第28話 暴風雨

 僕はマジカルヒーローを名乗る家出少女に帰宅するように説得することができなかった。そして、肩を落としたまま家路に就く。


「ただいま……」


「おかえりなさいませ。って、また学校の授業をサボって……」


 帰宅すると、悠季ユウキさんが先に帰宅しており、メイド服を纏って僕を迎えてくれた。彼女は外をほっつき歩いていたと思しき僕に向かって、お説教をする――かと思いきや、僕の顔色を伺って口調を変える。


「……何か、あったんですか?」


「いや、なんでもないよ」


「そうですか……まあ、ほどほどにするんですよ」


「わかってる」


 僕はその言葉を最後に、その日は口を開くことがなかった。翌日、WEB授業を受けていても落ち着いていられなかった僕は、彼女の居るであろう場所へと赴く。


「……あ、お兄ちゃん、いらっしゃい!」


 昨日とは打って変わって、屈託の無い笑顔を向ける少女に、僕は少し安堵の溜息をもらす。


「帰る気はないのかい?」


 その言葉に彼女の顔は少し陰るものの、真っ直ぐに僕を見つめながら答える。


「はい、少なくともここにある魔導書……いえ、マンガを読み切るまでは」


「そうか……」


「お兄ちゃんも読んでみてくださいよ。きっとその素晴らしさがわかるはずです」


 僕は少し戸惑いを覚えたが、彼女の気持ちを知ることも、彼女を説得するために重要なことのはず。しかし、何故僕はこの少女にそんなに肩入れするのか――そんなことを考えているうちに彼女は1冊のマンガを僕に手渡して解説を始める。


「それでですね、これはコマといって……」


 そんな調子で、写植、トーン、ベタ、見開きなどの用語と共に、マンガの読み方をレクチャーしてくれる少女。僕は、そんな彼女に導かれるままに、マンガの世界へと没入してゆくことになった。


「『きみはどこに落ちたい……?』……か、どこかで読んだような気がするな……」


 そんな風にマンガを読みふけるうちに陽も暮れて行く。


「……暗くなっちゃいましたね。私はこれで」


「どこへ?」


「……ついてこないでください」


 闇の中に消えて行く少女、しかし、次の日にはまた同じ場所でマンガを読んでいる彼女に出会うことができた。


「お兄ちゃん、今度はこっちを読んでみてください」


 彼女に言われるがままマンガを読みふける僕。読み慣れてみると、その表現の巧みさと、自分で読むペースを作れることが幸いして、小説やアニメには無い、全く新しい面白さを体験することができた。僕はそんなマンガの虜になり、毎日彼女のいる場所へと足を運ぶようになった。


 ザァーーーーーー……


「……雨か」


 ある日の朝、悠季ユウキさんが学校へと出かけて行ってから約1時間、降り出した雨は窓の外を鉛色に染め上げていた。ネットでニュースを確認すると、丁度台風がやってきているとのことであった。


「暴風雨、洪水に注意か……」


 その時僕は、嫌な予感がして着の身着のまま外へと飛び出していた。降りしきる雨と激しい風の中、僕はびしょ濡れになって走る。目指すのはそう、彼女の居るあの場所である。


「ヒーローちゃん!」


 まるで水の中を泳いで来たかのように、全身水浸しになった僕が呼んだ彼女は――


「お兄ちゃん!」


 ――増水した川の堤防の上で、今にも滑り降りて行きそうな屈んだ態勢で僕の呼びかけに振り向く彼女。間一髪、そう思った僕は、全力で彼女のもとに走り、風にはためくレインコートに包まれたその小さな体を抱きとめる。


「は、離してくださいっ! このままじゃ、魔導書が流されちゃいます!」


「ダメだっ! そんな危険なことしたら、帰って来れなくなるかもしれないんだよ!」


「でも……」


 ズブ濡れになって悲痛な表情で僕に訴えかける少女。僕の身体に叩きつける雨は、彼女が流している涙のように痛々しく突き刺さる。


「僕が……行ってくるから!」


「お兄ちゃん……」


 僕は恐る恐る、堤防の坂に踏み出す。ズルっと滑りかけながら、それでも下へ下へと歩みを進めて行く。その間にも川の水は河川敷へと溢れ出し、草原をなぎ倒して行く。


「お兄ちゃん……やっぱり、危ないよ!」


 今更何を言い出すのか。少女の叫びに僕は振り向き、親指を立てる。そして、息を吸うと、一直線に小屋へと走り出した。風に阻まれながらも辿り着いた小屋の中は、既に浸水しており、地べたに積み上げられたマンガたちにも水が沁み込んでいるようであった。僕はそのマンガたちを手当たり次第に引っ掴んで、テント代わりになっていたビニールシートに包むと一目散に堤防の上を目指す。


「お兄ちゃーーんっ!」


 彼女は堤防の上でじっとして待ってくれていた。僕は坂を駆け上がる。大丈夫だ、このまま真っ直ぐ――その時、雨に濡れた草に僕は足を取られ――


「大丈夫、お兄ちゃん!?」


 ――彼女は身を乗り出して僕の手を握ってくれていた。その時、僕の後ろでは激流がうなりを上げる。やっとのことで堤防の上へと這い上がった僕が振り返ると、そこには全てが濁流に飲み込まれた世界が広がっていた。


「お兄ちゃん、怖かった!」


「大丈夫、僕は平気だから……だけど……」


 僕がビニールシートに包んで救出したマンガはごく一部に過ぎなかった。彼女が大事にしていたマンガたちは、そのほとんどが濁流の中に消えて行ったのだ。


「そんなことより、お兄ちゃんが無事で良かった……うわぁぁぁぁんっ!」


 地面に叩きつける豪雨の音よりも、彼女の泣く声は僕の胸に大きく響き渡る。僕は彼女の手を引き、とりあえずさいか荘へと戻ることにした。


「はあ……びしょ濡れになっちゃったね」


「でも、お兄ちゃんが無事で良かった。ごめんなさい、私、どうかしていました」


「大事な物を守りたいって気持ちはよくわかるよ。それよりも君が無事で良かった……はっくしょんっ!」


「あはは、カッコつけすぎですよ、お兄ちゃん……でも、ありがとうございます」


「……どういたしまして」


 レインコートを脱いだ彼女の服は多少濡れていたものの、僕に比べれば大したことはなかったようだ。というより、僕の服は服の役割を捨て、満遍なく水分を含んだスポンジのようになっていた。僕はその服をどうしたものかと手を掛ける――って、ちょっとーー!


「ん、どうしたんですか?」


 少女は自分の服を脱ぎ始めていた。


「ま、待って、ダメだよそんな! 男の前で服なんて脱いじゃ!」


「なんでですか? これ、乾かさないといけませんよね? お兄ちゃんもズブ濡れですよ。早く乾かした方がいいです」


「そういうことじゃなくて! えーっ!」


 僕が取り乱している間にも、彼女の服は彼女の身体から離れて行く。そうして、上品な白い下着だけの姿となった少女は、服を広げて僕に問いかける。


「これ、乾かしたいんですが、ハンガーとか貸してくれますか?」


「わ、わかったよ……」


 僕は彼女の白い肌を目に入れないようにしながら、彼女がさっきまで着ていた服をハンガーにかけ、悠季ユウキさんが購入して設置していた除湿器のスイッチを入れる。


「ふふ、お兄ちゃんが何もしないっていうのはわかってますから。だって、あんなところでふたりきりになっても、私に何もしようとしなかったじゃないですか。私、何かあったら護身用のスタンガンを使おうと思ってましたから」


 僕は彼女の物騒な言葉を聞き流し、ズブ濡れの服を着たまま続ける。


「そのマンガも結構水浸しになっちゃってるから、乾かそうよ」


「ああ、じゃあ、お言葉に甘えて……」


 床にビニールシートを広げ、更にマンガを広げて並べる下着の少女。僕はその様子を目に入れまいと、必死になって目を背けていた。その時――


 チャリン……


 ――少女が広げたマンガから金属製の物体が転げ落ちる。それは――


「……鍵?」

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