第10話 月詠珠彩

 コンビニでのバイトを首になり、これからどうしようか、そう悩みながらもアパートに帰る僕を呼び止めたのは――


「兄貴、なにしてんの? バイト終わった?」


 月詠ツクヨミ珠彩シュイロさんだった。そうだ、バイトが終わったら彼女と話す約束をしていたんだった。彼女から一方的に約束を取り付けられられていたのだった。しかし、夕暮れに差し掛かるまで彼女はどこで時間を潰していたのだろうか。


「え……ああ」


「って、何その顔! 人生に疲れてるみたいな顔してるわよ?」


「あの、えっと……」


「とにかく、そこの公園でちょっと休みましょう……あんたちょっと尋常じゃない顔してるわよ」


 そうして、いつぞや一夜を明かした公園のベンチに、今度は月詠ツクヨミさんとふたりで腰をかける。


「で、どうしたの?」


「実は……」


 僕は事のあらましを月詠ツクヨミさんに説明した。彼女は相槌を打ちながら、真剣な表情で僕の話に耳を傾ける。


「……ふーん、まあ、そりゃあんたが悪いわね」


 彼女は後頭部で両手を組んで夜空を見つめながら感想を述べた。


「そんなこと僕だってわかってるよ……」


「ふん……あんた、きっと疲れてたのよ。運が悪かったわね」


「そうかな……?」


「そうよ。最悪のタイミングで頭に浮かんだことをそのまま言っちゃっただけね。まともに理性が働いていなかった証拠でしょ」


「うーん……」


「さて、そんな疲れてるあんたに朗報よ。今なら特別に私の兄貴にしてあげるわ」


「またそれ? 何度も断ってるはずだけど……何と言われようと僕の妹は果音カノンだけだよ」


「なんで断る必要があるの? 正直さ、兄妹の契約なんてすぐに簡単に覆せるんだから別にいいでしょ? うちの会社の財産も手に入るようなものだし、何も躊躇することなんてないわ」


「うーん……なんでそこまで僕を兄にしたいの? それに、兄弟姉妹制度もおひとり様税制度も来年からだよね?」


「……ええっと、ほら、例えば私があんたを兄にするってSNSなんかで宣言するでしょ? そうすると、新しい制度を利用するということで、私の、ひいては会社の知名度、株価が上がる。それは早ければ早いほど効果的よ。あと……こんなことを言うのはなんだけど、あんたの……親戚の方はみんな亡くなってしまった。その飛行機事故は現在大々的にニュースになっている。その親族の生き残りとも言えるあんたと兄妹になるっていうのも話題性が抜群。このタイミングで宣言するのが一番なのよ」


「そんな、経済優位性や名誉のために僕を利用するの?」


「そうなっちゃうけど……でも、私と兄妹になれば、政府に税金を持ってかれることもないし、一生働かずに済むのよ? あんた、コンビニで働くことの厳しさって奴が身に染みたんでしょ? だったらもう迷うことはないじゃない」


「そうは言われても……」


 その時、僕の頭にある考えがひらめく。


「……あっ、あの、月詠ツクヨミさん」


「なによ、改まって。ははーん、やっと観念したのね」


「違うんだ、僕を月詠ツクヨミさんのお父さんの会社で働かせてくれないか? なんでもするよ。それに、最初は賃金なんていらないからさ……」


「うちで働きたいの?」


「うん、まずは見習いからでいいんだ。当面はこのお金でなんとかするから」


 僕は握っているなけなしの給料が入った封筒に力を込める。


 彼女は少し表情を和らげてフッと息を吐いてから続ける。


「そう……全く……反吐が出るわね……!」


 月詠ツクヨミさんは僕を睨みつけながらそう一喝する。そんな彼女に僕は何も言わず、一度ベンチを立ち、正面の位置についてから跪いて両手と額を地面につける。そんな僕の前で彼女も立ち上がったようだ。


「あんたは何もわかってないわ……」


「……お願いだ」


 僕は頭を地面につけたままそう告げる。しかし、彼女はそれに耳も貸さずに続ける。


「よくいるのよ、なんでもさせてくれっていう奴がね。でも、そんな奴に責任感なんてものはないのよ……」


「え……?」


 僕は顔を上げる。そこには僕に軽蔑の眼差しを向ける月詠ツクヨミさんの姿があった。


「あんた、私の要求を断っておいて、なんでそこまでするの? まさか、自分の妹のためなんて言うんじゃないでしょうね?」


「違う……!」


 彼女は少し意外そうな表情をする。


「これは……僕のためだ! 僕が僕の手で妹を取り戻すためだ!」


果音カノンを……取り戻す? あんたがあんたのために?」


「そうだ!」


「そう、あくまで自分のためだと言うのね」


 彼女の軽蔑の視線が少し緩む。その時、僕の緊張の糸も途切れ、その視界に映るモノの名を口にしてしまう。


「……パンツ」


「はあああああああああああああっ!? なっ! 見ないでよね! 変態っ!」


 俯きスカートを抑える彼女の前で僕は――寝息を立てていた。


「……えっ、どうしたの? ちょっと、こんなところで寝ないでよ!」


 ――気付くと僕は車の後部座席に座らされていた。隣に月詠ツクヨミさんが座っている。


「ああ、起きたの? あんたの家ここで良かったわよね? 調べさせてもらったわ」


 先程の剣幕とは打って変わって、平然とした表情で僕にタブレットの地図を見せる月詠ツクヨミさん。


「ああ……ごめん」


 そして、僕と月詠ツクヨミさんは車から降り、僕が住んでいるアパートの前に立つ。


「ありがと、私は自分で帰るから、先に戻っててちょうだい」


 彼女は運転手にそう告げると、僕の方に向き直る。


「あんたの部屋、ちょっとお邪魔させてもらうわよ……しかし、小汚いアパートねぇ」


 押しに弱い僕は、そのまま彼女を自分の部屋に上げる。部屋に入ると、後ろから月詠ツクヨミさんのいい匂いが漂っていることに気付く。


「ふーん、ちゃんと整理されてるじゃない……って、なんも持ってないからか」


 彼女は僕の部屋を見回しながら勝手にちゃぶ台の前に腰を掛ける。


「あんたも座りなさいよ。はて、どこから話したものかしらね……ねえ、今果音カノンはどこにいるのかしらね?」


「本当に月詠ツクヨミさんも知らないんだね」


「わからないわ。今も草の根を分けて探しているところだけど、影も形も見えないわ。……大丈夫かしら、あの子、結構抜けてるから……」


 僕は腰掛けながら口を開く。


果音カノンのこと、よく知ってるんだね」


「……知ってるも何も、あの子はクラスメイトだからね……あの子はね、あんまり目立たない生徒だったわ。成績がいいってのは知ってたけど、あっちから話しかけられるまで、一度も話したことなんかなかったわ」


果音カノンから……?」


「そうよ。あれは私が家に帰りたくなくて、ずっと教室の椅子に座ってた時のこと……果音カノンの方から私に話しかけてきたの」

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