第5章 MAGICAL SISTER

第25話 オサムシ

 あれから数日、僕の妄想が生み出した少女、日向ヒナタ実羽ミハネが再び現れることもなくなり、僕は平穏な日常を送っていた。


菜音ナオト様、またアニメですか?」


 これは僕に仕えるメイド、悠季ユウキさんのお小言である。そう、僕はその日ソファーに寝転がりながら、流せど流せど尽きることがない、週200本は放送されているアニメたちを配信サイトを利用して視聴していた。この国では、僕が物心ついた頃からそんな調子でアニメが量産されている。アニメには大まかに2種類ある。ひとつは原作付きアニメと呼ばれるもので、もうひとつはオリジナルアニメと呼ばれるものだ。原作付きアニメは、そのほとんどが小説を原作としているが、昨今その原作の供給不足が叫ばれている。原作になり得る媒体というものが他にもありそうなものだが、この頃の僕はそんなものの存在を欠片も認識していなかった――そう、彼女に出会ってそれを知るまでは。


「まったく……こんな狭い部屋の真ん中にふんぞり返られてたら、掃除もままなりませんよ」


 悠季ユウキさんはそう言いつつも、この8畳ワンルームのアパートに各種家電製品を並べ、それでも余裕のある居住スペースを確保することを実現していた。それは、悠季ユウキさんの余計な物は容赦なく捨ててしまう性格に起因するものであった。


悠季ユウキさん、もうこのアパートは買い取ったんだから、他の部屋を使えばいいんじゃないの?」


「私は菜音ナオト様に仕えるメイド。主に対してそんな無礼な真似は死んでもできません」


 彼女は終始真顔でこんなことを言っている。その言葉が本心なのか、それとも僕をからかっているのか、正直よくわからない。


「とにかく……菜音ナオト様もこのアパートの主として、改装するための計画を立てていただかないと……」


 確かにそんな話をしていたな。気持ちが高まっている時の決断というものは、往々にして後から面倒臭くなってゆくものである。しかし、悠季ユウキさんがあの時見せた笑顔は、僕の心に深く刻まれている。そんな彼女に悪い気もしているのだけども……


「ちょっと、このアパートをじっくり見てみるよ。行ってくるね」


「そんなこと言って、私から逃げたいだけなんでしょう?」


 ははは、悠季ユウキさんはなんでもお見通しだな。そんな風に思いながら、僕はワンルームを出る。あんなことを言った手前、申し訳程度にこの「さいか荘」改め「菜果荘」の様子を見て周ることにした。僕はその手に握りしめたマスターキーを片っ端から鍵穴に差し込んで行く。


 ガチャリ


 とはいえ、どの部屋の間取りも僕たちが住んでいる部屋と同じ。2階から1階に降りてもそれは変わらなかった――と思ったその矢先。


 ガチャガチャ……


 開かない扉がある。1階の端の部屋、そこだけはマスターキーを拒絶する。よく見てみれば、他の部屋とは一線を画す、重厚な金属製の扉がそこには備え付けられていた。僕はその部屋を解錠することは一旦置いておくことにした。そして、一通り部屋を周って改めて気付いたことは、部屋と部屋の間隔がやけに広いことだった。なんとかパレスみたいに、隣人の生活音に脅かされる心配はなさそうである。また、階段を下りる時に距離を感じたのだが、1階の天井に対して、2階がかなり高いことも気になった。これも床ドンの被害を緩和するための設計なのであろう。


 続いて建物の周囲を散策してみよう。コンクリートの塀に囲まれた菜果荘の庭は、悠季ユウキさんによって隅々まで手入れが行き届いており、建物を取り囲む花壇には、彼女が植えて育てていると思しきコスモスが咲き始めていた。そんな僕の足元を黒いものが横切る。


「うわっ!」


 僕は弾かれたように飛びのくが、その黒いものの正体はゴキブリなどではなかった。


「甲虫……?」


 カブトムシやクワガタムシではないその姿を、僕は図鑑で見たことがあった。これは恐らく、オサムシと呼ばれる昆虫である。地面を素早く動き回る彼は、縦に筋の入った前翅で太陽を反射し、カラスのように七色の微細な光を放っていた。オサムシは肉食と聞く。恐らく、花壇に住み着く昆虫たちを餌食にしているのだろう。


 そうやって、アパートの周りを一周して気付いたことがある。なんと、例の金属製の扉の部屋には窓が無かったのである。他の部屋は全て窓があり、すりガラスの向こうに部屋の中の様子が微かに伺い知れる。しかし、その部屋からは、何人たりとも覗き見ることを許さないという強い意思が感じ取れたのであった。


 ゴォン! ゴォン!


 その壁を拳で叩いてみると、鈍く重い音が響き渡る。


 コンッ! コンッ!


 その部屋以外の壁はこのように軽妙な音がする。その違いはまるで、某アクションRPGに仕掛けられたギミックのようであった。ただひとつ違うのは、その作品では音の違う一部の壁だけが爆弾で破壊できるのに対して、このアパートは、音の違う部分以外が全て爆弾で破壊できそうなことであった。その時、視界の隅に、何か視線のようなものを感じる。


「……なんだ、またか」


 それは先程の個体より、少し紫がかった色をしたオサムシだった。今まで見たことがなかったその昆虫を1日に2匹も見つけるなんて、珍しいこともあるものだ――と思うや否や、また別のオサムシに出くわす。どうやらこの「さいか荘」の庭には、オサムシが大所帯で住み着いているようだ。


菜音ナオト様、お帰りなさいませ。いかがでした?」


「ただいま。オサムシがたくさん居たよ」


「ああ、それですか。私も庭の手入れをしている時に、何度も見かけました。ここに住みついているようですね」


「そうなのか……普段引きこもってるから、知らなかったよ」


「菜果荘の仲間として、彼らにも住み良い環境を提供する必要がありそうですね」


「ああ、何と言っても先住者だからね」


 そんな他愛もない会話を悠季ユウキさんと交わした次の日、僕の平穏な日常に突如として暗雲が黒い影を落とす。それは、悠季ユウキさんが高校から帰宅した時のことであった。


「なにそれ」


 僕の問いに、悠季ユウキさんは手に持ったペラ一枚の紙を差し出す。


「下のポストに入ってました。この部屋のポストにだけ」


「さい……か……そう……を……かえせ……?」


「不気味ですよね……」


 その紙には、人の顔の絵と切り抜いた活字によるコラージュで、僕たちが住むアパートの返還を要求する内容がしたためられていた。


「うん、返せと言われても、正式に契約を交わして大家さんから譲り受けたものだしなぁ」


 僕は頭を掻きながらそのペラ一枚を眺める。そのコラージュはまるでステンドグラスのように区切られており、顔の絵と活字のコラボレーションが僕が感じたことのない迫力を生み出していた。


「この絵、アニメキャラクターですかね?」


「ああ、そういえばこんなキャラいたかも……?」


「いたかもって、菜音ナオト様はいつもアニメを見ていらっしゃるのに、そんなこともわからないのですか?」


「……いやいや、全部追ってる訳じゃないから」


「そうなんですか。アニメを見る情熱だけはあるのかと思っていましたが、それも中途半端なものだったようですね」


「あはは……ごめん」


「謝らなくて結構です。そんなことだから、果音カノン様が愛想を……」


 いつものように始まる悠季ユウキさんのお小言。その言葉を聞き流しながら僕は、コラージュをその辺にあったクリアファイルに挟む。


「これは証拠としてとっておこう。何か起こったときのためにね」


「……聴いてるのですかっ!? 菜音ナオト様っ!」


「まあまあ……」


 身体の前で両手を広げ、苦笑いを浮かべる僕に、悠季ユウキさんは深いため息をつく。


「はぁ……ともかく、不気味は紙がポストに投函されている以外に変化は見られませんでした。きっと誰かのいたずらでしょう」

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