第27話 魔導書

 僕はポストに脅迫状を投函している犯人、マジカルヒーローを自称する少女を捕えた。そして、怪我をした彼女の手当をしながら、その素性を探ろうとしていた。


「ただいま帰りま……」


 そこに現れたのは悠季ユウキさんであった。彼女の口は"ま"の形のまま固まっている。その瞳はマジカルヒーローを名乗る少女に釘付けになっているのだった。


「ああ、悠季ユウキさん、おかえり。やっと犯人を……」


菜音ナオト様……いくら果音カノン様に見捨てられたからと言って、見ず知らずの少女に手を出すとは……嘆かわしい……」


「いや、これには訳が……」


 悠季ユウキさんは少女から目線を外し、下を向いてかぶりを振る。


「言い訳なんて聞きたくありません。主が犯罪者になった瞬間を見たメイドの気持ちが、菜音ナオト様にはわかりますか?」


「犯罪者……ち、違うよっ!」


「もういいんです……はっ!」


 悠季ユウキさんは床に目を止める。その視線の先には、血の付いた脱脂綿が無造作に散らばっていた。


「まさか……菜音ナオト様……そんなことまでっ!」


「いやいやいや! これはっ!」


「違います……この人……お兄ちゃんはっ……私の怪我の手当をしてくれただけです!」


「……そ、そうなのですか? 本当に?」


 マジカルヒーローを名乗る少女の言葉に、悠季ユウキさんはキョトンとした表情を見せる。


「そうです……それと、このアパートのポストに魔導書を入れてたのは……私なんです」


「魔導書? ってあの紙のこと? あなたが……」


「はい」


「うーん……とにかく、もうこんなことはやめてください」


「じゃ、じゃあ、さいか荘を取り壊したりしませんか?」


 ヒーローちゃんの問いに、悠季ユウキさんは僕の方を見る。


「……あ、ああ、壊さない! 改装も、改名もしないよ」


「わかりました……」


 僕の言葉に安堵の表情を見せる彼女。


「しかし、あなたはどちら様ですか? ……もしかして」


 悠季ユウキさんが喋り終わる前に、自称ヒーローは突然立ち上がり一目散に駆け出した。そして、悠季ユウキさんの横をすり抜けたかと思うと、階段を駆け下りアパートの敷地外へと消えて行った。


「速い……菜音ナオト様、追いかけますか?」


「怪我、大したことなかったみたいで良かった……」


「……ふふ、そうですね」


 悠季ユウキさんの表情は、それまでの険しさを潜ませて、優しく柔和なものへと変化していた。


「しかしあの子、聖地とか魔導書とか、変なこと言ってたな……」


「うーん、わかりませんけど、いわゆる中二病ってやつじゃないですかね? それくらいの年頃に見えましたけど」


「ふーむ、それだけかなぁ」


「しかし、犯人の正体がわかったのはいいですけど、前より更に改装しにくくくなっちゃいましたね。菜音ナオト様が約束しちゃいましたから」


「あはは……ごめん」


「いえ、それで構いませんよ」


 力無く笑う僕に、悠季ユウキさんは散らばった脱脂綿などのゴミを拾いながら、微笑みで応えてくれた。


 それから数日が過ぎ、平日の昼下がり。僕はWEB授業を受け終えて、ふと妹のことを思い出していた。


果音カノン、君は今、一体どこに……)


 ピンポーン!


 その時、玄関のチャイムが鳴る。


「あっ、はーい」


 僕が扉を開けるとそこには――


「あの、こんにちは……」


「君は……えっと、ヒーローちゃん? でいいんだっけ?」


「はい」


「それで、何の御用? このアパートをどうにかしようなんて、もう考えてないよ」


「あ、その節はありがとうございます。それで、そのことなんですけど、お兄ちゃんには説明しておかなきゃいけないなって……」


「ああ、お兄ちゃんって、僕のことね。僕は菜音ナオトって言って……」


「お兄ちゃん! 一緒に来てください!」


 僕の名乗りを無視してそう叫び、僕の手を引く彼女の膝には、真新しい絆創膏が貼られていた。僕は、彼女に引っ張られるまま、一緒に歩き出す。


「膝、もう大丈夫なの?」


「ええ、触ると痛いですけど、歩いても平気です」


「そっか、なら良かった。で、これからどこへ?」


「……秘密基地です。お兄ちゃんを特別に招待します」


 彼女は得意げな顔でそう語る。そして、足取りも軽く、僕たちは河川敷へと辿り着く。


「ここです」


 それは、橋のたもとに建てられている小屋――というにはあまりにもみすぼらしい、ベニヤ板とビニールシートを組み合わせただけの部屋であった。その地震でもあれば一瞬にして倒壊してしまいそうな住居は、どう考えても少女の手によって作られたものではないだろう。


「これって……」


「大丈夫、私以外誰も使ってませんから。お見せしたいものはこれです」


 彼女は部屋の隅に積まれている本の中から1冊取り上げ、僕に寄こす。表紙には「コミックロード」というタイトルと2人の人物画が描かれていた。


「それの、128ページです」


 その本をペラペラとめくると、ページの中は、様々な形の枠が組み合わさっており、その枠の中に人物が描かれている。また、風船のような歪な丸の上に文字も書かれていた。


「ここ?」


「はい」


 端に128と書かれているページの中の文字を彼女は指さす。


「これは、『才華荘』……さいか荘って読むのか……これが魔導書?」


「そう、魔導書です。そしてそのセリフに出てくるのがその物語の舞台、『才華荘』なのです」


「セリフ? アニメとか小説のやつ?」


 それは、人物の横に浮いた風船の上に書かれた文字であった。確かにそれは、口語によって書かれており、横の人物が言っているように見える。


「あ、これって……君がポストに入れてた」


「そうです。この魔導書の様式を再現して、あれを作っていたのです」


「この本には、何の意味が?」


「その魔導書にはですね、小説やアニメのようなストーリーが展開されているのです」


「ストーリー? なのか……」


「はい、右上から順にコマを……えっと、コマっていうのはその枠のことで」


「右上から……順番って、横に進むの? 縦に進むの?」


「状況によって違います。その風船のようなものは吹き出しと言います。吹き出しのとんがってる部分が向いている人物が、そのセリフを発していることになります」


 なるほど、初めて見るページの構成だけど、よくよく気を付けて読めば、確かにそれはストーリーを紡いでいる。しかし、これは一体なんなのであろうか。僕は少女にそのことを尋ねる。


「ねえ、僕はこういういの初めてなんだけど、これって一体なんなんだい?」


「魔導書……というのは私が勝手に呼んでいるもので、本当は『マンガ』というそうです」


「『マンガ』……?」


 僕はその初めて耳にする単語への好奇心から、スマートフォンを取り出し、検索を試みる。


「『マンガ』……一連の絵によって物語を表現する書物の類。約50年前を境に姿を消した」


 "姿を消した"、そこには確かにそう書かれていた。それ以降の説明も大変あっさりとしたもので、その「マンガ」というものが具体的にどういったものであったのか、そのページからは伺い知ることができなかった。


「……やはり、マンガは既に滅びてしまった文化なのですね」


 少女は俯き、手にしているマンガに憐みの視線を落とす。


「しかし、ヒーローちゃん、君はなんでこの本を?」


 僕は敷き詰められたビニールシートの上に腰を下ろしながら、少女に問いかける。


「はい、この間、うちの蔵の隣の家が火事になりまして、その時、蔵にも火が燃え移り、消火が遅れて半分くらい燃えちゃったんです。それで家族と一緒にその蔵の中の物を運び出していたら、それを見付けたんです」


「蔵……結構古いものなのかい?」


「そうみたいです。100年以上前の骨董品もあって、その被害は結構なものだったみたいです。そのマンガも沢山あったみたいですけど、半分くらいは燃えちゃって……」


「そっか……でもなんで、その『マンガ』を魔導書って呼んでいるの?」


「それは私が最初見つけた時にそう名付けたんです。読み方がわからなくて、アニメとか小説とか、そういうのに出てくる魔導書みたいだなって」


「魔法が使えるの?」


「いえ、物語に出てくるような超常現象を起こすようなことはできませんでしたが、読み方がわかってからは、そこに書かれていることから、新たに発見できることや、学べることが沢山ありました。例えばこのマンガ、これには医学の知識がふんだんに盛り込まれています。こちらは日本の空手がいかに強いものかということが書かれています。その他、野球や柔道、ボクシング、未来の国からロボットが来て落ちこぼれの男の子を助けたりする話もあります。こんなに素晴らしいものですから、改めて魔導書と呼ぶのに相応しいと思ったんです」


 やたら早口になる少女に、僕はたじろぎながらも、彼女のマンガへの情熱をひしひしと感じていた。


「そっか、それで、このマンガに書かれてる、『才華荘』を……」


「私もまさか実在すると思ってませんでした。でも偶然その名前を目にして……本当にそこがこのマンガの『才華荘』なのか調べるために不動産屋さんに行ったら、そこは買い取られて改装される予定だって聞いて……」


「だからあんなことを」


「そうです。ごめんなさい。でも、やっぱりあのアパートはそのままにしておいて欲しいんです」


「……わかったよ。それで、君は一体どこの誰なんだい?」


「私はマジカルヒーローで……」


 彼女が言い終わる前に僕は口を挟む。


「そういうことじゃなくて、その様子だと……しばらく家に帰ってないみたいだね」


 彼女は質のいい洋服を着ていたが、不相応に薄汚れてもいた。


「……ごめんなさい。今は帰りたくないんです。その、マンガに夢中になってたら、家族に怒られて、捨てるって言われたんです。だから……」


「……気持ちはわかるけど、ずっとこのままという訳にもいかないでしょ?」


「そうですけど……」


「食べるものはどうしてるの? 何日くらい……」


「それなら大丈夫です」


 彼女は僕が言い終える前にそう言って、財布の中身を僕に晒す。その中にあるお札の厚みは彼女の生活を何ヶ月も賄い得るものであった。


「そんなに……それ、どうしたの?」


 少女は僕の質問に答えなかった。


「ふふ、この世はお金さえあれば生きていけるんですよ。お金さえあれば私みたいな子供だって平等にお客様ですから。このお札を見ても誰も何も言わないんですよ。大人ってチョロイですよねっ!」


 自慢気にそう語る少女に僕は呆れつつも、彼女を説得するために思考を巡らせていた。


「でも……」


 彼女は僕の表情から、自分に向けられている視線が言うことをきかない子供に対するものであると察したようで、暗く目を伏せる。


「……ごめんなさい。今日はもう帰って下さい。私はまだ、帰る気になれませんから」


 僕は、部屋の隅に膝を抱えて座って黙り込む彼女に掛ける言葉を見付けられず、その日はそのまま退散した。

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