第24話 救済

「こんにちは、オカルトバスターです」


 僕に手錠をかけて喫茶店に連れ込んだ星宮ホシミヤさんは、スマートフォンの通知を受け取ると、僕を連れて民家の門の前までやってきた。そう、それはあの時の僕にしたことと同じく、依頼者への訪問だったのだ。


「お待ちしておりました」


 少し年季の入った家屋からは、老夫婦が現れる。彼らは僕の存在と、僕の手と彼女の手を繋ぐ手錠に無視を決め込み、星宮ホシミヤさんに状況を説明する。


「なるほど……首輪が外れてワンちゃんが逃げてしまったと」


 老夫婦の男性が持つ首輪は、老朽化のためか千切れているようだった。彼らは犬が逃げてしまった原因を、何か良くないものの仕業だと考えているようだった。


「そうですか……では、そのワンちゃん……ポチタロウさんがいつ帰ってきてもいいように、首輪とおうちを新しくしておきましょう」


 僕たちは老夫婦を連れて、この間のようにホームセンターへと足を運ぶ。そして、犬小屋の材料となる板と釘、それと首輪を購入する。


「えっと、僕が運びますよ。もう逃げないので、この手錠、外してもらえますか?」


「……いいでしょう」


 僕は手錠を外してもらい、大部分の荷物を運ぶ。4人で老夫婦の家に戻る道すがら、ご主人は小声で僕に話しかける。


「いいねえ、彼女さんがシスターだなんて、それにものすごくべっぴんさんじゃないか。大切にしてあげなさいよ」


「ははは……はい」


 苦笑いを浮かべながら生返事をする僕であったが、その心のうちでは、老夫婦へのきめ細やかな対応や、その境遇を想い、星宮ホシミヤさんに親しみのようなものを覚えていた。そうして、日曜大工のように4人で犬小屋を完成させ、新品の首輪をその中に置く。その時の老夫婦の表情は、達成感に満ち溢れたものであった。


「それでは、お祈りさせて頂きます。……太陽と月の狭間を征く者に、星明りの導きを……」


 そして、僕と星宮ホシミヤさんは老夫婦に感謝されながら門を出る。西の空を見ると既に太陽はオレンジ色に街を照らし出しており、その光景に清々しさを覚える僕なのであった。


「はぁ……結構手間取ってしまいましたね……今日はもう帰りましょうか」


「そうですね」


「でも、お兄様、あなたのことは絶対に……諦めませんからね!」


「ははは……あー、そう言えばそんな話してましたね……あ、あの、送りますよ」


「あ……ありがとうございます」


 僕の心にも星宮ホシミヤさんの心にも、壁の修繕や、犬小屋を作る協力を共にしたことによる連帯感のようなものが芽生えていたようだ。僕は彼女の隣を歩きながら、素直な気持ちで話を始める。


「しかし、オカルトバスター、立派な活動ですね。あれでポチタロウ君が帰ってくればいいんですけど……」


「……帰ってきませんよ」


 その時の彼女の目は、死んだように輝きを失い、真っ直ぐ前を見つめていた。


「では何故、犬小屋を造らせたのですか……?」


「最近の情報技術というのは残酷なものですよ。さっき、喫茶店で依頼の写真を画像検索したら……コホン……いえ、あれは、心理療法のようなものです。お兄様、あなたと由野ヨシノさんにさせたことも同じことです。ちょっと時間がかかるけど解決できる課題を与えて、それに打ち込ませることで、悩みを消し去ろうという考えでしていることなんですよ。最初から言ってるじゃないですか。全ては人の心が生み出した幻。あなたたちが無意識のうちにしたことだって、悩む心が行き場のない感情を壁にぶつけていただけでしょう。オカルトめいた出来事なんて、あり得ないのです」


「しかし、あなたはステラソルナの神様を信じているのでは……?」


 僕は立ち止まる。少し先を行く星宮ホシミヤさんも立ち止まり、こちらに振り返りながら続ける。


「居る訳ないじゃないですか。そんなものは愚か者共に与えられた虚構の偶像。問題に突き当たった時に悩むことしか能が無い、迷える子羊たちへの慰め、ちっぽけな救済に過ぎません。……ですが、それでいいのです。何かを信じるくらいのことで迷いや悩みが消えるなら、安い物でしょう」


 夕陽の逆光に照らされた彼女の横顔は、蔑むような微笑みを湛えていた。


「ですが、あなたは神様を見付けたと」


「……そう、私はそんなまやかしなどではない、本物の神様を見付けたのです。それは……あなたの妹さんなんですよ」


果音カノンが……?」


 僕は驚きを隠せなかった。しかし、僕の口からこぼれたその名前に、星宮ホシミヤさんの目は輝きを取り戻す。


「はい、中学生の頃、私はクラスの中で孤立していました。当たり前ですよ。身寄りのない変な宗教の女だって、みんな噂してました。そのせいで私は、学校では毎日鬱屈した日々を送っていました。しかし、後輩として入学してきたあなたの妹、果音カノンさんを見た時、私の心に一筋の光が差したのです。なんと可愛らしい少女かと、私は自分の目を疑いました。あの子こそまさに本当の神様なのだと、私の直感が叫んでいました。私は果音カノンさんから全てを奪ってしまいたいという欲望を抑えることが精一杯で、声を掛けることができなかったのです……」


「そ、そうでしたか……」


「はい……声を掛けられないまま、私はステラソルナゆかりの高校に進学して、果音カノンさんと離れ離れになってしまった。そして、道端で偶然果音カノンさんを見た時には……あの女が……!」


「あの女?」


「あなたの妹になるとSNSで宣言した女です。あの女は果音カノンさんと楽しそうに笑っていた。私の神様である果音カノンさんの笑顔を独り占めにしていたのです。その女が、今度はあなたの妹になるだなんて、果音カノンさんに近付くための口実に違いありません。それならば、私があなたの妹になって、あの女から果音カノンさんを奪ってしまおうと、そう考えたのです。そうすることで、私は真の救済を得ることができる……!」


「ええ……それはまた……なんとも」


 僕はそれ以上の言葉を口に出すことができなかった。星宮ホシミヤさんの顔は真剣そのもので、僕の瞳を真っ直ぐに見つめている。その時、遥か遠く、夕日を背負って立つ人影の声が、僕の耳に届く。


「あ、兄貴、やっと見付けた……悠季ユウキから聴いたんだからね! 宗教の勧誘なんかについて行っちゃダメじゃない!」


「え……珠彩シュイロ?」


 制服姿の彼女は、黒いハイソックスを纏った脚でこちらに駆け寄ってくる。風になびくその赤い髪は、夕陽の中で真っ赤に燃え上がっているかのように美しかった。そして、その手は僕の手を掴む。


「さあ、行くわよ! もう、心配かけないでよね……」


「あなたは……果音カノンさんと一緒に居た女……!」


「はあ? 果音カノンのこと知ってるの?」


珠彩シュイロ、この人は星宮ホシミヤ澪織ミオリさんって言って……」


「ふーん、知らない名前ね。大体、そんな修道服を着た知り合いが居るなら、忘れやしないと思うけど」


「ぐっ……お兄様、今日はこの辺で勘弁して差し上げます。ですが、私は絶対に諦めませんからね! それと……覚えてなさい、月詠ツクヨミ珠彩シュイロ……!」


 そう叫んで走り去って行く星宮ホシミヤさんを唖然と見つめる僕と珠彩シュイロであった。


「な、なんだったの……アイツ」


「多分、悪い人じゃないと思うよ……」


「そ、そう……っと、そういえば、悠季ユウキがいいアイデアがあるって言ってたのよ。あの子、そんなこと言う子じゃなかったのに、最近ちょっと変わったわよね」


「そうなの?」


 僕は悠季ユウキさんの微かな笑みを脳裏に思い浮かべ、彼女が待つ「さいか荘」へと珠彩シュイロと共に急ぐ。


「お帰りなさいませ。菜音ナオト様、珠彩シュイロ様」


「あんた、さっきは普通に喋ってたじゃないの」


 悠季ユウキさんのもとへとたどり着いた頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。彼女はそんな暗闇を吹き飛ばすような笑顔で僕に提案を始める。


菜音ナオト様、私、いいこと思い付いたんですよ。このアパートの名前、『さいか荘』って、なんか暗い雰囲気の言葉ですよね。だから、天海アマミ家の財産で買い取って、名前を変えてしまいましょう!」


「買い取る……別に構わないけど……」


「えへへっ、菜音ナオト様の『菜』と、果音カノン様が帰ってくるように願いを込めて『果』をくっつけて、『菜果荘』にするんです! それで、この建物も改装して……そしたら、呪いなんか消えてなくなると、私、そう思うんです」


「そっか……」


 僕はさっきの星宮ホシミヤさんの言葉を思い出す。何かを信じることや、何かに打ち込むことで、迷いや悩みが消えるならと考えた僕は――


「そうだね。悠季ユウキさん、そうしよう」


 「菜果荘」という名前はちょっと気恥ずかしい感じがしたが、僕はその提案を了承した。


「ありがとうございますっ! 菜音ナオト様!」


「まあ、あんたたちがいいならそれでいいけど……ね……はは」


 珠彩シュイロは僕たちふたりを見て、苦笑いを浮かべていた。

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