第11話 彼女の事情

彼女はその時のことを振り返る――


月詠ツクヨミさん……ですよね」


「……えっと、あなたは天海アマミさん?」


「はい」


「泣いてるんですか……?」


「ああっ……これ? ごめんごめん」


月詠ツクヨミさんは涙を手で拭いながら愛想笑いを浮かべる。


「何かあったんですか?」


「いいの……大丈夫! 気にしないで」


しかし、その口とは裏腹に瞳からは更に涙がこぼれ落ちる。


「大丈夫じゃないですよ……私で良ければ、話聞きますけど……?」


「……うう、こんなみっともないところを見られちゃしょうがないわね」


「あはは、みっともなくなんかないです。みんな泣きたい時くらいありますよ」


「そうかしらね……私ね、今家に帰りたくないの……」


「そうなんですか? 月詠ツクヨミさんってムーンライトカンパニーの社長令嬢だと聴いてますが……」


「あら、そんなこと知ってるのね」


「有名ですよ」


「そ、そうなのね……それでね、今ちょっと家族が危機的状況で……」


「えっ、どうしてですか?」


「少し前に母が蒸発したのよ。それで父が荒れててね……帰ると過剰に明るく振る舞ったり急に泣き出したり……ちょっと怖いのよ……」


「そんなことが……私も今ちょっと、家族と険悪なムードになってて、あ、いや、月詠ツクヨミさん程ではないのでしょうが……」


「あはは、あんまり気を遣わないで。それと、『月詠ツクヨミさん』って言われるのもなんかこそばゆいから、珠彩シュイロでいいわ」


「あ、はい、珠彩シュイロさん……じゃあ私も果音カノンって呼んでください。えへへ」


「わかったわ、果音カノン……それでね、父は母が出て行ったことの原因が、最近辞めていった社員にあるって言いだして……どう相手していいかわからないのよ」


「その人ってそんな問題がありそうな人だったんですか?」


「いえ、とても真面目な人だったわ。私も会社の会合みたいなもので、会うたびに構ってくれて、ちょっとしたプレゼントをもらったりしてね……確かに母からの印象もよかったみたい。うちはベンチャーみたいなもんだから、母は会社の総務と経理をやってて、仕事で助けられてるって言ってたわ」


「助けられてる……そうですか」


「でも、あんなに誠実な人が不倫とか駆け落ちとかするはずがないって、私はそう思うのよね。だから、父の思い違いなんじゃないかって思うと、父と顔を合わせるのも気まずくて……」


「真面目……ですか。でも、お母さんの言ってた『助けられてる』ってどういう意味なんですかね?」


「それはね、母が言うには、なんでも進んでやってくれて、手が空いた時には率先して何か手伝えることはないかって聴いてくるっていう……それに、会社のためならなんでもさせてくださいって、張り切ってたみたいよ」


「ふむん、そうですか……でも、それってどうなんですかね?」


「ん、いいことなんじゃないの?」


「えっと……例えばですよ、その人が普段は楽な仕事ばっかりしてて、珠彩シュイロさんのお母さんを手伝う方に力を入れていただけだったとしたら?」


「そ、そんな……その人は『会社のために働きたい』って善意で……」


「……うーん、珠彩シュイロさん、『情けは人のためならず』っていう言葉がありますよね?」


「うん、あるけど……あっ、その人が助けたから母がダメになったって話? 果音カノン、その言葉はね、情けをかけるのは自分のためになるって意味なのよ?」


「ええ、わかっています。情けをかけるのは自分のため、それでいいんですよ。でも、それを『人のため』なんて言う人はどういう心境なんですかね?」


「うーん、ちょっとわからないなぁ……果音カノン、何が言いたいの?」


「それはですね、自分のために後ろめたいことをしているって自覚があるから、『人のため』なんて言うんですよ。例えば、その仕事で成り上がってやろうとか、そういう下心があったんじゃないですかね?」


「あはは、そりゃ流石に邪推なんじゃない? 人の善意をそんな風に言っちゃダメよ」


珠彩シュイロさんはその人に優しくされた経験があるからそう言ってるのかもしれませんけど、ちょっと視点を変えるとそう見えちゃうんですよね。それに、なんでもさせてくださいなんて、逆に無責任な言葉に聞こえませんか?」


「ふふふ、そうやって、私を慰めようとしてるのね! あははっ」


「ふふ……そうかもしれません。でも、確かなのは、仕事というのは手伝うとか助けるとかそういうものではなくて、請け負うものなんですよ。請け負うということは、責任を持ってその作業を果たすということで、それを手伝うと言ったら責任の所在が有耶無耶になると思いませんか? それはずるいですよね」


「……う、それもそうね……」


「……ふふふ」


果音カノン、あんた……本当はなんか知ってるの?」


「いーえっ、何も知りませんよ。これはただの私の憶測です。冗談だと思って頂いても構いません」


「じょ、冗談か……そうよね」


「でもですね、今珠彩シュイロさんに必要なのは、お父さんの気持ちを分かってあげることだと思うんですよ。私が言ったようなことがあった可能性があると考えれば、お父さんがその人を疑うのも無理はないはずです」


「確かに……そうよね……その可能性だってある」


「でしょう? ということで今日は帰ってお父さんの話を存分に聴いてあげてください。もしかしたら、それでお父さんの気が晴れるかもしれませんよ? 珠彩シュイロさんに必要なのは、お父さんの話を受け入れるだけの懐の深さだと思います」


「……うん、そっか、わかった。じゃあ、今日はこれで帰るわ。ありがとう、果音カノン!」


「はい、良かったです! 珠彩シュイロさん」


「……」


「どうしたんですか?」


「えっと……敬語を使うのもやめてくれないかしら? それと、さん付けもしなくていいわ」


「……うーん」


「どうなのよ……」


「……わかったよ、珠彩シュイロちゃん」


――月詠ツクヨミさんはその時の果音カノンの笑顔に、また涙がこぼれそうになったのだそうだ。


「その日、私は父とちゃんと話して、父の気持ちが理解できたような気がしたわ。それは、果音カノンのお陰だったのよ。さっき公園で怒ったのは、あんたが果音カノンの言っている無責任な発言をしたからなのよ。本当の兄妹なのに、あんたはそんな軽薄な奴なんだなって……」


「……うう、そっか。あの時はどうかしてたよ」


「こっちこそ、急に酷いこと言ってごめんね……それでね、それから果音カノンと私は、自然とふたりで居る時間が長くなっていったわ。でも、変なのは、果音カノンは初めて話した時以来、深い話をしなくなっちゃったのよね。なんかアホの子みたいな感じになっちゃって……それでも私は果音カノンと過ごす時間が楽しかった」


「……そっか、家ではあんまり喋らなくなってたけど、学校では友達ができてたんだね」


「友達……うん、友達ね……そうよ、友達。でね、その果音カノンがよくする話があったのよ。何だと思う?」


「……趣味の話とか?」


「あははっ、何よそれ! 漠然としすぎ! ……くくくっ」


「そんなに笑わなくても……」


「……ふふっ……それはね、兄貴、あんたの話なのよ」


「え……?」


「『兄さんが最近』とか『兄さんはこういうところが』とか、愚痴っぽく言ってたけど、あれはただのブラコンね……あんた、相当想われてるわよ」


「そんな……僕はずっと果音カノンに邪険に……」


「……ふふふっ、そうかもね、文句ばっかりだったもの」


「そうなのか……」


「……それでね、私があんたに近付いた理由、白状するわ」


「……僕の財産と話題性が目当てなんじゃなかったの?」


「違うわよ……理由は、あんたと同じ……」


「……果音カノン……?」


「そうよ、果音カノンを取り戻すためなの……」

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