第26話 魔法使い

「はぁ……ともかく、不気味は紙がポストに投函されている以外に変化は見られませんでした。きっと誰かのいたずらでしょう」


 僕は自分が住んでいるアパート、さいか荘を買い取り、改装の計画を立てようとしていた。しかし、ある日突然、ポストに脅迫状のような紙が投函される。そんな誰かのいたずらは、次の日も、その次の日も、そのまた次の日も続いたのだった。


「『さいか荘はあなたのものではない』……って、僕のものなんだけどなあ。大体、大家さん以外に誰に返すんだよ」


 僕がそんな風にぼやいていると、悠季ユウキさんは僕の手から紙を取り上げながら口を開く。


「しかし、こう毎日同じような内容の紙がポストに投函されていると、また何か起きているのではないかと考えてしまいますね……」


 日向ヒナタ実羽ミハネの一件から、悠季ユウキさんも相当神経質になっているようだ。彼女の不安気な顔を見るのは僕としても不本意である。


「この紙ってさ、いつも悠季ユウキさんが帰宅する時にポストに入ってるんだよね?」


「はい、毎日毎日、律儀にこの部屋のポストにだけ」


「ってことは、朝は入ってないってことでしょ?」


「そうですね、朝確認しても、紙が入っていることはありませんでした」


「と、言うことは、この紙は僕がこの部屋でWEB授業を受けている間に投函されているってことだ」


「そうなりますね。何か不審な物音などはしなかったんですか?」


「それが、あんまり外の音は気に留めてなくて……でも、今度から気を付けてみるよ」


「わかりました。ですがくれぐれも、勉学を疎かにしないように」


「あはは、わかってるよ」


 次の日、僕は悠季ユウキさんとの約束をあっさりと破り、物陰からポストを見張っていた。申し訳程度にスマートフォンでWEB授業を流しながらも、丸一日を庭で過ごした僕は、悠季ユウキさんの帰宅とともに部屋に戻る。


「今日はポストに何も入ってませんでしたね」


「そうだね、誰も見かけなかったよ」


「……勉強はしてたんですよね?」


「あ、ああ、それは大丈夫」


 笑って誤魔化す僕に、悠季ユウキさんは訝しげな視線を送る。しかし、ポストへの投函が無いということには一安心。どうやら呪いの類ではなさそうだ。


「一応、明日も注意してみるよ」


 僕はそう言って、次の日も物陰からポストを見張っていた。そしてやはり、その日も不審者が現れることも、ポストに紙が投函されていることもなかった。


「どうやら一時的なものだったようですね。これで心置きなく改装できるというものです」


 悠季ユウキさんのホッとした顔がこの騒動の終焉を物語っていた――と思っていたのだが。


「また……入っていました」


 2日振りにWEB授業に集中していた僕の目に、再びあのコラージュと、悠季ユウキさんの不安気な顔が飛び込んでくる。


「『さいか荘を渡す訳にはいかない』……またか」


「ど、どうしましょう? 警察に……」


「確かに迷惑行為とも言えるけど、実質的な被害を受けているわけじゃないからなあ」


「でも、なんかこのままでは改装するというのも……」


「気が引けるね……とりあえず、何かしら解決方法を探ってみるよ」


「人がしていることなら、話合えばわかってくれるかもしれませんね」


「見張ってれば来ないんだから、単純に警戒心の強い人なだけかもしれないしね」


「はい……ってやっぱり、勉強してなかったんじゃないですかっ」


「あはは……明日もできないなこりゃ」


 悠季ユウキさんは不満げな顔を見せながらも、それ以上僕を追求することはなかった。彼女にしてみても、この事件の解決は優先事項のようである。明くる日、僕は外で見張るのをやめ、自室で聞き耳を立てることにする。


 ガタガタッ!


 ポストの金属音が響く。僕は咄嗟に部屋の扉を開け、一目散にポストへと向かう。廊下を進み、階段を下りて振り向いたすぐのところにポストはある。しかし――


「……誰だっ!」


 ――一瞬、門から道路へと消える人影が見える。しかし、それに追いつくことは敵わず、見失ってしまうのであった。


「……というわけで、ものすごい速さで消えちゃったんだよ」


 案の定ポストに入れられていたペラ一枚を渡しながら、僕は悠季ユウキさんに面目なさげな表情を見せる。


「そうですか。でも、人の仕業だとわかって、私は安心しました」


 それは僕も同じである。だが、まだ問題は解決していない。相手が人間ならば――いや、まだ人間と確定したわけではないが、僕はそのことをおくびにも出さずに、明日こそは捕まえてみせると意気込むのであった。


 ガチャリ


 翌日、僕はマスターキーを使って、1階のポストに一番近い部屋に入る。そこならば、いかにすばしっこい相手であっても、その背格好くらいは拝むことができるだろう。それから数時間が経過し――


 ガタガタッ!


 ――ポストから音がした。足音もなく忍び込んできたその人物を一目見ようと、僕は扉を開ける。


 バタンッ!


「うわぁっ! ……いてっ!」


 なんとそこには、門を目前にして前のめりに転ぶ少女が居た。


「待てっ!」


「うう……いててて」


 彼女はそう呟きながら立ち上がろうとする。しかし、痛みで力が入らないからか、片膝を突いて、両手でもう片方の膝を庇うような仕草をする。僕はすかさずその少女の前方に回り込んだ。


「君があの紙をポストに入れてたんだね!」


 僕がその少女に引導を渡そうとしたその時、僕の目には彼女の膝から流れる赤い血が鮮烈に映る。


「……だ、大丈夫?」


「……さいか荘を……壊さないでください……」


 彼女は痛みに耐えながらもその言葉を口にする。


「そ、そんなことより、その傷……僕の部屋に救急箱があるから……」


 そう言ってその場を離れようとした僕の後ろから、砂利を踏む音がする。振り返ると、少女は再び歩き出そうとしていた。


「そんな怪我したままじゃ危ないよっ」


 僕は急いでその少女のもとに戻り、強引におぶさって2階の自分の部屋へと進む。怪我をした彼女を動かすのはどうかとも思ったが、逃げようとするのでは仕方がない。


「ちょっと待ってて」


 僕は彼女を壁に背を付けて座らせ、部屋の隅にある救急箱を開ける。そして、消毒液、脱脂綿、絆創膏の類を無造作に掴み、彼女の前に跪き、傷の様子を見る。


「……いっ!」


 脱脂綿で血を拭き取ると、膝の皮を擦りむいただけということに安心する。そして僕は、消毒液を手に取る。


「染みるかもしれないけど、我慢してね」


「ううっ……」


 彼女は歯を食いしばり、目を固く閉じて震えていた。僕はその膝から、消毒液で汚れを拭き取り、一番大きな1辺5cmほどの正方形の絆創膏を貼る。


「……とりあえず、擦りむいただけみたいだから」


「……あ、ありがとうございます」


「ポストの紙、君がやっていたんだよね?」


「はい……」


「やっぱり。逃げ足が速いからどんな人かと思ったけど、慌てて転んじゃうような女の子だったとはね。なんか逆に安心しちゃったよ」


 僕はその少女に友好的な態度を示し、その真意を探ることにした。


「ち、違いますよ……あれは、あの、ゴキブリを踏みそうになって……」


「ゴキブリ?」


 僕はその時のことを回想する。確かに、彼女を行く手を阻むかのように黒い物体が立ちはだかっている映像が、僕の脳の片隅に留められていた。


「……ああ、あれね。あれはゴキブリじゃなくて、オサムシだよ」


「オサムシ?」


「そう、ゴキブリとは違うんだよ。ゴキブリが怖いんだね」


「いえ……怖いと言えば怖いのですが、あのままではあの……オサムシを踏んでしまいそうだったので、それを避けたら」


「あー、転んじゃった訳か……踏んじゃいけないなんて、優しいね」


「……そんなわけじゃ」


「はは……それで、なぜ君はあんないたずらを? 理由を教えてくれないかな?」


 僕は笑顔から一変、真剣な顔で彼女に問いかける。しかし、彼女は唇をつぐむ。彼女は果音カノンよりも小柄で、赤いふわふわの長い髪と、鳶色の瞳が美しい少女であった。僕はその風貌に――


「……ここは、聖地なんです」


「聖地……?」


「ここは、魔導書に記されていた聖地、『さいか荘』なんです」


 急に口を開いたかと思えば聖地に魔導書。先日の星宮ホシミヤさんといい、このアパートにはやはり、そういう人を集める力のようなものがあるのだろうか。


「え? わかりませんか? 聖地は聖地ですよ。アニメとかであるじゃないですか。作品の舞台になった場所」


「……ああ、そういう」


 いや、安心してはいけない。この少女は「魔導書」という単語も口にしたのだ。


「なんですか、その目は……」


「ああ、いや、君の名前はなんていうのかなって」


「……ふふふ」


 急に笑い出す少女に、僕は身構えてしまう。


「私はマジカルヒーロー! 魔法使いだ!」


 やっぱりだ。このアパートは変な人を引き寄せている。


「ヒーローって、女の子だからヒロインじゃないの?」


「……こ、細かいことは気にしないでください!」


「で、君が言ってる魔導書っていうのは……?」


「ああ、それは……」


 その時、僕の部屋の扉が開く。


「ただいま帰りま……」

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