第12話 和解と宣戦布告

「……そうか、月詠ツクヨミさんは果音カノンと親友だもんね」


「……正面切って言われると恥ずかしいけど、そうね。あの子、最初に話した時以来、ずっととぼけてるみたいになっちゃってね、本当のあの子がわからなくなってたのよ。その矢先に失踪……あの子のことが理解できないままなんて、私は嫌なの……だから……」


「僕に近付いた……でも、なぜ?」


「あんたに妹ができるってなったら果音カノンが戻ってくるかと思ってね。あと、あんたが屋敷を追い出されればその窮地を救うために現れると思ってた……だけど」


「そうではなかった」


「そうよ……だから、やっぱりあんたと契約して兄妹になって……」


 月詠ツクヨミさんはそう言いながら、ふらふらとベッドの方へ歩いて行く。


「あの子をおびき出すの……よ」


 すると月詠ツクヨミさんはベッドに倒れ込み、寝息を立て始めた。時間は20時、寝るにはまだ早すぎる時間だ。


「えっと……月詠ツクヨミさん……月詠ツクヨミさーんっ!」


 しかし返事はない。その時の彼女は子供のようなとても安らかな寝顔を見せていた。僕はそんな中――部屋をぐるぐると歩き回りながら必死にこらえていた。


(僕の部屋に……女子が寝ている……)


 そう、18歳の僕にとってその寝顔はとても煽情的に映り、とても我慢できるような状況ではなかった。僕は一度家を出て近所を走り回り、へとへとになったあと、まだベッドに寝ている月詠ツクヨミさんを見る。時計は0時丁度。僕は十分に疲れている、これで眠れるだろう、そう高を括っていた。


「すーっ……すーっ……」


 しかし、月詠ツクヨミさんの寝息が、髪の匂いが僕の感覚を刺激する。それは耐え難い――興奮だった。無理にでも寝ようとして瞳を閉じても、瞼の裏に映るのは彼女の顔だった。そうして午前3時、やっとのことで僕は眠りについた。


 カチャ……カチャ


 僕はその音で目を覚ました。時計を見ると――午前4時。


「あら、起きたの? おはよう。私も今起きたところよ」


「な……何でこんなに早く起きてるの?」


「はあ? 早く寝たからに決まってるじゃない。睡眠って言うのは日々必ず処理しなければならない課題のようなものよ。そんなの最優先で片付けるのが効率的でしょ?」


 僕は彼女が何を言っているのかわからない。いや、普段ならわかったのかも知れないが、その時の僕の疲れ果てた脳にはそれを理解することは不可能であった。


「で……何をしてるの?」


 彼女はノートパソコンを開き、キーボードを叩いたりしていた。


「ん? 私が寝ている間にあんたがなんかしてないか、チェックしてるのよ。ほら、そこにカメラが仕掛けてあるでしょ?」


 彼女の視線の先を見ると、天井に防犯カメラが設置されていた。


「あんたがバイトしてる間にセッティングしたのよ……あんた……」


「え……なんか映ってた?」


「なんで私に何もしてないのよ! そんなに私に魅力がないっていうのっ!?」


「……ああっ、いや、そんなんじゃなくて……」


「だったらなんなのよ……くそー、あんたが私に手を出したら、その責任を取らせて私の兄貴にしようと思ってたのに……当てが外れたわね」


「そんな姑息な真似を……」


「……ねえ、あんた本当に私の兄貴になる気はないの?」


「ないよ」


「じゃあ、私の兄貴になったら父の会社で働かせてあげると言ったら?」


「ノーだ」


「ふーん……一生遊んで暮らせるだけの財産を保証するのよ? 別に兄妹ったって、身柄を拘束されるわけじゃないんだから。私はあんたの戸籍をあんたが使い切れないほどのお金で買うってだけ。単純なことでしょ? さあ、これで交渉に応じる気になった? ……って何よその顔」


 月詠ツクヨミさんは暗く影を落とした僕の顔を覗き込む。


「……いや、契約で兄妹になれるのはひとりだけ。だから、月詠ツクヨミさんと契約したら、戸籍から離れている果音カノンは二度と妹にすることができない……法律上はできたとしても、果音カノンがそれを許さない……そんな気がするんだ」


「あははははっ! なにそれ!」


「なんだよ……そんなに笑わなくても……」


「……ふふ……ふふふ……わかったわ。じゃあ、あんたの家に帰りましょ」


「え?」


 月詠ツクヨミさんはノートパソコンを操作して、何かを解除したようだ。


「今、私が差し押さえていたものを全て返還したわ。これであんたは自由の身よ」


「そ、そっか……」


「でもね、兄貴……」


「まだそうやって呼ぶのか……」


「ふふ……私はあんたを兄貴にするためにいくらでも出すと言った。でも、交渉は決裂した。あんたの心は財産やお金なんかじゃ動かない……そういうことよね?」


「そうだ……そんなものじゃなくて、僕は本当の妹が……」


「……そう。ふふ、いいこと教えてあげる。お金っていうのは交渉コストを最小化するためのツールなのよ。そのツールを通した交渉を断ったということは、この先交渉に莫大なコストがかかるってこと。交渉コストが極大化すると、なんになるか知ってる?」


「……わからない」


「ふふ……戦争よ! これからあんたは、私を妹にする契約を交わすまで、私と戦争することになるの!」


「そんな……大袈裟な」


「私は諦めない! あんたを兄貴にするためならなんでもするわ! これはあんたに向けた宣戦布告よ!」


「……って果音カノンが帰ってくればいいんだよね? 僕と兄妹になるっていうのは本当に効果あるのかな? 月詠ツクヨミさんこそ、なんでそこまで僕を兄にすることに拘ってるの?」


「……そ、そんなの私の勝手でしょ! あんたを兄貴にするって決めたの! 絶対に兄貴にするの! ……それから……」


「……?」


「私のことは……珠彩シュイロでいいわ」


 その時の彼女の顔は耳まで真っ赤だった。その意味を考えあぐねながら、彼女と共に彼女の運転手の車に乗って、僕の家まで向かう。しかし、そこで見たのは――


「え、なにこれ……広い」


 ――超広大な更地であった。僕の家はすでに解体されて、そこには何一つ残っていなかったのだ。


「あはははは……あの建設業者ったら、評判通り仕事が早いんだから……」


「あっ、月詠ツクヨミさん、おはようございます! こんな朝早くから、ご足労ありがとうございます。おっしゃられた通り、全て片付けておきましたよ! あとは資材を全部運び出せば今日で完了します」


 そこに現れたのは朝一番に出勤してきた現場監督だった。


「あ、ありがとう……」


 珠彩シュイロは僕の方に恐る恐る顔を向ける。


「と、いうことよ……いや、退路を断とうと思ってね、更地にしてって頼んじゃった……ほら、これで私の兄貴になりたくなったでしょ……ね?」


「……珠彩シュイロ……ごめん、ちょっと今理解が追い付かない……また今度にしてよ」


 僕はそう言いながら彼女に背を向けて足早に歩きだしていた。


「ああっ! ちょっとー! 待ちなさいよー!」


 こうして、紆余曲折の末、財産を取り戻した僕は、平らになった自分の屋敷にさよならを告げ、先日借りたアパートへと帰宅するのであった。

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