第18話 虚構

 実羽ミハネが消えた映画館を後にした僕に、遥か遠くから呼ぶ声が聴こえる。


「……きっ……兄貴っ!」


 それは珠彩シュイロだった。彼女は僕の手をガッシリと掴み、朝、寝ている人を起こすような口調で僕に迫っていた。


「ちょっと……聴いてるの? 兄貴ってば!」


「……珠彩シュイロ


「……ひっ……なんて顔してるのよっ! ちょっと、こっち来なさいよ」


 月詠ツクヨミ珠彩シュイロに手を引かれるまま電車に乗り、ふたりで並んでシートに腰を掛ける。


「兄貴……あんた、相当やつれた顔してるわよ? 目にクマが出来てるし……一体あそこで何をしてたのよ?」


「……映画を観てたんだ」


「映画? あんたが? そんなことしてる暇があったなんてね」


「誘われたんだよ……」


「……誘われたって、誰によ」


実羽ミハネ……」


「……誰よそれ」


「女の子だよ……僕の友達の」


「あんたに友達? それに女の子ですって?」


「そう……その子と一緒に『超兵器妹』っていう映画を観てたんだ」


「ふーん……」


 珠彩は手元のスマートフォンを操作し始める。僕はそれを気にも留めずに続ける。


「その映画はさ……VRで仮想空間を体験できて……」


「……う、うん、超リアル体験って、サイトにも書いてあるわ」


実羽ミハネと一緒に、戦後の街で祭に行く疑似体験をしたんだ」


「……祭? そんな情報、どこにもないわよ?」


「はは……おかしいな。確かに体験したんだけど……6時間くらいはあそこに居たんだよ」


「まだ12時前だけど……いつから映画館に行ってたのよ」


「あれ? いつからだっけ……確か、実羽ミハネと待ち合わせたのは……あれ? 実羽ミハネは? どこ? 実羽ミハネ!」


「ちょっと……大声出さないでよ……みんな見てるでしょ」


 僕はその後、うわ言のように実羽ミハネを呼び続け、珠彩シュイロはそんな僕を庇うように寄り添い、僕と一緒に電車を降りて改札を出た。珠彩シュイロは僕の手を引きながら、何かから逃げるように早足になる。そして――


「お帰りなさいませ、菜音ナオト様……と珠彩シュイロ様」


「はぁ……はぁ……ここまで来れば大丈夫ね……」


 ――僕が暮らすアパートに辿り着いた。息を切らした珠彩シュイロに、咄嗟にコップに入った水を差しだす悠季ユウキさん。


「……ゴクッ……ゴクッ……ありがとう、悠季ユウキ


「どういたしまして」


「……珠彩シュイロ、そんなに引っ張らなくても……どうしたんだよ?」


 僕は虚ろな瞳で血相を変えた珠彩シュイロを捉える。


「ど、どうしたもこうしたも無いわよ……ちょっと、落ち着いてこれを見て欲しいの」


 珠彩シュイロが僕に差し出したのはスマートフォン。その画面には――


「うーん、えーと……甘くないのならなんでも」


 ――独り言を言いながら映画館で飲み物をふたつ購入する僕が映っていた。


「……これって、どういうこと?」


 僕は珠彩シュイロに対して問いかける。


「そんなのこっちが聴きたいわよ! 私のSNSに通知があったと思ったら、『あなたのお兄さんを見かけました』って、この動画が貼りつけられてたのよ! だから、慌ててあの映画館まで行ったの」


「だって、僕は実羽ミハネと一緒に……」


「さっきから言ってるけど誰よそれ? ここに映ってるのはあんた独りだけじゃないっ」


「いや、そんなバカな……確かに実羽ミハネは……あっ、悠季ユウキさん」


「なんでございましょうか?」


「このあいだ、悠季ユウキさんが帰ってきた時に、僕が外で実羽ミハネと喋ってたのを聞いてるよね」


「……いいえ」


「でも、僕を呼びに来たじゃないか」


「それは……菜音ナオト様が道端で大声で独り言を言っていたからですよ」


「そ、そんな! だって僕のスマホにも着信が……」


 慌てて手にしたスマートフォンを操作する。しかし、スクロールしても実羽ミハネからの着信履歴は現れない。


「……なんで」


「こちらが聴きたいですよ。菜音ナオト様は相手の居ない電話に出ていたのでしょう」


「……菜音ナオト、あんた、大丈夫なの?」


悠季ユウキさん、珠彩シュイロ……」


 僕はその場にガックリと膝を落とし、交互にふたりの目を見る。その目に僕を陥れようとするような気配は見えない。そうではない、ふたりの目は確実に僕の身を案ずるものであった。


「……ごめん、よくわからないよ」


「……そう……なんか、心当たりはないの?」


「わからない……」


菜音ナオト様……菜音ナオト様にはきっと、休息が必要なのでしょう……珠彩シュイロ様に振り回されて、お疲れになってしまったのですね」


「……悠季ユウキっ! なんてこと言うのよっ! 私が悪いみたいじゃないっ!」


「……ぷっ」


 少し噴き出す悠季ユウキさんの肩を掴み揺さぶる珠彩シュイロ。しかし、僕の視点はふたりの向こう、部屋の隅に雑然と置かれた荷物たちに泳ぐ。


「……あ、あれは」


 僕は組み合うふたりの横を四つん這いのまますり抜け、その荷物の中からひとつのノートを手に取り、腰を落ち着けてペラペラとめくり始める。


「何、どうしたの?」


 珠彩シュイロの言葉を気にも留めず、僕はページをめくる手を止め、その身を震わせる。珠彩シュイロ悠季ユウキさんのふたりは、そんな僕の後ろから、僕が開いているページを覗き込む。


「……菜音ナオト様……その……絵がお上手でいらっしゃいますね……」


 しかし、悠季ユウキさんのその声は何かに怯えるように震えていた。そのページに懸かれていたのは――


日向ヒナタ……実羽ミハネ……これが?」


 ――珠彩シュイロが小さく呟く。それは僕が考えてノートに書いた女性キャラクターだったのだ。その姿はさっき一緒に映画を観ていた彼女と全く同じものであった。


「……そうだ、思い出したよ……日向ヒナタ実羽ミハネは……僕が創り出したキャラクターだ」

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