第15話 映画と戦争

 僕が復学してから迎える初めての土曜日、僕は朝から実羽ミハネに指定された駅前の待ち合わせ場所に赴く。


「やっほー、菜音ナオトくん、おはよう!」


 僕は待ち合わせ時刻より15分早く着いたのだが、そこには既に実羽ミハネが手を振って待っていた。僕はそのクリーム色のハイネックのセーターに、淡い緑のミニスカート姿の彼女を見るや否や駆け足になる。


「はぁ、はぁ……早いよ、実羽ミハネ


「ははっ、そんなんで息切れしちゃうの? さては運動してないなっ?」


「はぁ、はぁ……ゴホッ! ゴホ……そ、そうだけど……そんなことより、今日は何するの?」


「……うーん、何しよっか?」


「誘っておいて決めてないのか……」


「ああ……冗談冗談、今日はね、菜音ナオトくんと映画を観ようと思ってね。ほら、あの映画館」


 実羽ミハネが指差した先の映画館で、僕たちは大人2枚のチケットを購入する。そのチケットには「超兵器妹」という文字が印刷されている。映画事情に疎い僕にとってそれは、初めて目にするタイトルであった。開始時刻は9時30分、実羽ミハネは僕にチケットを片方渡しながら問いかける。


菜音ナオトくん、私、飲み物買ってくるね。何がいい?」


「うーん、えーと……甘くないのならなんでも」


「わかった。じゃあ、ちょっと待っててくれる?」


 トタトタと駆けて行く実羽ミハネの後姿は、クリーム色のセーターにピンクの髪が映え、非常に可愛らしく僕の目に映る。彼女はほどなくして僕のコーヒーと、自分用のココアフロートを手にしてこちらに戻ってくる。


「じゃあ、もう座って待ってようか」


「うん」


 行動の主導権はいつも実羽ミハネが握っていた。僕は彼女の決定に従い、彼女の笑顔の赴くままに、その後ろをついて行くといった具合であった。僕たちは隣り合った席でスクリーンを前にして、頭がビデオカメラになった人の映像や、数々の映画の予告編を眺める。そして、薄明かりが消え、映画本編が始まるのであった。


「うわ……結構リアルだね」


 実羽ミハネは小声でそう漏らす。それもそのはず、その映画の舞台は、その映画館がある街そのものなのであった。市街地が戦場となった理由は、超兵器起動の鍵となるのがその街に住む少女だったからという、あり得ないような設定だったのだが、実際に街を破壊して撮影したかのように見えるその映像は、妙な説得力を持っていた。物語は、兄が自らを犠牲にして妹を救い戦争を終結させるという、かなり強引な展開で結末を迎える。


「この街が舞台だって言うから見てみたかったんだけど、本物みたいだったね」


「そうだね。ここを出たら、街が無くなってないか心配になってきたよ」


 映画館の出口に向かって階段を上りながら、僕は実羽ミハネに合わせて感想を口にする。しかし、実羽ミハネは僕の冗談に笑い声ひとつ漏らさない。これは僕にとっては大きな違和感であった。いつも笑顔が絶えない彼女が、僕のコメントを聞いていなかったかのように、ただ前を見て映画館の出口を目指す。そして、外の光に目を細めながら、映画館を出ると、僕たちは思いがけない光景の中にいた。


「え……これって、どういうこと……?」


「ふぅ……良かった。菜音ナオトくん……やっと気付いてくれたんだね」


 僕を見ずにそう呟く実羽ミハネは、目の前に広がる情景がさも当たり前のことかのように続ける。


「無事だったのってさ、この映画館くらいだったんだよ」


 そう、僕が目にしていたのは、破壊されたビル群と、あちこちから立ち上る煙だった。それは、さっき映画の中で見た、戦場になった街そのものであった。


「……さっきのはね、戦争で心を病んでしまった人が、正気を取り戻すためにと用意された映像だったんだ」


「そんな……戦争だなんて」


「そっか、現実を直視できるようになっても、記憶までは戻らないんだね。ただ、菜音ナオトくんがこの映画館に入るまで見ていたのはきっと、あなたの脳が創り出した幻の街と生活だよ」


 実羽ミハネはそう言いながら、ひび割れたアスファルトの上を歩き出す。僕もそれを追いながら彼女の話に耳を傾ける。


「戦争に行くとさ、菜音ナオトくんみたいに、現実が見えなくなる人が結構居るんだって……」


「じゃあ、妹は……」


「……現実は映画みたいに甘くないよ……思い出せないなら教えてあげる。あなたがニュースで見たって思ってる飛行機事故、あれはあなたの屋敷が戦火に巻き込まれてしまったことをあなたが歪めて解釈していたものなんだ」


「妹……果音カノンはどうしたのかって聞いてるんだよっ!」


「そんな大声出さないでよ……あなたの妹はその時屋敷にはいなかった。だけど、この街が戦場になってから、爆撃に巻き込まれて……」


「嘘だっ! そんなタチの悪い冗談あるかよ!」


「嘘じゃないよ……やっぱりあなたは現実を拒絶するんだね。……あ、ちょっと待ってて」


 淡々と話す実羽ミハネは足を止め、道端のテントの前にできている行列に並ぶ。そして数分後、そこで手渡されたものを僕の手に握らせようとする。


「はい、これ、菜音ナオトくんの分。今日の食事はこれだけだけど、我慢してね」


 それはコンビニのおにぎりだった。貼ってあるシールを見ると、賞味期限は5日前だった。


「これが……今日の食事?」


「そう、もうこの国には余裕がないんだよ」


 僕は実羽ミハネのそのセリフに聞き覚えがあった。


「……え、それって……総理大臣の」


「……断片的な記憶はあるんだね。そう、この国は市街地をボロボロに破壊されて戦争に負けた。国民を守るためにと始めた戦争は1ヶ月しか持たなかったんだよ」


「そんなっ! ……じゃあ、悠季ユウキさんは?」


悠季ユウキ……? ああ、あなたの家のメイドさんだね。あの子はあなたの妹と一緒に居た。最後のその瞬間までね」


「でも、悠季ユウキさんとは今日も話して……」


「夢と現実の区別がつかなくなるのはよくあることだよ。あんなボロアパートにメイドさんなんているはずないでしょ?」


「ボロアパート……」


「あなたの屋敷はもう跡形もない。だから、国が無償であのアパートを貸し出している。他の人たちだって焼け出されて行く宛てがないから、辛うじて壊されていない建物で暮らしている……でもさ、見てごらんよ」


 辺りを見渡すと、街の復興のために瓦礫を片付けている人たち、屋台を出して、食料品や衣料品を売り出している人たち、街は確かにボロボロに崩れ果てていたが、そこに生きている人間の瞳は活力に溢れ、自分たちの将来をしっかりと見据えていた。


「みんな……強いんだね」


「そうだよ。みんな自分ができることを精一杯やって、この街を復興させようとしている……おじさん、それくださいなっ!」


 ひとつの屋台に向かってトタトタと走る実羽ミハネ。それはさっきの映画館で見た光景と同じようであった。


「おー、お嬢ちゃん、コーヒーでいいのかい? 砂糖はちょっとお高いよ?」


「うーん、でも今日は贅沢したい気分なんですっ! えへっ」


「しょうがねえな……その笑顔に免じて今回だけはタダにしてやるよ。他のヤツには言うんじゃないぞ?」


「いいんですかおじさん、そんなこと言って。贔屓してるのがバレたら困るんじゃないんですか?」


「なんだい、藪から棒に……お嬢ちゃん、さてはなんか企んでるな?」


「ふふっ、バレちゃいました? じゃあ、今の言葉をバラされたくなかったら、ミルクも入れて下さいなっ」


「……ちっ、滅多なこと言うもんじゃねえな……商売上手なお嬢ちゃん、これはサービスだからな。俺が個人的にお嬢ちゃんにしているサービスだ……だから内緒にしてくれよな……持っていきな!」


「おじさん、ありがと! はい、じゃあこれで、ついでにブラックのも一杯!」


「……っておい、これじゃおじさんが貰い過ぎになっちゃうよ! 値切ってたんじゃないのかい?」


「ふふ、いいんですよ。おじさん優しいから……それに、このお金も明日には何の価値もなくなっちゃうかもしれませんし」


「はっはっはっ! そいつはちげえねえな!」


 そして、両手にコーヒーを持ち僕のもとに戻ってくる実羽ミハネ


「はい、菜音ナオトくん」


「いいの? ……贅沢品なんじゃ……」


 僕はおじさんと実羽ミハネの会話から空気を読み、なんとなく話を合わせる。


菜音ナオトくんもやっと状況が掴めてきたようだね。いいんだよ。私は菜音ナオトくんを支えるって決めたから、国から恩赦が出ててね……さ、暖かいうちに飲もっ」


「僕を支えるって……」


「そう、戦争の一番の被害者は、戦場に赴いて傷付いて尚生き残ってしまった人たち。つまりあなた、菜音ナオトくんのような人なんだ……」


「僕が、戦場に?」


「思い出せないのも無理はないか……だけど、菜音ナオトくんがニュースで見たって言ってた飛行機事故だって、あなた自身のことと関係しているんだ」


「うん……なんとなく予想がついてきたよ……」


「そう、良かった。少しずつ慣らしていこうね」


 その後、僕と実羽ミハネは街を歩き、生活用品などを購入して周った。実羽ミハネが道中で買ったリュックに購入したものを詰め込み、僕が背負って歩く。すると実羽ミハネの顔にも笑みが灯り、僕の心を明るく照らしてくれているようだった。

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