチャリ
土砂降りの中だというのに、その音だけは鮮明に耳に届いていた。僕が取っ手に手を掛けて横に引くと、その扉はあっさりと開く。
「こ、これは……」
「……す、すごい」
僕と少女は驚嘆に暮れる。その眼前に広がっていたのは、おびただしい数のマンガが納まった本棚が、壁を埋め尽くしている光景であった。
「やっぱり、ここがさいか荘……」
「……そのようですね。あっ、このマンガ! 見たことがないやつです!」
彼女は目を輝かせて本棚を隅から隅まで見渡す。それは僕にとっても宝の山そのものであった。そして、僕が手に取ったマンガは――
「そ、それはっ! コミックロードの第5巻!」
――それは、少女が所持していた4巻の続き、蔵の中で焼けてしまったマンガのひとつであった。
「6巻も……! 7巻も!! 読みたい……! 読んでもいいですかっ!?」
僕は無言で頷く。そして、僕と少女はその部屋からありったけのマンガを運び出し、僕の部屋へと持ち込む。
「わぁー! やっと見つけた!」
4巻の最後で部屋から消えたマンガの神様は、一体どこへ行ったのだろう。彼女が5巻を読み終わったら僕も読ませてもらおう。そう考えながら、他のマンガをパラパラとめくる僕。その時既に、レインコートを再び脱ぎ捨て下着姿になった少女は、マンガの世界へと旅立っていた。
(よし、今なら大丈夫だ……!)
僕はその隙に、ズブ濡れになった服を着替え始めた。そんな僕の行動を少女は意にも介さず、ただひたすらマンガを読みふける。下着だけの姿になった僕が自分の衣服を干していると、外から微かに砂利を跳ねるような音が、雨の音に混じって聞こえてきた。そして、僕が着替えを取り出そうとしていると――
ドンドンッ!
「警察だ! 開けなさい!
僕は動きを止める。少女もマンガから目を離し、僕に目配せをする。ふたりとも、音を立てないようにと静かに立ち上がる。
「ここに居るのはわかっているんだ。早く開けなさい。
僕とこの少女はふたりとも下着姿。こんなところを見られては絶体絶命のピンチである。僕は、僕の人生が崩れ去って行く音を脳裏に思い浮かべていた。
「開けなさい! ……ダメみたいです」
「ならば、強引に踏み込むまでだろう」
「しかし、ここに居なかったとしたら……」
「そんなことを言ってる場合か、少女の安否の方が重要だ」
「……わかりました。それでは」
ガキッ! バタンッ!
物騒な音を立てて鍵が破壊され、僕の部屋の扉は開かれた。
「……ここには……誰もいません!」
「そ、そんなバカな!」
部屋に踏み込む数人の足音、僕はそれを――その足の下で聴いていた。
「すごいです! 本当にあったなんて……」
「しっ、静かにするんだ」
ありったけの小声で後ろの少女を戒める僕。僕と少女は、部屋の畳を返して、床の下へと逃げ込んでいたのだ。警官たちはそれに気付かず、部屋を捜索している。
「これは……女ものの服です!」
「そうか、確かにここに居たという証拠だろう……しかし、だとしたら一体どこに逃げたのか」
「……窓の見張りは何も見ていないと言っています」
「うーむ……」
僕と少女はその声を聴きながら暗闇の中を進んで行く。ここは、コミックロードの中で、マンガの神様と呼ばれる人が、締切間際、編集者から逃げるために用意した逃走経路だった。やけに厚いと思われた2階の床下は通路となっていて、僕の逃げ道にもなってくれたのだった。暗闇の中、僕はとっさに手に取っていたスマートフォンのライトをつける。
「お兄ちゃん、奥に何か見えませんか?」
僕の後ろを這う少女には、僕の股の間から何かが見えたようだ。僕はそこを照らし出す。
「下に、穴が空いている……行こう」
「はい」
もとより戻ることなどできない。進むしかないのだ。その穴は恐らく、間隔が広いと思っていた部屋と部屋の間の壁の中に繋がっているのだろう。
「梯子だ」
その穴には下に降りるための梯子が備え付けられていた。なるほど、ここからマンガの神様は外へと逃走していったのだろう。僕は慎重にその梯子を下りて行く。
「ヒーローちゃん、大丈夫?」
「大丈夫です!」
僕は下を見ながら、手に握ったスマートフォンの明かりを頼りに、一歩一歩確かめるように足を降ろしてゆく。そんな時、僕の頭を何かがかすめた。僕はそれに反応し、咄嗟に見上げると――
(……パンツ!?)
――僕は、今まで必死に目に入れまいとしていたそれを直視してしまった。下から照らされ、純白の下着に包まれた少女の臀部は、とてつもない背徳感を僕に与える。僕は正気に戻り、慌ててスマートフォンのライトを切ろうとするが――
ドタドタンッ!
――梯子から足を踏み外し、下に落ちてしまった。
「だ、大丈夫ですか? お兄ちゃん! ごめんなさい、足が当たっちゃって」
遥か上空から彼女の声が聞こえる。僕が尻餅をついているそこは、1階よりも低い場所であろうことが想像に容易かった。
「いてて……大丈夫だよ! ヒーローちゃんは?」
「私は大丈夫です!」
そう言いながら彼女も梯子の下まで降りてくる。
「あの……ライト、つけてもらえますか? 真っ暗で」
「ああっ、ごめん!」
僕は彼女を見ないように、固く目を閉じながらスマートフォンのライトを点灯する。
「……これは、奥に続いてますね」
彼女の声が聞こえる。恐る恐る目を開けると、僕たちふたりの後ろには通路が、その奥には微かに扉のようなものが見える。
「行きましょう」
「ああ……」
ここまで来たらもう後戻りはできない。この通路がどこに続いていても、とりあえずは逃げおおせることができるのだろう。そう考え、その扉に手を掛ける。
ギィィーー……
「これは……」
そこは部屋だった。スマートフォンのライトは、そこの棚に置かれている、幾重にも折り重なった紙の束の数々を映し出す。
「……行き止まりか」
僕は落胆する。しかし、彼女にとってそれは――
「す、すごい、これは……全部マンガです! しかもコピーされたものじゃないみたいです……生原稿ってやつだ!」
――彼女は僕のスマートフォンの光の中にそれを映し出し、隅々まで目を通していた。
「これも……! これも!!」
僕は自分の置かれている状況がうまく把握できていなかった。そして、その袋小路となった部屋の意味するところも、全く理解できなかった。
「あれ、なんでしょう……これ、マンガじゃないです」
彼女は僕のスマートフォンをひったくるように奪うと、手にしたその紙に書かれた文字を読み上げ始める。
「『僕はかつて、マンガの神様と呼ばれていた』……」
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