第16話 祭

 戦争により破壊された街という現実を受け入れた僕は、実羽ミハネと荒れ果てた道を歩いていた。


菜音ナオトくん、ほら、あれ見てごらんよ」


「あれは……お神輿……」


「うん、神様のご加護か、あのお神輿だけ無傷だったんだって、その奇跡にあやかって、今夜祭が開催されるんだ。ほら、あの川の河川敷でね」


 実羽ミハネについて歩き、河川敷を見下ろすと、大人たちが櫓を組み立てていた。そして、その周りには屋台が設置され始めている。その時、ひとりの大人がこちらに歩み寄ってくる。


「おや、そのマーク……訳アリの兵隊さんだな。お気の毒に……」


 僕の胸にはいつのまにか勲章のようなものが付いていた。僕がそれを手に取り、目で確かめていると、実羽ミハネはその、法被を着た大人に返答する。


「はい、ですが、もう大丈夫です。彼はもう現実を受け入れていますので」


「……そうか、大変だったろうに……そういや、お嬢ちゃん、兵隊さんの彼女さんかい? お似合いだねえ」


 ニッコリと微笑むおじさんに、実羽ミハネも声を上げて笑いながら答える。


「あははっ、からかわないでくださいよ……私も彼も、他に頼れる人がいないだけなので……」


「……そうか、すまんな、変なこと言っちゃって……そうだ、いいものがあるんだった!」


 そう言うと彼は、すぐそこに停めてあるワゴン車のバックドアを開き、ふろしきに包まれた何かを持ち出して実羽ミハネに差し出す。


「これはなんですか?」


「ああ、これはな、浴衣だよ。祭りの日のために買っておいたんだ」


「どうして私に? いいんですか?」


「……おじさんにも君たちと同じくらいの年の息子と娘がいてな……その子たちにプレゼントするつもりだったんだけど……な」


 そう言って下を向き、深いため息をつくおじさん。


「……そうですか」


 それ以上の言葉が出ずに一瞬伸ばした手を止める実羽ミハネ


「ああ、遠慮しないでくれよ。こんなのいつまでも持っていても、辛くなるだけだからさ」


 彼はそう言って、半ば強引にその浴衣を実羽ミハネに託すように渡し、ワゴン車に乗ってその場を去って行った。


 その後、僕たちふたりは一旦アパートに戻ることにする。その道すがら、荒れ果てた街の様相に僕は心を痛めながら、自分が置かれている状況を徐々に噛み締めていった。


「僕は……兵隊だったのか……信じられないけど」


「うん……思い出さない方がいいかもしれないね」


「僕もその……誰かを傷つけたりしたのかな?」


「……それは私は知らない。だけど、そうだとしても菜音ナオトくんが責められることではないよ」


「そっか……」


「うん……」


 僕たちふたりはそれ以上言葉を交わさずに、アパートまで戻る。そして、しばらくリュックの中の荷物などを片付けた後、沈みかけた夕陽を見た実羽ミハネが僕に呼びかける。


「じゃあ、お祭り、行こっか?」


 遠くからは神輿を担ぐ男たちの気合いの入った掛け声と、微かな祭囃子が聴こえてきていた。僕たちはさっきのおじさんに頂いた浴衣に着替え、河川敷へと赴くのであった。


 日が沈んだ頃、辿り着いた河川敷には既に人が溢れており、その波に少し揉まれると、実羽ミハネは僕の手を掴んだ。


「……ごめん、はぐれないように……ね」


 その小さな手の温もりが僕の腕を伝わって、荒んだ心を癒してくれているようであった。


「あ、あれやろっか?」


 実羽ミハネが指を差す方には金魚すくいの屋台があった。何事にも物怖じしない彼女が店主に投げかけた言葉は――


「おじさんっ、強いアームでっ!」


「はっはっは、お嬢ちゃん、これはUFOキャッチャーじゃないんだよ?」


 そんな冗談を交わして、実羽ミハネと屋台のおじさんは、お金とポイを交換した。


「ほら菜音ナオトくん、やってみてよ」


 すかさずポイを差し出す実羽ミハネに、僕はワンテンポ遅れて返事をする。


「……あ、ああ……わかったよ」


「大丈夫ぅ?」


「任しといて!」


 しかし、意気込みとは裏腹に、僕のポイはいとも容易く一匹の金魚に突き破られる。


「あーあ、はっやいなぁ……もったいない」


「も、もう一回! もう一回!」


「しょうがないなぁ……おじさんっ」


 実羽ミハネはもう一度お金を出し、ポイを受け取る。僕はそれを手にして再び水槽に挑戦するが――


 ポチャン!


 ――やはり、金魚たちは僕のポイをもろともしない。


「くくくっ……あははははっ、へったぴー!」


 実羽ミハネは僕を指差して笑う。そんな彼女に僕はムッとして返してしまう。


「じゃあ、実羽ミハネはできるっていうのかよ」


「え、私? いいよっ、ねえ、おじさんっ」


「はいよっ」


 小気味良いリズムでポイを受け取る実羽ミハネ、そして彼女は右手にポイを構え、左手で浴衣の袖を抑える。すると、露になった彼女の白く細い腕が僕の目に眩しく映る。


「……いくよ!」


 実羽ミハネが小さく呟き目を閉じると、僕が釘付けになっていた腕がしなやかに、そして力強く伸び、ポイが水面を斜めに深く切り裂く。彼女が目を開いたときには、水面から現れたポイの上に2匹の金魚が跳ねていた。


「えっ……どうやったの?」


「へへんっ! どんなもんだいっ!」


 得意げに金魚をお椀に移す実羽ミハネに、金魚すくい屋のおじさんも舌を巻く。


「お嬢ちゃん、すげえな……金魚すくいなんて……やったことあるのかい?」


 僕はおじさんのその言葉に軽く違和感を覚えるが、実羽ミハネはにこやかに微笑んでいるだけだった。その後、更に数匹の金魚をすくい終えると、ポイは役目を終えたかのように静かに膜を落とす。


「おじさんっ、ありがとう!」


「お、おう、気を付けてな」


「それ、どうするの?」


 僕はビニール袋に一杯になった金魚たちに目を落とす。


「……うーん、食糧難だしね……」


「え……」


「冗談だよっ! 冗談っ、もう、菜音ナオトくんったら、すぐ本気にするんだからっ」


 そう笑い捨てる実羽ミハネに、僕は少し悔しさを感じていたのかもしれない。しかし、そんな僕の気持ちをおくびにもかけずに、彼女はリンゴ飴や綿菓子を頬張ってみせる。その笑顔を見ていると、自然と心が和らいで行くのを感じたのだった。


「ねえねえ、あれもやってみようよ!」


 実羽ミハネの次の標的は射的屋であった。彼女は銃を構え、コルクの弾を次々と発射するが、そのどれもが景品の後ろの壁に跳ね返される。


「くっそー……おじさんっ、もっかい!」


「お嬢ちゃん、その辺でやめといたらどうだ? もう5回目なのに、全然ヒットしないじゃないか、ほら、これあげるからさ」


 屋台のおじさんは、足元から箱に入ったアニメキャラクターのフィギュアを取り出し、実羽ミハネに渡す。


「情けなんていりませんっ! さあ、もう一回!」


 小銭を差し出し強く迫る実羽ミハネに、おじさんはやれやれといった様子で折れる。しかし、実羽ミハネが受け取ったその銃を、横から握る手があった。


「……菜音ナオトくん?」


 そう、僕だった。実羽ミハネは僕をキョトンとして見つめている。そして、実羽ミハネはその手から握力を弱め、銃は僕の手に渡るのであった。


「……いくよ」


 僕は金魚をすくう実羽ミハネと同じ言葉を口にしていた。僕は片目を閉じ、真っ直ぐに標的を見定めると、引き金にかけた人差し指に力を込める。そして――


 タァン!


 ――その発射音の直後、フィギュアが雛壇から落ちる。下にはマットが敷かれており、そのキャラクターを傷付けることなく受け止める。弾は残り2発。僕は息をつく間もなく次の標的に銃口を向ける。命中。そして、次もまた命中。


「すごい……百発百中……菜音ナオトくん、やっぱり……」


 それは確かな手応えだった。自分の技術でそれを成し遂げた。僕の身体はそれを当然のこととして理解していた。そう、それは、僕の記憶にない経験によって培われたものであったのだろう。


「えへへ……僕、こんなことできたんだね」


 屋台のおじさんは、落ちたフィギュアを元に戻し、それと同じフィギュアが入った箱を袋に入れてくれた。その後、僕らはお好み焼きやフライドポテト、串焼肉などで腹を満たす。


菜音ナオトくん、花火、そろそろ始まるみたいだよ」


 僕は実羽ミハネに手を引かれて、人がまばらな土手へと場所を移す。僕たちは手を繋いだまま草原に腰を下ろすと、花火が上がるのを今か今かと待ちわびていた。

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